第十章 | ナノ


第十章 
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第一話



 殺す、その言葉をルカさんが放った瞬間、室内の空気が下がった。びりびりと戸棚のガラスが揺れる。俺ですら感知できる強大な魔力に、飲まれかける。


「殺す、て」


 ぎゅ、とリンの手が毛布を掴む。蒼褪めた顔に、困惑が浮んでいる。


「ずっと、待っていた」


 ルカさんが一歩近付いた。俺の存在など見えないかのように、リンだけをまっすぐに見て。
 全員が、動けなかった。金縛りにあったかのような魔力の重さを噛み締めて、俺たちはただ彼女の動向を見るしかなくて。


「私を殺してくれる、あなた」
「せ、ん、せい」
「力を封印しておいて良かった。反動でよく育ってくれたもの」
「せんせ……先生が、」
「そう」


 白い指が、リンに伸びる。


「私が、魔王」


 その瞬間だった。
 魔力が消えた。
 そして、リンとルカさんの姿も。
 今まで何もなかったかのように。俺たち三人だけが取り残される。


「っ、リン!」


 ベッドの中が空っぽで。
 彼女は、杖を持っていなくて。
 本当に何も持たず、連れ去られてしまった。


「落ち着け、レン!」
「クオ、リンが」
「わかってる、落ち着け。何も変わってない」
「変わってんじゃねえか!」
「変わってない! 俺たちは、」


 ばしん、と、拳で殴られた。


「最初から目指すものは変わってない。魔王の城だ」
「城……」
「そうだな。レン、行けよ。リンの匂いくらいわかんだろ」
「俺は犬じゃねえよ」
「似たようなもんだろうが」


 ミクがターバンからはみ出た髪をかきあげて、にっと笑う。


「あたしが囮になろう。いくらでも目くらまししてやる。敵の目はあたしが貰うぜ」
「お前、それは、」
「おっと、ミクだけじゃない、俺もだ」
「あん? あたしの獲物横取りすんのかよ」
「手伝ってやろうって言ってんだよ。魔物の首なんかいらねえっての」
「言ったな。あれはあれでいろいろ使えるんだぜ」
「嫌だよ」


 軽口を叩いて、二人が小屋の外へ向かおうとする。俺は二人を引きとめようとして、止めた。


「クオ、ミク」
「何?」
「あん?」
「また後でな」
「おう」
「助けたらちゅーくらいしても良いと思うぜ、あたしは」
「は?! え、そ、……良いのか?」
「おいミクやめろよ、本気にしてんじゃねえか、可哀そうだろ」
「ああうん。今すげぇ反省してる」
「てめえらー!」


 笑いながら手を振り合った。
 大丈夫。きっと、あいつらは大丈夫だ。遠ざかっていく背中を見て、俺は、背を向ける。


「……よし」


 イアから預かった剣を背負い、自分の剣は利き手に。リンの杖をもう片方に持って。
 俺は、城を目指す。









20160515
























第二話



「え……っ」


 瞬きすらしなかったのに、その瞬間に景色ががらりと変わる。吹き荒ぶ風に一瞬目を奪われて、ここが屋外だと悟った。
 大きな城だ。この前攫われた城がちゃちな家に感じてしまうほど。地上何十メートルもの位置に広がる空間。石造りの床に、たいまつがぽつぽつと輝く。ずっと向う、彼女の奥に重厚な扉が見えた。城内への入り口だろう。
 彼女は、普段着のような格好で佇んでいた。この空間にはあまりに似つかわしくない格好で、余計に寒気を覚える。


「ここ、は」
「魔王の城。あなたたちは、ここを目指していたのよね?」
「先生、どうして」
「さようなら、リン」


 何が起きたかわからなかった。一瞬、先生の手元で何かが輝いたかと思ったら、物凄い圧力に吹き飛ばされる。身体が壁に叩きつけられて、息が詰まった。


「先生……っ」
「綺麗になったわね、リン」
「きゃあっ」
「服装は地味よ、旅姿だからね。でも、とても綺麗になった」
「うぐっ」
「女らしくなったわ。恋でもしているのかしら」
「ああああああ!」
「可哀そうに」
「あくっ」


 かつ、かつ、と足音がする。動けない。ぴくりとも動かない指先。
 ぐっと掴まれた髪を持ち上げられて、彼女と目が合う。あたしの記憶にはどこにもない、酷く冷たい目をしていた。


「あなた、さっき随分懐かしいものを持っていたようね」
「……なに……」
「あの杖。杖がないと、あなた、魔法が使えないのね」
「………っ」
「懐かしいわ。あの杖。私が昔使っていたの」
「え……あれ、は、」


 先の、昔の戦いで魔王を封印するために使われたって、聞いた。
 だから、彼女が使ったとは思えない。


「ええ。私が、先の戦いで魔王を倒した魔術師」


 彼女は、そして。
 真実を口にする。


「魔王を倒すための魔法はね、自らの敵を倒すかわりに、自らの敵をうちに招きこむ」
「せんせ……!」
「だから私は、魔王を倒した後自分に魔法をかけた。封印の魔法。あなたの知っている私は、影よ。だから誰の記憶にも残らなかった」


 影……?
 思い返した、あたしを慈しんでくれた手。
 温度があった。あたたかかった。優しかった。
 影、なんかじゃなかった。


「でも、あいつが私に近付いたことで私の封印の魔法が解けてしまった」
「あいつ?」
「魔王を永久に倒すことが出来る男。可愛そうな子」
「……かわい、そう?」
「私を殺してほしかった。でも、あなたに同じ気持ちを味わわせるのは可哀そう」


 ぐ、と、首に負荷がかかる。
 苦しい。息が、出来ない。


「さよなら、私の可愛い弟子」


 ああ――先生。
 あたし、ずっと、先生のこと心配でした。
 あの日。あたしたちの街が襲われたとき、先生が住んでいるところが危険だって聞いたから。
 ずっと気になってたの。
 でも、よかった。無事だったの。
 目を開く。先生の目。ああ、もしかしたら、そう見えてしまうだけなのかもしれない。でも、悲しそうに見えた。
 先生。先の戦いは数百年も前の話だって。
 先生は、ずっと一人で生きていたの。
 それは、悲しいね。
 とてもとても、悲しい。


「――……」


 あたしは、呪文を囁いた。短く簡単なもので、先生の目の先で泡を弾けさせることくらいしか力のない魔法。
 それでも、杖がないと魔法が使えないと思っている彼女に驚くくらいの効果があって、その隙にあたしは飛び下がった。


「リン……!」
「先生、あたし、死ねない」


 涙が零れた。
 先生が優しく笑う。


「あなたが、魔王になるのよ」
「ええ」
「何百年と一人で生きるの」
「はい」
「たった、一人で」
「はい」
「死にたくても死ねない。眠っていても、悪夢に苛まれる」
「はい」
「私の前の魔王も、そうだった」
「……」
「あなたが、殺してくれるの」
「――先生」


 両手をかざす。
 あの杖が、最初に教えてくれた魔法。
 これを使ったらどうなるか、なんて。
 もう、良いの。


「あなたが辿った道を、今度はきっと変えて見せる」


 その言葉がどんなに重いか、知っている。
 先生が笑った。









20160515

























第三話



「退けえええええええ!」


 返り血はどす黒く。
 悲鳴はガラスを引っ掻くように耳触りで。
 でも、それら全てに関わっている時間が惜しい。
 俺は森の中を疾走していた。もう大体の方角はわかっている。木々の向こうからちらちらと見える大きな建物。あれを目指せばいい。
 どこかで爆発音が立て続けに聞こえている。クオとミクが敵を引きつけていてくれるから、俺の前方に敵の数はそれほど多くはない。覚悟していたよりは。
 森の中だから、なんとかやっていける。これが広い荒野だったら酷かった。そんなことを思いながら、木を駆けのぼり敵の頭上を駆け抜ける。地面を見つけて降り立ったところで。


「おわっ!?」


 穴が開いた。
 落とし穴か!? 不味い、底に竹槍とかあるのが定番だ。だとしたら死は免れない。慌てて落ちるのを止めようとして、


「大丈夫っすよ」
「え?」


 下は大きな空洞。薄暗いが目が効くのは、わらわらと動く影がぽつぽつとたいまつを持っているからだ。
 身の丈は子供のよう。けれど、顔や身体付きはいかつく大人のそれ。手には斧や鍬を持っている。


「……ドワーフか?」
「あい。善き友の呼びかけに応じて、参った」
「我らが道を作る。城へ急ぐが良い」


 示された道の向こうから、風が通っている。ああ、そうか。
 俺は松明を受け取って、笑った。


「ありがとう。この恩は忘れない」
「良いから、急いでくれ」
「魔王の封印を」


 俺は駆け出した。
 もう、わかっている。俺がすべきこと。そして歴代の剣士が出来なかったこと。
 リンに渡された杖がそうだったように。
 俺に渡された剣も、俺に教えてくれた。
 見えた穴の出口。ぼんやりと光る天井に手をかけてよじ登ると、そこは建物のなかだった。重苦しい雰囲気、石の煉瓦で出来た室内はがらんどうとしていた。
 ここからは、全部、勘だった。どこに何があるかもわからない。それでも、進まなければならなかった。城内はがらんどうかと思ったが勿論そんなことはなく、城を守っていたらしい甲冑兵がいた。それを薙ぎ倒すようにして振り払い、上を、目指す。
 見えた扉を開けたのは、偶然。
 そこにあった光景に、俺は、安堵した。


「リン――――――!」


 間に合った。








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第四話



「それを使ったらあんたを殺すぜ」
「そうかい」


 周囲を敵に囲まれた。もうミクの爆弾もなく、飛び道具もない。出来るだけ敵を多く引きつけなければならなかったから、俺たちは派手に暴れた。あれからどのくらいの時間が経過しただろう。もう、空が白み始めている。
 自分たちの力で出来るのはここまで。こうなったら、ミクには一度見せている、召喚術に頼るしかない。
 それがわかったのだろう、俺と背中合わせに敵と対峙しているミクが殺気に満ちた声を飛ばしてきた。


「だとしても、この状況じゃ結果に代わりねえな。ミクに殺されるか、敵に殺されるか」
「そりゃそうだ。よし、前言撤回する。使えよクオ。後で殺してやるから」
「お前な」
「言ったろ、あたしは魔法使いが大嫌いなんだ」
「リンのことは可愛がってた癖に?」
「あいつは、花屋の娘なんだろ」


 馬鹿だなぁ、こいつ。
 俺も、馬鹿だけど。この馬鹿に殺されるなら良いかと、漠然と思ってしまったから。
 笑いながら、俺は陣を描いた特殊な布を取り出した。精神を集中させて、呪文を唱えれば。


「おい、ミク」
「あん?」
「あいつらには幸せになってほしいな」
「ああ、そうだな」


 底なしの馬鹿な剣士と。
 素直じゃない魔術師。
 俺は笑いながら呪文を唱えようとして、


「―――――」


 突如として周囲を照らした光に、息を飲んだ。








20160515























第五話



 さようなら、と言った言葉が重かった。
 さようなら、と笑った彼女が、悲しかった。
 止まらない涙。さよなら、さよなら、さよなら。

 さよなら、あの人。

 魔法が発動した瞬間、先生は満足げに微笑んでありがとうとさよならを告げた。そして、ごめんね、と。全ての言葉が重く、全ての言葉に意味があった。
 先生の身体が光りを放つ。なんて、綺麗。髪が靡いて、星の光に紛れるように――散っていく。
 それを黙って見上げて、最後の光りの粒子が消えそうになったときに。
 黒く靄がかった何かがその場に現れた。暫らく迷うようにふわふわと浮んでいたけれど、先生の光が消えたときに動きが定まった。
 あたしのところへ、まっすぐに。
 あれを受け入れたら、あたしは自分自身に封印をかけなければいけないだろう。わかっていた。本当は、あれを斬ることが出来るのは彼だけ。
 でも、そうしたらあたしは死んでしまう。彼がそれを選ぶとは思えなかったし、何より、重荷を背負わせたくなかった。
 もっと、嫌われておけばよかった。
 憎まれて、蔑まれて、殺意を抱かれる存在になっていれば。
 さよなら、さよなら、さよなら。
 覚悟を、決めた。



「―――――リン!」



 …………なん、で。


「……レン…………?」
「あああああああああああああああ!」


 目の前にレンがいた。魔王の闇は、失せている。否、違う。
 レンの中に、入ってしまった。
 どうして、どうして、どうして。パニックになりながら近付こうとしたとき、来るなと、突き飛ばされた。思いの外強すぎる力で、力の抜けたあたしの身体は簡単に吹き飛んでしまう。
 レンが、笑う。


「前の魔術師に付いていた剣士は、彼女が好きだったから、斬れなかった」


 やめて。
 何をするか悟って、あたしはレンに駆け寄ろうとして愕然とした。
 力が、残っていない。


「俺もそうだ。リンは斬れない」


 レンが抜いたのは、イアさんから託された刀身のない剣。けれどわかった。レンの剣の抜き方。あたしに見えないだけで、ちゃんと刀身があるんだ。


「レン……!」


 レンは何も言わずに、あたしには見えない刀身で自分の胸を。


「やめてえええええええええええええええええ!」


――貫いた。
 目も眩むほどの光。それが晴れたとき、レンが崩れ落ちた。
 這うように、力を振り絞る。いやだ、いやだ、いやだ――。


「レン、レン、レン……!」


 瞼が震える。蒼褪めた顔で、レンが目を開けた。でも、それは。
 ふっと零れた、柔らかい笑み。伸ばした冷たい指が、あたしの頬に触れる。ぽつん、ぽつん、とレンの頬に落ちた涙で、自分が泣いていることに気付いた。レンの身体が透明味を帯びていく。
 待って。待って。


「レン、待って、行かないで、あたし、」
「……お前は、俺に、笑ってくれなかったけど」
「やだ、やだよ、お願いだから……!」
「俺のために泣いてくれるっての、贅沢だな」
「レン、嫌よ、お願い、」


 消えていく。温度がなくなっていく。
 止めるように抱き締めても。どんどん、どんどん、光の粒になって、風に。


「リン。お前と会えてよかった」


 その言葉を残して。
 レンは、消えてしまった。
 いくら泣いても、叫んでも、待ってくれなかった。


「いやあああああああああ!」


 レンに、死んでほしくないから。
 苦しんで欲しくないから。
 だから、だから。
 それなのに、全部裏目に出てしまった。
 どうして、どうして、どうして。
 時間が巻き戻ってくれたら、もっと、大事に出来たのかしら。
 全部、やり直したいのに。あの人に、出会わなければ良かった。
 そうしたら、あの人を失わずに済んだのに。
 あたしなんか、いなくなったってよかったのに。

 泣いて、泣いて、泣いて。
 見上げた空は、朝日が昇っていた。
 ふらふらと立ち上がり、城から見下ろした森は、闇の気配が薄れていて。
 ああ、もう、あの人はいないのだと。
 実感して、涙が止まらなくなる。


――娘よ。


 風に聞こえた、声。
 心に直接響くようなそれに、もたもたと振り返る。
 そこには、翡翠色の竜がいた。


――案ずるな。娘。


 誰。口だけで囁いた。竜の姿が透過して、向こうの空が見える。この竜は生きていないのだと思ったけれど、怖くはなかった。竜がひどく優しい目をしていたからかもしれない。


――あれは、竜の加護を受けている。だから、案ずるな。
――……竜の、加護……?
――娘。我が息子を頼んだ。


 竜はあたしの頬に鼻先を近付けた。身を寄せると、身体の感触はないのに、あたたかかった。


――レンは、


 生きて、いる。








20160515