9-4


 ミッドガルに、そしてエッジに。
 優しい雨が降り注いだのは、思念体の追跡を終えたタークス達が戻ってきて少しした頃だった。本来は身体を冷やす筈の雨粒は何故か暖かくて、湿った大地からは土埃の匂いに混じってどこか懐かしい花のような香りがする。その水滴が一つ肌に触れた時、不思議と誰もが皆『星痕が治る』と直感したのだった。

 車椅子に座り雨に打たれていたルーファウスの手から、黒い痣が溶けて無くなっていくのが見える。手の甲からだけではなく彼の身体の至るところから、微かな粒子が宙に舞い上がって消えていった。
 タークスの四人と私は、彼の周りに立ちその様子を見守る。誰もが固唾を飲んで、神々しいとすら思えるその光景をしばらく眺めていた。

「奇跡って、あるんですね」

 やがて雨が止むと、雲間から光が差し込んでくる。路地に佇む私達はイリーナの声に顔を上げると、彼女の視線を追って広場の中央に目を向けた。
 崩れた慰霊碑を一筋の光が照らしている。鉄のプレートに刻印された日付は二年前のあの日のものだったけれど、そこに今日のものも追加した方が良さそうだな、なんて私は頭の片隅で考えていた。

 あんなに雨が降っていたのに、気づけば髪も服も乾いていた。雨なんて最初から降っていなかったのではないかと思うくらい空が明るい。本当に、不思議な優しい雨だった。
 
 ルーファウスがゆっくりと車椅子から立ち上がり、白いジャケットがそよ風にはためく。いつの間にか雲ひとつなくなった青空から降り注ぐ陽の光が、ルーファウスの金糸にキラキラと反射していた。

「待たせたな」

 彼はたった一言そう告げて、自分を囲んだ皆の顔を見渡す。レノ、ルード、そしてイリーナが歓喜の声を漏らし、ツォンさんも深々と頷いた。もう大丈夫。誰もが同じ事を考えていた。
 私達は皆、この瞬間を心待ちにしていたのだ。

 ルーファウスは四人を見回した後最後に私と目を合わせる。薄く笑みを浮かべた彼の口元が『ナマエ』と呟いた。

「今度こそ、感動の対面だ」

 身体の前で手を組んで真っ直ぐ立っていたルードが、突然そう言ってレノの顔を見下ろす。レノはレノで、にやにやと笑いながらルードと目を合わせた。

「オレたち特等席の予約してるもんなぁ?」
「ああ。おれが予約した」
「さすが相棒。ちゃんと四人分だよな、と」
「勿論だ」
「なになに? 何の話ですか先輩!?」

 レノとルードの間に割り込むイリーナをかわして、二人は顔を見合わせて笑っている。もしかしなくても、花火爆弾を作った後にルーファウスとルードが交わした話のことを言っている?
 ツォンさんは騒ぎ立てる三人を見てわざとらしく肩を竦めたけれどその割に口角は上がっているし、何よりルーファウスと目配せして頷いていた。一体、何のアイコンタクトだ。
 ルーファウスが一歩踏み出し、青い瞳が真っ直ぐに私を捉えている。彼に見つめられてたじろいだのなんて、何年振りだろう。

「社長……、まさか本気で?」
「今はプライベートだ」

 昔と違って今ではその境目なんて曖昧なのに、わざとそんな風に言うのだからズルい。ただでさえルーファウスを蝕んでいた星痕が消え去って、私だって今すぐにでも彼の腕の中に飛び込みたいと思っていたのに。

「さ! 一気にいっちまえよ、と」

 囃立てるレノを睨もうと視線を移すと、彼と隣に立つルード、イリーナ、そしてツォンさんまでもが皆微笑みを浮かべながら私達を見守っているではないか。これは普通に、恥ずかしい。でも本当は彼らが私達の仲を応援してくれて、背中を押してくれる気がして心の底から嬉しかった。

「……ルーファウス、おかえりなさい」
「ああ」

 私達は短い言葉を交わして、どちらからともなく駆け寄ると固く抱きしめ合う。力強いルーファウスの腕は、彼に宿っていた悪しき思念が完全に消え去ったのだということを物語っていた。

「社長ー! そこは、『ただいま……』ですよー!」
「そーだそーだ! 素直になれよ、と!」
「うるさい。見物料を取るぞ」

 外野から飛んできた野次を鼻で笑い飛ばし、ルーファウスは私の髪に顔を埋める。レノとイリーナは気にせずきゃいきゃいと騒いでいるけれど、その声は弾んでいた。
 私は彼のシャツを握り締めて、身体を包み込むルーファウスの香りを肺一杯に吸い込んだ。レノたちの声に混じって聴こえてくる啜り泣きは多分ルードのものだろう。確かめようと思って顔を上げると、サングラスを持ち上げて目頭を押さえたルードが見えた。大袈裟だな、なんて思いつつ頬が緩んでしまう。
 ふと気になったのでツォンさんの元へ視線を動かすと、彼は近くに立っている街灯を見上げていた。夜間の治安維持のためにたくさん立てた街灯だったけれど、勿論今はまだ消灯されている。それなのにツォンさんは、確かにそこを見つめていた。

「主任?」

 私と同じくしてツォンさんの行動が気になったらしく、イリーナが首を傾げる。するとツォンさんは今まで呆けていたとでも言うのか、少しだけ驚いた様子で私達に向き直った。

「どうしたんです? 何か気になることが?」
「いや……気にするな」
「なんともないなら良いんですけど。せっかくの社長たちの抱擁シーンですから!」
「もう、イリーナやめてよ恥ずかしい……」

 悪気ないイリーナの言葉のせいで、私は穴があったら入りたいくらい恥ずかしくなってしまった。皆の視線から隠れたくて思わずルーファウスの胸元に顔を埋めると、レノがひゅーひゅーと品の悪い口笛を鳴らす。その間もずっとルーファウスは私を抱きしめ、髪に頬ずりをしていた。
 あれから二年。決して短くない時を経て、ようやく本当の意味で彼が帰ってきてくれた気がする。

 そんな私達の姿が、街灯から今にも滴り落ちそうな雨の滴に映り込んでいた。



「面倒だからやめておく。君たちで存分に楽しみたまえ」

 携帯端末の終話ボタンを押し、ルーファウスはそれをテーブルに置いた。それからふう……と軽くため息をつき、私が差し出したマグカップを受け取る。
 
 世界から星痕症候群が消え去って、もうひと月が経とうとしている。
 そんな病気は最初から無かったと思うくらいに元通りになれば良かったのだけど、流石にそういう訳にもいかず。長い間身体も心も蝕まれ続けてきた人々ーー特に子供達を中心として、エッジの街には救いの手が必要な人が沢山いた。これまでは街の復興作業を中心に集められていたボランティア達は、本格的な活動を始めたWROによってその活動の種類を増やしていき、孤児達や病気のせいでしばらく動けなかった人達の支援に力を入れるようになった。

 そんな中でも、相変わらず私達が暮らしているヒーリンは毎日穏やかだった。今この集落に残っているのはタークスと私とルーファウス以外にはお年寄り達くらいだったけれど、街の喧騒を離れてのんびり過ごしたい人達が何組か見学に来ていたので、近い内に私達の暮らしにもまた新たな仲間が加わるのかもしれない。
 その中には神羅の元社員だけではなく、あのアバランチに所属していた人までいるという噂だ。ルーファウスは勿論彼らの素性を先に調べているようだけど、今更俺を殺して得する奴はいないと笑うだけだった。

 私が自分のマグをテーブルに置いてそんなルーファウスの向かいに座ると、彼は前髪を掻き上げてから大袈裟に肩を竦めた。

「行けばよかったのに。言うほど面倒になるようなことも無いんじゃない?」

 たった今彼は弟のガールフレンドからかかってきた、エヴァン君の誕生日会のお誘いを断ったところなのだ。せっかく誘ってくれたのに面倒だからなどと断るなんて、かけてきたキリエさんはさぞ驚いたか腹を立てたことだろう。

「俺以上にエヴァンの方が面倒だと思っているだろうからな。可愛い弟のために気を使ってやったんだ」

 そう言ってルーファウスはマグに口をつける。瞳を閉じて香りを楽しむ姿は、いつ見たって絵になる光景だ。
 通話が終わる直前に電話の向こうでキリエさんがえーっと心底残念そうな声を上げているのが聞こえてきたので、向こうだって期待してかけてきたに違いない。けれど相変わらず素直では無いところも、ルーファウスの魅力的な個性のひとつだったりして。

「まあ、その内ここへ出向かせるか。その時はお前も会うだろう?」

 目を瞑ったままコーヒーを啜ったルーファウスが言う。他の『兄弟』ーー中でも特に兄には恨まれていたと言っていたこともあって、正直なところ彼がエヴァン君についてどう受け止めているか私はずっと測りかねていた。けれどルーファウスの穏やかな声色を聞いていると、二十歳にも満たない新入りの弟とはきっと上手くやっていけるのだろうなと思えた。

「勿論だよ、ルーファウスの兄弟なんだから。ちゃんと紹介してね」
「フッ、向こうも女連れだから丁度いい。エヴァンとはお前だって長い付き合いになる」
「そう、なのかな……?」

 意味深な物言いをするルーファウスの意図を探ろうと私は彼の顔を見つめてみる。相変わらずポーカーフェイスが上手な彼のことだから、何か考えていることは間違いなさそうだ。きちんと言葉にしてほしいと伝え続けなければどうしても大事な部分を端折る癖があるのも、ルーファウスの個性だ。

「ナマエ、外へ出ないか」

 空になったマグカップを置いたルーファウスがようやく目蓋を上げる。私もその隣に同じく空っぽのマグを置いた。イリーナがお揃いで買ってきてくれたペアマグには、窓辺の日向で寝そべっているダークネイションーーに顔は全く似ていないけれどーーを連想させるような黒い犬の絵がプリントされていた。


 ロッジから出るとルーファウスは階段には向かわず、すぐ目の前の柵で立ち止まると崖の下を眺める。そろそろ日没の時刻に差し掛かっていて、ヒーリンはいつも通りーーいつも以上に静かだった。
 実を言うとタークス達は今週から全員が長期休暇に入っているのだ。ルーファウスの計らいで長年の疲れを癒す為にと言い渡されたその命令には、ツォンさんは最後まで首を縦に振ろうとしなかったけれど。それでも自分が居るのに何を言うとでも言いたげな勢いで彼を追い立てるように吠え続けたダークネイションのお陰もあり、遂に昨日ツォンさんもレノとイリーナに引きずられて荷物一つ持たず旅立っていった。

「平和だな」

 欄干に背中を預け、首を横に向けて集落の中央広場を見遣ったルーファウスが呟く。レノ達が塗った看板の向こうから広場まで伸びる三本の轍は、今朝珍しく訪れてきたクラウドのフェンリルーーという名前のバイクものだ。
 彼は今自慢のバイクを乗り回して運び屋をやっているらしい。何処へでも絶対にお届けします、が売り文句らしい。
 ルーファウスは時々クラウドを電話で呼び出しては、エッジやミッドガルとの物資や手紙のやり取りに使っているらしかった。お茶を出したって手さえつけないのだから、私はまだクラウドとあれ以来言葉を交わしてもいないけれど。

「平和ボケするほど平和だ」

 真っ直ぐに集落の入り口からこのロッジの下までの行きと帰り。口数の少ない彼の性格をよく表したその軌跡を見詰めながら、ルーファウスはそう呟いた。

「刺激がなくて、つまらない?」
「いや……。一見平和に見えはするが、まだ世界は変革の途中にあるからな」

 私はルーファウスの隣に並んで両手を欄干に乗せた。ルーファウスは悪戯っぽく笑うと、オレンジ色に染まった空を見上げた。

「世界は一歩一歩、着実に変わっていく。それは我々神羅カンパニーも同じだ。変わらなければ、取り残されてしまう」

 彼が常々口にしていた『神羅が生まれ変わる』という言葉は、不可抗力な出来事によるものかなり多かったけれど確かに果たされようとしている。

「WROを通じて神羅も世界の再興役立てているしね。リーブさんからまた手紙が来てたよ。孤児院の子供達から『あしながおじさん』宛に、って」

 確かに、リーブさんから届いた手紙には色鉛筆で書かれた歪な文字で、物語に出てくる篤志家の男性につけられた渾名が記されていたのだ。ルーファウスは肩を震わせて笑う。

「おじさん、か。クク……俺も歳を取ったものだな」

 出会った頃と比べると笑った口元や目元に皺が浮かんでいるとは思う。私とルーファウスが初めて言葉を交わしたあの日から、もう十年の時が経っていた。

「俺もだいぶ変わったな。ナマエもだが」
「色んなことがあったもんね」
「あの時お前がダクトに無理矢理手を突っ込んでいなければ……ククク、あれは何度思い出しても笑える」
「あの事はもう忘れてよー!」

 恋人と初めて出会ったときに自分が埃まみれで通路に這いつくばっていたなんて、墓まで持っていきたい事実だというのに。私がすっかり元通りとなったルーファウスの上半身を揺さぶると、彼は声を上げて笑いながら私の肩に手を置いた。

「忘れられるわけがないと、前にも言っただろう? あんなに強烈な出会いはなかなか無い」
「確かにそうかもしれないけど……でももっと綺麗な出会い方をしたかったよ」
「変えられない過去を思ったって仕方ないだろう。俺はあれを存外気に入っている」
「ルーファウス……楽しんでるでしょ」
「お前といるときは、いつだって楽しいさ」

 この事件についてもこうやって揶揄われ続けて十年経ったのに、相変わらず私は忘れてもらうよう言い続けるしルーファウスだって諦めない。私達には変わったようで変わっていないところも沢山ある。人間、根底の部分はそう簡単に変わらないのだ。

「驚いたことに、お前に対する気持ちは十年経っても変わらない。空白の五年間にすら消えることはなかったのだから当然か」

 ルーファウスも同じことを考えていたらしい。過ぎてみればあっという間だったこの十年を振り返れば、いつだって私の胸の奥には彼への想いがあった。彼にとってもそうだったなら、こんなに幸せなことは無い。

「ルーファウス、ありがとう」

 透き通ったアイスブルーも出会った時から変わらない。私はその瞳を真っ直ぐに見つめて、ルーファウスの顔に左手を伸ばした。彼の目元が和らいで、頬に触れた私の指先にルーファウスの手が重なる。その感触を知ってからは、どのくらい経つだろうか。

「それは俺の台詞だ。俺がどれだけナマエに救われてきたのか、たった五文字で伝え切れるとは思っていないが」

 ルーファウスは重ねた私の手を掬い取ると自分の目の前に持っていく。彼の唇が私の指の節に触れて、軽いリップ音が鳴った。
 それから彼は反対の手で私の耳に触れる。そこに輝く青い石は、長い間変わらず私を彩ってくれていた。

「毎年こうして伝え続けてきた気持ちも幾つになったか」
「素敵なもの、沢山貰ったよね」
「これからも増えていくぞ。身体がいくつあっても足りなくなるかも知れん」

 身体中にピアスやらブレスレットやらをじゃらじゃらとつけた私を想像して、つい笑ってしまった。毎年誕生日には身につけるものを選んで贈ってれるルーファウスと、彼の希望を忠実に守り実用的なものを贈る私。すっかり恒例になった、私達らしいそんな習慣すらも愛おしい。私が贈ったものは彼の役に立って、彼に貰ったものはいつだって私を励まし、勇気づけてくれた。

「今年の分を贈ろう」

 ルーファウスは私の耳に触れていた手を引くとジャケットの内ポケットに入れる。渡す日がいつも近くではあるものの当日ではないのも私達らしい。色々な出来事が起こってばかりだからこればかりは仕方ないのだけど、今年の私の誕生日はもう少し先なのに。

「早いと思うかもしれないが善は急げと言うからな。ナマエ、目を瞑れ」

 ポケットから片手を出しながらルーファウスがそう言うので、私は素直に従う。今までは突然渡されることが多かったのに、今年は宣言されたから少し緊張する。
 少しの空白の後、指に触れたのは硬い感触。思わず息を飲んだ私に、まだ目を開けるなとルーファウスが言った。

「この十年間、俺の前には幾度となく困難が立ちはだかった。中には俺自身が招いたものもあったが、どれも俺の実力だけではなく幸運無くして打ち砕くことはできなかっただろう」

 言い方はいつも通り尊大なのに、運などという要素に感謝するなんて彼らしくない。おそらく贈られたであろうものとルーファウスの言うことがいまいち繋がらなくて、私はただ黙って彼の言葉の続きを待つ。
 視覚を絶っているせいで他の感覚が鋭くなった私に、ルーファウスが深く息を吸い込んだ音が聞こえてきた。そよ風が吹いて、ヒーリンを取り囲む木々が揺れる。その音色の中に、彼の軽い咳払いが混じった。

「これから先の人生に於いても、俺に幸運をもたらし続けて欲しい。俺がライフストリームに還るその日まで……ずっと」

 まだ良いと言われていないけれど私は思わず目蓋を開ける。まず視界に入ってきたのは彼に握られた左手と、右から四番目の指に光るダイヤモンド。精巧なカッティングが施された大粒のダイヤの他に、金の台座には彼の瞳と同じ色の石が散りばめられていた。
 いくら私が兵器馬鹿でも、この代物が示す意味が分からないほど宝飾品に無知ではない。何より今も肌身離さず身につけているネックレスには、これと似た、しかも同じ意味を持つものが通されているのだから。

「俺の人生の残り時間を全部やる。その代わり、お前は俺にその全てを託せ」
「ルーファウス、それって……」

 指輪から視線を上げると、ルーファウスは今までに見たことないくらい真面目な顔で私を見つめていた。風に遊ばれた金糸が、夕陽を受けてキラキラと輝いている。

「ナマエ・ミョウジ。ルーファウス神羅はここに、未来永劫お前を幸せにすることを誓う。一筋縄ではいかない人生になるとは思うが、俺の伴侶として一生を添い遂げて欲しい」

 その言葉ひとつひとつが私の頭に響き渡って、身体中を暖かく包み込む。もしかしたらこの先もずっとこうして彼と過ごしていけるのかもしれないと淡い期待を抱いたこともあったけれど、欲しかった言葉の何倍も何百倍も、ルーファウスが紡ぐ声は私を満たしてくれた。

 気づけば目頭が熱くなって、しっかり彼を見つめているつもりなのにその顔は薄っすらぼやけて見える。私は右手を持ち上げて、左手を握ってくれているルーファウスの手の上に重ねた。

「……はい、よろこんで」

 これ以上の言葉は見つからなかった。
 目尻から頬の上を暖かいものが一筋通っていく。私を見下ろすルーファウスの表情が和らいだのは、視界がぼやけていてもちゃんと分かった。

「用意できたら、すぐに渡さないと気が済まなくなった」

 照れたようにはにかむルーファウスが、重ねた指で私の指に輝く大粒の石に触れる。こんなに大きなダイヤモンドはそれこそ彼のお母さんの形見でしか目にしたことがない。

「本当はもっと早く渡したかったぐらいなんだがな。これだけの細工ができる職人がなかなか見つからなくて、遅くなってしまった」
「こんなに綺麗なダイヤモンド、見たことないよ……」

 十分すぎるくらいの存在感を放つ大粒のダイヤがそれでも上品さと繊細さを失っていないのは、他ならないカッティング技術のおかげだろう。二年前のミッドガルならまだしも今では宝飾店すら貴重になってしまったのに、よくこんな逸品を見つけ出してくれたものだと感動を通り越して驚きさえしてしまう。
 するとルーファウスは指輪から視線を外して、崖下の広場に付いたバイクの轍を見た。

「今朝届いたんだ。何処へでも、何でも運ぶ良いデリバリー屋があってな」
「じゃあ、たまにクラウドが来てたのってまさか」
「あれは存外良い仕事をするな。職人の見立てから素材探しまで……まさに何でも屋だ」

 口元に手を当てて笑いを噛み殺すルーファウス。私が未だにクラウドに対する苦手意識を拭い切れていないこともルーファウスは知っている。もしかしたら、彼はこの指輪を通じてきっかけを与えてくれたのかもしれない。

「……今度来たら、バイク見せてって頼んでみようかな」
「それが良い。何なら改造してやれ」
「なんだか楽しみになってきたよ」

 困り顔のチョコボ頭を想像し、私達は目を合わせて笑い合う。そうしている間に、ルーファウスの笑顔を照らしていた夕陽は次第に遠い地平線に沈んでいった。


「悔しいが、ひとつだけ親父に救われたことがあった」

 東の方角に姿を現した一番星を見上げて、ルーファウスが呟く。まだ西の空には赤みが残っていて、鮮やかなグラデーションが幻想的だった。
 突然先代の名が出てきたので私が何かと首を傾げていると、ルーファウスは呆れたように鼻を鳴らす。しかしそれでも彼の口元は笑っていた。

「フッ……あの日、俺が滑り込んだ神羅ビルのシェルターには勿論セキュリティロックがかけられていた」

 彼が言うのはあの運命の日ーーメテオがこの星に衝突しかけた時のことだ。

「パスコードは知らされていなかったから、思いつく限りのそれらしい数字の組み合わせを試した。会社の創立記念日や母親の誕生日や命日も。それでも扉は開かなかった」

 早く外に出なければと焦る気持ちばかり募ってな。そう続けるルーファウスは、その時大怪我を負っていて立っているのも辛かったはずだ。

「答えはなんだったと思う? ……俺の、生まれた日だ。屈辱だと思ったし、許せなかった。そんな日を設定させた親父も、その数字の組み合わせに期待した俺自身にも」

 ルーファウスは私の襟元に手を伸ばし、首にかけた細い鎖を引き上げる。そこに鎮座する大粒のダイヤモンドは、宵闇の中でも僅かな外灯の光を受けて輝いていた。

「だがあの男がいなければ俺はお前に出会うこともなく、こうして今お前の目の前に立つことも出来なかった」
「うん、そうだよ……受け入れられないことも沢山あると思うけど、やっぱりルーファウスのお父さんだもん」

 ルーファウスは形見の指輪を撫でてから、私の左手に視線を移す。そして今度は、自分が嵌めた真新しい指輪の石に触れた。

「ダイヤモンドの価値は大きさだけで決まるわけではない」

 私の左手ごと、指輪がルーファウスの目の高さに持ち上げられる。

「親父が作らせたものよりカットが複雑だ。クク……こんなところですら意地を張る」

 それは彼自身に対しての言葉。ルーファウスは分かっているのだ。彼が父親に対して抱く複雑な感情の正体と、いつまでも意地を張ってしまっているという事を。
 私はそんなルーファウスが愛おしくて、私の手を取る彼の手を握り返した。

「きっといつか分かる日が来るよ。ルーファウスも、愛されてこの星に生を受けたんだって」

 すると彼は目を細めて、柔らかく微笑んだ。

「ああ。そんな気がする」

 その時空の彼方に一筋の光が舞い上がって、消えたかと思うと夜空に色とりどりの光の粒が散った。後を追うようにまた何本もの光が空に伸びて、大きな花が咲く。遅れて響く低い破裂音は、離れていても身体の芯に響いた。それはエッジの方角から真上に向かって何発も放たれ始める。

「花火!?」
「フッ、ベストタイミングだな」

 遠い空を見上げた私の横で、ルーファウスがそう呟く。

「知ってたの? もしかしてあれ、ルーファウスが……?」

 彼はにやりと口の端を上げた。それは昔から変わらない私の好きな彼の癖のひとつ、不敵で得意気な表情だ。

「せっかく作り方を教えてもらったから役立てたいと、あいつらの申し出だ。休みだから時間もあると四人とも張り切ったようだ」
「ルード……みんな……」

 まさかルードに教えた花火爆弾の作り方がこんな風に役立ててもらえるとは夢にも思っていなかった。あのツォンさんまでもが作ってくれたというのだから失礼ながら驚きを隠せない。
 まばらながらも立て続けに上がる花火は、すっかり暗くなった空を明るく照らしてくれる。遠くから見てもそれはとても美しかった。まるであの日ーーまだ私たちが今よりずっと青かった頃、ゴールドソーサーで空から眺めた花火みたいに。

「ナマエ」

 ルーファウスが柔らかな声色で私の名前を呼ぶ。見上げると、色とりどりの光に照らされた彼が私を見つめていた。

「……お前が」

 その眼差しが、その声が。遠い記憶を鮮やかに蘇らせる。
 私にはすぐ分かった。これは、あの日花火に消されてしまった言葉の続き。

「お前こそが……俺にとっての『幸運』そのものだ」

 言い終わるか終わらないかの内に、私の視界はルーファウスでいっぱいになる。重ねた唇から伝わる体温も、抱きしめられた腕の力強さも、今では私にとってかけがえのないものになっていた。

 花火の音が夜空に鳴り響く。私達はしばらくの間、赤や黄色に輝く星空の下で口づけを交わし合った。


『貴方に幸運を』

 一枚のカードが紡いだ物語は、これから先も続いていく。どんな困難が訪れたって、貴方と一緒なら、きっと大丈夫だから。

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