ミッドガル零番街。
神羅カンパニー本社ビルが聳え立つ、名実ともにミッドガルの中心であるこの場所。
プレートの上に戻ってきた私たちは、一度本社に寄って受付にジュノン行きの荷物を預けた。勿論ルーファウスは外で待っていてもらったけれど。
彼なりに違う視点で自分会社を見るのも楽しかったらしい。中に入ろうとしたら警備兵に睨まれたぞ、と笑っていた。
私は残った花をスラムで買った紙に包んで花束にし、ルーファウスの後に続いて零番街にある墓地に来ていた。
墓地といってもここに眠るのはある一族だけ。
それはこの星を手中に収める"神羅"の名を持つ、ルーファウスの血族だ。
一見よく手入れされた綺麗な公園のようなこの場所には、地面に置かれた大理石のプレートとその後ろに立つ墓標だけが存在している。
ビル街の喧騒は聞こえてくるのに、少し寂しくなる場所だと私には感じられた。
ルーファウスは墓標の前で止まると、足元のプレートに視線を落とす。
この下に彼の父親でもある先代社長が眠っているのだ。彼が選んだ女性ーー妻とともに。
小さかった神羅製作所を世界一の大企業神羅電気動力に成長させた、この星で一番成功した人間ーープレジデント神羅。
そんな彼の精神も今ではライフストリームの一員となり、もしかしたらそのうち魔晄エネルギーとなって私達を明るく照らすのかもしれないと思うと不思議な気持ちになった。
「……葬儀以来だ」
ルーファウスはサングラスを取ってシャツの胸元に引っ掛ける。
俯いた彼の顔に金糸が一筋垂れた。
しかしルーファウスはそれだけ言うと数歩下がって、隣に立っていた私だけがそこに残される。
彼はもう、これ以上墓標に声をかけるということはしないつもりなのだろうか。
私はその場に屈むと、腕に抱えた小さな花束を二つ、そっと大理石のプレートに置く。
ルーファウスの両親の名が刻まれたそのプレートは、夫のものと比べて妻の名が彫られた方は随分と年季が入っていた。
「はじめまして」
私はそこに向かって小さな声で告げる。
子供を残して亡くなったルーファウスのお母さんが、どれだけ辛い気持ちだったのか私には想像もできない。
そんな彼女が形見として息子に残した大切な、彼女の夫から贈られた婚約指輪は、私がミッドガルにいる間泊まる部屋に置いてきたジュエリーボックスの中で圧倒的な存在感を放っている。
「指輪、確かにお預かりしました」
風が吹いて、束ねられた小さな花たちがさわさわと揺れる。
その遺伝子を持って生まれたはずのルーファウスを見ている限り、きっととても綺麗なひとだったのだろう。あの先代社長が特別に選んだ一人なのだから、器量が良いだけではなく気遣いができる大人の女性だったに違いない。
「私が支えていきますから、安心してくださいね」
私はそう言って立ち上がるとプレジデントの墓標にも頭を下げて、ルーファウスの元へ戻った。
「何か話していたな?」
腕組みして待っていたルーファウスはその腕を解き、私が供えた花束を見ている。
「ご挨拶をしていました」
「……そうか」
ルーファウスは少し考え込んでから前を向き歩き出す。
私もその横に並んで、一緒に墓所から出た。
「お前の両親は元気なのか?」
「はい。もうしばらく会ってないですけど、たまに手紙のやり取りをしていますよ」
実家には帰ろうと思えば帰れるという安心感もあるためか、ついつい仕事にかまけてずいぶん長い間顔も見せていない。
少し落ち着いたら、久しぶりに親にも会いたいと思う。
ちなみにルーファウスとのことはまだ話せていない。
親からしたら天地がひっくり返るくらい驚くだろうから、倒れられても困ると思うとなかなか勇気がいる。
「俺も挨拶をしないとな」
そんな私の心配もどこ吹く風、ルーファウスは楽しそうに言う。
「あなたが目の前に現れたら気絶すると思いますけどね」
「それは困るな。ゆくゆくは家族になるんだから慣れてもらわないと」
さも普通にそんなことを言ってのけるルーファウス。私は多分顔が真っ赤になってしまっているだろうというのに。
「ちょっと……気が早くないですか?」
そんな風にしか返すことができなくて、我ながら可愛くないなと思わされる。
それでもルーファウスはそんな私の手を取って指を絡めると、フンと鼻で笑った。
「俺はいつだって本気だ」
あまりに自信満々にそう言い放たれて、一人で照れてしまった私はもう何も言い返せなくなってしまった。
零番街のカフェテリアで遅めの昼食をとったあと、私達は再び鉄道に乗る。
午後はルーファウスが私をどこかに連れ行ってくれることになっていた。
「サンドイッチ美味しかったですねー!」
「俺は普通の会社員のランチが楽しめて満足した」
「確かに……皆正体を知ったら慌てて逃げ出すかもしれませんね」
神羅ビルに近いお店なこともあって、そのカフェテリアは神羅カンパニーの従業員でいっぱいだった。
そんなこともあって耳をすませば聞こえてくるのは各部署の愚痴や噂話ばかり。ルーファウスはそれを興味深そうに聞きながら食事を摂っていた。
「俺の知らない社内恋愛というのも星の数ほどありそうだな」
「さすがにあれだけ社員がいますからね」
客層としてはOLが中心だったので恋愛に関する話題もとても多かった。あの店に毎日通っていれば否が応でも色々な部署の社内恋愛事情に詳しくなれそうだと思う。
「俺達だってその中の一組なのだから、文句は言えないが」
「確かに……」
普通の社内カップルも、理由はどうあれこんな風に周りの目を忍んでデートしたりするのかもしれない。
そう思ったらなんだか私達もごく普通の恋人とあまり変わらないのかもしれないと思って、社長の恋人だからと気負っていた私は少し気持ちが軽くなった。
「次で降りる」
そう声をかけられて車内の電光案内板を見ると、次は六番街スラムステーションと表示されている。
「六番街スラム、って……ウォールマーケットですか?」
「行ったことがあったか?」
「いえ。真面目なので」
私が即答するとルーファウスがくすりと笑う。このやり取りにもお互い慣れたものだ。
「ウォールマーケットは治安が悪いから行っちゃだめだよって、昔本社にいた頃先輩達に教わりました」
「賢明だな。女が一人で行くところではない」
そう言っている間に列車が停まる。
ホームに出てみると、スラムとはいえ六番街プレートは建設が凍結されている為、陽の光が差し込む明るい場所だった。
「ウォールマーケットに何しに行くんですか? あそこって夜しかやってないお店が結構あるって聞きましたけど」
「着いてくれば分かる。昼の間は街に用があるわけではないんだ」
なかなか目的を明かさないルーファウスと並んで歩いていくと、間も無くウォールマーケットと思われる囲いの入り口を通り過ぎる。
確かこの囲いの中では、違法な行為もこの街の顔役にさえ認められれば、神羅からはある程度目を瞑られるとかなんとか……。
「クエッ!」
私が辺りを見回しながら歩いていると、前から突然大きな鳴き声が聞こえてきた。
「チョコボ!」
「いらっしゃい!」
そこはにはチョコボ車乗り場の標識が立てられていて、房の中にしまわれたチョコボが羽をはためかせている。
私達が乗り場の前までやってくるとテンガロンハットを被った係員が声をかけてきた。
「どこまで乗るんだ?」
「久しぶりだな、サム」
「ん? あっ……あんたは!?」
ルーファウスはその係員の男性の目の前に近寄ってサングラスを少しずらす。
すると豊かな髭を蓄えたその人は目を丸くして驚いていた。どうやらルーファウスの知り合いらしい。
「……なんでこんな所に? ああ、なるほど」
ルーファウスがサムと呼んだ係員は私を一瞥すると溜息をつく。
「言っておくが今日は休暇だ。これがチョコボ好きなものでな」
そう言いながらルーファウスはサム氏の肩をぽんと叩いた。
「ミッドガル一周コースを頼む」
「そんなコースはないが……」
「なんだ。聞こえないな」
「……ハァ、面倒な人が来たもんだ」
サム氏はやれやれと肩をすくめると奥にいた他の係員に声をかける。
「オイ、一番元気なのを出せ! 手綱は俺が取る!」
慌てて駆け寄ってきた係員が房からチョコボを連れてくると止めてあったチョコボ車に繋ぐ。
まん丸の目を輝かせる黄色のチョコボはとても元気で可愛らしい。
「少し触らせてやってくれ」
ルーファウスがサム氏にそう聞くと、彼はもう諦めたと言いたげに目を瞑った。
「ナマエ、チョコボを触ってもいいぞ」
「本当にいいんですか?」
「……少しだけだぞ。刺激するなよ」
サム氏がそう言ってチョコボを見上げる目は、思いの外優しかった。
私はそっと手を伸ばしてチョコボの首元に触れる。
ふわふわの羽がくすぐったくて温かくて、わたしは思わず笑顔になった。
「幸せ……」
チョコボはクエッと一言鳴くと、ふるふると身体を震わせる。
「ごめん、くすぐったかったね。ふふ……今日はよろしく」
私はチョコボに向けてそう言うと、名残惜しけれどルーファウスに手を取ってもらい車に乗り込んだ。
「今日のところはこれで我慢してくれ」
「チョコボ車に乗れるだけですごい嬉しいですよ。それに触らせてもらえたし……!」
前にチョコボに乗せてくれるという約束をしたことを忘れないでいてくれているルーファウス。本当にこの人は私に甘すぎではないかと思う。
サム氏が前に乗って、すぐにチョコボが走り始める。
カタカタと心地の良い揺れと共に、景色が流れはじめた。
「サム、一周どのくらいかかる?」
ルーファウスは窓から顔を出して前方に問いかける。
「戻るのは夕方になるな」
「分かった。ああ、別に急ぐ必要はないからな」
サム氏の答えを聞いたルーファウスは窓を閉めた。吹き込んできた風が止むと、彼は乱れた髪を掻き上げて隣に座る私を見下ろす。
今日のデートで初めて、二人きりの密室空間となった。
「こういう宛ての無い移動というのもお前となら悪く無いな」
「ふふ。大人になるとこういう時間って無くなりますよね。ルーファウスは……子供の時からそうだったかもしれないですけど」
「そうだな……徹底的に無駄を省くよう教えられて育ったからな」
大人になる過程で、何をするにも目的や理由を求めるようになったしまったと思う。
けれど子供の頃から神羅カンパニーの後継者として育てられてきたはずのルーファウスは、子供の頃にさえそんな甘えを許されなかったかもしれない。
「たまには何も考えないで過ごす無駄な時間も良いものですよ。ルーファウスみたいな忙しい人には、特に」
「何も考えずには過ごせないがな」
そう言ったルーファウスの手が私の膝に置かれる。手のひらからは彼の低い体温がじんわりと伝わってきた。
「隣にナマエがいるときは大抵煩悩に支配されている」
「ちょ、そういう事言わないでくださいよ……!」
置かれた手が緩やかに私の膝から上を撫でる。私は恥ずかしくなって、ルーファウスから顔を背けると窓の外に目をやった。
「ほら、外の景色を見ましょう!」
「代わり映えのないスラムの風景よりお前の悦ぶ姿の方が好きなんだがな」
「ルーファウスが連れてきてくれたのに」
振り向いてわざとらしく彼を睨んでみると、ルーファウスは肩を震わせて笑っている。
「……なんで笑ってるんですか」
「お前を楽しませようと思ったのについ俺ばかり楽しんでしまっていると思ってな」
自嘲気味に笑うルーファウス。
私は彼に向き直ると膝に乗せられた彼の手に自分の手を重ねた。
「そんな事ないですよ。ちょっと意地悪だなとは思ったけど……私も楽しいです」
カーブに差し掛かったらしく、窓の外には車を引いてくれるチョコボの姿が見える。
「ほら、ルーファウスも一緒にチョコボ見ましょうよ!」
そう言って私が窓ガラスに手を当てて顔を近づけると、ルーファウスに後ろから抱き締められた。
彼は私の肩に顎を乗せて窓の外を見ている。
「外から見えちゃいますよ?」
「一瞬過ぎて分からないだろう」
そう言ったかと思うとルーファウスは私の首筋にキスをして、そこに顔を埋めた。
「眠くなってきた気がするな」
「すみません、退屈でした?」
「いや、俺にしては珍しく気が緩んでいるからだろう」
「少し寝たらどうです? 私なら外を見て楽しんでられますから」
私は振り返って、肩に乗っていたルーファウスの頭を両手で挟んで横に動かす。動かしてどうしたかと言うと、彼が抵抗しないのを良いことに、少し身体を離すと私の膝に彼の頭が乗るよう促した。
寝転んだルーファウスが私を見上げてくる。背の高い彼と女の私にとって、普段ではありえない位置関係だ。
「甘やかしてくれるのか?」
「私にくらい甘えたって良いじゃないですか。誰も見てませんし、見えたって一瞬です」
「フッ……だんだん強くなってきたか?」
ルーファウスは腕組みすると観念したように目を瞑る。
私は彼からサングラスを外して、細い金色の髪を指で梳いた。
端正に整ったルーファウスの顔が心地よさそうに和らいで、彼の口元は緩やかに弧を描いている。
私から伝わる体温とチョコボ車の小刻みな揺れのせいか、少し経つとルーファウスから力が抜けて私の膝にかかる重みが増した。
彼の胸は規則的なリズムで上下し、静かな呼吸音が聞こえてくる。
(寝顔、かわいい)
目の前の青年に使うべき言葉ではないかもしれないが、穏やかに眠るルーファウスの表情はどこかあどけなく見えた。
本心から気を許してくれていると分かって嬉しくなる。きっと、彼にとってはなかなか無いことだろうから。
私は金糸に絡めていた手を移して彼の頬を包む。
白い肌は一見女性も羨むほどの綺麗さだと思うけれど、この距離で見ると目元の小さな皺や髭を剃った跡が分かり、彼の男性たる部分を感じてドキドキしてしまう。
「……可愛いのに格好いいなんてずるい」
私の声が届いたのか形の良い眉がぴくりと動いたけれど、幸いにも起こしてしまったわけではないようだ。
ルーファウスは軽く身じろぎして顔を横に向けると、また穏やかな寝息を立てはじめる。
私は外の景色を見るのなんてすっかり忘れてしまって、ずっと彼の寝顔を眺めていた。
「そろそろウォールマーケットだぞ!」
車の窓を閉めいているので、サム氏は私達に聞こえるよう大声で言う。
それを聞いたルーファウスはまだ重そうな瞼を開けるとようやく身体を起こした。
「おはようございます。よく眠れました?」
「昼寝なんて何年ぶりだ……」
あくびを噛み殺しながら乱れた髪を手で押さえつけるルーファウスは、いつもの冷静でスマートな彼とは違う。
けれどそんな起き抜けの姿も愛おしくて、私も彼の髪を直すのを手伝ってあげた。
「思っていたより疲労が溜まっていたらしい。ここのところ会議詰めだったからな」
「少しでも休めたなら良かったです」
「ふむ。ナマエのおかげだ、感謝する」
そう言いながらルーファウスがサングラスをかけた頃、ちょうどチョコボが停まってサム氏がドアを開けてくれる。
「満足したか? 社長さんよ」
「ああ。サムズデリバリーが儲かるのも分かる」
「そりゃどうも。だがご贔屓にしてくれなくていいからな」
そう言ってサム氏はチョコボを撫でた。
ルーファウスに対しては始終迷惑そうにしていたけれど、チョコボを愛する気持ちは本物のようだ。
「ありがとうございました。チョコボ、こんなに近くで見られて夢みたいです」
サム氏に向けてそうお礼を言うと、彼は豊かな髭を触りながら私を一瞥し、そうかと言って事務所へ戻っていった。
言われていた通り、メテオには関係なく空がオレンジ色に染まる時刻になっている。
ウォールマーケットの店には少しずつ明かりが灯されはじめ、来た時よりも人通りが多い。
「この後どうしますか?」
ルーファウスを見ると彼は携帯端末を確認しているところだった。
メールを読んでいたらしい彼は、ボタンを押して端末の明かりを消す。
「付き合え。楽しい夜になるぞ」
そう言って不敵に笑うルーファウスはウォールマーケットの奥へと足を進める。
必ず離さないようにと言って、彼はまた腕を差し出した。
雑多な街の中は看板のネオンに彩られて目に良くない。
食事処や武器屋薬屋をはじめとした小売店のある区画まで来ると、一軒の店の前で立ち止まった。
「てもみ……や?」
店の前に出された看板の字を読み上げても、ここが何の店なのかよく分からない。
「ここの女将に用がある」
そう言ってルーファウスは勢いよく店の引き戸を開ける。
中には受付カウンターがあって、そこでは艶やかな黒い着物姿の女性がパイプをふかしていた。
「おや……来ないかと思っていたよ」
その色っぽい女の人はルーファウスを見ると唐紅色の唇で弧を描く。
ルーファウスは髪を掻き上げて、その人に鋭い目線を向けた。
「いくら払ったと思っている。お前こそすっぽさないかと思っていたが」
「アタシは"客"には誠心誠意を尽くす女だよ。さて、その子かい」
「ああ。モノは届いているんだろうな?」
「今朝にはもう。全く抜かりない男だね、用意周到なところは嫌いじゃないよ」
「フッ……これ一人で十分だ」
「はいはいごちそうさん」
二人は何やら話し合っているかと思えば突然私に注目する。
「なるほどねぇ。アンタみたいな男から頼みがあるなんて言われたから、どんなお嬢さんかと思ったけど……」
その人は、意外にも切れ長の目を柔らかくさせて微笑んだ。
「真っ直ぐな良い目だね。アンタにはもったいないぐらいじゃないのさ」
「それが上客に対する言葉遣いか?」
「おお怖い。綺麗な顔が台無しだよ」
「……良いから早く取り掛かれ」
「分かってるよ。じゃあ準備してくるから待ってておくれ」
そう言って女性は奥の部屋に入っていった。ルーファウスが用があると言っていた女将とは彼女のことなのだろう。
しかし準備とはなんなのか、二人の話す内容は未だに全く分からない。
「マダム・マムはこの商業区を取り仕切っている女だ。今日はお前のドレスアップを頼んでいる」
「へ? ドレスアップ?」
待合用のソファに腰を下ろすと、ルーファウスは腕組みする。
「せっかくのデートなんだ。着飾って夜の街に繰り出すのも悪くないだろう?」
「準備できたよ。えっとアンタ、名前は……」
「ナマエだ、マダム」
「ナマエね。さ、社長はここで待ってるんだよ。覗くんじゃないからね!」
「分かっている。お前こそ手荒に扱ったら許さんぞ」
私の背中を押すマダム・マムに向けてルーファウスは睨みをきかせる。
マムはくすくすと笑いながら片手をひらひらさせ、私を奥の個室に案内するとカーテンを閉めた。
「なんだかすみません……」
この街の実力者だというこんな貫禄のある女性にドレスアップさせてもらうだなんて、至って平凡な会社員である私には勿体無い出来事だ。
マムは私を鏡台の前に座らせると、そこに置かれた化粧道具の入った箱を開けた。
「ちゃんとお代は貰ってるからアンタが気にすることは無いよ。アンタにはあの合理的な男に金を出させるだけの価値があるんだから自信を持ちな」
マムはそう言いながらまず私の化粧を落として顔や頭をマッサージしてくれた。
あまりの気持ち良さに思わず身体の力が抜けていく。
「そう。余計な力は抜いて、緊張したままだと血行が悪くなるよ。おや……アンタ意外と身体がこってるねぇ」
「機械を設計する仕事をしてるので、結構身体も使うんです」
「そうかい。ならしっかりほぐしてやらないとね」
肩や首、それから腕も揉んでもらうと、マムの手技によってすぐにコリが解れてぽかぽかと温まってくる。
「はぁ……、気持ち良いです……」
「フフッ。血の巡りが良くなると顔の血色も良くなるし、何より手触りが柔らかくなるのさ」
マムは艶っぽく笑いながら手を離すと化粧道具を手に取る。
私は呆けたまま、手際良くメイクを施していくマムの揺れる袖口を見つめていた。
メイクが終わると、私は鏡を見てあまりの変身具合に驚いた。
そこに映る私は、まるでテレビに出てくる女優やモデルのようにすら見える。
「これが私……」
「まだまだこれからだよ」
化粧道具を片付けたマムは、私を立たせると下着だけになるよう言う。
私が服を脱いでいる間、彼女は備え付けのクローゼットから一枚のドレスを取り出した。
アイスブルーの艶がある生地で作られたマーメイドラインのイブニングドレスは、胸元が深めのハートカットになっている。
「すごい綺麗です……けど、私がお借りしても?」
細かい刺繍が施されたそのドレスには深いスリットが入っていて、私には勿体無いくらい色っぽい。
マムはそのドレスを私の前で広げて見せる。
「聞いてないのかい? これはアンタのために社長が作らせたドレスだよ」
「……えっ?」
「全くキザな男だよ。だがさすが神羅の御曹司だけあってセンスは抜群だね。よく似合うはずだよ」
「これを、ルーファウスが……」
刺繍に散りばめられたビジューがキラキラと輝く。
いつの間にこんなものを特注していたのか分からないけれど、彼が私のために用意してくれたのだと思うと胸が熱くなった。
マムに手伝ってもらい下着をコルセットに変えてからドレスを着ると、私の身体にぴったりだった。思っていたより苦しくないのも、私の身体に合わせて作ってくれているからだろう。
しかしなんでサイズが分かったのか……は、聞かないでおこう。
なにせ彼はこの世界を牛耳る神羅カンパニーの社長ルーファウス神羅なのだから、何が出来てもおかしくない。
「ほら、似合うじゃないか」
促されるまま姿見の前に立つとアイスブルーのマーメイドドレスは本当に美しくて、自分でも驚くほどにそのドレスは私の体型を何ランクも上のものに見せてくれていた。
最後に髪をセットしてもらうと、マムは目を細めて満足そうに口の端を上げる。
「良い出来だよ。ルーファウス神羅の驚く顔が楽しみだ」
まるで別人じゃないかとも思うけれど、マム曰く私の魅力を最大限に引き出したーーということらしいので、せっかくドレスを贈ってくれたルーファウスも喜んでくれるかもしれない。
私は用意してもらっていたシルバーのヒールに履き替えて、背筋をピンと伸ばす。
彼の隣に立つのに相応わしい自分でありたいとずっと願ってきた私だったけれど、マムにかけてもらった魔法のお陰で、今夜は少しだけ自信が持てそうだった。