勢いに任せて飛び出してきたものの来たばかりの集落の中で他に行くあても無く、私はダークネイションと共にクリフ・リゾートの入り口に建てられた看板の下に座り込む。
ジュノンや破壊される前のミッドガルと違ってこの集落では人工的な灯りは最低限なので、空には星が綺麗に見えた。
「ねぇ、ディー。私……ルーファウスのこと傷つけちゃったよね」
ダークネイションの赤い目は、ただ私をじっと見つめている。
「こんなことなら大人しく待ってれば良かった」
明らかに迷惑そうな顔をされて、強情だなんて言われて。ついカッとなって飛び出してきてしまったけれど、時間が経つにつれて罪悪感が重くのしかかってくる。
あんな態度を取られても仕方ない。初めからツォンさんにもレノにも止められていたのだから。
「私って馬鹿だな」
武器馬鹿、兵器馬鹿、それから……社長馬鹿。今までそんな風に言われてきたけど、これじゃあ正真正銘人の気持ちを考えないただの馬鹿だ。
それでもあんな風には言って欲しくなかったけれど。
そこまで考えて、私は心のどこかにルーファウスはいつだって受け入れてくれるという甘えがあることに気がつく。今までそうだったからと言って、これから先も同じとは言い切れないのに。
「絶対嫌われたよね……」
静まり返った夜の空気に向けて吐いた息は少し白かった。いつの間に冷え込んできていたのかと、そんな事にすら気付かなかった自分に呆れてしまう。
そんな私を見かねたのかダークネイションがそっと寄り添ってくれた。
獣の体温は人間より高いらしい。くっついたところが温かくて、せっかく引っ込んだ涙がまた出てきそうになった。
砂利を踏みしめる音がして顔を向けると、気まずそうに視線を逸らしたレノが立っている。
あー、とかうーん、とか唸りながら近づいてきたかと思えば、ダークネイションを挟んだ反対側にしゃがみ込んだ。
「カッコつけの旦那から伝言だぞ、と」
私の代わりにダークネイションが首を傾げる。
「明日、日が暮れたら会いにきてくれだとよ」
「明日の日暮れ……って、結構先だね」
「そ。ほんっと素直じゃねぇよなあ、あの人」
そう言ってけらけらと笑うレノは、ひとしきり笑ってから満点の星空を見上げる。
「明日も、晴れると良いな」
今も地面の所々にぬかるみを残す、あの大雨が残した爪痕は深い。
消し方の分からない傷跡を癒す為には一体私に何ができるのだろう。
「許してもらえると思う?」
私もレノを倣って空を見上げた。無数に瞬く星のどこかにも、私みたいにうじうじ悩んでいる人はいるのかな。
レノは立ち上がると私を見下ろして言う。
「逆だろ? アンタが社長を許してやらないと」
「逆? なんで逆?」
レノの言っている意味が分からなくて、今度は私が首を傾げる番だった。
ルーファウスが嫌がることをしたのは私なのに。
「それは本人の口から聞くんだな、と。ま、オレが教えてやれる事は一つだけだ」
レノはルーファウスとはまた違った系統の白い人差し指を立てる。
「社長、一人でナマエに謝る練習してたぞ、と」
え、と聞き返す声すら出なくて、私はただぽかんとレノの顔を見上げるしかできない。言われた事があまりに想像できなくて、不意を突かれてしまった。
「だからもうちょっとだけ待ってやってくれ。あの人なりに素直になろうと努力してんだ」
意外に可愛いとこあるよな。オレが聞いてたってのは内緒だけど、と言って歯を見せて笑うレノ。
そんな頼もしい友人は、今夜はイリーナのとこに泊めてもらえよと言い残して、赤毛の尻尾を風に泳がせながら去っていった。
身体は疲れ切っていて、泥のように眠るはずだった。それなのに頭が冴えてしまって、閉じた目蓋の裏には懐かしい日々の情景が浮かび上がる。
その中のほとんどにはおやじがいて、母親がいて、タークスがいて、ダークネイションがいた。
そして一際鮮やかに蘇る記憶には……いつもナマエがいた。
ナマエが俺に怒りをぶつけてきたのはこれが初めてだったように思う。
だが、怒らせて当然のことをした自覚はある。しかもその理由は、俺自身のプライドの問題だ。
ーー怪我を負い、まともに歩くことすらままならない姿。泥に塗れ、あまつさえ病まで背負ってしまった俺。
洞窟に監禁されている間何度も考えた……こんな俺を見てナマエがどんな顔をするのかと。しかし、その反応を想像したくはなかった。
失望されるのではないか、と。心のどこかで恐れている自分がいる。
いつも完璧でいることを求められて育ってきた俺には、どうやら相手の期待に応えないといけないという強迫観念に近いものが植え付けられていたらしい。
長年気がつかないほどそれは自然に俺を支配し、俺自身もそれを苦に思ったことすらなかった。勿論、気に入られたい相手に対してだが。
その主な相手の一人は、なんと言っても父親だった。
だが年を追うごとにそれは反骨心へと変わっていき、初めの内は褒められたくてやっていたはずの行いも次第におやじを屈服させ陥れるための手段になっていた。
そんな歪んだ承認欲求を向けた親父とは別に、少しでも惨めな姿を見せて失望されることを恐れる相手がナマエだった。
恋人になる前は愛情の表し方が分からず二の足を踏み、今度は見せたくない自分を隠そうとして亀裂を生んだという訳だ。
これは笑える。笑い飛ばさずにはいられないくらい、自分が惨めになった。
レノの言う通り謝らなければならない。何よりナマエを傷つけたし、泣かせてしまったのだから。俺の、無駄に高いこのプライドのせいで。
だがなんと切り出す?
なんと言えばナマエは俺を許す?
「……すまない。俺が悪かった」
実は、先ほどから何度も口に出してみている言葉。
しかしこんな一言だけで許しを得たところで、深い溝が残るのは目に見えている。
「お前への配慮が足りなかった。申し訳ない」
……違うな。
考えろ、ルーファウス神羅。言葉巧みに相手の心理を誘導するのは得意だろう?
そこまで考えてふと気がつく。
俺は本当にナマエをコントロールしたいのか?
彼女がただ言葉にして俺を許すと言うだけで、満足できるのだろうか、と。
「失礼します」
短いノックの後に僅かに扉が開けられる。
「少しよろしいですか」
「……なんだ」
目を瞑っていても声で分かる。部屋に入ってきたのはツォンだ。俺達が戻ってからはキルミスターの元へ行っていていたはずなので、話が終わったのだろう。
「お加減は……変わりありませんか」
「ああ。最悪だ」
「そうですか……」
俺目を開けずに淡々と答えることにした。どうせツォンには、取り繕ってもお見通しだろう。
一度足音が近づいてきたかと思えばコト、と音がする。そしてまた、部屋の入り口に向かって歩いて行ったようだ。
遅れて漂ってきたのは、花の香り。
「一箇所だけ、咲く場所を知っていましたので」
俺が怪訝な顔をしていたのに気が付いたのだろう。ツォンは静かにそう述べる。
「私の元に届いたのは、あなたも一緒に摘みに行ってくれたものだと聞きました」
なるほど。この香りはあの黄色い花のものか。
「待っていただけだ。あの家には近寄れない」
「……私もです」
「では、どこで手に入れた?」
花が咲く場所など、魔晄を搾取しプレートの上で暮らしてきた俺には見当もつかない。
「秘密です」
「なんだ。つれないな」
「あなたが誰かに花を贈りたいと思った時に、お教えしましょう」
ごゆっくりお休みくださいという言葉と甘い花の香りを残して、ツォンは部屋から出て行った。
まったく、どいつもこいつも世話焼きだな。俺は他人に干渉されるのが嫌いなのだが。
だが今は不思議と、それが心地よかった。
クリフ・リゾート最奥の、この集落の中では一番綺麗なロッジの前で立ち止まる。
怪我の手当てに慣れているイリーナから包帯の替え方を習ったり比較的症状の軽い患者達にそれを実践したりしていると、あっという間に日が暮れてしまった。キルミスター医師には会っていない。というよりも、会いたくない。
イリーナにはこれ以上悪いことにはなりませんよと言われて送り出されてきたものの、怒って飛び出した手前どう話を切り出したからいいのか私はまだ決めかねていた。
それでもせっかくルーファウスが機会を作ってくれたのだから、どう転んだとしてもきちんと彼に向き合わないといけない。
何故彼があんなことを言ったのか、そもそも何故私を遠ざけようと思ったのか。
私に原因があるなら直さないといけない。だって、これからも彼と一緒にいたいから……彼が望んでくれるなら、だけど。
私の足元ではダークネイションがこちらを見上げている。あまりに心配そうな瞳で見つめてくるので、横に屈んで頭を撫でてあげた。
「ずっと一緒にいてくれてありがとう。ディーのご主人と話してくるから待っててくれるかな」
私がそう言って立ち上がると、賢いダークネイションは返事の代わりに長い触手で私の背中を軽く押してくれた。
「お邪魔します」
ロッジの中は薄暗くて、奥の寝室に続く扉が開けられている。
その向こうに見えるサイドテーブルの上で、蝋燭の火が揺らめいていた。
「……ルーファウス、居ますか?」
奥に向かって声をかけるとああ、と返事が返ってくる。私はゆっくりとその声がした方に向かい、寝室に辿り着いた。
「お待たせしました……」
ルーファウスはてっきり横になっているのかと思ったら車椅子に座っていた。
いつものように泥汚れのない白いスーツを身に纏う彼は、しかしネクタイはしておらず、シャツの首元のボタンも開けられている。その下に見え隠れする包帯が痛々しかった。
首元だけではなく、腕にも足にも、額にも包帯が巻かれている。こめかみにはガーゼが当てられ、良く見れば少し黒ずんでいた。
「星痕、痛みますか?」
思わず彼の前まで歩み出そうになって、私ははたと足を止める。
彼はどうやら、私にあまり今の姿を見られたくないらしい。だからまた近づけば嫌な思いをさせるかもしれなかった。
「薬が切れれば痛むな」
ルーファウスはそう言って苦笑する。
「薄めた興奮剤、それが今の俺の命綱らしい」
キルミスター医師は神羅がかつて兵士達に配っていた興奮剤を希釈して患者達に飲ませていた。それは星痕症候群の痛みを緩和するのに効果があり、そしてキルミスター自身が寝ずに仕事をするため過剰摂取した結果彼を薬物中毒に陥れたと聞く。
「なんとも、間の抜けた話だ」
ルーファウスは相変わらず乾いた笑みを浮かべて車椅子のホイールを押した。そのままゆっくりと前進して、窓際に向かう。
ルーファウスが窓に引かれたカーテンを少しだけ開ける。月明かりが差し込んで、彼の白い肌を照らした。
「生き恥を晒す、とはまさにこの事だな」
「……そんな事言わないでください」
そんな悲しい台詞を聞かされるために私は呼ばれたの? と続けようとしたけれど、ルーファウスの咳込みによって阻まれる。
激しい咳を抑えようと彼は口元を手で覆った。
私は思わずルーファウスに駆け寄る。するとその手に巻かれた包帯に、じわりと黒いものが滲んでいるのが見えた。
それを横目に私は彼の背中をさする。もしかしたら触られて痛むかもしれないとも思ったけれど、手を当てても特に反応はなかった。
「……すまない」
ようやく落ち着いたルーファウスが小さい声でそう呟いた。
私は首を横に振るとベッドサイドに置かれていたカラフェからグラスに水を注ぎ、ルーファウスに渡す。飲み終えて渡されたグラスにも、黒い膿が付着していた。
「包帯、替えますね」
寝室のチェストの中にはルーファウスの為に用意されている包帯や薬のセットが置いてある。イリーナからそう聞いていたので、私は箱ごとそれを取り出した。
私が新しい包帯を取り出して彼の前に戻る間、ルーファウスは何も言わなかった。
まず汚れた包帯を取らなければならないけれど、額や手の物だけなら服を脱がせなくても問題ない。とりあえず今はその二箇所だけを替えることにした。
私はルーファウスの向かいにスツールを持ってきて、彼と向き合って座る。
無言のままのルーファウスの手を取って包帯の留め具を外すと、僅かにその手が震えた。
「ごめんなさい、痛かったですか?」
「いや……」
ルーファウスは言い淀んで、床に視線を落とす。
「……怖くないのか? 病気が」
包帯を巻き取っていくと、やがて現れたのはーー本当は白いはずなのに、爛れて黒く膿んだ皮膚。
私はイリーナから教わった通り、水を含ませた清潔なコットンで患部の周りをそっと拭う。すぐにコットンが黒く粘り気のある液体で染まった。
「うつらないのに、なぜ怖がる必要が?」
タークスから聞いたキルミスターの証言では、この病気は人から人にうつるものではないらしい。原因については調査中ではあるものの患者の多くは孤児や怪我人、あるいは元々持病がある人だったので、身体が従来持っている免疫機能が弱い人に発症しやすいということは分かっていた。
幸い私の怪我はもう良くなっていたし、そもそも例えうつるものだったとしてもルーファウスの為なら怖いものなんてないから。
「うつって治るならうつしていただきたいくらいです」
新しい包帯を丁寧に巻いていく。きっとまたすぐ汚れてしまうのだろうけど、なるべく患部は清潔にして少しでも気分良く過ごして欲しかった。
私が包帯を留め終わるまで、ルーファウスはまたじっと床を見つめて黙り込んでいた。
留め具のパチンという音を合図に、彼はようやく私の顔に向けて視線を上げる。
「治し方どころか、治るかすら分からないのにか?」
「……今はまだ、ですよ」
私が次に手をかけたのは額の包帯。解く間、ルーファウスはじっと止まっていてくれた
こめかみのガーゼを外すと手の甲と同じように黒く膿んでいる。思わず目を背けたくなるけれど、私だってこの病気ともちゃんと向き合わないといけない。
こちらも患部の周りを拭って新しいガーゼを当てる。その間ルーファウスは目を伏せていた。
金色の睫毛が揺れるのが視界に入って、純粋に美しいなと思った。どんな病に蝕まれても、どんな怪我を負っていても、ルーファウスの美しさは決して変わらない。その瞳の片方を封じ込めてしまうのは心苦しかった。
「醜いだろう」
私の思いとは裏腹にルーファウスが目を伏せたまま呟く。
あんなに自信家だったはずの彼がここまで卑屈になるのは星痕症候群のせいなのだろうか。
私はガーゼの上から包帯を巻いて、ルーファウスの頭から手を離した。
そして包帯越しに、彼のこめかみに軽く口づける。
「ナマエ……」
咎めるような色を含んだ声で、ルーファウスが私の名前を呼んだ。
「もし逆の立場だったら、あなたは私を醜いと思って遠ざけますか?」
「決してそんな事は無い」
「なら、そういう事です」
黙り込んだルーファウスは、それでも納得していない様子だった。眉間に皺を寄せて自分のつま先を睨みつけている。
私はそんなルーファウスの足元に跪いて彼の膝に手を乗せると、俯いた彼の顔を覗き込んだ。
「ルーファウス、お願いだから私を遠ざけようとしないで」
彼の青い瞳が僅かに揺れる。
「それとも私のこと、もう嫌いになりましたか?」
「馬鹿げたことを」
「どうせ馬鹿ですよ。人の気持ちが分からない武器馬鹿で、兵器馬鹿で……社長馬鹿ですから」
何度も言われたこの言葉たちを思い出す。
でも、馬鹿だと思われたって良い。それだけ真っ直ぐに好きなんだと分かって欲しいから。
「あなたが思っていたより強情で物分かりが悪い女なんですよ、私は。どうです、失望しましたか?」
ルーファウスは、彼の膝に置いた私の手を見つめている。あと少し、きっともうあと少しで伝わるのだと信じて私は続けた。
「あなたは隠したいかもしれないような姿でも知りたいんですよ。だって悔しいですもん……タークスには頼るのに……」
「それはあいつらとお前では違うからだ」
「何がですか? タークスは私と違って信頼できるってことですか?」
「そうは言っていない!……っ」
声を荒げたルーファウスが、次の瞬間また咳き込んだ。
私は慌てて腰を浮かすと彼の背中をさする。
「すみません……もう今日は横になってください」
車椅子を押そうと立ち上がった私の手を、咳き込むルーファウスが掴んだ。掴まれはしたもののその力があまりに弱々しくて、私は驚いて止まってしまう。
「ルーファウス……?」
「……行くな、ナマエ」
苦しそうに胸を押さえたルーファウスが絞り出した声はか細くて、いつもの凛々しく力に溢れた彼のものとは全く違っていた。
「来るなと言ったり行くなと言ったり、支離滅裂なことを言っている自覚はある。だが……」
そこまで言って再びルーファウスは咳き込む。私は思わずその肩に手を伸ばして、頭の後ろから彼の胸元までを覆うように抱きしめた。
「ルーファウスを一人になんてしませんから、絶対に」
痛むだろう部分を避けて、ルーファウスの金糸に顔を埋める。さらさらと流れる髪は昔のように下ろされていた。
ルーファウスの呼吸が落ち着くまでしばらくそうして私は彼を抱きしめていた。
少し経って、ようやく荒かった息遣いが収まるとルーファウスは胸にある私の手に自分のものを重ねる。
「何故こんな惨めな姿を見せてもお前はそう言ってくれるのだ?」
彼は弱った姿なんて人に見せたくないのだろう。それはルーファウスの立場を考えれば理解できるけれど。
「ルーファウスにとって、恋人ってどんなものですか?」
質問に質問で返すのは良くないことだと知っている。でも今は、私が答えを言うより彼自身に導き出して欲しかった。そうしないときっといつまでも本当の想いは伝わらないから。
「良いところだけを見せて、本当に辛い時や悲しい時に遠ざけて、惨めだったり醜かったりする部分は隠すものなんですか? そんな、うわべだけの関係が望みなの?」
「……うわべだけの関係を望むわけがない」
「ならどうして……私にはルーファウスの全部を教えてくれないの? あなたが私の心を欲しいと言ってくれたのと同じで、私もルーファウスの心が欲しいよ」
そう言って少しだけ腕に力をこめると、私の手に重ねたルーファウスの指先にも僅かに力が入る。
「俺の心はとうにお前のものだ、ナマエ」
「だったら隠さないで……遠ざけようとしたりしないで……?」
ルーファウスは少しの間沈黙した後、小さく溜息をついた。彼が今どんな表情をしているのか私には分からない。
「……惨めな姿を見せたくなかったのは、お前に失望されたくなかったからだ」
部屋の中で唯一の光源である蝋燭の火が壁に伸びたルーファウスと私の影を揺らす。
「ナマエを失ったらと思うと……堪らなく恐ろしかった。お前は神羅カンパニーの、世界のトップであった男の恋人だ。全てを失った俺がお前の目にどう映っているか……考えることすら恐怖でしかない」
ルーファウスが恐れを感じている? そんなこと想像したこともなかった。
でも、そこまで考えて私は気づく。これこそが彼を追い詰めていた原因なのではないかと。
ルーファウスは常に強くあることを期待され、弱みを見せることなんて出来なかったのだろう。唯一弱みを見せられたのがタークスだったなら、彼らにはどんな姿も見せられるというのは当然なのだ。
私はそれをなんとなく感じていたはずなのに、結局は強い彼に甘えてしまっていた。ルーファウスはどんな私のことも受け入れてくれると期待していたのだって同じことだ。
「ごめんなさい、ルーファウス……私、間違ってた」
「なぜナマエが謝る」
「私がルーファウスのことをちゃんと分かってなかったせいだったんだね」
弱いところまで見せて欲しかったら、弱いところまで全部受け入れ止めてあげられるということが伝わらないと駄目だったのに。
「例えルーファウスがこの先どうなっても絶対に着いていく。私はルーファウスの見た目や肩書きに恋したんじゃないよ」
ルーファウスが息を飲んだ。
「でも、病気にだけは負けないで……辛かったら縋って良いし、泣きたかったら泣いたって良いから……」
私をこの世界に置いていくのはやめて……。
そう言葉にする代わりに彼の手を握る。するとルーファウスも緩く握り返してくれた。
「俺は、打ち勝てるだろうか」
きっと今までなら『必ず勝つさ』と答えただろう。でも今は違う。ルーファウスは不安な気持ちをちゃんと隠さず私に伝えてくれている。
「こんな身体でお前を俺に縛りつけることなど出来ないと……そう思いながらも、お前を手放したくない俺がいる」
そんなに悩ませてしまっていたなんて。ルーファウスは確かに強い人だけれど、未知の病に蝕まれて平常心を保ち続けられるわけなんてないのに。
「必ず勝てるよ。だって私達は神羅カンパニーだもの。だから、私のこと手放そうなんて考えないで」
彼の名を冠した、今では事実上崩壊してしまった私達の居場所。
でもそんな神羅カンパニーの社員達にはこの世界の復興のために立ち上がった者も少なくない。街づくりだけではなくて、星痕症候群の治療方法を模索したり患者のケアをしたり、この病気に打ち勝とうと頑張っている人もいる。
するとルーファウスはようやく顔を上げ、私が彼の胸の前で握っていた手を解く。
「……そう。我々は神羅カンパニーだ」
その声には真っ直ぐ芯が通っていた。
ルーファウスは車椅子のホイールを押して方向転換し、私に向き直る。
その目は揺らいでおらず、もう迷いは見えなかった。頭に巻いた包帯のせいで右目は少ししか見えなかったけれど。
「俺としたことが忘れかけていた……だがお前のお陰で思い出せたよ。ナマエの言う通りだ」
ルーファウスは少しだけ困ったように微笑む。
「そして神羅カンパニーを導く俺にはこれからもお前が必要だ、ナマエ。いや……これまで以上に」
ルーファウスは私の目の前まで進んでくると、私に向けて片手を伸ばしてきた。私が替えた包帯は、まだ白いまま。
「誓おう、ナマエ。もうお前に隠し事はしない。その代わりお前は……どんな俺も受け入れてくれ」
私はその手を取ると、再び彼の前に跪いた。
「……誓うよ。ルーファウス」
ルーファウスは重ねた手を顔の前に持ち上げて、私の手の甲にキスを落とす。
「惚れた女に弱い姿を見せるのは勇気がいることだな」
唇が離れた後も、ルーファウスは私の指先を見つめていた。
「だが……そうだな、この先共に生きていくのだからいずれは知られてしまうか」
「そうですよ。一緒にいる時間が長くなればその分色んな姿が見えるのは普通じゃないですか?」
「お前の言う通りだ。だが、身に染みた習慣というのもなかなか変えられなくてな」
「そしたらまた勝手に近寄っていきますからね」
私がそう言うと、ルーファウスは顔を上げてくすりと笑った。
「またお前が垣根を壊してくれたな」
「でもこうして話す機会を作ってくれたのはルーファウスですよ」
「おや、また敬語に戻ったのか? せっかく抜けたのかと思ったのに」
「えっ? 無意識でした……」
熱くなってついそうなってしまったらしい。けど少しだけ、良い機会なのかもしれないと自分でも思う。
「良いではないか。どうせもう会社は無いしな」
「神羅カンパニーは続いてます! ここがジュノンや本社ビルではないってだけじゃないですか」
「ほら、まただ」
「う……身に染みた習慣はなかなか変えられないのだから仕方ないでしょ……」
「あまり笑わせるな、苦しくなるだろう」
そう言う割に肩を震わせているルーファウス。冗談なのかもしれないけれどそんなことを言われたら心配になってしまう。
「ルーファウス、私はもう怒ってもいないし悲しんでもいないから、今日はもう休んでくだ……休んでよ」
「そうだな。お前の努力に免じてそうするか」
晴れやかな表情のルーファウスは車椅子をベッドの横まで進ませる。私は彼を支えてベッドに座らせた。こういう頼り方をしてもらえるだけでも嬉しいものだ。
「身体の包帯も替える?」
「いや、お前が来る前にツォンに替えさせたから今日のところは良い。だが明日からは頼む」
「分かりました。これからは私だけにしてね」
ツォンさんにまでやきもちを焼いてしまうなんて我ながらどうかしていると思う。でも今までも長い時間を過ごし、ルーファウスに頼られてきた彼らが羨ましいのは本当だった。
「もう離れるなって言ったのはルーファウスなのに」
横になったルーファウスにブランケットをかけて、私は彼の髪から頬までを撫でる。
「それについては言い訳のしようがない」
ルーファウスは苦笑いを浮かべて目を閉じた。随分長い間話してしまったから、さすがに疲れたのだろう。
「あの時は、あのまま俺はミッドガルの頂点から世界を手中に収めるのだと信じて疑わなかったからな」
薄く目を開けたルーファウスの手が伸びてきて、彼の頬に添えていた私の手に指を絡めた。
くい、と手を引かれたので私は彼の前に顔を寄せる。するとルーファウスはもう片方の手で私の首元に触れた。
「……ありがとう、ナマエ」
私の服越しに彼が触れているのは、ルーファウスから預かっている彼のお母さんの形見の指輪だ。
「そうだ。これ、返した方が良いよね」
ミッドガルがあんなことになって、他の遺品がどうなってしまったかも分からなかった。
しかしルーファウスはゆっくり首を横に振る。
「俺の元にあったままだったらきっと失っていたから、この先もお前が持っていた方が良さそうだ」
そう言って硬い石の感触を確かめた後、ルーファウスは手を離した。
「御守りとでも思っていれば良い。縁起が良いのか悪いのか分からない代物だがな」
「良いに決まってるよ。だって……これが無かったらルーファウスもいなかったかもしれないんだから」
一度離れた手は私の後頭部に回り、軽く引き寄せられる。鼻と鼻が触れ合うくらい近づいて、ルーファウスの左目が私を見つめている。
「そう言うことにしておくか」
「……素直じゃないですね」
「また出たぞ」
それだけ言うとルーファウスは私を更に引き寄せた。
もうどれくらい長い間、この時を待ち詫びていたのだろう。
私達は離れていた時間を埋めるように深く、互いの愛情を確かめ合うように何度も何度も口付けた。
「ナマエ、愛している」
短くなった蝋燭が溶けたロウを垂らす。チェストの上の花瓶の中で、"再会の花"が微かに甘い香りを漂わせていた。