9-1


 エヴァン・タウンゼント。
 おやじが愛人に生ませた、腹違いの弟のフルネームだ。そのエヴァンは行方不明になっている母親ーー神羅カンパニー秘書課に所属していた女、アネット・タウンゼントを探して、ニブルヘイムからアイシクルロッジに向ったらしい。
 ヘリでエヴァンとその連れであるキリエ・カナンを運んだのはツォンとイリーナだった。勿論、俺に道中の詳細な報告を寄越してくるのもその二人。そしてその道中で奇妙な発見があったと連絡してきたツォンの口からは、驚くべき事象との遭遇を告げられた。

「フン……まったく、執念深い」

 ジェノバ。この星に訪れた過去の災厄。
 ライフストリームに残ったその遺伝思念は、こうして俺を始めとした人類に病を与えただけでは気が済まないらしい。その面影を感じさせる少年ーーの形をしたなにかと、ツォンが接触したという話だった。
 そしてもう一つの報告。それはそんなジェノバの干からびた欠片と思われる物体がライフストリームに落ちたーーやむを得ず故意にエヴァンが投げ入れた、というのが正しいがーーとのことだ。
 ライフストリームは星を巡る。かつてニブル魔晄炉で消息を絶ったセフィロスが、辿り着いた北の果てで自己の再生を企んでいたように。

「我々があれを手に入れる日も近いだろうな」

 少し前に終話してから弄んでいた電話端末をテーブルに置くと、足元で惰眠を貪っていたダークネイションが俺を見上げて首を傾げた。

 やはり神羅カンパニーはこうでないと。胸の奥で燻っていた火種が少しずつ明るさを増してきたような気がして、俺はダークネイションからの視線に口角を上げて応える。
 おそらくこの星を再び絶望に叩き落とそうとする勢力は近い内に我々の前に姿を現す筈だ。
 良いだろう。神羅カンパニーはそんなものに屈しはしない。
 だが一つだけ懸念があった。
 ジェノバは相手の心を読む。もし俺の元にその特徴を持った存在が現れた時に、この心の大部分を占めた彼女の存在を気取られてはならない。
 ナマエの事は守り通すーーあんなおぞましいモンスター達には、指一本触れさせやしない。



 ーーしばらくの間タークスはジェノバ捜索に本腰を入れるから、その間エッジの街を宜しく頼んだ。ルーファウスとツォンさんが並んでそう言うのだから従う他ない。
 レノ達は広場の中心にメテオ撃破の記念と亡くなった人々への慰霊を込めたモニュメントを作るプロジェクトに関わっていたので、私はそこに顔を出しつつ今まで通り作業機械の面倒を見ながら日々を過ごしていた。ようやくその碑も完成し、少しずつ街は活気付いてきたように思う。表向きは、だけれども。

 ルーファウスは以前よりも頻繁にツォンさんと連絡を取っているようだった。重要な手がかりがあったと僅かに高揚した様子の彼は、昔まだミッドガルが栄華を極めていた頃を思い出させる。
 やはりルーファウスはああして何か画策している時が一番生き生きしている。私はそんな生き生きとした彼の表情が、昔から大好きだ。

 今日予定していた作業が早く終わってしまい、しかも運が悪いことに天候が芳しくない。雨に降られる前に作業を切り上げて、私は一人ヒーリンに戻ってきた。その頃にはすっかり黒い雲が空を覆っていて、遠くでは雷鳴が轟いている。
 急いで戻ろうとしてロッジを見上げると、ルーファウスがダークネイションと共に留守番している私達のロッジから誰かが出てくるのが見えた。
 来客の予定があるとは聞いていない。私は肩にかけたバッグの中に手を入れるとゴツゴツした手触りを探った。

(あった……!)

 布に包まれた硬い塊に指先が当たった瞬間、ロッジから出てきた人物が首を曲げて私を見つめているのに気がついた。

「……っ、誰……?」

 真っ直ぐ私を見据えるのは、淡い緑。まるで魔晄みたいな色の瞳をした銀髪の少年は、緩やかに唇で弧を描くと私の方へ歩いてくる。
 何故か私はバッグに手を入れたまま、身体が凍り付いてしまったように動けなくなった。

「ここの人?」

 少年は外階段を降り私の目の前までやって来ると足を止めて、片手を差し出してきた。その指先が私の額に近づいた瞬間、触れられずとも言葉にできない不快感が全身を包み込む。彼の手を払いたいのに動くこともできない。電流とも熱とも違う何かが額から流れ込んできて、そして引き揚げられるような感触があった。

「ちぇっ、あんたも知らないのか。社長は母さんのこと何にも読み取らせてくれないし、つまらないなぁ」
「社長に……何、したの……?」

 すっと指先が離されると、途端に身体に感覚が戻ってくる。なんとか紡ぎ出した私の言葉には答えず、銀髪の少年は私の横をすり抜けて行った。彼が私の視界から消えた後、数歩だけ足音がして止まる。

「またね、社長夫人」

 背後からかけられた声に私は思わず振り向くいた。でもそこには、もう誰の姿も無い。後に残された私の背中に、冷たい汗が一筋流れた。

「無事かっ!?」

 ロッジから激しい物音と私を呼ぶ声がして、我に返った私はその音の元である私達のロッジに目を向けた。すると扉に手をついたルーファウスが肩で息をしている姿が目に飛び込んでくる。
 
「ルーファウス!? だめだよ座ってなきゃ!」
「外からお前の声が聞こえて……」

 私は慌てて階段を駆け上がり、彼の元に駆け寄って上半身を支えた。流石にルーファウスも素直に私の肩に腕を回して体重をかけてくる。
 私は彼の背中に手を回すとゆっくりと車椅子に座らせた。車椅子は玄関のすぐ前に置かれていたので、おそらく彼はドアを開けるために無理して立ち上がったのだと分かる。私の声が聞こえたからだと言っているので、心配してくれての行動なのだろう。そう思うと余計に胸が苦しくなった。

 ルーファウスは何度か深呼吸する。ようやく落ち着いた彼は、ゆっくりと息を吐き出した後車椅子の背もたれに身体を預けた。

「すまない。また情けない姿を晒してしまったな」

 力なく笑うルーファウスの手を握り締めて、私は首を横に振った。

「そんな事ないよ! それに、心配してくれたんだよね……?」
「会わせるつもりは無かったのだが……まさか、このタイミングで奴が訪ねてくるとは思わなかった」
「ごめんね。私が早く帰ってきちゃったからだ……でも、あの少年は誰なの?」

 ルーファウスは私の手を握り返して、窓の向こうに鋭い視線を向ける。崖の下に広がる、ヒーリンの広場と言えるかは分からない程の空き地は、今はいつも通り人気もなく静かだ。
 いつの間にか雨が降り出していた。

「あれはカダージュという。考えたくもないが、おそらく人間ではない」
「人間じゃない? なら、一体……」

 ぞわり、寒くもないのに肌が粟立った。あの少年に触れられた時に感じたおぞましい感触が蘇って、私は片手で自分を抱きしめる。すると繋がれた手が固く握り直されて、ルーファウスがもう片方の手をその上に乗せた。

「大丈夫だ、ナマエ。あれは必ずなんとかする。ジェノバになど……二度と屈しはしない」
「ジェノバ……なの? まさか、そんな……」

 ルーファウスの口から出た単語は思いもよらないもので。タークスが星中を探し回っているかつての災厄がまさかあの少年とでも言うのだろうか。でもあの得体も知れない恐怖感を思い返してみれば納得がいく。私はジェノバについて詳しいことは知らないけれど、他のどんな生き物に例えることも難しいような、あの少年はそんな存在感を放っていたのだ。

「奴らは人の心を読む。もしまた接触してきたときの為にも、すまないがナマエにはジェノバの捜索状況について話さないでおくぞ」
「うん、分かった。ごめんね……役に立てなくて」
「そんな事はない。昔言っただろう? 駆け引きばかりの世界に身を置いていると、お前のような存在が救いになるのだ」

 両手で私の手を包み込んだルーファウスは、その手を広げながら持ち上げると私の手の甲に口付ける。
 救われてばかりではなく彼を救うことが出来るならこれ以上のことはないと、私は空いた手で彼の頭をそっと抱きしめた。
 
 その後、私はルーファウスに一丁のハンドガンを渡す。カダージュと対峙した時にはバッグから出すことすら叶わなかったけれど、それはルーファウスの為に反動を最大限に抑えた新型の銃だった。常に側にいることもできないし、彼もそれを望まない。そもそも私一人ではルーファウスを守ることも難しい。だからせめてもの御守り代わりに彼を想って組み立てた、謂わば私の持てる技術の結晶だった。
 もしかしたら近い内にこれを使わなくてはならないような事が起こるかもしれない。けれど、本当はそんな事にはならないで欲しかった。


 ジェノバの思念体ーーカダージュと出会ってから数日後、エッジから戻ると私たちのロッジの前に奇妙な大型バイクが停まっていた。
「なにこの車体! すごい……これ、相当改造されてる」
 真っ黒に輝くボディと所々剥き出しになった金属のパイプ。フロントタイヤは随分と太いし、リアタイヤに至っては二輪付いている。輸送機器は私の専門外ではあるけれど、このバイクは素人目で見ても驚くような作りだった。ある意味、変態的とでも言うべきなのか。勿論敬意を込めてだけど。

 先日の件もあったので、私は近頃エッジに戻る前にルーファウスに一報を入れてから帰るようにしている。今日は来客があると思うとはその時に知らされていたので、このバイクの持ち主はカダージュではないのだろう。
 ルーファウスは来客について特に何も言わなかったし、客がいてもロッジに入ってきて構わないと言われていたので、私はその言葉通りロッジに足を進める。すると私が外階段に足を掛けたところで、部屋の中から赤毛が飛び出してきた。

「レノ?」
「あー……、やられた」

 閉まり掛けたドアの隙間から中を覗き込んだレノは、しかし諦めたらしく後退りながら後頭部を掻き毟った。

「どうしたの、レノー!」

 まだ階段の途中にいる私が呼びかけると、こちらに気づいたレノは片手を振って応えてくれる。

「おーナマエ! お疲れさん、と」
「そこで何してるの?」

 ようやくレノの元に辿り着いた私に向けて、彼は口の前に人差し指を立てた。

「しーっ。今中で大事なお話中」
「お客さんが来てるんだよね? 誰なの?」

 私が首を傾げると、レノは少し困ったように眉を下げる。言いにくい相手なのか、とはいえあのバイクからしてさすがに女性では無いだろうし、そもそもルーファウスは来客中に帰ってきても問題ないと言っていたのだ。それなのにレノは何故か言い淀んではやめ、最終的にはドアの向こうを指差した。

「喧嘩だけはするなよ、と」

 どうしてそんなことを言うのかレノに問うよりも客人を確かめた方が良さそうだ。私が一気にドアを引くと、目の前に立っていた人にぶつかりそうになった。

「わっ、すみません! って……」

 相手を確かめようと顔を上げると、目に飛び込んできたのは大きな剣と逆立てられた金髪。ルーファウスのプラチナブロンドよりも黄色が強い、まるでチョコボのようなその髪には見覚えがあった。

 クラウド・ストライフ。アバランチの仲間であり、神羅カンパニーの自称ーー本当に自称だった、元ソルジャー。
 北の大空洞でセフィロスに黒マテリアを渡しこの星にメテオを呼び寄せる原因を作った張本人は、しかしながら同じ北の大空洞でセフィロスを倒しこの星を救った本人でもあるらしい。
 
 奥には車椅子に座ったおそらくルーファウスと思われる人と、その横に控えるルードさんの姿がある。何故ルーファウスと断定できないかというと、彼は何故か頭を覆う白い布に隠されていて顔が確認できないからだ。

「帰ったか、ごくろう」

 クラウド越しにかけられた声のおかげで、ようやくそれがルーファウス本人であることが断定できた。

「ル……社長、なぜ彼が」

 私は努めて静かに、こちらに振り向きもしないクラウドの肩当てを睨みつけながら言う。そこに刻まれた傷跡は、刃のものや銃弾のものなど様々だった。

「彼はいくら星を救ったはいえアバランチ、です」

 ただ書類上の敵だっただけの相手なら私もこんなに警戒しない。
 彼らは過去、私が考案した兵器をいくつもスクラップにしてくれた。いくら立場が違ったからとはいえ、簡単に割り切れるほど私は作ったものに対して薄情にはなれない。それにクラウドはルーファウスを傷つけ、私が彼に贈ったあのショットガンを壊したのだ。私怨と言えばそれまでだが、今もこうして病に苦しむルーファウスに対して太々しい態度をとっているのも更に気に入らない。

「なんでこの女は俺をこんなに敵視してるんだ」
「クラウド、紹介しよう。私の……」
「そういうのは興味無い」
「なんだ、恋人くらい紹介させろ」
「良いからなんとかしてくれ、ルーファウス」

 迷惑そうに肩を竦めたクラウドの素振りも気に留めず、ルーファウスはぺらぺらと話し続ける。陰のある格好とは反対に今日はかなり調子が良いらしい。それにしてもクラウドは腹が立つ男だ。
 ーーでも私だって本当は分かっている。これはただの八つ当たり。アバランチが魔晄炉を爆破したのも、レノが七番プレートを落としたのも、私が兵器を作ったのも、理由は突き詰めていけばみんな同じなのだから。

 黙り込んでしまった私をしばらく見つめていたらしいルーファウスが、クラウドに向けて諭すような口調で言う。

「許せクラウド。これがお前達に向ける感情は、さながら子を殺された母親のそれに近い」
「は……?」

 僅かに首を傾げるクラウド。普通はそうなるだろう。彼はまだ私が誰なのか知らないのだから。

「ナマエ・ミョウジ。我々神羅の優秀なメカニックであり私の最愛の恋人だ。お前達が破壊した数々の兵器を作り、時にはお前達を追い詰めた。どうだ、羨ましいだろう?」

 クラウドは多分険しい顔をしているに違いない。彼を見据えたルードさんが、やれやれと首を横に振った。

「……アンタに恋人がいたなんてな」

 クラウドはルーファウスの説明の大部分には触れなかった。昔のことをあれこれ掘り返したくはないのだろう。それは私も同じだった。対するルーファウスもそれ以上蒸し返そうとはしないでくれた。この話題は、誰のことも幸せにしない。
 ルーファウスは車椅子にゆったりと腰掛け直すとクラウドに向けて鼻で笑う。

「意外か? ふん、女と同棲しているのはお前だけでは無いということだ。ああ、お前は今別居中か」

 目の前で腕組みするクラウドの指先がトントンと自分の上腕を叩き始めた。ルーファウスの声色は挑発的で、顔は見えなくともクラウドを煽っていることはよく分かる。彼がこういう態度を取る時は相手を感情的にさせて何か情報を引き出そうとしているのか、それともこちらの手の内に引き入れたいのか、そのどちらかだろう。単純に相手を揶揄って怒らせたい、という場合も無くは無いけれど。

 ルーファウスは尚も続ける。段々と弾んでくる声は、もしかしたら本当にただこの会話を楽しんでいるのではと思わせるくらいだった。

「早く別居を解消したくはないのか? 子供達も待っているのだろう? その為に何をすべきか分からないお前ではないはずだ、クラウド」

 クラウドの表情は私からは伺えない。けれど彼は腕組みを解いて、ルーファウスから視線を外し床を見つめているようだった。多分、ルーファウスの言葉に揺さぶられて迷っているのだろう。彼の話術に勝てる人なんて、この星中を探したっていないのだ。

「俺は……」
「頼むクラウド!」

 クラウドが何か言いかけた瞬間背中から飛んできた声はレノのもの。多分、ものすごくタイミングが悪い気がする。私を含めた部屋の中全員が、僅かに開かれたドアの向こうから顔を覗かせるレノに注目した。

「神羅カンパニーの再建だぞ、と!」

 ああ、それは今一番言ってはいけない言葉ではないのだろうか。
 レノの得意げな表情が余計にそれを引き立てている。ルーファウスが発した小さな溜息が、確かに私の耳に届いた。

「……興味無いね」

 そう言い捨てると後ろにいた私を器用に避けて、クラウドはロッジから出ていく。取りつく島もなくダンダンと外階段を降りていく足音が響き、後に残されたのはルーファウスとルードさんが呆れてレノを呼ぶ声だけだった。

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