『シスネお願い助けてー!』
電話に出た途端ナマエがそう捲し立てたので、一体何事かと思ったら。
話を聞くとどうやら副社長に食事に誘われたらしく、着ていく服がないからお店を教えて欲しいと言う。私が副社長室に送って行ってあげた後に誘われたんだろうけど、連絡先を交換して一日経たずに役に立ったわねと、慌てるナマエには悪いけどつい笑ってしまった。
副社長、あちこち手を回してナマエをミッドガルに異動させた甲斐があったみたいね。これはツォンがヴェルド主任から聞いた話らしいから本当なのだろう。
二人の間に何があったかは知らないけど、余程ナマエの事が気に入っているのかしら。任務でジュノンに滞在していたあの日も、突然気が合いそうな女子を連れて行くから仲良くなってやれとか言い出すし、何かと思ったわよね。
まあ、いずれ私達の主となるはずの副社長に恩を売っておくのも悪くない。それにせっかく友達になれたんだから、純粋にナマエとショッピングを楽しむのも良いわね。
私は苦手な事務作業に辟易としているレノとルードを横目に、調査課オフィスを後にした。
「お疲れさま! ごめんね急に変なお願いしちゃって」
一階エントランスに着くとナマエが駆け寄ってくる。
「良いわよ。私もたまには気分転換したかったし」
「ありがとうシスネ……」
今にも泣き出しそうなナマエに微笑んであげると、少しは安心したらしい。さて、どこに連れて行こうかな。
「で、どんな服が欲しいの?」
私達は零番街のステーションで電車を待ちながら、作戦会議を開いている。
「八番街のお店としか聞いてないんだけど、ジュノンとは違うぞって言ってたから多分高級なところじゃないかなと思う」
「まあ、副社長だしねぇ」
「そうだよね……」
ナマエはがっくり項垂れている。副社長の奢りだろうからもっと素直に喜べば良いのに、気後れしているのだろう。
「お礼がしたいのは私の方なんだけどな」
ナマエがそう呟く。
どうやら副社長はナマエに用意してもらった銃のお礼で食事に連れていくと約束したらしい。働いた分のお給料は貰っているのだから、随分と大盤振る舞いね。
まあそれは口実でしかないんだろうけど、ナマエはそんな事思いもしていない訳で。
「良いじゃない。副社長も友達いなくて寂しいんじゃないの?」
「そんな訳ないと思うけどなぁ」
「あの性格であの立場じゃね。タークスくらいしか話し相手もいなさそうよ」
「そうなんだ……。なら、話し相手くらいにはなれるかな」
「そうそう。それくらいの軽い気持ちで良いのよ」
ナマエはまだ腑に落ちていなさそうな顔をして溜息をつく。こんな事言ってたなんて知られたら怒られそうだけど上手くナマエをその気にしたんだからむしろ褒めてほしい。
それにしても副社長、もうちょっと段階を踏んだ方が良かったんじゃないかしらね。相手は強敵よ。
私達は、普段使いにするには勿体無いような、それでいて派手すぎずお洒落で可愛い洋服が売られているブティックにやってきた。私も実は入ったことはなかったんだけど、前を通るたびに気になってはいたのよね。
とりあえずナマエに似合いそうな服を見繕うけど、自分用のも買おうかしら。
そんなことを思いながら、私はワンピースを物色する。やっぱりデートにはワンピースでしょ。
副社長の好みはよく知らないけど、多分可愛すぎるのより大人っぽいほうが好きかしら。社長の好みなら秘書課を見れば一発なんだけどね。
「夜の食事だし、大人っぽい感じで黒かネイビーかしらね。赤は……ちょっとあなたの上司を思い出すわ」
「統括は……確かに。白も副社長とペアルックになっちゃうから駄目だね」
「あら、いいんじゃない?」
想像するとちょっと面白い。
ナマエは首がもげるんじゃないかというくらいに頭を横に振って否定する。
「そもそもそれじゃ目立ちすぎるって! だから無難に暗い色にしたい……」
そう言いながらナマエはさっきからネイビーのレースワンピを触ってみては他のを見て、また戻ってを繰り返しているようだ。
「良いんじゃない、それ?」
「素敵なんだけど、ちょっと私の色気が足りないというか……」
私はラックに手を伸ばし、首から肩、胸元にかけてレースになっている袖の短いワンピースを取るとナマエの身体に当ててみる。
「そう? スカーレット統括みたいに胸元開けてるわけじゃないし」
そうこうしていると店員がやってくる。ナマエに有無を言わせず、私は店員にナマエを試着室に案内するよう頼んだ。
「シ、シスネ……」
「着てみればイメージ湧くでしょ」
この客を逃がすまいと店員に引きずられていくナマエに手を振って、私は自分用になにか良いものがないか探し始めた。
「ありがとうシスネ、ほんとに助かったよ」
そう言ってにこにこと上機嫌なナマエは、あのネイビーのワンピースが包まれた袋を腕から下げている。
試着してみると良い感じに上品で大人っぽい姿に見えて、これなら副社長と並んでも違和感は無いだろうと思えた。
デコルテのレースから透けて見える素肌と裾から覗く膝。ひらひらと揺れる袖から伸びる腕。腰回りは背中で結んである艶のあるリボンでキュッと締められている。
副社長が見たらどんな顔をするか見られないのが残念……顔に出さない可能性は高いけど、タークスなら気付くくらいには驚くことだろう。そう思う程度にはナマエによく似合っていた。
だから私が猛プッシュして、ナマエもようやく納得して購入に至ったわけ。
「いいえ、私も可愛いストールが買えたし」
私もお店の名前がプリントされた袋を掲げてみせる。
「じゃあこれから靴と小物、行くわよ」
「はーい! なんか楽しくなってきた」
そうそう。女同士のショッピングはこうでなくっちゃね。
今度副社長に特別ボーナス下さいって報告しに行こうかしら。
……緊張する。
着慣れた作業着や白衣とは違って柔らかくて触り心地が良い、膝に触れるワンピースの裾。
首元も胸元もちゃんと覆われているのに、その素材がレースなせいでなんとも心許ない。
歩みが普段より遅いのは、緊張のせいだけじゃなくていつもより高めのヒールのせいでもあるけれど。
髪型は崩れていないだろうか。
わざわざ美容室に行って整えてもらってきてしまった。自分ではどうしようもできないと相談したらシスネがそうしろと言ので、素直に従ったまでだけど。
美容師さんに、デートですか? なんて聞かれたのが恥ずかしすぎて、会食です……と答えてしまったり。
会食というのは嘘では無いと思う。デート……では無いので、他に表現のしようがないのだから。
私はだんだん早足になりながら八番街のLOVELESS通りを抜けて待ち合わせのお店に向かう。
副社長には家まで迎えに行こうかと聞かれていたけれど、とんでもないと丁重に断った。
だからこそ、遅れないように早めにやってきたのだ。
それなのに。
「副社長! すみませんお待たせしました」
副社長はなんと律儀にお店の前で待っていた。まだ待ち合わせの時間には少し早い。まさか先を越されるとは思わなかった。
中に入っていてくれても良かったのに、真面目なのはどっちだろうか。
しかも予想と違って、副社長の服装は普段とは違いジャケットもパンツも落ち着いた色合いだ。前髪も普段は下ろしているのに今日は上げている。
この格好でいつからここに立っていたのだろう。コスタの時みたいに声とか掛けられなかったのだろうか。それとも完璧すぎて周りも遠慮してしまったのかもしれない。
(か、かっこいい……)
元々整った顔立ちをしている人だけれども、普段とのギャップのせいか今夜はやたらと光り輝いて見える。既に私の緊張は最高潮で、目が回りそうだ。
副社長は目を細めて私を見ると、少しだけ頬を緩めた気がした。
「いや、誘ったのは俺だからな。入るぞ」
そう言って副社長はドアを開けてくれる。生まれてこのかたレディーファーストなんてされたことが無かったので、とてもぎこちない動きになっていた自覚はある。
それでもお店の人も副社長も変な顔はせずスルーしてくれたのはとてもありがたかった。さすがに慣れている人達は違う。
本当にこの人と並んだ私、浮いてないのかな。
私達は窓際の席に案内された。
この辺りは他の席もみんな距離が開けられていて、観葉植物なんかで区切られている。お店は商業ビルの上層階にあるので、神羅ビル程ではないけれどミッドガルの魔晄に照らされた夜景が一望できた。
「すごい。プライバシーが守られていますね」
「ククッ……目の付け所が違うな」
開口一番副社長に笑われてしまい、恥ずかしくて泣きたくなる。確かによく考えればここは綺麗な夜景について触れるタイミングだった……。
でもこの不釣り合いな組み合わせの二人が周りからあまり見られる事が無いというのは少し安心できた。
「緊張しているのか」
「は、はい……すごく」
「心配するな、誰も見ていない。なにせプライバシーが守られているからな」
「それ、忘れてください……」
私はがっくりと項垂れるしかなかった。副社長はこういうお店に慣れているのだろうけど、私は庶民なので仕方無いと思ってもらいたい。
「副社長の雰囲気がいつもと違うから余計に緊張してしまって」
「そうか? ああ、髪型か」
副社長はさらりと一房垂れている前髪を掻き上げた。また私の心臓が跳ねる。
「はい、あの……、すてき、です、すごく」
「フッ、片言だぞ。いいから肩の力を抜け」
そう言われてもなかなか難しい。
私はとりあえず冷静になろうと、頭のなかで魔法マテリアの構築に必要な要素を唱え始めた。
「お前も気合が入っているな」
「え、あ……、それは勿論です、ハイ」
「早く慣れろ。その辺の居酒屋と変わらないと思え」
「何をおっしゃいます」
そんな訳はない。
私が即答したのがツボにはまったのか副社長は口元に拳を当てて声を噛み殺して笑っている。
そんな姿さえ絵になるのだから本当にずるい。
少しするとお店の人が席にやってくる。
どうやら予め料理は予約していてくれたらしく、私達は乾杯用のワインだけ頼んだ。とは言っても私は詳しくないので副社長が選んでくれたのだけど。
注文したものが来るまでの間、何を話していいのか分からなくて落ち着かないので、とりあえず夜景に専念することにした。
副社長の方も視線はこちらに向いているものの、意外と何も話しかけてこなかった。
するとまたお店の人が副社長の隣にやってくる。
「ああ、ご苦労。……ナマエ」
私が窓の外を注視している間に店員さんはいなくなり、副社長に呼ばれる。
副社長の方に視線を動かすと目の前にずいっと差し出されたのは、正真正銘の、花束。
「へ?」
「もう少しマシな反応をしろ……ククッ」
「あ、すみません……」
「良いから受け取れ。手が疲れる」
副社長が片手で差し出せる小さめサイズの花束には、それでもこのミッドガルでは珍しく本物の生花が束ねられている。
「これ、本物じゃないですか……!」
「来る途中で花売に売りつけられたんでな。慈善活動だ」
そう言った副社長は窓の下を見る。確かにたまに本物のお花を売り歩いてる人を見かけるけれど、彼女はカーム辺りから出稼ぎに来ているのだろうか。
正直言ってミッドガルの自然環境は良いものとは言えない。むしろ悪いと言って良い。
それは魔晄炉による影響のせいなのだろう。でも、それと引き換えに私達が手に入れた便利さが人を救うこともある。
しかし副社長が花売に押し売りされて花を買い占めているところを想像するのはちょっと面白かった。一体いくらで買わされたのかは聞けないけれども。
「良い香り……」
胸一杯に広がる爽やかな甘い香りに自然と頬が緩む。もうこれだけで、今日が終わってもいいくらい幸せだ。
ふと視線を感じて顔を上げると、いつもより穏やかな表情の副社長が、ぼんやりと頬杖をついてこちらを見ている。仕事中ではないから気が緩んでいても当然と言えば当然なのだが。
目が合って気恥ずかしくなった私はまた手元の花束に視線を落とした。
(これじゃ心臓が持たない……!)
ちょうどいいタイミングでワインと食事が運ばれてきた。ありがとう店員さん。
花束は一度預かってもらって、私達はグラスを手にした。まだ花の残り香が香っていて心地良い。
食事の間はあまり喋らないで済むから助かった。たまに副社長に最近の仕事の事を質問されるので、それに答えるくらいで済んだ。
私はワインを少しだけ飲んだ後は、ノンアルコールカクテルというもののお世話になっている。お洒落な上に美味しくて、酔わないなんて最高だ。
ここで酔っ払ってしまったらと思うとワインの味も分からなくなってしまったので、お酒は早々にやめたのだ。
「ナマエはゴールドソーサーに行ったことはあるか?」
デザートを待っている間、副社長がふと思い出したように言う。
「いえ、結構高いじゃないですかあそこ」
ゴールドソーサーとは神羅が北コレル地方に造った遊園地のことだ。
入場料がそれなりにするらしく場所も遠いので、周りにも行ったことがある人はいない筈だ。
「今度新しいアトラクションが出来るんだが、一般開放の前に試乗できる日があるようだ。この前チケットが届いた」
さすが神羅カンパニー副社長。まあ、運営会社の役員なんだから当然なのかもしれない。
「どうやら新しいアトラクションというのはジェットコースターらしいな」
「ジェットコースター?」
「簡単に言うと猛スピードで急旋回、急下降する乗り物だ」
「へぇー面白そうですね! 羨ましいです。行ったら感想聞かせてくださいね」
どんな乗り物か想像するだけでワクワクする。いつも機械をいじっていたのもあって、乗り物は得意だ。
「チケットは俺が言えば何枚でも手に入るぞ」
副社長はニヤリと笑う。まるで、俺はすごいんだぞと言いたそうな顔をしているように見えた。
「お前の誕生日は近いらしいな」
「何でご存じなんでしょう?」
「フッ、俺にかかれば造作もない」
確かに副社長なら人事関係のデータにもアクセスできるのだろう。しかし職権乱用ですよ、副社長。
「特別に連れて行ってやる」
「えっ、ゴールドソーサーにですか?」
「なんだ? 俺は別にゴンガガジャングルでもいいぞ」
「ゴールドソーサーでお願いします」
ジャングルにはモンスターが出るのでは……。
というのはさておき、なんとも今日の副社長は太っ腹だ。
「一人でジェットコースターに乗るのも味気ないしな」
「副社長、ただジェットコースターに乗りたいだけなんですね?」
私の質問に鼻で笑って答える副社長。誕生日とは。
しかし、もしかして本当に副社長にはジェットコースターに一緒ってくれる乗るお友達がいないのだろうか。
シスネの言っていたことを思い出して、なんと失礼な事をとそれを頭から追い出した。
食事も終わり、お店を出るときにあの花束を受け取る。
「ありがとうございました。ご飯、美味しかったです」
花束を抱えるとまたふわりと心地良い香りが広がった。
副社長は何歩か歩いてから私の方に振り返る。突然何かと思っていると、副社長は目を細めてから笑った。
「フッ……そういう格好も悪くないな」
それからまた前を向いて歩き出す。副社長の方が私よりも歩幅が大きいので、遅れないように私は少し小走りした。
「シスネがお店に連れて行ってくれたんです」
「シスネが?」
「はい。彼女のトータルコーディネートなんです、今日の私」
「そうか……」
副社長は顔を少しこちらに向けて私を見た。背の高い副社長に見下されて、また恥ずかしくなってくる。
「ならシスネにはセンスが有るようだな」
そう言って副社長はまた前を向いて軽く笑った。
それは、似合っているということで良いのだろうか。
「見慣れた白衣姿も合っているが……そうだな、よく似合っている」
そう言われて驚いて彼を見上げると、副社長の顔はこちらを向いているものの珍しく視線が合わなかった。彼は口元に拳を当てると咳払いを一つして、前を向いた。
私の頭の中は言われた言葉でいっぱいで、心臓は大きな音を立てている。とにかく遅れないようにと、私は必死で副社長の後を追いかけた。
帰りは副社長が呼んだ車で送ってもらってしまった。申し訳ないと思いつつ、花束を抱えて電車に乗るのも少し照れくさかったので、お言葉に甘えさせてもらったのだ。
「今日は本当にありがとうございました」
後部座席で副社長と並ぶのも、それはそれで緊張したけれど。
「いや、元々は俺がお前に礼をする為に呼んだんだ」
「十分すぎるくらいいただいちゃいましたね」
「なら前払いした事にしよう。これで、ナマエはこれからも俺の頼み事を聞かないといけなくなった訳だ」
そう言う副社長の顔を盗み見ると、意地悪く笑っている。
「もしかして初めからそういう魂胆でした……?」
恐る恐る聞くと、副社長は耐えきれないといった表情になってから軽く噴き出した。
「フッ……ク、ククッ……」
「私別に変な事言ってませんよね?」
まだ肩を震わせている副社長に聞くと、彼はふぅとひと呼吸置くと楽しそうに横目で私を見る。
「いや、やはりナマエは真面目だと思ってな」
「……そうですか」
副社長は、相変わらずこうやってからかってくる。
私が少しムッとしているのを感じ取ったのか、副社長はこちらを向くと片手を私の頭に乗せた。
「怒るな。褒めている」
そう言い放った副社長は私の髪をひと撫ですると、また前を向いた。
「駆け引きばかりで疲れる世界には、そういう真面目さに救われる奴もいるんだ」
副社長はそう言ったきり窓の外に目を向けたまま、車が私の家の前に着くまでもう一言も口を開かなかった。