第七章 | ナノ


第七章 
 第一話
 第二話
 第三話
 第四話
 第五話
 第六話































第一話



「ああ、やっと」


 薄茶のローブは長旅に汚れくたびれていた。頭から羽織るそれは身体全体を隠し、その人物をぼやけさせている。背の高い青毛の馬が大人しく眼前を見下ろし騎乗の指示を待つ。
 目の前には垂直に崖が出来ており、その下に木々が広がっていた。青々と茂る森の木々はその下に生きる生命を静かに隠しているが、問題はなく追跡できる。ローブの下から思慮深い目が光った。


「行かないと」


 軽い布の靴を履いた足が、音も無く地面を蹴って馬に飛び乗った。







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第二話



 近付いてくる気配に、俺たちは全力で逃げていた。馬の蹄の音。鬱蒼と木々が茂るこの森では馬は走りにくそうだとは思うが、それにしたって背後の追跡者は馬の扱いに長けているらしい。このままでは追いつかれてしまいそうだ。
 それに、リンが辛そうに見える。肩で息をしていた。俺は引いていた彼女の手を放すと、剣を抜いて立ち止まる。


「レン?」
「先に行ってろ。俺が足止めする」
「おい、こんな綺麗な死亡フラグ初めて見たぞ」
「誰が死ぬかよ」
「乱立させんじゃねえ」


 クオの空気の読めない軽口はいつものこと。ぱん、と手を打ち合わせて背を向けた。


「ちょっと待って、クオくん、レンは、」
「こいつなら心配いらないよ。脳筋だからね」
「森のことならあたしに任せろ。出来るだけわかりにくい道行くぞ」
「おい、俺がわかるようにしとけよ」
「よし、任せろ」
「不安だらけなんだけど。良いからさっさと行け」
「レン、」


 背中に、手が触れた。どきり、そんな場合じゃないのに、心臓が音を立てる。
 ああ、くそ、不安そうな声も可愛いとか思ってしまう。俺って馬鹿だ。


「待ってるわよ」
「おう」


 敢えてリンの方は見なかった。離れて行く気配を感じながら、背中に残った体温が気になった。今まであんまり、リンの方から触れてくれることがなかったんだけど、最近近付いてくれるようになったような。というか、距離が近くてどきっとすることがある。言わないけど。
 そんな、緊張感のないことを考えていた。近付いてくる、蹄の音。近い。いや、もう、見える。


「お前は……!」


 そのとき、俺の背後で大きな爆発音がした。
 リンたちが、逃げて行った方角だった。









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第三話



 あたしの体力がないのはわかっている。足を引っ張っていることも。
 喘ぐように口を開く。もう走れない、そんな気がするけれど、そんなことは言えない。だって、狙われているのはあたしだ。だから本当は、あたしを置いていってほしいのに。そうしたら、多分、一番楽だから。言えないのはあたしのために皆が助けてくれているから。
 レン。
 どうか、無事でいて。
 彼はきっと、あたしが限界なのがわかっていたのだ。だから、一人残った。あたしに触れるときはいつも真っ赤になるくせに、こういうときだけ躊躇なく手を引っ張ってくれたり、肩を抱き寄せたり、する。そういうところがずるい。
 だから、走らないと。
 その瞬間だった。前から唐突に黒い人影がわらわらと沸く。まさか、挟み撃ちにされた、と悟るよりも先に、目の前が光に包まれた。

 気が付いたら、冷たい床の上に寝転がっていたのだ。


「痛た……」


 身を起こすと、頭がぐらぐらとする。額に手を当てて周囲を見回すと、石の床や壁の狭く暗い部屋だった。一面が檻になっていて、牢獄だとわかる。


「お、リン起きたか」
「ほらな、言ったろぴったり十分後」
「くっそー、負けた」
「約束だからな、次の街でスカート着ろよ」
「ぐ……っ」
「賭けてたの!?」


 この状況で能天気な会話。別の意味で頭が痛くなる。賭けに負けたらしいミクはとんでもない目でクオくんを睨んでいたけれど、クオくんは相変わらず飄々と受け流していた。


「負けた方がパンツ見えそうなスカート履くって賭けたんだけどよ」
「え……クオくんが負けたら?」
「面白そうだろ?」
「見たくない」
「あっはっは」
「だよなー」
「笑ってる場合じゃないでしょ」


 もう、と溜息を吐く。手元には杖も荷物も無い。おまけに手錠をされている。特殊な魔力封じの手錠らしく、魔法が使えなくなっていた。


「どうしてここにいるのかしら」
「俺も覚えてないけど。挟み撃ちにされたらしいな。あんまり急すぎてついてけなかった」
「レンが無事ならそのうち来るだろ」
「無事だろあいつなら。馬鹿だし」
「確かに。馬鹿だもんな」
「あんまり馬鹿馬鹿言わないであげてよ。本当のことだって傷付くのよ」
「リンが今一番酷いよ」


 確かに、そのうち助けに来てくれそうな気がするけれど、でも、心配かけてしまうのは嫌だと思う。柵に近付いてみても扉らしきものは見えなかった。


「大丈夫だよ。そのうち来るから」
「来るって何が」
「ここからは出られない。出してもらわないといけない。俺たちを生きたまま捕まえたってことは、用があるんだろ。そのうち誰かしら来るよ」


 その言葉に誘発されたように。
 かつん、と、暗い廊下の奥から硬質な足音がした。見えたのは、黒いローブを頭からかぶった人がたの幽鬼たち。
 冷気が立ち上ってくるようだった。思わず壁まで後退りをする。
 幽鬼が柵の手前までやってくると、人の大きさで柵が一部消えた。そのまま身体をずらしてあたしたちを見る。出て来い、ということらしい。手に冷汗が滲んだ。躊躇というより、恐怖だった。近付くだけで、命が吸い取られてしまいそう。
 最初に立ち上がったのは、クオくんだった。


「行こう」
「はいはい」


 あっさりとミクが続く。二人の背中がひたすらに格好良かった。唇を噛んで、震える足を叱咤して、立ち上がる。
 薄暗い廊下。地下なのかもしれない、窓一つなく申し訳程度に魔法の何かなのだろう、光がぽつぽつと浮いている。陰影が激しくて、気をつけないとすぐに転んでしまいそうだった。
 耳に痛いほどの沈黙の中、連れられた先は重苦しい大広間。百人は収容できそうな広さで、壁際には歪んだ甲冑が並べられている。甲冑が持つ槍や斧といった武器には何かどす黒いものがこびりついていたりもしてぞっとした。広間の中央に赤い絨毯が這っている。奥は段になっていて、そこに、長いひげを蓄えた初老の男が一人。


「その娘だ。捕えろ」


 声は普通に感じた。けれど、ぞわりと全身が総毛立つような気持ち悪さ。老人はあたしを見てそう言った。


「リン!」
「何しやがる!」


 ぐいと手錠の先の鎖が引っ張られて転びそうになった。構わずに引き立てられる。壇上へ連れられて、目の前に老人がいた。目が、薄暗く白く濁っている。
 あたしの首を握り締めた手は、恐ろしいまでに冷たくぐにゃりと歪んでいた。


「残りは始末しておけ」
「!」


 器官が圧迫される。苦しさに目の前が暗くなる。辛うじて見えた視界に、クオくんとミクが甲冑に取り囲まれている光景が見えた。あれは、飾りなんかじゃなかった。
 放して、という言葉は言えなかった。壇上の端にあった扉に連れ込まれ、ただひたすらにクオくんとミクの無事を祈るしかない。








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第四話



 ばたん、と壇上に隠れた扉が閉まり、リンの姿が見えなくなる。俺たちを囲んだ甲冑兵は恐らく命を吹き込まれた人形に過ぎず、両手が使えれば、あと数がそれほど多くなければ問題ない敵だったはずだ。
 ミクと背中を合わせて、狭まる包囲網を睨み据える。


「おい、どうするよ」
「こりゃ不味いな」
「困ったな」


 両手が縛られた状態でどれだけもつか。と思いきや、ミクが突然床を蹴った。


「おい!」


 甲冑兵が斧を振り上げる。その正面に回りこんだミクは両手を掲げ、斧を両手の間、つまり手錠で受けとめた。がきん、と金属音が響き、手錠が壊れる。すげぇ、と俺は思わず笑った。ミクは身軽に飛び跳ねて俺の後ろに戻った。


「よし」
「俺のこれもなんとかしてよ」
「自分でなんとかしろよ」
「つれねぇの」


 ざわざわと殺気立つ甲冑兵を見て腰を落とす。ああ、どうするか、と本気で困り掛けたときだった。
 ばん、と大きな音を立てて、大広間の扉が開く。


「ここかああああああああ!」


 五月蠅い声で押し入ってきたのは、当然のようにレンだった。あいつは甲冑兵の間から俺たちを認めると、甲冑兵を蹴散らしながらあっという間に俺たちの前に立つ。言わないけど、相変わらず強い。言わないけど。
 それを契機にしたように、甲冑兵たちが襲いかかってきた。ミクは身軽に立ち回り攻撃をかわし、レンも苛立ったように剣を振り回している。


「レン、俺たちのことは良いから早く行け! リンが連れてかれた!」
「はあ?!」
「向こうだ!」
「わかった!」


 わかっていたが。
 早ぇ。
 俺の指差した先に、あっという間に行ってしまった。本当にあいつは、リンのこととなると早い。


「おいおい、俺たちのことは良いからって、あたしらもかなりピンチだぜ」
「わかってるよ」


 仕方ない。
 俺は、笑う。
 敵の攻撃を避けながら、ミクがおかしな顔をした。


「ミク、自分のことは自分でなんとかしろよ」
「あ?」


 しゅるりと首元のスカーフを外し呪文を唱える。俺の周囲に簡易的な結界を施せるものだ。それから。
 布の多い袖を外して広げれば、そこに描かれているのは力を持つ魔法陣。呪文には時間がかかるのだ。それに、一言一句違えることは許されない。目を閉じて、ゆっくりと、呪文を詠唱した。
 召喚術だ。
 異世界からやってきた気配に、目を開ける。俺の子飼いの悪魔はライオンほどの大きさがあるが外見は愛らしい猫。


「お前……魔術師だったのか」
「違うよ」


 暴れてくれ。そう目で合図すると、猫はにゃおんと猫そのものの声で鳴いて――弾けた。
 俺とミクを避けるように無数の針となって敵を蹴散らす。甲冑兵でよかった、これが生身の肉体を持つ敵ならば、血肉の臭いで凄まじいことになっていただろう。


「俺自身に魔力はない。文字と言葉に力があるんだ。知識と知恵さえあれば誰でも使える」


 俺ににゃあとすり寄った悪魔は、仕事を終えると煙となって消えた。異世界に戻ったのだ。
 誰でも使えるものではあるけれど、今この召喚術が使えるのは世界でもあまりいないだろう。いくつもの言葉を理解し、呪文の意味の裏まで読み、魔法陣と呪文を正しく扱わなければならない。上手く召喚できたとしてもそれが術者の能力より上回れば容易く命を取られてしまう。成功率なんて一%を切っている。リスクが高すぎるのだ。
 ミクが無表情で俺を見ていた。


「言うなよ」
「ああ。乱発できねえんだろ」
「まぁな。集中力使うし」
「お前の命も削るし?」
「……知ってんのか」
「あたしから見ればどう見ても魔法だ。お前自身に魔力がないのなら、魔力の代わりに何か必要になると思っただけ」


 鎌をかけられたらしい。
 俺は肩を竦めて袖を元に戻そうとして。


「おい、そろそろ手錠外してくんね?」
「仕方ねえな」


 危なっかしく斧を持ち上げる姿に血の気が引いた。けれど、ミクを止めた者がいた。
 足音が消える、柔らかい布の靴。






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第五話



 連れられたのは、小さな部屋だった。ここも薄暗いのは変わらず。けれど違うのは、何か薬品の臭いがする。それから、血腥い嫌な臭い。それ以上は知りたくもない。
 床に投げられるように叩きつけられる。かと思えば、身体が宙に浮いた。


「吐け」
「なに、を」
「貴様は何を持っている。魔王を倒すつもりか」
「なにも持っていないわ。魔王なんか知らない」
「嘘を吐くな」
「うぐっ!」


 物凄い勢いで背中から壁に叩きつけられて全身が軋む。また男の前に移動して、首を掴まれた。ぎりぎり、爪が食いこんでくる。


「とぼけるな。貴様は知っているんだろう」
「知らない……大体、何であたしなのよ」
「陛下が貴様を探しているのがその証だ」
「なにも持っていない」
「ならば何を知っている。言え、魔王にどうする気だ」
「何でそんなこと聞きたがるの」


 見えない何かに叩きつけられるように床に落とされる。潰されてしまいそうだ。くらりと、意識が飛びそうになる。


「あたしが……知っていたとして、殺せばいいでしょう」
「言え!」
「あたしだって、知りたいわ。何であたしを探してるの……うっ」
「しらばっくれるな!」


 蹴り飛ばされて再度壁に叩きつけられた。息が止まる。何かに掴まれて投げられる。
 その最中、ふと、わかった。


「あんた……」


 近付いてくる足音。


「魔王を殺す、つもり……? 反逆、するの」
「黙れ」
「だから知りたいのね」
「黙れ! こちらの質問に応えればよいのだ!」
「あああああああ!」


 ふわりと身体が天井近くまで浮いたかと思えば、またもや落下する。痛い。痛い、痛い。
 前後もわからず投げられて、痛みすらわからなくなるくらいに頭が揺さぶられる。
 誰か。
 誰か。
 誰か。


「リン!」


 ――レン。
 来て、くれた。


「リンに、何しやがったてめえ!」


 激昂した声が。
 それでも、そいつは魔術師なのだ。迂闊に勝てるはずもない。斬りかかろうとしたレンが壁に叩きつけられるのが見えた。それでも、レンは壁を蹴るようにして再び向かっていく。
 何度も、何度も。



「やっと、見つけた」



 囁くような声が、耳元で聞こえた。いきなりのことに心臓が止まる気がしながら振り返れば、そこにいたのは白いローブを頭からかぶった人。誰、と尋ねるより先に頭のフードを取った。
 桃色が混じった銀の長髪に、透明な青い瞳はアーモンド型。あまりに美しいかんばせを、まっすぐにあたしに向けている。旅疲れしているもののその美しさは隠しようも無かった。それに、髪の毛から見え隠れするのは尖った耳。
 エルフだ。
 彼女は跪いてあたしを助け起こすと、恭しく布に巻かれた長いものを差し出した。


「なに……?」
「これをお使いください」


 受け取って中身を改めれば、出てきたのは滑らかな木の材質と、透明に光る魔宝石を頭に抱いた杖だった。一目見て強力な魔力を持っていることがわかり、あまりの力にくらくらする。


「あなたは」
「私は、西の森に棲むエルフ、イア。リン、あなたを探していた」
「あたし、を」
「その杖を使って。全て、杖が覚えている」


 何が、と尋ねようとしたときに、どくんと何かが共鳴した。
 手に触れた杖から、流れ込んでくる――知識。
 呪文も、魔力の使い方も、全て、杖が識っていた。







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第六話



 好きな子に、格好悪いところは見せたくない。見せられない。何よりも、その子に手を出されたら何が何でも負けられない。
 そうは思うものの、手も足も出ないこの状況が歯がゆい。元来剣士と魔術師は相性が悪いのだ。近寄れもしない現状にいらだちが募る。


「くっそ……!」
「死ね」
「がぁっ!」


 壁に叩きつけられるものの、なんとなく、わかってきた。次はこっちだろ、と思った方へ剣を向けて、衝撃を斬り倒す。糞ジジイの目が驚きに歪んだ。よし。


「やられっぱなしじゃねえぞ……!」


 リンに手ぇ出しやがって、絶対許さねえ。斬りかかろうと視線を低くしたときだった。


「ああああああああああああああああああああ!」


 悲鳴。
 リン、だ。
 振り返ると、リンが見慣れない杖を手に宙に浮いていた。ばちばちと静電気のように髪や服が揺れている。見開かれた目は何も見えていないようで、遠くの何かを見ているようで。
 慌てて駆け寄ろうとしたとき、ふわりと杖を持つリンの腕が動いた。


「ぎゃあああああ!」


 何が起きたか、わからなかった。
 悲鳴をあげて、男が倒れた。次の瞬間、城中から悲鳴がとどろく。
 一体、何が。
 唖然としていたが、それも一瞬、リンが崩れ落ちた。咄嗟に駆け寄って抱きとめると、ぐったりとしてはいるものの意識はしっかりと保っていた。


「リン? 大丈夫か?」
「レン……」


 音のしない気配が、俺たちの前に立った。
 エルフのイア。先ほど俺たちを最初に追いかけてきたのは彼女だった。

『貴方方にお渡ししたい物がある』

 そう言って。
 だとすれば、リンに渡したいものはこの杖だったのだろう。


「さすがだわ。すぐに使いこなすなんて」
「何……」
「それは我が一族が預かっていた杖。以前魔王を封印した時に使われたもの。あなたは、今まで魔術師としての修業をしていなかったから、魔力に比べて知識が全く足りない。その杖が、あなたの知識不足を補ってくれる」
「……どうして」
「今の魔王を倒せるのは、貴方だけ」


 俺の服を掴む彼女の手に、力が籠った。彼女は俺の胸に顔を押しつけるように隠れてしまって、表情を伺い知ることは出来ない。
 どうして、彼女が。
 そう思う。
 そして俺はイアを見る。今の魔王を倒せるのは、リン、だけ?
 イアが俺を見つめた。静かな目だった。


「あたし」


 くぐもった声が聞こえた。


「あたしの所為で、生まれ故郷が襲われた。あたしの所為で、訪れた街が襲われた。あたしの所為で、ミクの家族が殺された」
「リンの所為じゃない」
「知りたいの。あたしは、何? どうしてこんな力を持っているの、どうして、魔王になんか狙われるの。どうして、そんなことを託されるの」


 顔をあげたリンは、決して泣いてなどいなかった。
 まっすぐに、イアを見据える目。


「あたし、魔王のところへ行く。知りたいから」


 ああ、彼女はとても、強くなった。











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