ーー何か新しいもの。
汚れ一つない純白のドレス。細やかな刺繍とそこに散りばめられたビジューが私の身体を包み込んで、まるで御伽噺のお姫様になったかの様に錯覚させれくれる。一歩踏み出すと、艶のある長いトレーンが床に白い波を立てた。
仕立てたのは私の恩人でもあり師匠でもある人と、彼女が集めてくれた有志の人々。物資の乏しいエッジの街でこれだけ見事なシルクが手に入ったのは、やはりエルミナさんの人望によるものだろう。
結婚することになりました、式もそのうちにと報告しに行ったら、ドレスはどうするんだどんなのが着たいんだ宛てはあるのかとあれこれ質問攻めに遭い、私がたった一言『まだ何も……』と答えると彼女は絶句した。せっかく女に生まれたんだからその日くらいは自分の夢を全て詰め込んだ衣装を身に纏いなさい。彼女はそう言って力強く胸を叩いたのだった。
出来上がったドレスを初めて目にした時、私はしばらくその場を動けなかった。あまりの美しさと神々しさに、こんなものに私が袖を通しても良いものかと尻込みさえした。けれどエルミナさんは優しく微笑んで、あんた以外には似合わないよと背中を押してくれたのだ。
「良いかい、それ以上大股で歩くんじゃないよ!」
一歩踏み出した私の横で、トレーンの広がりを確認していたマダム・マムが形の良い眉を吊り上げる。何を隠そう私にドレスの着付けをしてくれたのは彼女で、それだけでなくヘアメイクもマムによるものだった。
彼女は私の靴の中に六ギル硬貨を忍ばせてーー花嫁向けのそういう古いおまじないがあるらしいーー私を見上げる。
「ここはジュノンじゃないんだから、アンタが着てるのは作業着でもないわけ。自分の裾に引っかかって転ぶなんてやめておくれよ」
そう言いながらテキパキとドレスの細部を確認し、マムは私の前に立った。
「はいよ、これを忘れちゃいけない」
彼女が差し出してくれたビロードの上には、大粒のダイヤモンドが光る金の指輪が置かれている。そこに青い石はない。
ーー何か古いもの。
私がレースの手袋越しに右手の薬指に嵌めたのは、かつて神羅カンパニーを創り上げた人が彼の妻に贈った婚約指輪だった。ずっとチェーンを通してネックレスにしていたけれど、それでもすぐ側で見守っていて欲しかった。なので今日だけは違うネックレスをすることになっていたから指に嵌めさせてもらうことにしたのだ。
「届け物だ」
「あぁ、駄目よアンタはそれ以上近づいちゃ!」
部屋の外から声がしたかと思うと、マムは扉の外に向かって声を荒げる。分かってる……などとぶっきらぼうな物言いをしてそこに立っている男は、きっと私のドレス姿なんて興味無いだろう。
マムが一度部屋の外へ出ていくと、一人になった私は目の前の鏡を改めて眺める。そこに映っているのはやっぱり私ではない別人のようで、マムの手腕には相変わらず驚かされるものだ。そうこうしているうちに戻ってきたマムが、結い上げた私の髪に手をかけた。
「良いね、やっぱり生花が一番だよ」
マムの腕に下げられていたのは花の入った小さな籠。クラウドはこれを届けにきてくれたのだ。さすが運び屋を生業にしているだけあって、物も時間も依頼通りだった。
「ああ、あとこれね」
しゅるしゅる、と音がしたかと思うとマムは私の髪に何かを巻きつけている。ヘアアクセサリの代わりに生花を使おうというアイディアは彼女とイリーナの物で、花を使わせてもらう許可はエルミナさんに貰っていた。しかしリボンを使うというのは聞いていなかったので、私は少し顔を横にして髪型を確認する。すると白や黄色の花と一緒に私の髪にあしらわれていたのは薄ピンクのリボンだった。
「今日だけ特別に、だってさ」
見覚えがあるその色は、彼らが各々身につけているものと同じだ。マリンちゃんなら髪に、ティファやクラウドは腕に。この星を救った彼らの友でありエルミナさんの大事な宝物。そんな彼女を連想させるリボンは、彼らの仲間の証のはずだった。
「私なんかに……。良いんでしょうか」
ーー何か借りたもの。
薄ピンクのリボンにそっと指先だけで触れると、鏡越しに目が合ったマムは微笑んで頷いただけだった。
「マダム。そろそろ良いか?」
その時扉の外から聞こえてきた声に私の胸の鼓動が跳ねる。朝部屋の前で別れてから数時間会っていなかっただけだけど、早く会いたくて堪らなかった人。今日という日を、私と一緒にきっと誰よりも心待ちにしていたはずの人の声だったから。
マムは扉に手をかけて、一度私に振り向いた。
「良いね、入れるよ?」
その顔には大輪の花が咲いたような笑顔が浮かんでいる。美しい彼女が笑いかけてくれると、自信を持てと言ってくれているような気がした。
「待たせたね……ああ、アンタはまあ予想通りだ。全く小憎らしいよ」
「褒め言葉と受け取っておこう、マダム。しかし今日は世話をかける」
「随分と奮発してもらってるからね、まあそれでも足りないくらいだけど今日くらいはサービスしておくよ」
「フッ。損して徳を取るとは、貴女らしい」
「よく言うよ色男が。エッジに店を開こうってのに未だにアンタの顔色を伺わないといけないなんてねぇ」
マムは扉を半分だけ開けたまま、そんなやり取りをして不穏な声色で笑っている。私は緊張感が高まってきて鼓動が早くなってきたのを感じた。堪らずマムに呼びかけると、彼女はああと声を上げて扉を開けた。
「悪い悪い、主役を待たせちゃいけないね。ほらお入り新郎さん、見惚れて転ぶんじゃないよ」
そう言って扉の横に退いたマムの向こうには、白いスーツを身に纏った愛しい人が立っていた。
「ナマエ……」
色こそいつもと同じだけれど、普段のジャケットやスラックスとは全く違う白い礼服をルーファウスは、今日は前髪も垂らすことなく全て後ろに上げている。その姿はまるで子供の頃に読んだ絵本に出てくる王子様そのもので、私は思わず息を呑む。白は、本当に彼をよく引き立てる色だ。撫でつけられた金髪も、透き通るような薄氷の瞳も、その白によってより美しく際立てられていた。
ルーファウスは私の目の前までやってくると、頭のてっぺんからトレーンの先までを眺める。
「マダムは露出の多い格好ばかりが得意だと思っていたのだが……」
ルーファウスはそう呟いて、一度下ろした視線を私の胸元からお腹の辺りまで上げた後しばらく彷徨わせていた。すると間髪入れずに扉の横で腕組みをしていたマムの声が飛んできた。
「馬鹿言ってんじゃないよ! まったく、こういう時くらい素直になったらどうなんだい?」
「……貴女が席を外してくれたら、すぐにでもそうしよう」
わざとらしく溜息をつくルーファウスが言うと、マムも負けじと大きなため息を返す。
「ハァー……。いくら新郎だからって結婚式前の新婦を男と二人きりにするのはルール違反なんだけどね」
「貴女はルールなどに縛られるような人間だったか?」
「ハイハイ。良いかい、せっかく綺麗に仕上げたんだから崩したらいくらアンタ相手でも許さないよ!」
そう言い捨てて、マムはやれやれと肩を諌めながら部屋から出て行った。残されたルーファウスは苦笑を浮かべ、私はただ二人のやりとりを茫然と眺めていたのだった。
「ようやく二人きりだな」
よく見るとルーファウスの胸ポケットにもクラウドが持ってきてくれた花で作られたブートニアが飾られていた。こちらは私が持つ予定のブーケと同じ、青い花と白い花をメインに作られていた。ブーケも先ほどクラウドが持ってきてくれたらしいけれど、マムが出す前に行ってしまったのでまだ確認できていない。マリンちゃんが作ってくれると言い張っていたので、きっと可愛らしいものになっているはずだ。
「あまりに美しいものを目の前にすると、言葉に表すことができなくなるな」
ようやく目を合わせてくれたルーファウスはそう言ってはにかんだ。彼が照れるなんて数年に一度見られるか見られないかぐらいの珍しい光景なのに、今それが私の目の前にあった。なんと特別な日なんだろう。さすが、一生に一度の日と言うだけあるのかもしれない。
「マムのおかげだよ。あと、ドレスを作ってくれた人たちや、お花を摘んで持ってきてくれた人たちのね」
今日の私は沢山の人たちの善意によって創り上げられている。彼の隣に立っても気後れしないようにと、皆が私の力になって魔法をかけてくれたのだ。
「それも含めてお前の魅力だろう。式場も同じだ」
そう、今日私たちが式を挙げる場所はエッジの中央広場に新しく作られたメテオ・星痕撃破記念会館ーーという名の新生神羅カンパニー本社建設予定地だ。
特定の信仰を持たないルーファウスと私は、結婚式を人前式といって人々の前で誓うスタイルにすることを選んでいた。そして会場の準備はレノとルード、イリーナの三人が買って出てくれて、ツォンさんはゲストの対応をしてくれるらしい。初めにその話を聞いた時、受付にツォンさんが居たら言うことを聞かないような人は一人も居ないだろうなと思い、私は密かに肩を震わせたものだ。
「ナマエ、鏡を」
うっかり回想に耽っていると、ルーファウスがそう言いながら私の後ろに回る。トレーンを踏まないよう、彼は珍しく慎重に動いていた。言われるがまま鏡を見ていると、ルーファウスが私の後ろに立つ。背の高い彼は私の頭の上から優に顔を出し、鏡越しに私の目を見つめていた。直接向き合っているわけでないのが逆に恥ずかしくて、私もなんだか照れ臭くなってくる。
ルーファウスは一度後ろを向くと、化粧台に置かれていた箱に手をかける。そこにはマムが用意してくれたメイク道具や私が持ち込んだアクセサリーなどが所狭しと置かれていたけれど、いつのまにか薄い箱が混ざっていたのには気がつかなった。
「これは俺からだ」
そう言って彼は鏡越しに、アイスブルーの石が散りばめられたネックレスを掲げて見せる。それは婚約指輪にあしらわれていた物と同じ宝石だったけれど、もっと沢山、しかも今にも溢れ落ちそうな大きさの物がそこに連なっていた。
「ドレスは用意されてしまったからな」
「あ……ごめんね。もしかして着て欲しいのがあった?」
「いや、お前が喜ぶ物ならなんでも良かった。だがひとつくらいは俺が今日のために用意した物を身につけさせたかったからな」
そう言いながらルーファウスは私の首にネックレスをかけてくれる。ずっしりとした重みは、彼が私にくれる愛情を示しているようだった。
ーー何か青いもの。
私は鏡の中の自分の首元に目を奪われる。確かな存在感を放つそれは、私に誇りと自信を与えてくれるような気がした。
「ありがとう、ルーファウス」
鏡の中のルーファウスは、決して私の自惚ではなく、幸せそうに笑っていた。
「そろそろ行くか。マダムに怒られそうだし、リーブに小言を言われるかも知れん」
人前式で私たちの誓約を見届けてくれる人達の代表者ーー立会人は、リーブさんに頼んでいる。今や世界を背負って立つリーダーである彼は、これまで世界を背負ってきたルーファウスの門出を見送るためならと快諾してくれたのだ。ルーファウスは彼の組織に資金援助をしているから、打算的な意味合いもあるだろうけれど。
目の前に、いつもと違って白い手袋を嵌めたルーファウスの手が差し出される。私はその手を取ると、隣に立つ彼を見上げた。
「うん。行こう、ルーファウス」
きっと大勢のゲストが私たちを待っていてくれるはず。その中には遠い町で静かに暮らしている友人や、今は違う組織で世界のために働くかつての同僚、そしてこの結婚に誰より驚いて予想通り気絶した家族もいる。
そんな、これまでの私の人生を作り上げてきてくれたかけがえのない人たちに、私たちが未来への一歩を歩み出す姿を見届けて貰う日。それが今日なのだ。
ルーファウスは重いトレーンを引きずる私を気遣って、一歩ずつゆっくりと絨毯を踏み締める。部屋の扉に手をかける前、彼は一度立ち止まって私の顔を覗き込んだ。
「これが最終確認だが……良いんだな、本当に」
少しーーほんの少しだけ、彼の頬が色づいているような気がした。
「今日から、死ぬまで俺と添い遂げてくれるんだな? ナマエ」
「それを誓いにいくんでしょ?」
私がそう答えると、一瞬目を見開いて呆気にとられたかと思えばルーファウスは声を上げて笑った。まるで子供みたいに、無邪気に。
「早くしな! 時間だよ!」
痺れを切らして叫ぶマムの声が飛んできて、私たちは顔を見合わせるとまた笑う。そして一緒に扉に手をかけると、歩調を合わせて踏み出した。
Something old,
something new,
something borrowed,
something blue,
and a six gils in her shoe.ーー
式場に向けて歩いていく間、私のトレーンを持つマダム・マムが、耳触りの良いそんな歌を口ずさんでいた。