第八章 | ナノ


第八章 
 第一話
 第二話
 第三話






























第一話



 床に広げられた地図に、視線が集まる。こうして見ると、とても広い国だと思う。横に広がる国土は周囲を山々に囲まれている。そこから先はよその国。あちこちに街が栄え、人々が暮らしているのだ。


「魔王がどこにいるのかは、憶測になるけれど」


 イアさんは細く白い指を地図の左手へ走らせた。


「西の森ははるか昔から魔のものの住処としていつも暗い。我らエルフですら近付かない場所。そのずっと奥に、城があると言われているの」
「城?」
「先の戦いで魔王が棲んでいた城。魔王の姿は確認されていないけれど、魔物たちの動きはここから来ていることはもうわかってる。だから、きっと今の魔王もここに」
「なるほどな」


 クオくんが腕を組み、何かを考えながら唸った。あたしたちがいるのは北方。今まで歩いてきた距離を見て、ひとつきで辿りつけるかどうか。それに、そろそろ追手が厳しくなったために表通りは通れないし、城を守る森も何があるかわからない。
 というより、どこから入ればいいのだろう……。
 イアさんはあたしの考えを読んだように、最短距離は難しいと言った。


「あなた方の大体の位置は向うに漏れているから。その方面は敵が多い」
「なら、一度国を出た方が良いな」


 クオくんの指が地図を辿る。あたしたちのいる大体の位置を指して、そのまま北上して西の森の裏へ。


「こっちはどうなんだ?」
「ええ、恐らくそれが一番敵の少ない道かと。けれど、決して簡単ではないわ」
「そうだね」
「我らが一族は、各地の仲間へ声をかけ始めているわ。全ての善き友人たちに、貴方方の力となるよう言付けましょう」
「善き友人って誰だ?」
「エルフやドワーフ、妖精とか、魔物以外の意思を持つ生き物のことだよ、ミク」
「ドラゴンは?」
「彼らは中立だからね」


 当事者はあたしなのに。
 それなのに、彼らの声がひどく遠く感じた。この場にいなければいけないとわかっているのに、意識が宙を彷徨う。眠り掛けているわけでも、気絶しかけているわけでもないのに、言葉が頭をすり抜けて行く。
 これじゃ、駄目なのに。
 唇を噛んだ痛みにしゃきっとするかと思えばただ痛いだけだった。
 そのときに、ふと右手に触れてきた温もり。
 あたしたちは円になり地べたに座って作戦会議をしていた。あたしの右隣にいたのは、レンで。
 レンの顔を見上げたけれど、視線は絡まなかった。真剣な表情で地図を見下ろしている。安心させるように手の力だけが込められる。
 ああ、もう。
 そうだな、と思った。この暖かさは、なくしたくないもの。
 目を瞑る。大丈夫。大丈夫。あたし、強くなったわ。
 ぎゅ、と握り返すと、レンは大きく目を見開いて。
 微かに、あたしにしかわからないみたいに笑った。








201605014





















第二話



 今いる城は、クオくんやミクたちと一緒に連れ去られてしまったところだった。敵は一掃して追い出し、今クオくんが特殊な道具を使って結界を張ってくれている。
 安全だとわかっていても、どこか禍々しい小さなこの城は、夜になると一層不気味。光がなく、真っ黒なシルエットを微かに浮かび上がらせる。
 あたしはそれを見上げて、そっと目を逸らした。
 今まであたしがここまで来れたのは、彼らが助けてくれて、守ってくれたからだとわかっている。
 クオくんは、魔術の基礎を教えてくれて。失敗したらさりげなくフォローしてくれた。
 ミクは、口では暴言を吐きながら体力のないあたしをよく庇ってくれた。魔術師は嫌いだと言いながら、あたしはあたしとして見てくれた。
 レンは。
 最初、軽い人だと思った。いきなり初対面であんなこと言い出すなんて、どうかと思ったし、旅人ですぐいなくなる人だからって。
 でも、本当なら全然関係ないのに、必死にあたしを守ってくれて、馬鹿なくせに妙に勘が鋭くて、落ちこんでいたり、泣いていたり、そんなときは優しい距離で傍にいてくれた。
 泣いている姿を見た時、あたしを抱きしめたというよりは縋りついてきた姿を見た時、いつも笑っているこの人もいつも笑っているわけじゃないことを実感して、一気に身近に感じた。
 傍にいたいと、思ってしまった。


「ばいばい」


 マントをしっかり着込んで、イアさんから預かった杖を持って。
 あたしは城を後にする。明日、皆は置き手紙を読んでくれると思う。追いかけてこようとするかもしれないけれど、追い付けないだろう。足元が浮んだ。あたしは、もう、空を駆ける術を知っていた。


「うわっ、リン、空飛ぶのは駄目だって!」
「………え?」


 突如聞こえた――声。
 手首を掴んだあたたかさ。
 振り返ればレンがいて、あたしを見上げてにこっと笑った。


「先は長いんだから、ここで力遣いすぎたら持たないだろ」
「な、ん……」
「夜中のほうが見つかりにくいもんなー。さっすがリン」
「あ、あたし、」


 振り払おうとした手が、振り払えなかった。


「一人で行くわ」
「じょーだん」


 笑顔を浮かべていたレンが、ここではっきりとあたしを睨む。
今までそんな目でレンに見られたことがなかったから、その視線の鋭さに思わず息を飲んだ。


「泣こうが喚こうが付いてってやる」
「何で……」
「一人にしたくないから。言ったろ。俺はお前が好きなんだ」


 魔法が解けた。
 足が地面を踏む。けれどその感触がわからない。ちゃんと立てているかも怪しくて、ただ、レンに掴まれた手首だけが熱かった。


「……あたし、は」


 何で、何で、何で。
 頭の中を、見当違いにレンに八つ当たりする言葉ばかり溢れてくる。ずるい、酷い。今、それを言うなんて。


「あたしは、あんたなんか嫌いよ」
「ああ。……知ってるよ」


 嘘吐き。あたしも、あんたも、嘘吐きよ。
 嫌いなんかじゃないのに。
 知らない癖に。
 あたしは少しだけ後退りをして、空いた手で胸元を押さえる。ずきん、と奥の方で痛む胸。ねえ、いつの間にかそこで育っていた感情。知らない間に見ていた横顔。気付かれたくなくて、気付いて欲しくて、逸らした目。
 知らない癖に、知らない癖に。

 これが、恋じゃなかったら。
 そうしたら、素直に巻き込んでしまえたのかしら。

 息が苦しくて、泣きだしてしまいそうで。
 逸らした目の先で、茂みが動くのが見えた。
 ……あれって。
 一気に頭が冷める。レンもあたしの視線に気付いて、拗ねたように唇を尖らせた。


「大体あいつらが付いてく気満々なのに、俺だけ違うっておかしいだろ」
「……何よそれ……」


 おい、とレンが声をかけると、もう気付いていたことに気付いていたのだろう、悪びれない顔でクオくんとミクが出て来た。すっかり旅支度を整えている。その後ろで、イアさんがにこりと笑った。


「いやぁ、良い雰囲気になったら後でネタにしようと思ってさ」
「清々しいほど正直だなお前」
「あたしも強請ろうかと思って」
「輪をかけて酷いぞ!?」


 レンの顔が見る間に赤くなっていく。それでも手を放さないのが、無性にくすぐったい。
 イアさんが口を開いた。


「ここからは……これまでもそうでしょうけど、命懸け。興味本位でのことなら返った方がいいわ」
「馬鹿にしないでくれる?」


 振り向いて反射的な勢いで噛みついたのは、ミクだった。


「あたしらは仲間と認めたやつを見捨てない。死なば諸とも、死にたくないから足掻くだけ」
「俺は興味本位だったけど」
「あんたってそういう奴だよな」
「ま、ここで舟を降りたら俺の仕事が増えるからね。根源から絶たないと」


 イアさんは微かに口元に笑みを浮かべて、レンを見据えた。


「あなたは?」
「リンが幸せに暮らしていける世界が欲しい」


 馬鹿じゃないの。
 あんた、あたしに嫌われてるって思ってる癖に。
 何で、そうやって、すぐにあたしのことを言えるの。
 馬鹿じゃないの。


「そう」


 イアさんはクオくんとミクの間を通り過ぎて、レンの前に立つ。
 ローブの中から鞘におさめられた剣をレンに差し出した。


「? これは」
「先の戦いで使われなかった剣よ」
「! 俺に、渡したい物?」
「ええ」


 もしかしたら、レンは。
 何かを聞いているのかもしれない。探るような目でイアさんを見つめている。それが手元の剣に落ちて。
 ゆっくりと、剣を抜いた。


「!」
「使われなかった剣って……柄しかないじゃねえか」


 いつの間にか近付いてきたミクがレンの手元を見て言った。そう、そこに刀身はなく、空虚さのみが広がっていた。


「それで魔王を倒すことが出来るという伝説が」
「魔王どころかゴブリンすら倒せそうにないけど」


 レンは、かちゃんと柄を鞘に嵌めてイアさんを再度見た。


「――わかった。イア」


 少しだけ。
 胸騒ぎを覚えた。










20160514





















第三話



――貴方方に渡したい物があって。


 最初に会ったとき、イアはそう言っていた。何を、と聞けば、俺に渡すものは俺自身を見てから渡すかどうか決めると言われた。
 答えが出たのか。
 隣を歩くリンを見下ろして、元から持っていた俺の剣と一緒に背中に吊るしていた「預かり物」を思う。
 リンやクオ、ミクは、刀身がないと驚いていた。
 俺はその言葉に驚いた。
 俺の目には、水に濡れたような青白い光を放つ剣が見えたから。
 俺にしか、見えない。
 それがわかったのだろう、彼女は微かに頷いて、瞳の奥に哀れむような光りを浮かべた。

 いつか、占い師に言われた。
 二人の魔女に会うだろう、と。
 それが俺の運命を変えるだろうと。
 養い親のドラゴンから山を追い出されてから当てもなく修行をしていた俺は、なら会ってやろうとちょっとした好奇心を満たすために探していた。
 イアは、それを知っていたらしい。というか、俺が魔女を探しているというのは割と有名な話だったようだ。彼女はそれを語った。


『何で知ってんだ?』
『我らにもまじないが出来るものがいる。預言よ。ドラゴンに育てられた人の子が、次の魔王を倒すことが出来ると』
『……他にもいるんじゃねえか』
『いないのよ。だから私たちはあなたを知っていた』


 そうだ、あのとき彼女は、あの哀れむような目で俺を見ていた。


『あなたが出会った二人目の魔女は、貴方を死に追いやるのかしら』
『……は? どういうことだよ、そんな強いやつなのか』
『あなたはもう、二人の魔女に出会っているでしょう?』


 一人目は、リンのことだろう。でも、二人目がわからない。いまだに。
 困惑の目を示すと、彼女はそれがわかったのだろう、首を振って口を閉ざしたのだった。











20160514