頭上の遥か上までそびえ立つビルは、この魔晄都市ミッドガルの象徴であり我等が神羅カンパニーの総本山。毎朝この超高層建造物を見上げるのにもようやく少しだけ慣れてきた。
少し前の人事異動で私はまさかの本社に転勤となり、しかも仕事内容は今までの武器開発ではなくマテリアの研究という驚くべき配置替え。実はジュノンで何かやらかしてしまっていたのかと恐れていたけれど、新しい上司曰く若手には色々なジャンルを勉強して欲しいという事らしい。
初めのうちは着慣れなかった白衣も最近やっと馴染んできたような気がする。
マテリアの研究自体はやってみると結構面白くて、とても勉強になっている。科学部門や治安維持部門の人達とも連携しながら、私は毎日なんとか仕事をこなしていた。
そんなある日の事。
今日もいつも通りマテリアをソルジャー達に渡しに行こうとオフィスを出る。このマテリア達はまだ試作品で、ソルジャーにトレーニングで使ってもらってそのデータを取らせてもらうのだ。
エレベーターホールに着いたところで、後ろから声をかけられた。
「ナマエ」
振り向くと副社長が片手を上げて立っていた。
「副社長! お久しぶりです」
私は副社長に駆け寄る。ジュノンで顔を合わせていた人に会えると少しホッとする自分がいた。
「本社で会うのは初めてだな」
「はい。実は研究課に異動して、今はマテリアを作ってるんです」
「人事異動の通達で見たから知っている。白衣が板に付いているな」
「前は作業着だったから、まだちょっと違和感ありますが」
「そうか? なかなか似合っているぞ」
副社長はさらりとそんな事を言ってのけるから、私はちょっと恥ずかしくなって顔が熱くなる。いけないいけない。平常心。
「新しい仕事はどうだ?」
副社長は私の変化に気付かないのか気にせずなのか、軽く腕組みをして私が持っているケースを見た。この中にはもちろん試作品のマテリアが入っている。
「マテリアなんてほとんど関わってこなかったので覚えることだらけで大変ですが……でも、楽しいです」
「そうか。それは何より」
副社長はいつもの通りフッと軽く笑う。そんなに経っていない筈なのに、この感じがとても懐かしい。
「俺もマテリアには興味がある。何か面白い情報はあるか?」
「うーん、そうですね……召喚系マテリアを人工的に作れる技術が今は無いのですが、理論上はもしかしたらなんとかなるかもしれなくて……ってすみません。まだ理論段階の話じゃ面白くないですよね」
駄目だ。ついついマニアックな方向に行きそうになってしまう。多分副社長は強いマテリアの話なんかを知りたいのだろう。
「いや……召喚獣というのはなかなか興味深いな。マテリアは増えたりするらしいがそれは召喚系も同じか? 減ったり融合したりは……しないのか?」
副社長が思いの外この話題に喰い付いてきたのが意外で、しかも存外詳しかったのでちょっと圧倒されてしまった。どうやら、何かもっと知りたいことがあるようだ。
「うーん、減るっていうのは聞いたことないですね。融合は……そんな実験をしようとしたことがあるけど白紙になった、という話は聞いたことがあります。でも詳細は知らないので、お役に立てずすみません」
「いや、少し気になっただけだから気にするな。それより時間を取らせてしまったが大丈夫だったか?」
私は腕時計を見てあっと声を漏らす。時計はちょうど、ソルジャー達にマテリアを渡しに行く約束の時刻を指していた。
「フッ、俺が引き止めてしまった訳だから一緒に行って謝罪してやろう」
副社長はそう言うとエレベーターのボタンを押す。
「えっ、いやいや大丈夫ですよ! 少しですし、私から事情を説明すればきっと分かってもらえます」
「どうだかな。今のソルジャー連中はただでさえ気が立っている奴が多い」
「確かに、部門が変わったりしましたもんね」
「ソルジャー部門は消滅し、元統括や腕のあった1stが殉職……」
エレベーターが到着したので私達は乗り込む。副社長は有無を言わせず私の行き先階のボタンを押した。
「問題が山積みですね」
「そうだな。頭に能力が無いからこうなる」
副社長のその言葉を、私はとてもではないが肯定することが出来なかった。いくらエレベーターの中とは言ってもここは神羅カンパニー本社。どこで誰か聞いているか分からないのだから。
そうこうしていると元ソルジャー部門のフロアに到着する。真新しい「治安維持部門」のプレートはまだその場に馴染んでいないように見えた。
「すみません、遅れました!」
ソルジャー達が待っているトレーニングルームの前まで行くと、一斉に視線がこちらに向く。でも、彼らは全員私ではなくその後ろの副社長に注目していた。当然と言えば当然だ。
「ふ、副社長!?」
ソルジャーの一人が驚いて立ち上がると敬礼する。周りのソルジャー達も彼に続いて、その場に整列すると敬礼した。
「お疲れ様ですっ!」
「ご苦労」
いかついソルジャー達にこんな風に畏まられても全く動じないのだから、改めて副社長がすごい立場の人なんだということを思い知る。
副社長がソルジャー達の前に出ると、彼等は一斉に気を付けの姿勢を取る。さすが神羅軍の精鋭部隊。
「このナマエが時間に遅れたのは他でもない俺のせいだ。マテリアの事で少し確認したいことがあって俺が呼び止めた」
「は、はぁ」
突然現れた副社長に何を言われるのかと構えていたらしいソルジャー達は気の抜けた返事をした。
「くれぐれも彼女を責めてやるなよ? それでは各自与えられた任務に励め。以上だ」
「……ハッ!」
「と、言う訳だ」
整列したソルジャー達が改めて敬礼をすると、副社長は私の方に向き直る。
「は、はい。ありがとうございました」
「では続けたまえ」
副社長に促されて、私はソルジャー達の輪に入る。心無しかソルジャー達から探るような目で見られている気がするのだけれど、気のせいなのか……。
「こっちは強化系でこっちは妨害系の魔法マテリアです。事前にお渡ししたデータの通りに付けてくださいね」
資料と見比べながら、私は一人一人に予め決めていたマテリアを渡していく。
副社長はと言うと、トレーニングルームの入口前で壁にもたれて腕組みしている。まだこの部屋に何か用事があるのだろうか。
マテリアを配り終わるとソルジャー達から何件か質問があった。私がそれに答え終わると、いよいよトレーニングの開始だ。ソルジャー達は指定の部屋でに入ってトレーニングシステム用のヘッドセットを付けている。
「あとは兵器開発部門のパソコンにデータが送られてくるので、ここでの作業はもう終わりました」
私は空になったマテリア用ケースを抱えて、副社長の所へ歩み寄る。すると副社長は壁から離れて私の隣に立った。
「では戻るか」
「副社長、私を待っていてくれたんですか?」
「お前の仕事振りを見学していた」
副社長はどこか楽しそうな声色でそう答えると、来た道を引き返していく。私はその後を追って隣に並んだ。
「あの、ありがとうございました」
「礼には及ばない。実はちょうどナマエに頼みたいこともあってな」
兵器開発部門のフロアに着くと、副社長はジャケットの下に付けていたらしいホルスターからショットガンを出した。久々に目にしたそれは、間違いなく私が製作したものだ。
「メンテナンスをと思ったのだが、タークスで銃を扱う連中に見せたらどいつも口を揃えて『こんなおかしな銃は弄れない』と言われた」
『おかしな』とは失礼な……。しかし、確かにこんな構造の武器をおかしな銃と言わずして何と言うのか、作った私にも分からないので仕方が無いと思う。
「お預かりしてよければ、私の方でやっておきます」
私が申し訳なさそうにそう言うと、副社長は満足そうに頷いてからショットガンを渡してきた。
ずっしりと重い黒い銃は、思いの外よく使い込まれているのに綺麗に磨かれているようだった。
「大切にしてくれているんですね」
「ほう、さすが造り手だな」
「綺麗にしていただいて、これも喜んでると思います」
「ククッ、そうかも知れないな」
いけない。こういう言い方をしているとまた武器オタクとかなんとか言われてしまう。あれは確か……レノさんに言われたんだっけ。
「ちなみに、いくつか試したいことがあるんだが」
「なんでしょう?」
「普通の銃弾以外の物を装填するなんてことは出来るか?」
普通の銃弾以外の物でショットガンから撃ち出す物の想像が出来ないのですが……。
副社長の考えていることは大体いつも難しい。
「例えばだが……レーザーやスモークが出せると、楽しい」
「楽しい……ですか?」
「ああ、とてつもなく楽しい」
「ちょ、ちょっと考えてみます」
顔が引きつりそうになるのをなんとか堪えて、預かったショットガンを丁寧に抱え直す。まさか副社長は子供向けのアニメでも見たのだろうか。この手のショットガンでそういった機能があるものは見たことがない。
でももしそんな事が出来たらなんだか便利そうだし、作るのも面白そうだ。
「確かに……楽しそうですね!」
「だろう?」
副社長の楽しいと私の楽しいは多分違う種類のものだと思うけれど。
でもなんだか副社長が珍しく年相応に楽しそうにしているので、私は頑張ってこの期待に応えてあげたいと思った。
それからしばらくの間に、私はまずショットガンのメンテナンスをした。やはり沢山使われているようではあるもののちゃんと普段の手入れはされていたので、メンテナンス作業はすぐに終わった。
問題は新しい機能のこと。
いくつか案は考えてみたもののまとまりがつかず、一度副社長の意見を聞いてから先に進めたほうが良さそうだ。
(連絡先を聞くべきだったな……)
そもそもメンテナンスが終わったあとどう返せば良いかを聞いていなかった。仕方が無いので秘書課に赴いてアポを取ってもらおうとする。
「えっ、副社長秘書っていないんですか?」
「はい。申し訳ありませんが……」
驚いた事に副社長には秘書がいないらしい。天下の神羅カンパニーの重役がそれで良いのだろうか。いくら副社長が社長の跡取り息子だとしても。
次に総合受付のお姉さんを頼ると、副社長のスケジュールは教えてもらえなかったものの副社長室の場所だけは教えてもらえた。しかしそこは、私の持っているカードキーで入れるフロアではなかった。なるほど、だから一般社員にも場所だけは教えたくれた訳だ。
しかし私が受付で項垂れていると、見覚えのある茶髪でスーツ姿の女性が入ってきた。
「シスネ!」
「ナマエ! 久し振りね、こっちに来てたの?」
「転勤でね。ここで会えて色んな意味で嬉しいよ!」
ジュノンで副社長を介して知り合ったタークスのシスネが、運良く通りかかったのだ。タークスなら副社長と連絡が取れるかもしれない。
事情を話すとシスネから副社長に連絡してくれるらしい。でもシスネ曰く、必要になったら自分から取りに来るのではないかとの事だ。突然前触れもなくオフィスに現れる副社長……確かにそれは想像できる。
「連れてこいってさ。時間あるの?」
「急ぎの仕事は無いかな」
「じゃあナマエのオフィスに連絡しておいてあげる。タークスから連絡が行けば深く詮索されないでしょ」
そう言うとシスネは私を副社長室まで連れて来てくれた。さすがタークス。仕事が早いし頼もしい。
「副社長ー、シスネです。連れてきました」
シスネが副社長室のドアホンに向かって呼びかけると、間もなくドアのロックが解除された。
「じゃね、ナマエのとこに連絡しておくから」
「あっシスネ!」
私は数歩中に入ってから、あることを思い立ってシスネを呼び止める。
「何?」
「あのさ、連絡先……交換しても良い?」
副社長の連絡先を知らずに困ったこの顛末から、私はこれからも連絡を取りたい人にはちゃんと連絡先を聞くことに決めたのだった。副社長はさすがに立場が違いすぎるけど、シスネなら気兼ねなくお願いできた。
「勿論。はいこれ、私の番号とアドレス」
そう言ってシスネが電話を差し出す。画面に表示されたコードを読み取れば私の電話にシスネの連絡先が登録され、シスネの方にも私の連絡先がしっかり登録されたようだ。
「何か困ったことがあったら連絡して。ミッドガルに来てまだ浅いんでしょ?」
「うん、ありがとう。今度飲みに行こうね」
「オッケー! じゃあほら、副社長待ってるわよ」
そう言って私達は手を振りあった。確かにドアが開けっ放しになっていたから副社長に怒られるかもしれない。
しかしシスネと交流できたことはとても嬉しい。せっかく大都市に来たのにまだどこにも遊びに行ったりできていないので、その内シスネに案内をお願いしよう。
そんなことを考えながら私は副社長室の奥に向かった。
「失礼します……すみません、ちょっとシスネと話し込んでしまって」
「ああ、筒抜けだったぞ」
副社長はそう言いつつ特に機嫌を損ねた様子もなく、デスクについて書類を眺めていた。
「知り合いがいた方が心強いだろう」
「はい。副社長が紹介してくれたお陰です」
「レノの方とは?」
「え? レノさんとは全く」
「そうか」
ふむ、と頷いてから副社長は立ち上がる。ジュノンの副社長室よりも広めの部屋には応接セットがあって、そのソファに副社長は移動した。そして私も向かいに座るよう促される。
「失礼しまーす……」
革張りのソファはとても高級そうなので緊張しつつ、私はそこに浅く腰掛けるとガラスのローテーブルの上にそっとショットガンを置いた。
「まず、メンテナンスは完了しています。とても綺麗に使っていただいていたので、どこにも問題はありませんでした」
「そうか。それは何よりだ」
副社長はショットガンを手に取ると細部を確認しだす。私にとっては少し緊張する瞬間だ。
「それから新しい機能についてなんですけど、いくつか案を持ってきたので目を通していただけますか?」
私はバッグから資料を取り出して副社長に渡す。実現できそうなものを何個か考えたのは良いものの、副社長が使いやすい物にしてあげないと意味が無いから。
「ほう……どれも興味深いな」
「ありがとうございます」
「しばらく考えてもいいか?」
「勿論です! 試したい物があれば試作してみますので」
「分かった」
そう言いながら副社長は電話を取り出す。
「連絡するから教えろ」
どうやら私の連絡先のことらしい。当たり前か。
「へ? あ、はい!」
まさか会社のナンバー2と連絡先を交換することになるとは……タークスのシスネと交換したどころの話ではない。
社長はあっという間に登録を終えて、満足そうに電話をしまった。確かにメンテナンスの度に毎回呼び出したり呼び出されたり、電話がないとなると不便かもしれない。
「ナマエ」
「はいっ、何でしょう」
副社長はショットガンと資料をテーブルに置くと、長い脚を組み直す。その仕草のなんと優雅なことか。
「急な依頼を引き受けてくれた事に感謝する」
「いえ、これが仕事ですから」
「フッ、今の部署では管轄外だろう」
「元々私が面倒な作りにしてしまった物なので……」
なんと言っても、タークスの人達におかしな武器呼ばわりされてる位だから仕方ない。
「相変わらず真面目だな。礼をしたいと言っている」
「へ? 礼?」
「そうだ。何が良い」
突然そんな事を言われても何も思い浮かぶわけが無い。この人相手だと、お給料上げてくださいという冗談すら現実になりそうである意味怖い。
「思いつかないですし、良いですって。私も副社長には何度も助けてもらいましたし」
そう返すと副社長は眉間に皺を寄せる。タダで済んだと喜べばいいのに、このままでは気が済まないのだろうか。副社長の方が随分真面目だと思う。
「今週末……19時、八番街」
副社長はソファの背もたれに両腕を伸ばして乗せると突然呪文のように単語を口にし始める。
「少しはミッドガルに慣れたらどうだ?」
「それは、どう言う……」
「美味い店にでも連れて行ってやるということだ」
私が目を丸くすると副社長の眉間から皺は消え、どこかいたずらっぽいような挑戦的な目で私を見てくる。
「ジュノンのひなびたバーとは訳が違うぞ」
私はただ、こくこくと頷くことしか出来ないでいた。