それが恋に変わるまで
「カブさん、好きです!」
「いや、……そういうのは、ほら。もっと、相応しい人にやった方がいいと思うよ」
 エンジンシティジムスタジアムの一角で行われるそんなやり取りは些細なものとして周りには映っている。フレンドリィショップの店員も、ジムチャレンジの受付を行っているスタッフも、その他チケット関連の職務に携わっているスタッフも、そしてぼくにこんなことを言う彼女と同じようにスタジアムの常連客だって、ある種のファンサービスとしてしか見ていないのだろう。そうしたファンは、ジムリーダーという役職に就いている者なら男女問わず出くわすものだ。あのポプラさんも昔は男女問わずファンに言い寄られたと笑っていたくらいだ。
 だからぼくも彼女――名前はナマエというらしい――はそうしたファンの一人だと思っていた。
 けれど、それが一ヶ月経っても、半年経っても、一年経っても続いている。今日も彼女は試合後、観客がほとんど帰って行ってしまった後で、そうして想いを告げにやってきて、そしてぼくが戸惑っている間に立ち去っていく。
「カブさん、今日もフレンドリィショップの彼女は来ましたか」
 そうして彼女が立ち去るのを何もできずに見送っていると、後ろからジムトレーナーが一人声を掛けてきた。
「う、うん」
「そっかぁ。やっぱりあの子、試合後しか言ってないのか」
「……やっぱり?」
 ジムトレーナーの問いかけに答えると、引っ掛かる言葉が耳に入った。「やっぱり試合後しか」というのは、どういうことか。
「え? あ……やば」
 若い女性のジムトレーナーは口許に手を当てるが、そんなことでぼくは欺けない。ねぇ、と一歩近付いていえば彼女はギブアップです、とでも言うように手を上げた。
「ほら、ナマエってここのショップの店員じゃないですか」
「うん、そうだね。ぼくもそれは覚えてる」
「だったら別に、試合後以外でも話をする機会はいくらでもあるわけですよね」
 言われて、気付く。そういえば、彼女は試合後に必ず想いを告げに来て、そして仕事に戻ってしまうけれど、それ以外の時にそうした言葉を掛けに来ることはほとんどないな、と。あるとすれば、業務上必要な会話くらいだ。例えば、エキシビジョンマッチを開催するため、人手は必要か、とか。それ以外のプライベートな――もっと言えば告白のようなあの言葉は――聞いたことはない。
 ……何か理由がある? それともやっぱり、パフォーマンス?
 さて、と顎に拳を当てて考え込みながらちらりと件のフレンドリィショップへと目を向ける。そこには、先程見せてくれたものと同じような笑顔を浮かべながら接客をしているナマエさんがいた。告白して、その想いに応えてくれなかったことを落ち込んでいる様子は微塵も感じられない。
「カブさん、明日の試合についてなんですけど、いいですか」
「ん、あぁ。いいよ。今行くね」
 スタジアムのエントランスはまだ観客がまばらに残っているため、業務に関わるような話はできない。ぼくは奥から来たスタッフにそちらに行くことを告げてから、フレンドリィショップの前へと足を運ぶ。
 ぼくが店の前に立つと彼女は驚いたような表情を作ったけれど、すぐに笑顔を浮かべた。ぼくにいつも見せてくれる笑顔と、同じものだ。
「ねぇ、ナマエさん」
「はい」
「きみ、スタジアムが閉まるまで仕事しているのかな」
「え? はい。そう、ですけど」
「なら、終わったら少し時間をくれないかな」
 目を見開いた彼女はすぐに、はい、と元気よく肯定の返事をくれた。それじゃあ、と場所の指定だけして、ついでのようにきずぐすりを買い足してフレンドリィショップを後にして、先程のジムトレーナーを捜すためにエントランスを出た。

○○○○○

 全ての業務を終えてスタジアムを閉めた後、ぼくはナマエさんに指定していた昇降機の近くへと行くと、彼女は一人待っていた。ぼくが小走りで彼女の下へと駆け寄ると彼女はスマホロトムを鞄に仕舞い、ぼくに微笑みかけた。コートにマフラー、そしてブーツ。それはぼくがいつも見る彼女の姿とは異なっているもので、唐突に彼女が女性であることを意識させるようだった。
 言われてみれば、あのジムトレーナーの彼女が言う通り、ナマエさんはいつも試合後にしかぼくの下へ訪れない。逆に言えば、試合があった日は必ず「好きです」と言われるのだけど、それは必ずフレンドリィショップの制服姿の彼女だった。だから、そう。女性というより、仕事仲間としてナマエさんを見ていたということになる。魅力的かどうかと問われればそれに返す言葉は即答できるだろう。だって、目の前にいるのは、少しばかりのお洒落をしたぼくよりも一回りは若い女性なのだから。
「ごめんね、急に。何か予定はあったかな」
「いいえ! その、仕事の日は予定を入れないようにしているので」
「じゃあ、ぼくが誘ったのはまずかったかな」
「そんなことないです。その、仕事が終わってから待ち合わせるのも相手の子に申し訳なくて」
 あぁ、と納得する。スタジアムはシーズンによって閉める時間がバラバラになる。ジムチャレンジ期間中は挑戦者が次々と現れるため、試合も遅くまで行われることが多い。もちろん、その時間に上限は決めているけれど、早いか遅いかはその日によって変わってしまう。ある程度の勤務時間はあるのだろうが、店を閉める時間、となれば、時間の指定を行うことは難しいだろう。全ての観客が帰ってからの閉店作業となれば仕事後に誰かと会う、ということもなかなかできないのだろう。
 そして、ぼくが誘ったことが迷惑ではないというのは単純な話で、職は違えどスタジアムを出る時間はあまり変わらないからだろう。もちろん、責任者である以上はぼくの方が遅くなってしまうのだけど。
「でも、ビックリしました。カブさんに誘われるって、全然思ってなくて」
 昇降機に乗って下の層へと移動する間、#nmae#さんはそんなことを口にする。自分からあれだけのことを言っているのに、こうなることは予想していなかったようだ。
「うん、ちょっときみと話をしてみたくなって」
「話、ですか」
「うん。……あ、食事、向こうのレストランでいいかな」
 すっと手で示したのはぼくが行きつけにしている店だ。少し分かりにくい場所にあるが、故に落ち着いて話ができる。彼女は目を丸くして、ぼくを見上げていた。
「どうしたの」
「いえ、まさか食事をご一緒することになるとも、思ってなくて。カブさんの行くお店ってあまり分からないような場所ですよね」
「まぁ、そうなるかな。騒ぎを起こしたらお店にも悪いから」
「いいんですか。そんな場所に私を入れて」
 これは、驚いた。
 あんな言葉を臆面もなく何度も何度も叩き付けてくるくらいなのに、こんなに謙虚に出られるとは。ぼくとしては興味が湧いたからナマエさんをこちらに引き寄せてもいいと思っての誘いだったのに、彼女はどうやらそれが信じられないらしい。もっと喜ぶかと思っていたのに。そう、キバナくんが同じようなことをするととても喜んでくれると言っていたのだが。なのに彼女は、戸惑いながらぼくの誘いを受けている。
「いいよ。ゆっくり話がしたいんだ」
 押すようにぼくが言うと、彼女は何も言わずにこくりと首を縦に振った。一応は肯定だろう。
 少し散歩をするくらいで思っていたのだろう彼女にとっては予想外だっただろうが、話をするなら立ち話より腰を落ち着けた方がいい。それに、これは、ぼくにとっても彼女にとっても大切な話になるのだから。
 案内するようにナマエさんの半歩先を歩いて目的の店に入ると、店員が目立たない奥の席を案内してくれる。いつもとは違う同伴人に少し驚いたような表情を見せたが、すぐに取り繕ってお冷を持ってきてくれた。店内はいつも通り人の姿がまばらで、話し声よりも落ち着いたBGMの方が大きく聞こえるくらいになっていた。
 注文内容を告げてから、さて、と改めてナマエさんに向かい合う。
「そんな緊張しなくてもいいよ。別に、悪い話をしに来たわけじゃないし」
「い、いえ、その。緊張、して」
「あぁ、そういうことか」
 ふふ、と笑うとナマエさんは照れたように顔を俯かせた。コートを脱いだ下のワンピースも彼女の雰囲気に合う綺麗なもので、改めてその魅力に気付かされる。
「訊いてみたいことはきみにとっては嫌なことかもしれないけど、怒ることじゃないから、落ち着いて聞いてね」
「は、はい」
 それでも緊張している様子のナマエさんに苦笑を零しながらぼくは言葉を口にした。
「ナマエさんさ、ぼくにいつも、好きです、って言いに来るよね」
 その瞬間、かあああっとナマエさんの顔が赤く染まった。かなり照れているのか、純粋に恥ずかしいのか、どちらだろうか。でも、ぼくが知りたいのはその先のことなので、構わず続きを口にする。
「あれ、必ず試合後にしか来ないのはどうしてかな。きみなら別に試合がない日でも伝えに来れるよね。それこそ、望めば毎日のように言いに来れるはずだ。でも、それをしないのはどうして?」
 ジムトレーナーの子に言われて考えた結果、それがその場の勢いだけで言われた言葉ではないのは明らかだった。勢いだけならば、他者に相談する必要はないはずだ。好きと言うだけ言って玉砕して、それでもめげずに何度も言いに来る。彼女の心の強さに驚かされるのはもちろんだが、冗談ではないのだという確信も芽生えている。本当に好きだから、告白に来ている。それも、ジムトレーナーに相談してでも叶えたい恋だ。冗談なわけがない。
 それなのに、叶えたいのなら手段を択ばなくてもいいのに、ナマエさんはそれをしなかった。その理由を、訊いてみたい。そう思ってこの食事に誘ったのだ。
「その、私はジムスタジアムで働くスタッフでもあるので、カブさんの言う通り、いつでも告白はできるんですけど」
 言葉を選ぶようにナマエさんは言葉を紡ぎ始めた。その顔はまだ赤いままだったが、何とか最後まで口にしようと、それもできるだけ目を見て言おうという努力は見て取れた。
「でも、それだと他にもカブさんを慕っている人から見たら、不公平だと思うので。だから、他の方達と同じ条件にするために、試合のある日にしか言ってないです。試合後なのは、その。カブさんのコンディションに影響を与えたくないので」
 ぼくの中でナマエさんという人の印象がどんどんと書き換わっていく。
 傍から見たら、年齢も気にせずにいつでも告白をしてくる若い女の子、なんだろうけれど。そしてぼくだってそう思っていたけれど。でも彼女は、恋する女性として、そしてそのライバルが多くいることを分かっていて、だからこそ自分の立ち位置に驕らずにフェアに勝負をしようという精神を持っている。試合後しか言ってこないのは、何も熱狂的なファンとして勢いが有り余って言っているわけではない。風物詩のようになっているのかもしれないけれど、それはキバナくんマクワくんをはじめ、他のジムリーダーだって同じことだ。ナマエさんはあくまでも他のファンと同じ条件で勝負するためにその時間を選んでいるだけなのだ。そしてぼくのことを気遣うことも忘れない。
 言われてみれば、彼女から物を貰ったこと、というのもほとんどない。あるとしたらファイナルリーグで決勝に勝ち進んだ時くらいだろうか。余程のことでなければ物を贈らないのも、彼女なりに考えがあってのことなのだろう。
 そして、その気遣いは仕事にも表れている。エンジンシティは他のジムスタジアムと違ってエキシビジョンマッチを開催する頻度が多く、そして開会式のスタート地点にもなっているため、観客の出入りが多い。そうなればスタッフ総出で協力しなければ回らないことも多い。フレンドリィショップはリーグとは全く別の提携組織であるが、リーグ外の人間であるのにもかかわらず協力を惜しむことはない。むしろ、率先してやってくれるくらいだ。
 その全てが、好ましいと思えた。
「なるほどね」
 それぞれに注文した料理がテーブルに並べられ口にしている間、ぼくは彼女について今一度情報を整理していた。
 目の前でオムライスを食べているナマエさんは、たしかに年若い女性だ。そして、ぼくの熱狂的なファンでもあり、恋する女性でもある。
 初めてその告白をされた時は戸惑ったし、長い間戸惑って、いろいろな言葉を連ねてはその告白を断っていたけれど。試合の感想を一つは付け加えて贈られる言葉は、嫌いではなかった。彼女からの告白がないと物足りなさを感じる時があったのも、事実だ。
 ……なるほど。
 先程口にした言葉を、今度は内心で呟いた。
 なるほど、ぼくもナマエさんの告白を嫌いだとは思っておらず、むしろ好ましいと思っていた。
 この人は、ぼくが思っているよりもずっと思慮深い人だ。単なる熱狂的なファンではないし、恐らくは想いだって、深いはずだ。
「ねぇ、ナマエさん」
 ナイフとフォークを置いてから、ぼくは彼女に微笑みかける。
「改めて、いつもの言葉の返事をさせてもらっていいかな。ほら、ぼく、返事をはっきりさせたことはないから」
 びくりと肩を跳ね上げさせてからナマエさんは息を吸って、そして頷いた。
「……はい」
 神妙な返事は、改めて振られるということを覚悟してのものだろう。当然だ。普通ならば、これは叶わない恋だと思われているだろうし、彼女自身、何度もそう言われたのだから。
「本気でぼくと付き合うと、大変な思いもするかもしれないけど、それでもいいかな?」
 数秒の無言の後、「へ?」という間の抜けた声が彼女から飛び出した。畳みかけるように、ぼくは言葉を続ける。
「ほら、ジムリーダーと付き合うとそれなりに目立つから。それにぼくら、歳も離れてる。変な噂とか流されるかもしれないけど、それを耐えてくれるっていうなら、どうかな? ぼく、精一杯ナマエさんのこと、守るよ。約束する」
「え、えと」
「きみの告白、今までどう受け止めればいいか分かってなかったんだけど。でも、ある人にあることを言われてね。ぼく、きみのことが嫌いじゃなかったし、きみに告白されるの、楽しみにしてたんだ」
 えぇっ、と声を上げる彼女に笑い掛ければ、途端にまた頬を染めるナマエさんに内心で笑みを零す。これは、脈なしというわけではなさそうだ、と思う。本当に脈がないのなら、今ここで笑い飛ばすはずだ。そんなことはないです、と。
「どうかな。ぼくと、付き合ってくれないかな」
 とどめを刺すようにもう一度、今度は飾らずに言葉を投げれば彼女は何かを決めたように頷いた。
「その……、カブさんにご迷惑を掛けないようにするので。私こそ、よろしく、お願い、します……」
 赤い顔で、少し上目遣いにこちらを見上げながらの返事は、想像以上にぼくの心に刺さるものだった。何だか、こちらまで照れてしまう。ぼくももう、こんな歳なのに。
「うん。よろしく、ナマエさん」
 握手を求めて手を差し出せば、ナマエさんはおずおずと手を差し出した。握った手は、ぼくが思っていたよりもずっと小さくて、少し驚いた。こんな小さな手で何かを掴もうとしていたのだという事実に、ぼくはまたナマエさんへの好感度を上げた。
 これはもう止まれないかもしれないな、という予感めいたものがぼくの中に湧き上がってきたけど、それでもいいかな、とぼくは内心で笑った。好きならそれでいいじゃないか、止まる必要なんてどこにもないだろう、と。そうもう一人のぼくを諫めながら。

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