願いを叶える堕天司

「よろず屋さんも適当なこと言うものだなぁ」
 ヒューマンの女の掌に収まる一枚の小さなカードを見ながら、私は出店が並ぶ大通りを歩く。
 ――それはですねぇ、願いが叶うカードなんですよ〜。一つだけ、ですけれど何でも実現しちゃいます〜。
 希少な素材を納品した時におまけだと言って渡されたそれに、そんな力があるとはとても思えなかった。魔力はもちろん、属性力を感じ取ることもできない。こんな変哲もないカードが願いを叶えるなんて、そんなバカなことがあるはずがない。
 とはいえ、よろず屋さんは日頃とんでもなくお世話になっている商人さんだし、品物は確かな品質を誇っている。だからまぁ、一つくらいこんなトンチキなものがあったって、別に彼女の信頼が無くなるわけではなかった。このカードの他に、正規の報酬は貰っているのだし。
「ま。本当に必要になったらまたよろず屋さんに訊いてみればいっか」
 軽い気持ちで呟いて、私はそのカードを懐へと仕舞い込んだ。ひとまず今は次の依頼に備えなければならない。
 特別だというものをわざわざ私のために用意してくれたのだから、その期待に応えるだけのものは返さなければいけないのだから。

○○○○○

 宿の部屋に備え付けられているシャワールームで汗を流してから部屋に戻ると、冷たい風がふわりと頬を撫でた。窓を開けてシャワーを浴びに行った覚えはないのだけど、と窓に目を向ければ、それは大きく開け放たれており、揺れるカーテンの傍で男が一人ベッドに腰掛けていた。
「やぁ、こんばんは。お嬢さん」
「っ……!」
 咄嗟に数歩後退し、壁に掛けてあった刀を掴んだ。抜刀はせずに、けれど警戒しながら構え、その男の動向を探る。
 薄明かりに照らされる男に、暗い色の服を着ているのだろうか、色彩はあまりない。ふわふわとした羽根がたくさん付いたストールを肩から掛けている。肌は異様に白いのか、それが闇に浮かび上がって逆に薄気味悪さを引き立てており、その一対の瞳は魔を思わせるような血の色をしている。
「ハハハッ、警戒心の強いことで。そんなキミが蕩けていく様を想像すると、興奮する」
「は……」
 突然何を言い出すのだろう、この男は。蕩ける、とは。
 本能がこの男に心を許すなと警鐘を鳴らす。懐に潜り込まれたが最後、戻れなくなる、と。
 暗がりからでも分かるほど、男の顔は整っている。見惚れる、くらいに。
 だからこそ、この男が危険なのだと本能は告げている。
「冗談だよ、冗談。刀を下ろしてくれよ」
「窓から侵入したであろう人に言われたくはないのだけど」
 状況から考えるに、男がやってきたのは大きく開け放たれた窓だけ。鍵もなしに扉から入ってきたというよりは、開けたはずのない窓を開けて入ってきたという方が説得力がある。それに、残念なことに、窓にまで鍵を掛けた覚えはない。ここは三階だ。誰かが侵入してくるなどと、考えてはいない。
 男はひらひらと手を振るとベッドから下りて距離を詰めてきた。警戒するようにその分だけ後退するが、すぐに壁に背が付いてしまう。横へ、と思ったが、その瞬間に進路を塞ぐように顔のすぐ横に手が置かれる。
「逃げないでくれよ」
 ゆっくりと男に視線を向けると、私の両側に手を突いた男がニヤリと笑っていた。窓を背にしたことで僅かな光を背負っているその男がどこか神々しくて、それに見惚れて、何も言えなくなってしまった。
「傷付くだろ?」
「……冗談でしょう?」
 初対面の女の部屋に不法侵入して逃げられたら傷付くなど、ありえるはずがない。むしろ、逃げられないせいでこちらが傷付く。
「オレは、キミに呼ばれてきたんだぜ?」
 どこか神々しさを感じさせる雰囲気を纏う男にふっと微笑まれて、は、と情けない声が出た。
 呼ぶ。私が、この人を。
 ありえるはずがない。
「信じてないとは、言わせない」
 そう言って男はジャケットの内側に手を差し入れて、何かを取り出した。
「これ、見覚えがないとは、言わせないぜ」
 それは、私が昼間よろず屋さんからもらった一枚の小さなカードだった。
「これは実に不思議な一品でね。何でも一つだけ願いが叶うものだ。そう」
 カードを後ろへと放り投げた男は、私の胸元に、とん、と人差し指を押し当てた。
「キミの奥底にある願いを一つだけ、ね」
「……私の、願い?」
 今度こそ笑い出してしまった。小さく、乾いた声で。笑う。
 この人を呼ぶことが、私の願いだと。
 目の前で妖しく微笑む男はそう言った。
「見ず知らずのあなたをこの場に呼ぶことが私の願いだとでも?」
「あぁ、そうさ。キミは力を求めていただろう?」
 その言葉に、私は男を見上げる。相変わらず、笑ったままだ。
「キミに降りかかる火の粉を払い除ける力を。キミに立ち塞がる障害を払い除ける力を。キミが生きていくのに必要な力を。残酷なまでに相手を押しのけてまで生きたいと、……そう願っただろう?」
「……私が? そんなことを?」
「そう。キミは、望んだ」
 馬鹿なことを、と胸元に置かれた手を、払い除けられなかった。だって、この男が言ったことを、心の奥底から否定することはできない。
 相手を押しのけてまで生きたいと、そこまで大袈裟なことは考えてはいない。だけど、自分の身を守り、生きるだけの力は、欲しい。非道な手段に手を染めずに、ではあるけれど。
「どうした? 否定しないのかい? それとも、心を貫かれてイッちまったのか?」
「……あなた、下品だって言われない?」
「これが分かるくらいにはキミは大人ってことだ」
 いいねぇ、と男は笑い、胸元に置いた手を上げて私の顎に触れる。その冷たい感触にぞわりと背筋を寒気が駆け上がってきて、咄嗟にその手を払い除けた。
「おっと、愛撫はお嫌いかい?」
「最低ね、あなた」
「酷いなぁ」
 壁から手を離して両手を上げる男は、けれど私から距離を取ろうとはしなかった。
「敏感なところに触れるんだ。じっくりじっくり慣らして善がらせるのが礼儀ってもんだろ」
「それを最低って言ってるの。もう少し言い方を考えたら?」
「何故? これ以上ないくらい分かりやすいだろう?」
「あなたね……!」
 持っていた刀を抜いて首筋目掛けて振り上げる。人間の、急所。そこを狙い違わず斬り咲いてしまえばいい。
「おっと」
 だが男は一歩大きく後ろに下がると脚を振り上げて刀身へぶつける。その勢いは凄まじく、刀が手からあっという間に離れていった。
「な――」
 呆然とする暇は与えられない。男の手が私の首に伸びてきてそのまま壁へと押さえつけられる。
「おいたがすぎるな」
「が……、ぁ……!」
 呼吸を奪うように手に力を籠められて、私は必死に足掻いた。両手で男の腕を引っ掻いてもびくともしない。
 じわりと涙が滲み、目の前の男の姿も滲む。不気味に光る赤い瞳だけが、世界を鮮烈に彩っているようだった。
「言っただろう? オレはキミが力を求める願いに惹かれてきた、って」
 私の答えなど期待していないのか、男は私の首を絞める手を緩めはしない。
「そんなオレがキミに傷付けられるなんて、ありえない」
 すぅ、と細められる瞳に熱はない。まるで宝石のようだ、とぼんやりと思う。
 あぁ、意識がはっきりしなくなってきた。このまま、こいつに、殺されて――
「おっと。危ない、殺しちゃいけないな」
 私の反応が薄れてきたことを察したのか、男が私の首から手を離す。突然与えられた自由だが、私は動くこともできずに床に座り込んで激しく咳き込んだ。取り込む酸素が、痛いくらいだ。
 やっと自由に呼吸ができるようになって、必死に男を見上げると、彼は楽しそうに口許を歪ませていた。
「力を求めるだけのキミに力を与えるんだ。感謝してくれよ? 努力せずとも、キミはキミの思うまま力をふるうことができるのだから」
 男の声色はいっそ甘いくらいだった。やけに、私の耳に残る。
「キミはただ望めばいい。屠れ、ってね。その代償に」
 座り込む私に向かって、男は手を伸ばしてきた。
「ひっ」
 また呼吸が奪われる、と身を強張らせるけど、力の入らない体ではその手から逃れることはできない。
 男の冷たい手が私の唇に触れた。危害を加えるつもりはないのか、それ以上どこかに触れようとする意志は感じられなかった。見上げた先にあるその表情は、いっそ優しさすら感じさせるようだった。瞳が、あかい。
「キミの味を教えてくれよ。キミの弱さを全て教えてくれ。甘い汁を啜らせてくれないか」
 そっと頬を撫で上げて、男が一気に距離を詰めてきて、私を押し倒す。
「オレのサディズムを満たさせてくれないか」
 赤い瞳が一層眩しく輝いたのを目にすると、思考に靄が掛かっていくようだった。何も、考えられなくなっていく。この男から逃げなければ、という思考さえなくなっていく。
「キミに力を与えるオレの名前はベリアル。さぁ、オレに全てを食い尽くされる、キミの名を教えてくれ」
「……ナマエ……」
 逆らうことなく私の唇が動いて、自分の名前を告げる。
「そうか。よろしく、ナマエ。良い関係を築こうじゃあないか」
 そう言った男は、優しく私の唇を奪った。呼吸を奪うのではなく、愛しいものに口付けるようなキスだ。私の体から力が抜けていき、その様子を見ていた男が、またふっと微笑んだ。
 冷たい手が触れていった場所から熱くなって、男の望むまま、私の体は開かれていった。
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