9-2


 床に張り付いた血まみれの社員証が二枚。そこに写った写真の金と黒。それを目の当たりにした時、それまでは軽くあしらってやり過ごすはずつもりだったカダージュに対して、俺の中で何かが変わった。

「目的は何だ」

 泣く子も黙るーーと言われていた神羅カンパニーの社長が、いくら人外の存在にとはいえ脅されるなど笑えない話だ。
 カダージュは俺の質問に対し、その目的を『リユニオン』だと答えた。更には星に復讐すると、笑いながら語りさえした。その為にジェノバの残骸を探し求め、暗躍し始めたのがカダージュ達思念体らしい。
 猟奇的なカダージュからの奇襲に近い攻撃を受け、床に転がって痛みに耐えるレノとルードの姿が痛々しい。投げつけられた二枚の社員証も同じだ。

「社長、気付いてるんだろ?」

 俺の前に跪いたカダージュが見上げてくる。窓は閉め切ったはずなのに、どこからか強い風が吹いてきて、カダージュの片目を隠す長い前髪が舞った。
 ピリピリとした弱い電流が脳から脊髄を通り、身体中を駆け巡る。堪らず俺の指先が跳ねた。これは、いつも決まって星痕が疼く時に訪れる痛みと同じだ。
 カダージュの顔と、あの忌まわしい英雄の顔がオーバーラップする。背中を冷たい汗が流れて、俺は気を失いそうになるのを奥歯を噛み締めて耐えた。

「ふぅん、相変わらず強情だね」

 ここまですれば俺が吐くと思ったのだろう。集中力が切れたらしいカダージュは、立ち上がると両手をぶらぶらと揺らして落ち着きなくその場で足踏みし始めた。
 その仕草はまるで、駄々をこねる子供のそれだ。なるほど、こいつは詳しいことについて本当に何も知らないらしい。幸いなことにあの宇宙生命体の詳細について知る者と接触をしていないのか、接触はしたものの相手が俺やツォンのように情報を渡さないよう意識を閉ざしたのかは定かでないが。

 ここからどう物事を運んでいくべきかと思考を巡らせていると、カダージュが突然手を叩いて高揚した声で言う。

「そうだ! ねぇ、社長夫人も誘おうよ! ボク、まだちゃんと自己紹介もしてないんだ。なんだっけ? 名前は確か、ナマエーー」
「早く要求を言ったらどうだ」

 こいつらは本気だ。カダージュは細長い瞳孔で俺を捉え、口角を上げる。
 どうやら俺も同じように、本気にならないといけないらしい。



「……何、これ」

 ヒーリンに到着すると、地面を抉る車輪の跡があった。曲線を描くそれは一本だけ、ということは二輪車のものだ。
 この集落でバイクに乗っている人はいない。燃料が限られている今、車の方が勝手がいいからバイクは移動手段として好まれていなかった。
 ルーファウスが自分にはタークスがつくから私の護衛にと同行させてくれたダークネイションが、触手を逆立てながら唸り声を上げる。

「行こう、ディー。これクラウドのバイクじゃないよ」

 見覚えのない轍が不安を掻き立てた。しかもよく見れば私達のロッジの下で切れている。来ただけか、帰っただけかーーあまりにも不自然な痕跡から思い当たる相手は、一人しかいなかった。
 更には、いつもヒーリンの入口に停めてあるはずの軽トラックが一台見当たらない。最近では復興作業に行く人員はほとんどエッジに住処を移していたから、車の使用台数も減ってきていたのだ。私は汗が滲む掌をきつく握りしめ、ロッジへと駆け出した。


「ルーファウスっ!?」

 ダークネイションを筆頭に勢いよく開けた扉の向こうはもぬけの殻だった。

「いない……。レノ? ルードさん……?」

 一緒に居るはずだった二人の姿もなく、私は慌てて部屋の中に飛び込むと辺りを見回す。するとダークネイションが床に落ちている小さいカードを見つけて吠え出した。
 私は腰を屈めてそれを拾おうとし、そこにべったりとついた血の跡と写っている写真に目を見開く。間違いなくそれは、ツォンさんとイリーナの社員証だったから。
 私がエッジに行っていた数時間の間に、一体何が起こっていたと言うのだろう。主の痕跡を必死に探そうと辺りを嗅ぎ回るダークネイションだったけれど、ロッジの入り口で立ち止まると困ったように私に振り返った。

 その時、外階段を駆け上ってくる聞き慣れない足音がして、私は反射的に身構える。でも明らかに段数と比べて音が近づいてくるのが速い。ダークネイションが駆けてきて、私の前に立ちはだかってくれた。

「誰かいるのか? 邪魔するぞ」

 ルーファウスとは違った毛色の低い声がしたかと思うとドアが乱雑に開けられる。顔を覗かせたのは赤いマントを羽織った見知らぬ男の人。黒い長髪はボサボサで、どこか浮世離れした印象を与える人だった。
 しかしそれどころではない。紛れもなくその肩に担がれたのがツォンさんで、小脇に抱えられたのはイリーナだったからだ。

「ここは神羅のロッジだな?」

 その人は私に問いかけた割に返事を聞く気が無いのか、ツォンさんとイリーナをゆっくり床に下ろした。血塗れの二人は呼吸こそしているものの、口を開くことすら困難な様子だ。

「回復魔法だけはかけてきた。薬や包帯があるなら応急処置くらいは手伝おう」
「ありがとうございます! すぐ持ってきます」

 私はすぐに奥の部屋へ走り、ルーファウスの為に使っている薬箱を持ってきた。男性は手早くツォンさんに包帯を巻いていくので、私もイリーナの手当てを始める。
 まず初めに濃縮ポーションの注射を打ち、傷口にガーゼを当て包帯を巻いた。ルーファウスの手当てをしていく内にすっかり身についていたので、今では怪我の手当は私の得意なことの一つだった。本当なら、誰の手当てもしたくないけれど。
 彼女の身体に刻まれた大小の傷はほとんどが銃弾によるもので、血の気が遠のいたイリーナの肌は青白く透き通っていた。

「これもカダージュ達の仕業なんですか?」
「そのようだな。ん? お前はカダージュを知っているのか?」
「一度だけ会ったので……皆が居なくなったのもカダージュのせいなんですよね」
「誰のことを指しているか私には分からないが、カダージュ達はエッジに向かったようだ。よし、手当てはこれで良いだろう」

 手当てを終えた赤マントの人は、手を伸ばすツォンさんの身体を支え、座るのを手伝っていた。

「……手間をかけた」
「いや。私はただ『あの場所』が穢されるのをあれ以上黙って見ていられなかっただけだ」

 二人はそれだけ言葉を交わすと黙り込んでしまう。見たところ元々の知り合いなのかと思ったけれど、それにしてはよそよそしい気もする。

「ナマエさん、すいませんでした。いてて……ムカつくなぁもう!」

 イリーナもポーションのおかげか少し活力を取り戻したらしく、私の肩を支えにして身体を起こす。こんなに痛い目にあっても何度でも立ち上がろうとする彼女の、なんと強いことだろうか。

「って、社長は!? もしかして先輩達も一緒に連れてかれちゃったんすかね?」

 きょろきょろと見回したイリーナが言うと、ツォンさんが片手で顔を覆い、ため息をついた。

「振り出しに戻る、などということにならなければ良いが」
「探しにいきましょうよ主任! だって社長がーー」
「イリーナ」
「あ……す、すみません。でも行きましょうよ! 今すぐ!」
「そうだな。今は一秒でも惜しい」

 あれよあれよという間に話は進み、大怪我を負っているはずの二人は決断してしまったようだ。確かにルーファウス達は心配だけど、ツォンさんとイリーナもこの状態では歩くのだって辛いはずだ。
 それでも彼らは誇り高きタークス。その姿勢には、本当に頭が上がらなかった。

「車を出す。あなたもエッジに向かうのか?」

 ツォンさんは立ち上がると、自分よりも背の高いマントの人を見上げた。

「ああ。クラウド達と落ち合うつもりだ」
「なら乗っていけばいい。それでチャラだ」
「フッ……タークスには罪滅ぼしなど必要無いだろう。何せ滅ぼせるような数ではない筈だからな」

 そう言うと彼は赤いマントを翻してドアの前に立つ。裾がボロボロのマントは随分と年季が入っているようだ。彼自身は若いだろうに、その釣り合わなさが余計に人間離れした雰囲気を漂わせていた。

「……で、まだ発たないのか?」

 振り向いた彼は、マントと同じ赤い目を細めて少しだけ微笑んでいた。
 

「居場所の見当はついてるんですかぁ?」

 後部座席に身体を預けたイリーナが、隣で同じようにゆったりとシートにもたれかかるツォンさんに問いかける。さすがに怪我人にハンドルを握らせる訳にもいかないので、私が運転手を買って出たのだ。ちなみに助手席にはマントの人ーーヴィンセントさんといって、あのクラウドの仲間らしい。タークスの恩人だし穏やかそうな人なので、特に抵抗は感じないけれどーーが座っていて、流れる景色を眺めているようだった。

「ああ。奴らは記念碑を破壊しようとしているらしい。接触があったと、レノから連絡があった」
「先輩たち無事だったんですね! 良かったぁ。社長は一緒なんですか?」
「いや……社長だけカダージュに連れて行かれたらしい。レノたちは今社長を探しているそうだ」

 二人の会話を聞いて、ハンドルを握る手に力がこもってしまう。でも力を入れていないと震えてしまいそうで、私は無理矢理目の前に意識を集中させた。

「ナマエさん、ごめんなさい。タークスが絶対に守らないといけなかったのに」

 イリーナの沈んだ声がして、私はサイドミラーに目をやる。頭に包帯を巻いた彼女の姿が痛々しくて、私は首を横に振った。

「ううん、それに社長はきっと大丈夫だよ。カダージュはジェノバを探してるんだよね? 見つかるまではきっと、危害は加えられないと思うから……」

 彼を拷問したって無駄だということくらいはカダージュにも分かっているだろう。殺すことが目的ならこれまでにもチャンスはあったはずだから、恐らく目的はルーファウスが持っている情報だ。ということはジェノバが見つかった時点でアウト。そう思うと、これ以上踏み込んでも変わらないのに、更にアクセルに体重をかけくなった。

「実は社長から連絡来たり……は、してないですよね?」
「わたしには何も。そんな状況でもないんだろう」
「ですよねぇ……」

 後ろでは二人が腕組みしながらそんなやり取りをしている。それを聞いた私もまさかとは思いつつ、ポケットから携帯端末を出してパスコードだけ解除すると、ヴィンセントさんの前に差し出した。

「すみません。運転しながらじゃ使えないので、メールか電話の履歴がないか確認してもらいたいんですけど」

 すると彼はすぐに受け取ってはくれず、何故か私の手元と顔を交互に見て首を傾げた。

「電話の履歴、とはどういう意味だ?」
「……はい?」

 私はあまりの衝撃に思わずヴィンセントさんを凝視してしまうところだった。怪我人を乗せているのだから安全運転を心掛けないといけないのに。しかしこの人はこの時代に生きていて、端末の使い方どころか機能すら知らないということなのだろうか。
 私が持っているような薄い板状の端末は高性能な部類で、主に神羅関係者の一部が使用している。世間にはもう少し性能の落ちた折りたたみ式の端末が普及していて、そちらの方は一般の人たちも殆どが所持しているはずなのだが。

 ずっと片手を離して運転し続ける訳にもいかないので、私はヴィンセントさんの膝の上に半ば強引に端末を置いた。後ろに回しても良かったのだが、怪我をしているのだから身を乗り出させたけど無かったし、通知を確認するくらいなら他の人に頼んでも良いだろうと思ったから。

「まず左上のアイコン……青い四角です。それ、押してもらえます?」

 問答無用で指示を始めた私に、意外にもヴィンセントさんは素直に従ってくれる。ふむ、とかなるほど、とか呟きながら、彼はゆっくりとではあるものの私の頼んだ操作を行ってくれていた。

「特に連絡は来ていないようだな」

 画面とにらめっこしていたヴィンセントさんは、ようやく操作を終えて端末を目から離す。

「ですよね……すみません、お手数おかけしました」
「いや、構わない」

 また片手を差し出して端末を受け取ろうとしたその時、ヴィンセントさんの手が突然跳ね上がる。私の端末は宙を舞い、それでもなんとかまたヴィンセントさんの手の中に戻った。

「すまない。だがこれは何故突然震え出したんだ? 爆発するんじゃないだろうな」

 確かに私の端末がブーッという振動音を立てている。本来なら着信を知らせるバイブレーションすら知らないのかと驚くところなのだろうが、今はそれどころではない。私は横目で端末の画面を確認すると、そこに表示された数字の羅列に息を飲んだ。
 ルーファウスの端末の番号は、私だけでなくタークスの皆もアドレス帳には登録せず暗記するようにしていた。何かあった時に、公には伏せている彼の生存が明るみに出ることを避けるためだ。だから私がその番号を見間違えるはずはない。毎日何度も目にし、指で押している数字なのだから。

「ヴィンセントさん、その緑のボタンを押してからマイクのボタンも押してください!」
「社長からか!?」
「そうですツォンさん!」
「ならわたしが、ッく……!」

 身を乗り出そうとしたツォンさんが脇腹を押さえた。いくら魔法やポーションで応急処置したと言ってもまだ傷は塞がり切っていない。慌ててツォンさんの身体を支えたイリーナに彼のことは任せ、私はヴィンセントさんにそのまま端末を掲げているようにお願いした。

「もしもし、社長ですか? ナマエです!」

 遠くに見えてきたエッジの街並みを見つめながら、私は端末に向かって呼びかける。しかしスピーカーから聞こえてくるのはゴソゴソという雑音だけ。ヴィンセントさんに頼んで音量を上げてもらっても、それは変わらなかった。

「こういう時はむやみに呼び続けないで、向こうの状況を探るのが先です」
 
 イリーナが声量を落として言う。普段の快活な雰囲気から忘れがちではあるものの、さすがにタークスなだけあって彼女は冷静だった。
 皆息を潜めてスピーカーから流れる雑音に耳を澄ませる。車内にはそのゴソゴソという音以外には車のモーター音だけが響いていた。しかししばらくすると、トン、トン、とおそらくルーファウスの端末がノックされているような音が混じり出した。

「どこかに監禁されていて、手掛かりを伝えようとしているのではないか?」

 端末から顔を離したヴィンセントさんが呟く。どうやらマイクの位置は理解したらしい。
 確かに、と思って私は一度車を停めた。急ぎたいところではあるけれど、どうしても車のモーター音やタイヤが砂利を踏む音が大きくて邪魔だったからだ。
 するとまた遠い雑音の中にトン、トンと規則正しいリズムが混じった。
 
「あ、これって」
「なるほど」
「モールス信号か」

 イリーナ、ヴィンセントさん、ツォンさんの順に三人が口々に声を発する。分かっていないのは私だけらしい。タークスの二人はまだしも、ヴィンセントさんにまで置いてきぼりにされてしまった。
 モールス信号、というものが軍の人たちが使う一種の暗号であるということだけは辛うじて知っていたけれど。

「何て言ってるか分かりますか?」

 隣を見上げると、ヴィンセントさんはしばらく虚空を見つめながら、頭の中で内容を復唱しているようだった。

「き ね ん ひ じ ゆ さ ん か い」
「同じです」
「わたしもだ」

 やがてヴィンセントさんの重低音が紡いだ言葉に、イリーナとツォンさんも同意する。そして全員が僅かに思考を巡らせたあと、イリーナが高らかに手を挙げた。痛くはないのだろうか、タフな彼女には感服させられる。

「記念碑は先輩達が作ってたアレだし、じゆさんかいは……十三階、という訳ですね!」
「ああ。ナマエ、街の中心地にビルはあるか」
「はい! まだ建設中ですが、骨組みはもう出来上がっています」
「なら社長はそこだ」

 ツォンさんの切れ長の目がきらりと光る。私はヴィンセントさんから端末を受け取ると終話ボタンを押し、ポケットにしまいこんだ。細かく言えばボタンを押す直前に、待っててね、と呟いてから。

「ありがとうございました、ヴィンセントさん」

 私がお礼を言うと、彼は神妙な面持ちで答える。

「電話は、他の操作も簡単なのか?」

 その視線は、私のポケットから少しだけはみ出た端末に注がれていた。どうやら、機械嫌いという訳ではなさそうだ。幸いにも、彼が望んでいることは私の得意技。

「購入されたら、教えてあげますね」
「ああ、頼む」

 そう言って少しだけ口角を上げたヴィンセントさんは、助手席の背もたれに背中を預けると前を向いて腕組みした。

ーー待っててね、ルーファウス。必ず、助けに行くから。
 いつも助けてもらってばかりで肝心な時に側にいられなかった私だからこそ、今度ばかりは彼の元へ駆けつけなければ。私は車のエンジンをかけると、ハンドルを握り締めた。

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