夏は二人で

 じゃりじゃりと砂を踏み鳴らす音が心地いい。辺りから聞こえる喧騒は、とても賑やかで、楽しげで、誰も彼もがこの場を満喫していることが分かる。
 空から降り注ぐ強い日差しも、遠くから聞こえる潮騒も、世界が平和だからこそ享受できる楽しみだ。
 団には肌の大半を露出させた水着を着たまま前線で戦える者も数多くいるが、正直な話、尊敬に値する。私なんて、腰に差しているホルスターが重く感じられる程、このままで戦うことはできないと思っているのに。もっとも、銃にあまり慣れていないっていうのもあるけれど。
 カラカラと手元から鳴る音は涼しげで、賑やかな喧騒と相まって心をウキウキとさせるかのようだった。そうだここは危険とは程遠い場所。アウギュステのリゾート地。戦闘とは無縁な場所だからこそ、団の皆でバカンスと洒落込んでいるわけで。今そんなことを考える必要なんてどこにもないのだ。
 波打ち際で水を掛け合う小さな子達、ビーチバレーに勤しむ団員に、海の方から聞こえる誰かを呼ぶ声。思い思いにバカンスを楽しんでいるようで、あぁやっぱりこれは平和だからこそなんだなぁ、と考えてしまう。
 普段は、常に危険と隣り合わせの生活をしているから。
「パーシヴァルさん、お待たせしました」
「……ん、あぁ。おかえり」
 テーブルの上に持っていた飲み物を置いて声を掛けると、本から顔を上げてにこやかに微笑んでくれた。それに同じように微笑みを返して、彼の隣に置いてある椅子に腰掛けて飲み物を一つ手に取ってストローに口を付けた。
「悪いな、買いに行かせてしまって」
「あなたのためならばこれくらい何てことないです」
「ふっ……言うようになったな」
 くすくすと笑って、手に持っていた本をテーブルに置いた。私と同じように飲み物を手に取って、ストローで中身を吸い上げた。
「あぁ、これは。団長が言っていた通り、美味いな」
「ですね。喉が渇いた時にぴったりって感じです」
 私が買ってきたのは、私達が属している騎空団の団長達がオススメしていた海の家の飲み物だ。何でも、甘いんだけどさっぱりしててとても美味しい、とのことで、では試しに、と私が二人分買ってきた次第だった。パーシヴァルさんは先日買ったばかりの兵法書をゆっくりと読みたいような雰囲気を出していたし。私の方はそれを読み終わるのを待つだけで暇だったから。
 少しばかりどろっとしている液体のトロピカルドリンクは、たしかに美味しかった。甘いんだけどさっぱりしている、という団長の言葉は言い得て妙で、たしかにすっきりとした味わいに感じた。もしかしたらミントか何かが入っているのかもしれない。夏に合わせた隠し味、というのはちょっとばかり変かもしれないけど。
 少しずつそれを飲みながら、周囲の景色をぼんやりと見る。真っ白い砂浜はきらきらと太陽の光を反射していてとても綺麗だった。その中を水着で駆けまわる団員達は元気だなぁ、と思ってしまう。せっかくの休みだということで、私にはそれだけの体力が全然なかった。
「ナマエ」
 そう思いながらジュースを啜っていると、不意に名前を呼ばれた。そちらに顔を向けると、少々幼い笑みを浮かべたパーシヴァルさんが手を差し出していた。
「少し、歩くか」
「……いいんですか」
 だってまだ本は途中でしょう、とそれを示せば、パーシヴァルさんはゆるりと首を横に振った。
「何、海に来てまでお前を放置するべきでもないと思ってな。それに、先程から随分とうるさい声が耳に入って集中もできん」
 うるさい声? と思うと、元気な叫び声が聞こえてきた。それは、フェードラッヘで馴染んだ声でもあった。そちらに顔を向ければ、金髪の男と黒髪の男がカラフルなボールを追いかけているところだった。その近くには、バケツを傍に置いた茶髪の男がいる。
 ……あぁ、なるほど。
 要するに、その声が集中力を乱しているのだろう。他の者の声であるならば、ないものとして扱うというのに、彼らのこととなるとどうもそうはいかないらしい。もっとも、それが信頼の証なのだと指摘すれば、パーシヴァルさんは少しばかり怒ってしまうけれど。
 親しくしているからこそ、その声が耳に入るのだ。彼にとっては、白竜騎士団の彼らは、それだけ大切な存在ということになる。もしもこれが団の仲間以外の声であるならば、ずっと本を読み続けていたであろうに。
 せっかく一緒に居る時間を作ってくれるというのだ。後で彼らにはかき氷でも奢ってあげようと心に決める。
 もちろん、パーシヴァルさんの好きなことをやってくれればそれだけでいいのだけど。でも、やっぱり一緒に二人だけで居る時間を作ってくれるのはそれ以上に嬉しいから。
「分かりました。では、これだけ飲んでしまいますので」
 先に飲まなければ温くなって美味しくなくなってしまいそうだ。氷が溶ければ液体のどろっとした感覚も変わってしまうし、味も薄まってしまう。少々速いペースでそれを飲み切れば、パーシヴァルさんには呆れられてしまった。
「急かしたつもりはないんだがな」
「少しでも長く一緒に居たいんです」
「ふっ、そうか」
 素直に思ったことを口に出せば満更でもなさそうな顔で返事が返ってきた。
「では、行くとしようか」
「はい」
 差し出された手を取って、立ち上がる。
 パラソルを出ると、強い日差しが照りつけて、つい目を眇めた。
「ナマエは、泳ぎはできるんだったか」
「はい。それなりに。この辺りはダイビングができると聞いてますので、明日行ってみようかと」
「誰かと行くのか?」
「いいえ?」
「……どうしてそうなる」
 どうして、と言われても。海の中を見てみたいと思うものが少ないからに決まっている。ゴーグルを着けるから視界は確保できるとはいっても、呼吸はそうではない。長いこと息を止めて潜らなければならない以上、それには危険が伴う。
 私はそうした訓練も積んできたが、他の団員が同じことができるはずもない。となれば、良いスポットがあると聞いたら、単身で潜るしかないのだ。まぁ、景色を独り占めできるといのは、それはそれで優越感があっていいものではあるけれど。
「他に潜れる人がいるとは聞いてないので、じゃあ一人でいいかなって」
「良くない。何かあったらどうするんだ。まして、海の中に一人で行くわけだろう。襲われたらどうする」
「大丈夫ですよ、そうそう何かあるわけ」
「ないとは限らんだろう」
 そう言われてしまえば痛い。たしかに、魔物が迷い込んでくることだってあるだろうし、何かの事故で上がって来れなくなるかもしれない。そうした場合の一人行動というのは命の危険に繋がりかねないものなので、パーシヴァルさんの言うことは正しい。
「お前、海の中では銃は使いものにならんということを忘れているな?」
 もはや返す言葉もなかった。水着を着ているのに長物を背負うのもちょっと、ということで護身用に携帯している銃をメインの武器として持ち歩いていたが、それは水中では使えない。火薬を爆発させられないのだから当たり前のことではある。
 正論に正論を重ねられれば、反論などできようはずもなかった。
 波打ち際で立ち止まると、パーシヴァルさんの足が止まった。
「俺は潜ることはできないが、沖まで泳ぐことはできる」
「……はぁ」
 その言葉が何を示しているのかよく分からずに生返事を返せば、パーシヴァルさんは呆れたように息を吐いた。
「だから一人で行くなと言っているんだ」
「……え、あっ、そういうことなんです!?」
「お前な……」
 今度こそ呆れきったような溜息を吐かれた。今ので分かれと言うのはちょっと無理があると思うのだが、どうなのだろう。
「分かってくれとまでは言うつもりはないが。俺は恋人をそう長く放っておく趣味はない」
 今もそうだろう、と言われてしまえば頷くしかなかった。どうやら白竜騎士団の面々はうまいこと出しに使われただけらしい。いや、うるさかったのも本当かもしれないけれど。
「やりたいことがあるなら遠慮せずに言え。叶えてやる。炎帝の名にかけてな」
「そ、そんな大層なことは……してもらわなくてもいいんですけど」
 どんと胸を張るパーシヴァルさんに苦笑を零した。何もそこまで、と思ってしまった。炎帝の名にかけて、なんてそんな。
「でも、一緒に居てもらえるなら、それだけで嬉しいです」
 僅かな時間でも一緒に居られるなら、それだけでよかった。
「パーシヴァルさんが一緒に来てくれるのなら」
 そっと手を握った。指を絡めると、そっと握り返してくれる。
「どこへ行くのでもいいんです。私がしたいことをするのは、パーシヴァルさんがお一人で何かをされる方がいいと思う時だけなので」
「ほぅ、それだと俺は、バカンスに来てまで本を読みたいだけだと思われていると?」
 見上げて微笑むと、何か不敵な笑みを浮かべられた。うん、何かまずいことを言ったかもしれない。
「ならば覚悟することだ、ナマエ。この俺が、夏の楽しみ方というものを教えてやる」
 キラキラと光を反射する海を背景に笑うパーシヴァルさんは、とても美しかった。そして、思う。やっぱり、何か間違ったことを言ったかもしれない、と。
 どこに行くのも、何をするのも構わないが。せめて体力を考えてほしいと、ぼんやりとそう思った。
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