心優しい青年の甘え方
 ぴこん、とスマホロトムが鳴るとその通知を受け取ったロトムがすいーっと私の前にやってきた。
 私に見えるように画面を見せてくれたロトムを指先で労わるように撫でてから画面に目を落とす。その表示に、私は思わず頬を緩めた。
“今日、そちらに行っていいですか”
 短いメッセージは彼らしくはないが、先日の中継を思い返せば納得もいく。そして、今流れているテレビの映像もそのメッセージの短さを頷ける大きな要素だ。
“待ってるよ”
 彼を取り巻いている状況を考えれば、いろいろと書くよりも、簡潔に示すだけがいいだろう。たった五文字の返信を打ち込んで送信。ロトムがぴょんと跳び上がってまたふわふわとどこかへ行った。機械の中に入っているとはいえ、ロトムもポケモンだ。じっとしているよりも、動いている方が性に合っているのだろう。
 普段のメールであればすぐに返信が来るのだが、今日はそういうわけにもいくまい。
『それでは、ターフタウンジムチャレンジ、続いてのチャレンジャーの登場です!!』
 テレビから流れてくるエンターテイメントの実況。それが聞こえて点けっぱなしにしているテレビの画面を見れば、メールを送ってきた相手がにこやかにチャレンジャーらしきトレーナーと握手を交わしているところだった。
「さて、おいしいご飯をたくさん作っておかないとね」
 テレビの音量を少し大きくしてから私はキッチンに立った。きっと今日は、たくさん食べることだろう。それならば、と張り切って料理に取り掛かり始めるのだった。

○○○○○

 鍵の開く音がするとワタシラガがふいっと私の方へと近付いてきた。一人暮らしをしている私の家の、頼もしいボディガード。呼び出し用のインターホンが鳴った時はもちろん、こうして鍵の開く音がした時は必ず私を守るようにして近くに寄ってくれる。そういう風に育てたのは、私ではなく、このポケモンを私にくれたトレーナーだ。多分、もうすぐこの場に入ってくるはずの人。
「こんばんは」
 予想通りの声が掛けられるとワタシラガはふわふわと彼へと近付いて行った。
「こんばんは、ヤローさん。お疲れ様」
「うん、ほんと、毎年のことやけど疲れたよ。あっさりとはいかんくても、ジムミッションを突破する挑戦者が多くて」
 ワタシラガを受け止めたヤローさんは頭の部分を指先で撫でながら私の前に立った。首に巻いているタオルで汗を拭っているせいだろうか、緑のそれは少し暗い色になり、テレビで中継が始まった時とはべつの物のようにくたくたになっていた。
「着替え、置いてあったよね。シャワー浴びてきたら?」
「そうやねぇ」
 ヤローさんは考え込むようにふとテレビの画面を見遣る。そこに映っているのは、今日のターフタウンジムのハイライト――彼の今日の試合の印象的なシーンの寄せ集め――だ。さすがにまたジムスタジアムの光景を見るのは嫌だったのだろう。すぐにそれから目を逸らしてワタシラガに目を落とした。疲れていても、くさタイプを愛でるその顔つきは穏やかそのものだった。
「お言葉に甘えさせてもらおうかな。借りるね」
「了解。いつも通り入って少ししたらタオル置いとくね」
「いつもすまんのぅ」
「構わないよ。ほらほら、入ってきて」
 彼を追い出すように背を押すと、ひやりとした感触が伝わってくる。一日バトルをしていたからだろう、シャツはびしょ濡れだった。予想していたからこその言葉だったのだが、正解だったようだ。ヤローさんは「ありがとう」と言って脱衣室に入っていった。
「……さて」
 彼と付き合って三年目。毎年この時期くらいが一番疲れていることが多くて、ファイナルトーナメントが近付いてくると彼はのびのびとポケモン達とトレーニングをしている。
 ジムチャレンジは挑戦するジムの順番が決まっている。このターフタウンは一つ目のジムのため、ジムチャレンジに挑戦する全てのチャレンジャーがやってくる。そのあまりの挑戦者の多さのため、ジムミッションを厳しめに設定して少しでも一日にやってくる挑戦者の数を減らそうとしているみたいだが、あまり効果はないようだ。ミッションのコツを掴んだ挑戦者は、次々とヤローさんの下にやってくる。もちろん、ヤローさんに打ちのめされて諦める挑戦者もいるというが、それは少数らしい。本格的に諦めようと思うのは三つ目のジム、カブさんだという。
 そんなわけで、ジムチャレンジのシーズンが開幕した最初の一ヶ月は、ヤローさんにとってはとても忙しい時期になる。
 ワタシラガが脱衣所の方からやってきた。どうやらヤローさんはシャワールームへと入っていったようだ。ワタシラガを肩に乗せて脱衣所に入り、タオルを出す。予備で小さいタオルを数枚置いておき、鉢合わせないためにもすぐにそこから出た。水音はまだ聞こえていたが、男性のシャワーは思っているよりも速い。もたもたしていて裸のヤローさんと鉢合わせたら――。
 そう考えるだけで、顔に熱が集まるようだ。その筋肉質な体が魅力的だということは、もうちゃんと、知っている。
 リビングにワタシラガを置いてからキッチンに立って作っていたスープを温め直したり、炒め物に取り掛かり始める。予め切っておいた材料をフライパンに入れて調味料を加えるだけなのでさほど時間は掛からない。
 お皿に盛り付けてテーブルにそれを置いて片付けようとまたキッチンに入ろうとしたところでタオルを首に巻いたヤローさんと鉢合わせた。髪はもう乾かした後らしく、ぺたりと肌に張り付いている様子はなかった。
「あ、ご飯できたよ。私片付けたら食べるから先食べててって、うわっ!?」
 いつもの笑顔はないけど疲れているのだろう、と思って食事を先に促せば、突然腕を引かれて横抱きに抱え上げられた。あまりのことに悲鳴を上げるも、それが抵抗になるはずもない。何せヤローさんは、ジムミッションで使うとんでもなく重たい牧草ロールを一人で転がしてしまうのだ。私なんか、多分重いとも思われないし、ちょっとした抵抗なんかびくともしない。
 そのまま無言でリビングに入るとヤローさんはソファに座った。しかし、私を離そうとはせず、そのまま抱え込むように抱きしめられた。お風呂上がりの、私がいつも使っているシャンプーの少し甘い匂いがヤローさんからするという不思議な状態にくらくらとする。おまけに、口も目も笑っていない。真剣な目で私を見て、抱きしめて。それはまるで、夜の営みのような一場面で、どきりと心臓が跳ねるようだった。
 その目から、逃げられない。
「や、ヤロー、さん……?」
 何も言わずにただただ抱きしめられる状況をどうにか脱出しようと名前を呼べば、ぱくりと食べてしまうように私の唇にヤローさんの唇が覆い被さってきた。シャワーを浴びたばかりの少し熱い体温が私の唇を奪うという状況に、今度こそ思考がフリーズした。
「ナマエ」
 唇が離れた直後、至近距離で囁かれる名前。熱っぽい言葉はやっぱり、普段のヤローさんじゃない。
「……落ち着く」
 ぼそりと呟いた後、ちゅっちゅと音を立てながら、あちこちに唇を落としていく。額に、鼻に、頬に、唇に。どうしていいか分からないまま、ただヤローさんの口付けを受け入れることしかできない。
「真っ赤や」
 ふと顔を離したヤローさんが私をまじまじと見ると、くすりと笑う。あ、いつもの笑い方だ、と思ったのに出てくる言葉は揶揄い口調のそれだ。何だか悔しい。
「だ、だれの、せいだと……!」
「そうやな」
 離れていった顔がまた近付いてくる。純朴な翆の瞳が、眩しいくらいだ。
「ぼくのせいや」
 もう一度唇にヤローさんの唇が触れる。押し付けられるようなそれと、直前に言われた言葉が相まってもうオーバーヒートしそうだ。やばい。熱い。どうしよう。
 頭がパンクしかける寸前で唇が離れていくと、ゆっくり彼の上に下ろされた。これは、もしかしなくても、あれだろう。膝枕、ではないだろうか。
「あの、ヤローさん?」
「ん?」
「何を、してるんですか……」
 あまりのことに、ついつい敬語に戻ってしまった。意識して敬語を使わないようにしていたのだけど、こうなってしまったらもうどうにもできない。だって、ヤローさんの大きくて少し硬い手が私の頭を撫でているのだ。どうしてこうなっているのか、と思いたくもなる。
「甘えてるんやけど。……ダメやった?」
「ダメではない、……けど」
「けど?」
 慈しむように頭を撫でられると、余計に顔に熱が集まるようだ。恥ずかしい。いや、恥ずかしいというか、照れる。何の理由もなくこうされると、何だかこう、逃げ出したくなる。日頃トレーニングを欠かさず、農業という重労働もこなしてみせるヤローさんから逃げられるわけなんかないのだけど。
「これは、その。ヤローさんが甘えてるんじゃなくて、ヤローさんに甘やかされてるっていうんじゃ」
「きみは何を言うとる」
 ヤローさんはむっと頬を膨らませてから、私の頬をつついた。そうしていると、子どもっぽい顔つきということもあって少年のように見える。
「きみから抱き着いてきてこうなったら甘やかしてるっていうやろうけど、今はぼくが抱き寄せたんや。ぼくがしたくてやっとるんやから、これはぼくがナマエに甘えとるんや」
「え、でもやってることは……」
「つべこべ言わん」
 ぐいっと頬を引っ張られた。柔らかいほっぺや、と言いながらいつも触れられるそれに少しばかり力が加えられたのは、いつもよりも堪能するため、だろうか。
「ナマエに触れるのが一番癒されるんや。ぼくの好きにさせてほしい」
「……う、うん」
 直球の言葉に、もう何も言えなくなった。そうまで言われると、ダメだ、もう何も言葉が出てこない。
 頷くと、ヤローさんはまた嬉しそうに私の頭を撫で始める。今度は、手も握られた。力加減を変えながら握っているのは、私の手の感触を楽しんでいるからだろう。
 ……まぁ、いっか。
 テレビの中のヤローさんはとても凛々しくて大きく見えるけれど。今私の目の前にいるヤローさんは子どものように私に触れてくる。優しい顔で触れてきて、優しい声で名前を呼んでくれるのは、恋人である私だけに与えられた特権だ。そう、思うと。何かもう、全部いいかな、って。そんな気になってしまった。
「なぁ、ナマエ」
「なぁに?」
「ご飯食べたら、もっといい?」
「……もちろん」
 くたくたになって疲れているはずのヤローさんの素直な求めに応えないわけがない。私は二つ返事で頷いて、頬に触れている大きな掌に顔を擦り寄せたのだった。

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