今日の私は、一人エルジュノンにある格納庫で点検作業をこなしている。このまま順調に進めば今日は早めに上がれるかもしれない、なんて呑気に鼻唄を歌っていた時のことだった。
「助けてくれぇ!」
「なにっ?」
遠くから誰かの叫び声が聞こえたかと思うと、次の瞬間どこかでガラスが割れる音が響く。
街中の警報器から一斉にけたたましくサイレンが鳴り始めた。
『緊急事態発生、緊急事態発生。神羅軍総員戦闘配置。非戦闘員は直ちに指定の場所へ避難』
一体何事だろう。ただごとでは無いことは確かだけれど。
私は勿論非戦闘員なので、とにかくここから離れてみんなと合流しないと。そう思って格納庫の入口に駆け寄ると、ドアの小窓から外を見た。
「モンスターがあんなに……」
なんと、街中を翼の生えたモンスター達がうようよ飛び回っている。
どうしようかと辺りを見回すと、さすがに兵器の格納庫なだけあって、金属製の警棒とマテリアがいくつか目に入った。
とりあえず緑色のマテリアを一つ警棒にセットする。どうやらこれは"かみなり"のマテリアらしい。私達はこれを作る側だから使い方も理論としては知っているものの、実戦経験なんてものは無い。そもそもマテリアは私の管轄外だ。
それでも丸腰でいるよりは多少気持ちが落ち着いた。
私は覚悟を決めて、武器を握り締めながら格納庫から走り出る。モンスター達はオフィス棟の窓ガラスを割って中にまで入り込んでいるようだったけれど、運良く港側にはあまり徘徊していなかったので、しばらく私が標的にされることはなかった。
「ええと確か敵襲来時の避難場所は……中央トンネルだよね」
たまに開催される避難訓練も馬鹿にならないなと考えながら、とにかくアルジュノンとの境目にある中央トンネルを目指すことにした。
それでも不運なことに私がいた格納庫はエルジュノンの端の方だったので、中央トンネルまでは走っていってもまだかかる。なんとかモンスターに見つからないようにしなければならない。
「やばっ……」
そんな私の願いも虚しく、遂に二体のモンスターに見つかってしまった。気味悪い声をあげながら、モンスターは私の行く手を阻む。
「どうしよう、なんでこの辺軍の人誰もいないの?」
辺りを見回してみても、兵士もソルジャーも見当たらない。確かにこのエリアはほとんど人の出入りがない場所だから、優先度は低いのだろうけど。もしかしてもう誰もいないと思われて引き上げられた?
「近くに警備ロボットも無いか……」
私はすっかり絶体絶命のピンチに陥ってしまった。冷や汗が背中を伝っていくのが分かる。
まだ死にたくない。なんとかしないと。
私は非力ながらも力を込めて、神羅のロゴが刻まれた警棒を握り締めた。モンスターが牙をむき出して襲い掛かってくる。
「お願い出てっ……サンダー!」
恐怖のあまり固く目を瞑って、それでも無我夢中で魔法を唱える。確か下級魔法なら少しの精神集中で発動できたはずだ。
痺れるような音と共にモンスターがうめき声をあげる。目を開けて確認すると、襲い掛かってこようとしたモンスターの翼が黒く焦げていた。
私の放った電撃に不意をつかれたモンスターが一旦後ろに下がる。するともう一体が、今度は尖った爪を振りかぶって突進してきた。
(もう駄目……!)
「伏せろ!」
その時どこからか聞こえてきた声に、咄嗟に私は頭を抱えてその場に座り込む。同時に何発もの銃声が響いたかと思うと、目の前にいたモンスターが二体続けて地面に落ちた。
「心意気は褒めてやろう。だがかなり無鉄砲だったな」
恐る恐る顔を上げると、倒れたモンスターの向こうから白いスーツが近付いてくるのが見えた。
「まあ無事なら良い。立てるか?」
「副社長……どうしてここに?」
副社長は私に手を差して立ち上がるのを手助けしてくれる。そして私の問いには答えず、そのまま私の手を引いて走り始めた。
「良いかナマエ。攻撃を当てるときは必ず目を開けていろ」
「は、はいっ……!」
引きずられるようになりながらも必死で後ろに続く私に、副社長はそう言った。
「じきにソルジャー達が到着するだろう。人の多いところには兵士達が入っているが、まさかこんな所に君がいたとはな」
「本当にありがとうございました」
「フッ、君は何かと運が良いようだ」
たまたま副社長があの場にいなかったら、私はあのままモンスターの餌食になっていたという事だ。想像しただけで震え上がってしまう。
しかし今はとにかく副社長に着いていくことだけを考えよう。余計なことを考えている余裕は、無い。
「数が多いな。セフィロス達はまだか?」
中央トンネルに続く通路の近くにはモンスター達がひしめき合っている。いくら副社長と一緒とは言え、強行突破は難しそうだ。
「行き先を変える。こっちだ」
そう言って副社長は脇にある路地に進路を変えた。
しかしその先も、先程までではないものの何体かのモンスターが行く手を阻んでいる。
「君の腕を見込んでの相談だ」
こんな状況なのに、副社長の声はどこか楽しそうにすら聞こえる。横顔を盗み見れば、口の端が僅かに上がっていた。
「俺が正面の奴らを散らす。ナマエは念の為後ろを気にしておいてもらえるか?」
「分かりました。なんとか……やってみます」
私は生唾を飲み込んだ。
「なに、さっきのサンダーはまるで雷神ラムウが放つ裁きの雷のようだったぞ」
こんな時にそんな軽口を言えるとは、なんて肝の据わった人なんだろうこの人は。
それでもそんな副社長のお陰で、強張っていた私の身体から少しだけ緊張が抜けていく気がした。
「俺が合図したら一気に駆け抜けるぞ」
副社長はそう言うと正面にいるモンスター達に向き直った。彼が標的に銃口を向けた音が聞こえる。
私は後ろを警戒しながら、にじり寄ってくる一体のモンスターに向かって雷を放った。
「走れ!」
私がサンダーの魔法を放ったのと同時に副社長は銃を乱射し、モンスターが怯んだ隙を狙って彼は私の手を引いてまた走り出した。
どれくらいの時間が経ったのだろう。
無我夢中で走り続けると、副社長は路地を抜けた先にあるオフィスの扉の前で止まりカードキーを差し込んだ。
「入れ、ここなら安全だ」
通された部屋の中にはあまり物がなく、デスクの周りに配置されたいくつものモニターだけが存在感を放っていた。
ようやく身の危険が去ったことで脱力した私は、へなへなとその場に座り込んだ。
「腰が抜けたか?」
目の前にしゃがんみこんだ副社長に顔を覗き込まれる。でもそんなことを気にしている余裕も無く、私は今になって襲ってくる恐怖感に震えていた。
「もう大丈夫だ。その内ここにもタークスかソルジャーが来るだろう」
副社長はぽんと私の肩に手を置く。
「よく頑張った」
その言葉で、私の心に張りつめいていた緊張の糸が遂に切れた。
「死ぬかと、思って……っ」
口にすると一気に現実味が増して、死を覚悟した瞬間の映像が脳裏に蘇る。
「怖かった……!」
情けないけれど涙が止まらない。もう大丈夫だと頭では分かっていても、堰を切ったように次から次へと溢れてきた。
「悪かった。もう少し早く助けてやれればよかったんだが」
副社長は悪くない。むしろ命の恩人なのに、そう言って私の頭を撫でた。
「落ち着くまで、好きなだけ泣け」
「ごめんなさい、副社長……私……」
非礼を謝りたいのに嗚咽を止められず、子供みたいに泣きじゃくる私を、副社長はそっと抱き締めてくれる。
「大丈夫だ、ナマエ。ここには俺しかいない」
「ううっ……本当に、怖くて……」
「安心しろ。君はちゃんと生きて、ここにいる」
そう言って、副社長は私の背中に回した手に力を込めた。
しばらくそうしている内に段々と私も落ち着いてくる。けれど副社長はまだ私が取り乱したままと思っているのか、中々腕を緩めなかった。
もう大丈夫です、と言い出すタイミングを伺っていた時に突然放送が入った。
『緊急事態解除、緊急事態解除。戦闘員は上官に報告を―ー』
それをきっかけに、ようやく副社長の腕の力が弱まった。
「副社長、お恥ずかしいところをお見せして本当にすみません。それに助けていただいてありがとうございました」
気恥ずかしくて、まともに目を合わせずに一息で言ってしまった。でも副社長はそんな事は気にしていない様子だ。
彼はフッと笑うと何も言わずに、デスクに備え付けてある電話を持ち上げてどこかにかけ始めた。
「俺だ。こちらは問題無いが、一人匿っている。ホランダーは……そうか。金の出処は……フッ、予想通りだな」
ふと副社長のデスクを見ると、見覚えのあるショットガンが目に入る。
「これって、私の……」
「ようやく気付いたか」
いつの間にか通話を終えていた副社長も、私の視線の先にあるものが何か気付いたらしい。
「俺も、君に助けられていたという事だ」
副社長はショットガンを二丁に分けて、空に向かって撃つ真似をしてみせる。
「非常に優秀で助かっている」
「副社長だったんですね、選んでくださったのは」
副社長は満足そうに笑うと、部屋の一角に備え付けられたソファに腰をおろす。すると一匹のまだ若い軍用犬が奥の部屋から顔を出し、副社長の足元までやってきた。
「ディー、気を使っていたのか?」
軍用犬は副社長に撫でられて嬉しそうに尻尾を振り、猫の様に喉を鳴らした。これは確か、副社長がトレーニングルームに連れてきていた犬だ。
私は副社長と黒い軍用犬を交互に見る。この子が副社長の犬だとすると、ここは……
「ここは俺の部屋だ」
「何から何まで、申し訳ありません……」
まさかジュノンの副社長室がこんな所にあるとは知らず、しかもその副社長室を占拠して号泣してしまったのだからバツが悪い。
けれども副社長は気まずそうな私を見て、からかうように笑った。
「一般社員でここに立ち入ったのは君が初めてだ。光栄だろう?」
軍用犬が鼻を鳴らす。ご主人様に迷惑をかけた私に呆れて笑っているのかもしれない。
「こいつはダークネイション。科学部門が寄越したんだが、なかなか賢い奴だ」
「始めまして」
ダークネイションの前にかがんで、手の甲を出してみる。犬にはこうするのが良いって、昔誰かが言っていたから。軍用犬に通じるのかは分からないけれど。
するとダークネイションは副社長の顔色を伺ってから、私の匂いを嗅いだ。少し緊張したけれど、さすがに賢い犬だけあって副社長が命令しない限り噛んだりしないようだ。
「ディー、ナマエだ。覚えたな?」
副社長にはディーと呼ばれているらしいダークネイションは、グルルと喉を鳴らした後、満足したのか方向転換して奥の部屋に戻っていった。
「本当に賢い子ですね」
「だろう? まだ訓練中だが戦闘能力も高いぞ」
飼い犬を褒められて得意気にしている副社長は、普段と比べるとどこか幼く見える。それがなんだか面白くて、私の頬も緩んだ。
「ようやく笑ったな」
そう指摘されて初めて、今まで私はずっと硬い表情をしていたことに気がついた。
「犬が好きなら、時々ディーに会いに来たら良い。あれもナマエが害のない人間だと覚えた筈だ」
「き、機会があれば……」
副社長室に犬と遊びに来るなんて……しかもその犬が科学部門の手が入った軍用犬だなんて、あまりに恐れ多い。
私は曖昧に笑って、お茶を濁した。
しばらくして、拘束されていた科学部門の博士が逃げ出したという噂と共に、この襲撃事件には殉職したはずの元ソルジャー部門統括が関わっていたらしいという噂がまことしやかに流れ、ジュノン支社にも不穏な空気が漂い始めた。
私も時々無性に不安になる。もし、またモンスターが襲来したら……。
それでもそんな時は、泣きじゃくる私に副社長がかけてくれた言葉と抱き締めてくれた温もりを思い出せば、きっとどんなことがあっても大丈夫だと信じることができた。