翌朝、社長は待機していた兵達に撤収の指示を出すため借りていた家から出て行った。私も支度を終えるとまだ冷えた空気に包まれている外へ出る。
私は運び込まれた時気絶していたので知らなかったけれど、どうやらここは正式な宿屋ではなかったらしい。
家主と思われる男性は、他の家から出てくると遠巻きにこちらの様子を伺っている。
私は彼に会釈だけして社長の元へ向かった。
彼に近づくとちょうど警備兵達が社長に敬礼して、ゲルニカに向け走り出していくところだった。
私の気配に気がついたらしい社長がこちらに振り返る。
「俺達にはヘリで迎えが来ているはずだ。ジュノンまで送ってやる」
「すみません何から何まで……」
「本当ならミッドガルまで連れて帰りたいのだがな」
そう言って社長は苦笑した。
「すまないが、会議の予定が詰め込まれていてなかなか側にいてやれそうにない。それなら慣れたジュノンの寮で休養していた方が良いだろう」
「休養……私がですか?」
「当たり前だ、お前は過労で倒れたんだぞ。端的に言うと仕事のしすぎだ」
そこへ別の警備兵が呼びに来たので、私達は村から少し離れたところに停めてあるというヘリのもとへ向かう。
その道中で、隣を歩く社長が私に耳打ちした。
「お前を休ませるために、俺が昨日の夜どれだけの理性を働かせたか分かるまい」
言われてから頭の中で反芻しようやくその言葉の意味を理解して、私は頭から湯気が出るのではないかと思うくらい顔が熱くなる。
その様子に気づいたらしい社長は、くつくつと笑いを噛み殺していた。
「な、何をおっしゃいます……!?」
「俺を可哀想だと思う気持ちが少しでもあるのなら、大人しく休みを取るんだな」
そこまで言われて休みませんなんて意地を張れるわけもなく。
未だに真っ赤な顔のままであろう私は、どこか楽しそうな社長を横目に分かりましたと呟いた。
ニブルヘイム村から近くの林を抜けて開けた場所に出ると、見覚えのある黒いスキッフが停まっている。
機体の前にはスキンヘッドにサングラス、黒いスーツというどこからどう見ても暴力の臭いしかしない大柄な男の人が、直立不動で私達の事を待っていた。
「ルードとは初めてだったか?」
社長はそのスキンヘッドの人を示して言う。
「はい。もしかしてタークスの方ですか?」
「そうだ。ルード、兵器開発部門のナマエだ」
「……ルードだ」
社長が紹介してくれたので、私とルードさんは互いに軽く頭を下げ合う。
ルードさんは見た目に違わず地を這うような低い声で、一言自分の名前だけを告げた。
「ちなみに彼女は私の恋人でもある」
「……聞いていたのと違う」
社長に促されて私がヘリに乗り込むと、背後でそんな言葉が交わされたのが聞こえてくる。
この人はまさか私達の関係を隠す気など無いのか、それとも相手が気のしれたタークスだからなのか。お願いだから後者でいてほしい。
私だって命は惜しいので、神羅カンパニー中の女性社員たちから刺すような視線を注がれるのは御免だ。
「ほう……お前はどう聞いていたのだ?」
社長は私の隣に着席し、ドアを閉めようとするルードさんに顔をずいっと近づけた。
ルードさんは困っているのか口を開けようとしてやめるのを繰り返している。
おそらくさっきの言葉はつい口から出てしまったもので、言わなければ良かったと後悔しているに違いない。
しかし社長が引く気配もないので、彼は後頭部を掻きながら気まずそうに言った。
「社長の再三のアプローチにもなかなか崩れない、機械を相手にしすぎて人の気持ちに鈍くなった武器兵器馬鹿だと……」
「なっ……」
「あとは……ネーミングセンスが壊滅的」
「ちょっとそれ酷過ぎでは!?」
これには私の方が声を上げざるを得ない。
初めて会ったルードさんにこんな事を言われなければならないなんて、一体誰の入れ知恵だというのか。
「ククク……ハハハハッ!!」
隣では対象的に、珍しくお腹を抱えて笑っている社長。
社長がこんなに声を上げて笑うところなんて見たことがないし、どうやらルードさんも同じらしく、サングラスをしているのに彼の目が点になっているのが伝わってくる。
「ちょっと社長! そんなに笑ってないで否定してくださいよ!」
「すまない。的を得すぎていて否定のしようがなかった」
「ひ、ひどい……」
「……出発する」
肩を震わせる社長の腕に私が掴みかかっているのを横目に、ルードさんはスキッフのドアを閉める。
彼は操縦席に乗り込むと無言でスキッフを飛ばした。
「そもそも誰なんですか、ルードさんにそんなこと吹き込んだのは」
「さあ?」
「その顔は心当たりがありそうですね」
「さすがだ、よく分かっている」
未だに後部座席でにやにやと笑っている社長を睨んでみるけれど、勿論効果は無い。
「はて……お前のことを武器馬鹿だと最初に言い出したのは誰だったかな」
社長はわざとらしく腕組みすると首を傾げる。それこそ、私の問いの答えなのだろう。
「レノ……!」
あの赤毛、今度会ったら特製ピラミッドに閉じ込めるしかない。
などと考えながら私は拳を握り締める。
その時、社長の電話端末が鳴った。
「私だ。ふむ……そうか。それは何よりだ」
社長は電話を耳に当てて頷きながら、一瞬横目で私を見る。
と思えば、話し続ける内にだんだん彼の表情は険しくなっていった。
「なんだと? 仕方が無い、あといくつ残っている? ……そうか、なんとか死守しろよ」
大きな溜息をついて、社長は窓の外に遠く浮かんだメテオを睨みつける。
「良い報告を期待している」
それだけ言って、社長は電話を切った。
それから片手を広げて背もたれに乗せ、もう片方は私の肩に回す。
「お手柄だぞ、ナマエ」
「何のことでしょう?」
「昨日の夜クラウド達が海底魔晄炉に現れたそうだが、お前達が作った機械のお陰でヒュージマテリアは守られたらしい」
社長が言っているのは、私が兵器開発を禁止されていた間に取り掛かったあのキャリーアーマーの事だろう。
テストが予定通りに進んでいれば、ちょうど昨日には魔晄炉前に配備できていたはずだ。
「潜水艦にヒュージマテリアを積み込んだところに奴等が現れたらしい」
「じゃあジュノンに……!?」
「もう逃げたがな。兵たちめ、捕まえられないとは間の抜けた話だ……。だが今はヒュージマテリアが守られたことを幸に思うとしよう。お前のおかげだ」
私はジュノンの皆が無事なことと、私達が作った機械が役に立ったことがとても嬉しかった。
ふと、社長が私の顔を覗き込んでくる
「しかし、報告によると奴等を叩きのめしたのはヒュージマテリアを運搬するための機械だそうだ。これまでも他の警備兵器は軒並み破壊されていると言うのに、何故運搬機器が奴等に勝ったのか俺にはさっぱり分からないのだが?」
「それは……」
私は少し気まずくなって視線を逸らす。
これで社長が追及をやめてくれるとは思っていないけれど。
「それは?」
「侵入者をアームで捕まえるようプログラムしました」
「なるほど。警備ロボットとしても使えるようにしたわけか」
「それから……強力なレーザーを搭載しまして……」
「ほう、運搬機器にレーザーとな?」
私が歯切れ悪く白状すると、社長は大袈裟に顎に手を当てて考え込む仕草をする。
「兵器に仕立て上げるつもりだったのか? ああ、そう言えばあの時期は確か俺がお前に大型兵器の開発を禁止していた……」
「申し訳ありませんつい我慢できなくて!」
私は顔の前で両手を合わせると社長に向けて勢いよく頭を下げた。
グレーゾーンだなとは自覚していたけれど、まさか魔晄炉に配備した作業機械のことが社長の耳に入るなんて夢にも思わなかったから。
どうせなら警備もできたら良いな、から段々と侵入者を一掃できる強い機械にしよう! とエスカレートしていってしまったのは紛れもなく事実なのだ。
しかしクラウド達は相変わらず余計なことをしてくれる……。
「でも、あくまで運搬用の作業機器なんですよー!」
「確かに、申請はそのように上がってきているな」
社長は携帯端末で資料を閲覧しながら言う。おそらくキャリーアーマーの設計図を見ているのだろう。
「その……ちょっとばかり、機能が多彩なだけで……」
「だけで?」
「……すみません」
「素直でよろしい」
社長は端末をしまうと、満足そうに口の端を上げて笑った。
「処罰を破ったことに対する処罰って、どんなのなんでしょうか……」
私は冷や汗を流しながら社長の様子を伺う。あれが禁止されていた大型兵器と見做されれば、私は社長命令を破ったことになるのだから。
社長は長い足を組み替えながら私を横目で見ている。
「罰を受けたいのか?」
「え? だって……」
「初めに言っただろう。手柄だと」
そこまで言って、もう耐え切れないといった様子で噴き出した社長は肩を震わせた。
「フッ……ククッ、なんて顔をしている」
私はそんな社長の姿を呆気に取られて見ている。
「真面目一辺倒だとばかり思っていたのに、運搬機器をこっそりとんでもない兵器に改造していたなんてな。ククク……反抗的な奴め」
返す言葉も無く、私は社長の言葉の間に申し訳ありませんとかすみませんとか呟くしかできない。
「処罰して欲しいのならしてやろう。ただし社の利益にはなったのだから、どちらかと言えば命令を違えられた俺個人からの処罰と言うことになるな」
「ご、ご冗談を……」
「なんだ? どんな処罰を想像している?」
社長は青い目を野心的に光らせて、両手を顔の前で振っている私の肩を抱き寄せる。
そして私の耳元に唇を寄せると普段よりも声を低くし、小さく呟いた。
「休養明けが楽しみだな、ナマエ」
私は思わずむせ込んでしまって、社長はそれを見て愉快そうに笑う。
どんなときも冷静沈着、時に冷酷で合理的。
世間一般にはそんなイメージの強い社長だからこそ、いくらなんでもこんなにぐいぐいアピールしてくるような人だとは思っていなかった。
それでも、言葉ではこんなに強引な人なのに私を気遣って休ませようとしてくれているところや、命令違反も実質的にはお咎めなしにしようとしてくれているのだから優しい人なのだ。
この人に愛されて、私は本当に幸せだと思う。
「ルード、ナマエはこういう女だ。よく分かっただろう?」
「……まあ」
「やらんからな。惚れるなよ」
ルードさんはあからさまに溜息をつく。それはそうだろう。
社長のように特殊な生い立ちを持ってなんでも手に入るような人生を歩んでくると、随分と奇特な人間に育つらしい。
私のような兵器開発にしか能がないような一般人を、成り行きとは言え好きになってくれたのだから。
私がそんなふうに考えていると、ルードさんが操縦桿を倒しながら少しだけ顔をこちらに向ける。
「社長に、似合いだ」
それだけ言って口を噤んだルードさんに向かって、社長はこの上なく満足そうに口の端を上げた。
ルードさんには、今度何か良い武器か防具をプレゼントしよう。
昼に差し掛かった頃、スキッフはようやくジュノンに到着する。
社長はこのままミッドガルの本社に戻るらしく、私達はヘリポートでお別れすることになった。
「気をつけて帰るんだぞ」
「はい! ここまで送ってくださってありがとうございました。たくさん心配もかけてすみません」
鉄の臭いが混じった潮風になびく前髪を掻き上げながら、社長は困ったような笑みを浮かべる。
「まいったな。もう寂しい」
それが本心なのか冗談なのか判断できなくて、私は伺うように社長を見上げた。
「このまま攫って行くか」
「攫うって……」
「ミッドガルに連れて帰って、俺の私室に閉じ込めるか社長室に缶詰にするかだな」
「ええっ、それは……」
そんな風に思うくらい愛情が深いのは嬉しいことだけれど、実際にそれだけ束縛されるのは多分私には向いていない。
「フッ、冗談だ。俺はお前が側に居て甘えてくれるのも好きだが、同じくらいお前が一生懸命兵器を作っているところも好きだからな」
そう言って社長は私の髪を撫でてくれる。この長い節ばった指が触れる度、私の心はどうしようもなくときめいてしまう。
「私も、優しく甘やかしてくれる社長も好きですけど、先頭に立って私達を導いてくれるあなたのこともかっこよくて大好きです」
「そう言われたら仕方あるまい。大人しく本社に帰って泣く泣く会議に出るとするか」
社長はやれやれと肩をすくめて、私を真っ直ぐに見つめた。
「近い内に会いにくる。理由はこじつければなんとかなるからな」
「ありがとうございます。私もしっかり休んで早く体調万全にしますね」
そうしたら、社長が好きだと言ってくれた兵器を作るところだって好きなだけ見ていってもらえる。
しかし私の意図とは裏腹に、社長は何故かニヤリと笑う。
「ほう。それは願ってもない誘い文句だな」
「な……っ!?」
私の健全な返答は歪曲されて捉えられたらしい。ルードさんがスキッフの中で待っていてくれて本当に良かった。こんな会話は絶対他人には聞かせられない……彼の威厳のためにも。
「もう、あんまりからかわないでくださいよ……」
「俺はいつだって本気だぞ? ただひたすらに本気でナマエを愛しているだけだ」
社長は心外だと言わんばかりに険しい表情を浮かべると、私の両肩に手を置いた。
「何年も想い続けた女とようやく恋人になれたのに、ゆっくり一緒にいられない俺の気持ちも分かってくれ」
そんな風に言われたらもう何も言い返せなくなってしまう。だって私も同じ気持ちなのだから。
本当に、セフィロスもジェノバもメテオも憎くて仕方ない。
社長の顔がゆっくり近づいてくる。
ここはヘリポートの端。
私の後ろには海が広がっているし、社長の後ろにはスキッフが停まっているから、きっと私達の姿は誰からも見えないはずだ。
私は目を瞑ると社長の胸元に手を当てて、唇に注がれる温かい感触を待つ。
すぐにもたらされたそれは優しくて甘くて、手のひらから伝わってくる鼓動も相まって私はまるで夢の中にいるような錯覚に陥る。
この瞬間が永遠に続けば良いのにと、甘い感覚に酔いしれる私は頭の片隅でそう思っていた。