燃える想いと重なる手
 私の朝は早い。それはポケモンバトルの研鑽に真面目に励んでいたトレーナー時代からの癖のようなものであり、ポケモン達の要望によるものでもある。日が昇ると同じくらいに勝手に飛び出してきたポケモンは私を起こして身支度するようにせがみ、朝の散歩に行くようにせっついてくる。
 そんな生活を何年も繰り返していたら、部屋が少し明るくなると同時に目が覚めるようになるもので、今ではポケモン達が起きる頃にはもう大体の身支度を整えられるようになっている。今日は少し冷えるだろうか、とマフラーを巻いてから既にボールから出て待機していたポケモンを呼び寄せる。
「エーフィ、行こうか」
「ふぃぃ!」
 扉を開ければエーフィは早く早くとばかりに鳴いて私を呼ぶ。朝から眩しい光が降り注ぐのがどうも嬉しいようだ。
「ニャオニクス、おはよう」
 その後を追うように飛び出してきたニャオニクスに、私が朝の挨拶をするとニャオニクスも嬉しそうに鳴く。朝の散歩をせがむ二匹は今日もじゃれ合いながらエンジンシティの街を駆けていく。
「あんまり先に行かないようにね!」
 慌てて声を上げれば少し遠くから鳴き声が返ってきた。目視はできるが、少し速い。仕方ないなぁ、と私も小走りで二匹の後を付いて行く。
 まだほとんど人通りの少ないエンジンシティ。すれ違うのは、朝早くから店の準備に励んでいるような人達だけだ。まだ眠っている人達にとっては、愛らしい声とはいえ、二匹の声は騒がしいものかもしれない。それとも、目覚まし代わりなのだろうか。私が寝坊しない限りは同じような時間に散歩に出ているのだし。
「ふぃっ! ふぃー」
「ニャオッ!」
 と、先の交差点で私を待っていた二匹が何かを見つけたように急に方角を変えて走り出した。ちょっと、と声を上げても止まらずに建物の陰に消えてしまう。あぁもう、と今度は走って二匹の消えていった方を追いかけて行く。
 交差点まで着いて二匹の向かっていった方を見れば、見知った人物の脚にじゃれついているエーフィとニャオニクスがいた。
「エーフィ! ニャオニクス!」
 私は慌てて二匹の名を呼ぶも、二匹が離れる様子はなかった。
「おはよう、ナマエ。今日のエーフィとニャオニクスはいつも以上に元気だね」
「すみません、すみません!」
 いつまで経っても離れようとしない二匹を引き剥がすことを諦めてボールに戻すことで対処する。二匹がカブさんの下を離れると、彼はゆっくりと私に近付いて、額に掛かっている髪を取り払った。朝日に照らされて神々しいくらいのカブさんの表情をダイレクトに見ることになってしまってドキリとする。
「今日もきみと会えてよかった」
 にへら、とカブさんは不器用ながらも笑顔を作る。ユニフォーム姿の彼は、私と似たようなもので朝のジョギングに勤しんでいるのだろう。私にとっての当たり前は、少し形は違うものの、彼の中でも当たり前のものとして存在している。同じ街に住む以上はこうして会うことが多く、今日も私達は運動の足を休めて二人でゆっくりと街を歩き始めた。
「もうすぐジムチャレンジが始まるんですよね」
「うん。今年もエンジンシティでの開会式をスタートに、才能あるトレーナーがガラルを旅する機会が始まるね」
「じゃあ、カブさんも忙しくなっちゃいますね」
「うん? ナマエが気にすることかい?」
「だって、会える時間、減りますよね?」
「……あぁ、そうか」
 ふと足を止めたカブさんは、私の頭にその手を乗せると、優しく撫で始めた。突然の行動に驚きながらもその手を受け入れる。しかし、やはりどうして突然湖南ことを始めたのか、ということについては理由が見つからないため、視線を動かしてカブさんの顔を見た。――すごく、優しい表情をしている。
「……カブさん?」
「いや、ちょっとね。嬉しくて」
「うれしい、ですか」
 今の会話のどこに彼が『嬉しい』と感じるのかが全く分からなくて首を傾げると、カブさんは「だって」と口を開いた。
「ぼくと同じ思いを、きみも持っているってことだろう? ぼくもね、寂しい」
 私が口にしなかった言葉をいとも容易くカブさんは口にした。寂しい、と。会いたい、と。
「ぼくみたいな大人が、ってきみは思うかもしれないけどね」
 あ、と思った時にはもう、抱き寄せられていた。洗剤の匂いだろうか、どことなく爽やかな匂いがふわりと香った。とん、とん、とリズム良く背中を叩かれると、少しばかり不安になっていた心も解けていくようだった。
「できれば毎日、会いたいと思っているよ。きみはとても魅力的だから。必死に想いを伝えないとね、ぼくの手から離れて行っちゃいそうだから」
 ぎゅっと抱かれる腕に力を籠められた。こうして、カブさんに想いを伝えられるときはいつもされていることだった。
 繋ぎ留めるように。どこにもいかないように。
 私との歳の差を気にしているらしいカブさんは、こうして積極的に想いを伝えてくれていた。時に優しく、時に激しく伝えられる想いの形は、実に様々だったけど、その全てが愛おしいと、そう思う。歳の差を気にしているのは、何もカブさんだけではない。私だって、カブさんより一回り以上も歳が離れていることを気にしている。魅力的でなければ、手放されてしまうから。追いつくための努力を怠ったら、カブさんは絶対に、私に振り向いてなんてくれない。
「私も、会いたい、です」
「……そうか」
 おずおずと手を伸ばしてカブさんの背に回すと、カブさんは満足したように頷いてくれた。
「じゃあ、今日の夜、迎えに行くよ。……いいかな?」
 予定していなかったデートだからだろう、一応は是非を訊いてくれるようだ。頭の中で予定を思い返すも、今日の夜は特に何もない。
「待ってます」
 だから、私は一も二もなく頷いた。私も会いたくて、カブさんも会いたいのなら、断る理由なんて、全然ない。
 カブさんの向こうで昇る太陽は、やっぱりカブさんを輝かしく照らし出していたのだった。
 私の、恋人。一回り以上歳の離れた、ジムリーダー。そんな人が私を求めてくれるのは、本当に、嬉しいことだ。

○○○○○

 カブさんが言った通り、私を迎えに来たのは夜の七時頃だった。私の仕事が終わって家に一度帰って片付けをしている頃にインターホンが鳴った。やぁ、と手を上げたカブさんはダークブラウンのコートを着ていて、それが大人の色気のような、そんなものを醸し出していたから思わず見惚れそうになってしまった。慌てて我に返って、私もコートを羽織って鞄を提げてカブさんと一緒に家を出た。
 カブさんがいつも連れて行ってくれるのは気兼ねなく話ができる場所だった。人のあまり来ない隠れ家的なカフェだったり、個室の居酒屋だったり、やっぱりあまり人の来ないバーだったり、あるいは、カブさんの家だったり。今日は、居酒屋に連れて行ってもらってお酒を飲みながらご飯を食べて、今はカブさんの家に向かっているところだった。
 有名人であるカブさんは、住んでいる家も中心街からは少し離れたところにある。ジムに行くのに困りませんか、と訊いたことがあるのだが、それもまたトレーニングだよ、と言われてしまった。そんなわけで、今日も私とカブさんは人通りの多くない通りを二人で並んで歩いている。まだそこまで遅くない時間ということもあり、手を繋いだりしていることこそしていないが、時間によってはそうしたこともしている。
 ……愛されている、っていつも思うけど。
 時折そっと触れてくる手を同じように触れ返しながら思う。本当に、私でよかったのかな、と。
 カブさんに告白されたのは、もう三年ほど前になる。最初は信じられなくて、嘘みたいだなって思って。それから、こんな小娘ですよ、と言った覚えがある。カブさんは笑いながら「小娘なんて」と言ったけれど、実際どう思っているのか分からない。告白してもらったのに、だ。
「ねぇ」
「は、はいっ」
 そんな考え事をしていたら、返事をするのにも少し声が上擦ってしまった。もう、何度だってやったやり取りなのに。
「笑わないで聞いてほしいんだけど」
「はい」
「お揃いの何かを着けたいって言ったら、ナマエはどう思う?」
 冷えた空気の中、急に自分の体が火照るのを感じた。
 お揃い。カブさんと。お揃いって、何を着けたいんだろう。
「重いかな? ナマエが嫌なら、断ってくれていいんだけど」
「……その、お揃いというと、どんなものですか」
 よく聞く話では、ペアリングやネックレス、イヤリングなどが当てはまるだろう。けれど、ジムリーダーという職業柄、イヤリングはあまり着けない方がいいのではないだろうか。ポケモンバトルというものは、案外体力勝負でもあり、動きを要求されるものでもある。指示を出すだけでは、相手のポケモン――もしかしたら自分のポケモン――の技の巻き添えになる可能性もある。となれば、動いている内に取れるようなイヤリングなんかはやめておいた方がいいかもしれない。
 そうなれば、残りは指輪かネックレスというところか。
「指輪なんて、どう? やっぱり、重い?」
「い、いえ。お揃いというとやっぱり指輪だってよく聞きますし」
「じゃあ、今度、見に行こう。きみに似合うもの、ぼくが見つけるから」
 立ち止まって触れた手を愛おしそうに撫でられた。目を、伏せて。そしてそのまま指先に口付けられた。
 息を呑んで、その動作を見守る。心臓がうるさい。この音、カブさんに聞かれてはいないだろうか。大丈夫、だろうか。私、やっぱり恋に初心な小娘だって、思われてない、かな。
「きみが頷いてくれてよかった」
 そうしてまた、にへら、と穏やかに笑うのだ。あまり得意ではないと言っていた、あの顔で。安心したように、口を開く。
「ぼくと同じものを着けていれば、ナマエをぼくのものだって、きっと皆が思ってくれる。これできみは、だれのものにもならないね」
 笑いながら指を撫でるカブさんに、私はもう何も言えなかった。愛おしそうに私の手を撫でるその表情を見ていたら、とても。大切にしてくれていると分かっているから。だから、何も言えない。
 そんなことしなくても私はカブさん以外のものにはなりませんよ、と。そう言いたいのに。火照った体と頭では、何も示すことができなかった。
「大好きだよ、ナマエ。ぼくの、愛しい人」
 そっと頬に伸ばされた手がゆっくりとそこをなぞり、やがて唇に辿り着いた。カブさんはその指にリップグロスが付くのも構わずに、唇をゆっくりと撫でてから私の肩を抱き寄せた。
 何をするのか、など訊かなくても分かる。分かるが。
「カブさん、こ、ここで……?」
「いいだろう? 大丈夫、誰もいないよ」
 目元を緩めたカブさんにそう言われてしまえば、断れない。たとえ、誰かがいたとしてもそんなこと言い出せなかった。
 カブさんは、いつだって大人だった。私を導いてくれて、助けてくれて、愛してくれる人。そんな人に手を引っ張られて生きてきた私は、カブさんの「大丈夫」に滅法弱い。だって、本当に大丈夫だと思ってしまう。どう転んでもきっとどうにかなるって思ってしまう。
 そう思わせるだけの力が、カブさんにはあった。
 だから、手を握られていない方の腕を伸ばしてカブさんの肩にそっと置いた。小さく頷けば、近付いてくる顔。目を閉じる。息遣いを感じる。
「……愛してるよ」
 囁き声と、柔らかな感触。後頭部に添えられる手と、口の中に入り込んでくる、熱い舌。お酒の味がはっきりと感じられて、あぁ、キスしているんだと、ぼんやりと思った。
 ほんの数秒の口付けは、名残惜しさを残していったらしい。カブさんの切なそうな表情が目に入って、私まで心臓がきゅうと締め付けられるようだった。
「ねぇ、カブさん」
「うん?」
 唇は離れていったけど、その熱を逃したくなくて、私はカブさんの手に自分の手をそっと重ねた。
「指輪、カブさんのイメージに合う赤いものがいいです」
「あぁ、そうだね。ぼくも、きみには燃えるような色が似合うと思う」
 重ねた手はそっと絡められて、私達はゆっくりとカブさんの家までの道を歩き出す。
 カブさんを見上げれば、朝とは違う柔らかな月の光が彼の横顔を神々しく照らしていた。

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -