不屈の心
「もう、やめようかなぁ……」
 はぁ、と溜息を吐きながら私は一人目の前のテーブルに突っ伏した。
 キルクスタウンの住宅街の一画にあるカフェの窓際の席。店内には他に客らしき姿はなく、奥にあるカウンターで店主であろう男性が一人静かにカップを磨いているだけ。ガラル地方の温泉街として有名な町だから飲食店も多いみたいだが、ここはその中でも一際人が少ないようだ。だからといって、決してサービスが悪いというわけではなく、むしろ隠れ家という意味合いが強すぎて人が来ないだけというか。知る人ぞ知る名店といった方がいいだろう。
 そんなところで私が何をしているかといえば、落ち込んでいる。
 町の喧騒から逃げ出して、少し前に偶然見つけたこのカフェに逃げ込んできたのも、そのためだ。
 ……才能がないなんて、分かってるけど。
 カウンターの近くにあるテレビからは今日のジムチャレンジのハイライトが流れていて、――その中に、私がいる。
 ジムチャレンジャーとして旅を初めて数ヶ月。私は今、キルクスタウンのジムチャレンジに挑戦している真っ最中だ。けれど、どうしてもジムリーダーであるマクワさんに勝つことができなくて、今日で実に五回目の負けを味わったところだ。
 町を歩けば、好奇の目で見られて。変に声を掛けられて。この場所で温泉に入ることも楽しみにしていたのに、こんな状態ではそれを楽しむこともできず、こうしてひっそりと一人の時間を楽しむことしかできない。そういう時間は、嫌いではないけれど。
 他のジムチャレンジャーであれば、こんな風に見られることはなかったのだろう。でも、私は違う。私は、惨めなジムチャレンジャーだから。
「はぁ……」
 これまでのジムチャレンジを思い起こして、溜息を吐いた。長い旅の中で味わったのは、ほとんどが苦痛だったように思う。ジムチャレンジをストレートに勝ち上がったのは最初のヤローさんとついこの前――といってももう一ヶ月ほど前の話だが――のポプラさんくらいで、後は何度も何度も負けて、試行錯誤を繰り返した末に掴んだ勝利だった。そうやって、ここまで来れた。そう、私は、注目されるべきチャレンジャーではないはず。なのに、私は今、悪い意味で注目されてしまっている。
 もう一度溜息を吐いてから、注文したコーヒーを飲もうと体を起こすと、目の前に、見知った人物が座っていた。
「……え」
「おや、起きていましたか」
「えぇっ!?」
 憂鬱な気分も少し襲ってきていた眠気も何もかもが吹き飛んでいった。だって、空席がたくさんあるこのカフェで、どうして向かいの席にこの町のジムリーダーが座っていると思おうか。
「コーヒー、飲まないんですか」
 手で示したのは、たしかに私が注文して今飲もうとしたコーヒー。他にテーブルに載っているのは、同じカップに入った飲み物と、チョコレートケーキが一つ。彼の注文したものだろう。どうしてここに載っているのかは、全く分からないけど。
「……飲みます」
「えぇ、その方がいいです。ここのコーヒーは、冷めてから飲むよりも熱いうちに飲むことをオススメしますよ」
 そう言うとマクワさんも目の前にあったカップを持ち上げて口を付けた。
 至極当然のようにそこに居て、コーヒーを飲む。これのどこが不自然だと言わんばかりの態度に、私は戸惑う。だって、おかしいではないか。私を五回も打ち負かしたジムリーダーとどうしてコーヒーを飲んでいるのか。
「……おかしな顔をしていますね」
「おかしな顔、というか。おかしな状況だな、と」
 コーヒーを一口飲むと、もう少し冷めていた。思ったよりも長い間、テーブルに突っ伏していたのかもしれない。
「まぁ、普通はそうなのでしょうね」
 ふふ、とマクワさんが笑ってカップを置くと、傍に置いてあったケーキを私の方へ差し出した。
「どうぞ。お付き合いしていただくお礼です」
「え?」
「少し、話をしたいもので。……あなたを見つけたのは偶然ですけどね、ナマエさん」
 返そうとするのを拒むように手で制されてしまう。仕方がない、というのは嘘になるけれど、そうまで言われて断るわけにもいかないのでお礼を言ってそのお皿を受け取った。フォークを持ってケーキを一口分取って食べれば、甘い味が口の中いっぱいに広がる。しっとりとしたスポンジ生地とほろ苦いコーヒークリームとチョコクリームが何とも言えない絶妙な味を作り上げているようだった。
「やめるんですか、ジムチャレンジ」
「え」
「突っ伏しながら言っていましたから。もうやめようか、って」
「あー……」
 聞かれていたのか、と頬を掻く。どうやら、私が気付いていないだけで、マクワさんはずっとここにいたのかもしれないな、と思う。だって、私が机に突っ伏したのはここに座ってあまり時間が経っていない頃。まだコーヒーが熱かった頃のことだ。
 問いかけるマクワさんは真剣そのものの表情で、これは私がはぐらかしていいことでもないし、冗談を交えることも許されないであろう。
「才能ないな、って。自分でも分かってるんです、本当は」
「ジムチャレンジに推薦されるほどのトレーナーなんですから、全く才能がないわけではないでしょう」
 ガラル地方のジムチャレンジはリーグ関係者による推薦が参加への絶対条件となる。その推薦を貰うために血の滲むような努力を重ねてきた人もたくさんいるだろう。私だって、その一人だ。けれど、推薦を貰うのはあくまでもスタートラインに立たせてもらえるだけ。この時点で才能のあるなしは分からないと思う。
 ジムチャレンジを脱落していく人なんて、それこそ山のようにいるのだ。だから、才能があるだなんて、その時点では言えるはずがない。私はしぶといだけだ。普通ならもう、諦めている頃だろう。
「どうでしょう。でももうジムチャレンジ期間も終わるのに、私まだ、こんな所にいますし」
「……こんな所、ですか」
 マクワさんがトン、と指でテーブルを叩いた。まるで何かの不安を表しているような音だ。
「ぼくが終わればあとはネズさんキバナさん。ジムチャレンジはまだ一ヶ月ほどあります。諦めるにはまだ早いかと思いますけどね」
「でも、私、マクワさんを倒せる気もしなくて……」
「よく言いますね。あなた、ぼく達の間では有名人なんですよ」
「有名人?」
 それは、巷で話題になっているような方向だろうかと身構えるも、マクワさんは優しく微笑みかける。碧のサングラスの向こうにある瞳も、優し気に細められていた。
「諦めずにジムチャレンジを進んでるトレーナーがいる、ってね。あなた、ルリナさんとカブさんにかなりの回数挑んだそうですね」
「……ご存知でしたか」
「えぇ、特徴のあるチャレンジャーの情報くらいはやり取りされますよ。あなたはめげずにあの方達を打ち破ってきたんです。注目しないわけがありません」
 それは、しぶといということでいいのだろうか。やはり、街の人達と同じように、私はそういう風に認知されてしまっているのだろうか。辞めた方がいいと。身の程を知れと。
「今、辞めた方がいいと思われたとか思ったでしょう」
「えっ、そ、そんなことは……」
 心の内を読んだかのようにばっちりのタイミングでそう言われ、言葉に詰まる。これ、どう言い繕ったところでバレているのではないだろうか。事実、サングラス越しの瞳が厳しく私を見ている。
「……思いました」
 早々に白旗を上げれば、それでいいんです、とマクワさんは言う。
「逆ですよ。むしろ、ジムチャレンジの期間が終わる最後の日まで、あなたには足掻いてほしい。もしもキバナさんを倒すことができなくても、あなたには最後の日に、どこかのジムスタジアムでバトルをしてほしい。最後の最後まで諦めずにチャレンジすることが悪いことではないと、誇りを持つべきことであると。そう思って、あのコートに立ってほしい」
 いつか、似たようなことを言われたと思う。
 ……そうか、カブさんだ。
 カブさんに勝ったあの日、ヤローさんとルリナさんも来てくれて、三人でお見送りをしてくれた時だ。あの熱い激励の中には、最後まで戦い続けて欲しい、と。そんな言葉も含まれていたはずだ。だから私は、こうしてタイプ相性が不利なマクワさんに対してルリナさんの時と同じように試行錯誤を繰り返している。
「どうして、そんなことを」
「言ったでしょう。足掻いてほしいと。ぼくは今日、あなたに勝ちました。これで五度目。一つの区切りとしてはちょうどいい。だからあなたも辞めようと考えたのではないですか」
 それに答える言葉は、なかった。だって、マクワさんの言う通りだ。
 キリが良い。もうやめてしまおう。ここまで来て頑張ったのだから、私の本当のやりたいことをやるくらいの力だってもうあるはずだって、勝手に決めつけて。
 私を推薦してくれた人に挑むこともないまま、諦めてしまうところだった。
「ありがとうございます」
 ケーキの最後の一口を頬張り、それを飲み込んでからフォークをお皿に置いて、改めてマクワさんに向き直った。
「私を推薦してくれたキバナさんにまだ会えてないんですから、ここで諦めちゃいけないって、思い出せました」
「……あぁ、あなたキバナさんが推薦したんですか」
「ちょっと、街でいろいろあって」
「へぇ」
 面白そうに私の顔を見るマクワさんは何を考えているのだろう。キバナさんの名前を出した途端に難しい顔をしたけれど。
 もう残り少なかったコーヒーを飲み干して、立ち上がる。
「そうと決まれば、ちょっとまた特訓に行ってきます。ポケモンと向き合ってこないと」
「は? 今からですか?」
「はい。今からです」
「何考えてるんですか、やめなさい!」
 立ち上がろうとした私の腕を掴んでマクワさんは捲し立てる。
「今何時だと思っているんですか。この辺りは雪も降って気温も下がるんですよ!? 遭難する可能性こそ低いでしょうが凍死する可能性はゼロではないんですよ!?」
「でも、少しでも長くやった方が……」
「そんなことして強くなれると思ったら大間違いです!」
 バトルの時だけしか見せていなかったような表情と、大きな声。それに驚いてびくりと身を竦ませると、しまった、というような表情をマクワさんが作った。けれど、それはすぐに諭すような表情に変わる。
「いいですか。あなたが無理したところでポケモン達は付いてきません。あなたが万全の状態でなければ、ステップアップは決して望めませんよ。強くなりたいのなら、まずは焦らずに作戦を立てることを考えることです」
「……いいんですか、これからあなたを倒しに来るトレーナーにそんなことを言って」
 真っ当なアドバイスはありがたい。けれど、本当にそんなことを言ってもいいのだろうか。誰かに咎められるようなことはないだろうか。
「構いませんよ。ぼくはまた、あなたとバトルがしたい。少しずつぼくを追い詰めてきているあなたと、真っ向勝負がしたい」
 そうまっすぐ見られると、返す言葉がなくなってしまう。真剣な物言いは、たしかにマクワさんが本気であるということを教えてくれている。でも、それに何と答えればいいのかが、分からない。
「そのための協力を惜しむつもりはありません。何なら、特訓にも付き合って差し上げましょうか?」
「え……そんなの、いいんですか」
「えぇ。あなたに逃げられても困りますから」
 ジムリーダーがチャレンジャーに対して特訓をするなんて、それは本当にいいのだろうか、と思ったが、私からしてみればそれは願ってもいないことだった。だってそれは、自分から自分の弱みを教えることにもなるということだ。とすれば、マクワさんに対する対策も自ずと見えてくるはずだ。
「お、お願いします」
「よろしい。……ではまずは、今日のところはホテルまでお送りします」
 そう言うと彼は籠に入れてあった鞄から帽子やメガネなどを取り出して身に付けていく。そうしてあっという間に今までのマクワさんとは少し雰囲気の違うマクワさんが現れる。目の前で行われていたというのに、その劇的な変化には驚きを隠せなかった。
「ほら、行きますよ」
 先を促されたので歩き出せば、マクワさんは私の一歩前を歩き始めた。
 外はもう、彼の言う通り真っ暗で、空気も冷え切っていて。けれど、マクワさんの優しさに触れた私の心と体は不思議と温かいのだった。

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