第九章 | ナノ


第九章 
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第一話



 夢を見た。今となっては遠く感じる昔、親父と山にいた頃の夢。山を駆けて、川に投げ込まれて、そんな、平和な日々の頃の。

『――  』

 何か、言っている?
 見上げた翡翠の瞳。懐かしい、そう思うよりも先に、彼の言葉が聞こえなくて眉を潜める。近付こうと足を踏み出して、
 目が、覚めた。


「お……」


 まだ空は暗かった。星空が木々の向こうに見える。身じろぎすると、どうした、と静かな声が聞こえた。


「まだ寝てろよ。代わってくれんなら頼むけど」
「今見張り、お前か、ミク」
「さっき三十分くらい前にリンと代わった」


 視線を辿り隣を見ると、俺の方を向いてすぅすぅと寝息を立てるリンがいて息が止まった。なんで、ここに。いや、まぁ円を作るようにして座ったけど、当初もう少しミクのほうに近かったような。
 騒ぐなよ、とミクが釘をさす。


「疲れてんだろ」
「わ、かってるよ」
「騒がねえなら寝込み襲っても構わねえよ、あたしは」
「ねこ……!?」
「騒ぐなって」
「ぐぐぐ……、お前最近クオに似て来てんぞ」
「そこのにやけ男と一緒にすんな」


 本当に嫌なようだった。
 ミクがふぅと溜息を吐いて空を見上げる。唯一の光源である月が柔らかい光を放っていた。こんな敵地の真っ只中にいるのに、月は変わらず綺麗だ。
 一度国を抜け、裏手から魔王の森に入って数週間。リンは日に日に困憊しているようで、何も言わないけれど酷く切羽詰まっているように見えた。
 多分、もうすぐ。
 誰もそれに触れないけれど、きっと、もうすぐ。この森は酷く薄暗く、奥へ進めば進むほどそれが増している。これまで何度も敵に遭遇し、その頻度も多くなってきた。夜に数時間、眠れるだけでも良い方だ。
 大丈夫かな。リン。
 髪に触れたくなって我慢する。女の髪は命だとか言われてたし、ここでなんかやったら絶対ミクになんか言われる。でも、リンの小さな手が俺の服の裾を握っているのが見えて心臓が止まりそうになった。
 可愛い。可愛い。可愛い――。


「おい、目がマジだぞ」
「おっ!?」
「あたしのこと忘れてただろ」
「んなっ、一瞬だけだぞ!?」
「……ちょっと」


 徐に、むくりとリンが起き上がった。不機嫌そうな顔で俺を見て、頭を叩く。


「うるさい」
「ごめんなさい」


 そしてそのまま再び夢の中へ。崩れ落ちそうに眠るから慌てて抱きとめて、ゆっくりと寝かせてやる。
 しん、と静まりかえった森の中に、押し殺したような笑い声が二つ。


「笑ってんじゃねえよ。つかクオ、てめぇいつから起きてた!?」
「静かにしろよ、また怒られるぞ」
「ぐぅ……っ」


 すげぇむかついた。








201605015





















第二話



 昼間の森は、まだ歩きやすかった。魔物たちは夜に動くから、らしい。だから俺たちは昼間の森を出来るだけ早く歩く。
 俺とクオを先頭に、後ろで女の子二人が何やら毒づきながら付いてくる。相変わらず仲が良いのか悪いのかわからない二人だ。
 おい、とクオが俺に身を寄せた。何だこいつ、近いな気持ち悪い。


「不安がってるみたいだから手ぇ握ってやれば?」
「お前の!?」
「あほか、気持ち悪いな」
「お前に言われたかねぇよ」


 ちらりとクオの視線が後ろに向いた。不安がっている、それは、彼女の顔色を見ればよくわかった。


「いや……俺、こないだ振られてんだけど」
「吊り橋効果って知ってるか?」
「何それ」
「恐怖をときめきと勘違いさせる魔法」
「………つけ込むって言わねェ?」
「つーかな、足場悪いのに放っといて良いのか」
「あっ」


 慌ててリンを振り返ったけど、彼女はどうやら会話が聞こえていたらしくぷいっとそっぽを向き、ついでとばかりに空いていた片手をミクの鞄に滑らせた。にやにや笑いのミクの視線が鬱陶しい。
 けれどその視線が突如として険しいものになる。ああ。
 敵だ。










20160515





















第三話



 杖が、重い。
 触れているだけでこの杖はいろんなことをあたしに語りかけてくる。もういろんな魔法を覚えたし、魔力の制御の仕方もわかった。頭がクリアになって、同時に、あたし自身も希薄になっていくような錯覚を覚える。
 この杖に、塗り替えられてしまいそうで怖いのだ。
 杖の力はあまり使いたくない。でも、使わないと足手まといになってしまう、ジレンマ。
 それでなくても、あたしは彼らに迷惑ばかりかけているのに。
 一緒に来てくれた。それが、どれだけ難しいことなのか。命懸けの旅路。ついこの間知ったばかりのあたしと一緒に来ることが、どれだけ彼らの命を危険にさらすのか。
 怖いことばかりで、逃げ出したくなる。
杖を渡してくれたイアさんは、あたしに大丈夫だと告げて別行動をとっている。杖を渡したことを報告しなければならないらしい。もう、会えないのだろうと、なんとなく思った。
 遭遇した魔物は、ゴブリンの一個隊だった。数は多くても彼らにとって敵ではなくて、すぐに殲滅させられる。
 ここで脅威となるのは、この騒ぎを聞きつけて他の魔物たちが来ることだ。だから早く逃げなければならない。


「リン!」


 レンがあたしの方を向いて、手を差し出した。逃げるとなれば、今まで以上に急がなければならない。だから体力がないあたしがレンの手を借りなければならないのだ。レンもごく自然に手を差し出してくれる。それに手を乗せようとして。


「あっ……!」


 足首に、痛みが走る。突然のことに動揺して転ぶと、何故か、足に力が入らない。


「どうした、リン!?」
「何か……噛まれた、みたい」


 靴下を脱ぐと、血の跡がてんてんと二つ。くらくら、頭が揺れる。視界の端に何か縞模様のものが映り、遠ざかっていく。


「蛇だ! レン、吸い出せ」
「!」


 レンは躊躇わなかった。あたしの足に口を近づけて、毒交じりの血を吸い出していく。ミクがあたしのふくらはぎのあたりに布をきつくまきつけた。
 くらくら、くらくら。ああ、視界が。


「毒の周りが早い……!?」


 何かが、近付いてくる。
 それがわかったのに、あたしの意識はそこまでしかもたなかった。












20160515

























第四話



 くたりと力の抜けた姿を見て、頭が真っ白になる。しっかりしろ、と肩を掴んだ手はクオに止められた。


「動かすな、毒が余計に回る」
「く……!」
「それより、」
「どうしたの?」


 聞こえた声は。
 聞き慣れない、女の声。
 慌てて振り返ると、木立ちの向こうに見えたのは、人間の女だった。妙齢で、濃い桃色の髪を靡かせた軽装。彼女は俺たちを不思議そうな顔で眺めて、それから気絶したリンを認めたはっと息を飲んだ。


「その子どうしたの!?」
「毒蛇に……」
「大変。うちに運びなさい。薬があるわ」


 こっち、と指差した方を見て、警戒する。ここは魔王の森、人間の、しかも若い女がいるはずがない。罠、と見るのが妥当か。
 それがわかったのだろう、彼女は指差した手を下ろし、俺たちを厳しい顔で見た。


「貴方達が警戒するのもわかるわ。私の名前はルカ。魔物の生態を調べる学者をしているから、ここに住んでいるの。だからうちに行けば蛇の薬くらいある。警戒はわかるけど、良いから来なさい。もし何もしなければその子本当に死んじゃうわよ」


 どうする。彼女の目はまっすぐに俺たちを見据えている。苛立たしげにたんたんと地面を蹴り、心配そうな目でリンを見ていた。彼女の言葉を信じていいのか。それとも、敵とみなしていいのか。
 動いたのは、クオだった。


「レン、リンを背負え。そっとだぞ」
「クオ、お前」
「ここで戸惑ってもリンが悪くなるだけだ。一か八か、乗った方が良い」
「でも」
「俺が先に立つ。お前は少し離れて付いて来い。俺に何かあったらすぐ逃げろ。良いな?」
「お前……」


 でも結局、クオの警戒は杞憂だったらしい。連れられたのは今にも倒壊しそうな、蔦に覆われ一見してそうとはわからないボロ屋。けれど、中は至って普通の、女性の一人暮らしらしい小奇麗な部屋だった。
 リンをベッドに寝かせた彼女は、透明な液体を戸棚から取り出した。


「これが毒じゃないって保証はないけれど」
「そうだな」
「私が飲んで見せましょうか」
「俺が飲む」


 彼女の手からそれを引っ手繰って、手に出した水のような液体を舐める。味も匂いもない、本当に、水みたいだ。
 特に、身体に変調はない。


「毒見は済んだ?」
「ああ」


 彼女はリンを抱き起こして、赤ん坊にミルクを飲ませるようにリンの口に薬を運んだ。ゆっくり、ゆっくり、飲ませていく。体勢の所為か、彼女が慈しむような表情に見えた。
 しばらく、リンを眺めていた。リンは薬が効いてきたのか、すこしずつ呼吸が穏やかになっていった。よかった。本当に、よかった。
 そのタイミングを読んだかのように、座って、と、ルカと名乗った女が柔らかい声を出した。


「紅茶で良いかしら。お客さんなんて久々だわ」


 テーブルの椅子を進めて、自分は戸棚を漁る。その言葉通り、浮き浮きと楽しそうに見えた。


「ルカさん、助かりました」
「いいえ。間に合ってよかったわ」
「俺はクオで、一応祈祷師をしています。この森に迷い込んでしまったのですが、あなたがいてくれてよかった。いつからここに?」
「数年前かしらね。闇に生きるものたちの研究をしていてね、この辺りの子たちとは意思疎通が出来るまでになったわ」
「それは、本当ですか?」
「ええ、魔王に仕えているなんて言っても、下っ端のゴブリンなんかは意味もわからずってことが多いから。だから、根気よく接すればなんとかなるの」


 目を丸くした。彼女は随分好奇心旺盛な性質らしく、今まで踏み入れられなかった闇の者たちのことが気になったという。彼女の話は聞き慣れないことばかりでなかなか面白かった。ゴブリンの習性や食生活なんて知らなかったし。
 紅茶も冷めきり、二杯目を飲み始めたところだった。


「ん……」
「リン?」


 リンが目を覚ました。
 ベッド脇に駆け寄り、ぼんやりと目を開く彼女の様子を伺う。


「犬みたいでしょ、あいつ」
「恋仲なの?」
「ストーカー紛いの片想いです。一応」
「クオ、聞こえてんだからな!」
「知ってる」
「誰……?」


 聞き慣れない声を拾ってか、リンはゆっくりと身を起こした。それを助け起こしながら、ルカさんに視線をやった。


「リンを助けてくれた人だよ」
「具合はいかが?」
「………え?」


 ぼんやりとした目が、ルカさんを認めてぱしぱしと瞬きを繰り返す。大きく、丸く。
 疑問を映した。


「……先生……?」


 か細い声。
 けれど、聞こえた。
 先生って……そういえば、彼女に呪いを教えていた先生がいたことを聞いていた。
 ルカさんが?


「どう、して、ここに……」


 違和感が形を成していく。ルカさんは数年前からここにいると言っていた。俺たちがリンの生まれ故郷を旅だったのは、一年ほど前。計算が合わない。
 ルカさんは、穏やかな表情のままこてっと首を傾げた。


「私があげた封印の首飾りも、腕環も、解けてしまったのね」
「あ……壊れて……ふう、いん?」
「忘却の魔法をかけたのに、やっぱりあなたには、効きが悪いのかしら」


 その瞬間。
 思い出した。
 俺は彼女に会ったことがある――あの街で。


『魔王が復活してしまったよ。……可哀そうに』


 ローブを被ったしゃがれ声。けれど、顔は、はっきりと見たはずなのに。
 俺は、それを認識していなかった。
 今思い出す。彼女の、ルカさんの顔、だった。
 かた、と音を立ててルカさんが立ち上がる。


「久しぶりね、リン。――私を殺す、愛弟子」









20160515


毒蛇の血は感染症とかの観点から口で吸い出さないほうが良いようですね。お気を付け下さい。