第五章 | ナノ


第五章 
 第一話
 第二話
 第三話
 第四話
 第五話


































第一話



 奴らに会ったのは、俺が旅に出て数ヶ月目くらいのことだった。あまりの態度の悪さはともかくとして、その生業にキレたのは今でも覚えている。各地を回り、それなりに経験を積んだ今としてはそういったこともあると無理矢理自分を納得させてはいるが、理性と感情は別だった。
 そして、今も。


「……」
「レン」


 やめろ、と俺の名前を呼んだクオが言外に止めてくる。前を歩く女の子二人も振り返った。


「レン?」
「どうした坊主」


 リンの透明な視線が突き刺さる。こないだから加わったガラの悪い女盗賊も睨んで来た。いや、本人は睨んでいるつもりはないのだろうが。俺は溜息を吐いて、なんでもないよと笑う。歩き出せば、リンは不思議そうな顔をしたものの言葉を重ねてくることはなかった。
 街と街を繋ぐ街道で、前方からやってくる数人の男連中の声が近づいてくる。さっきはしゃいで遊ぶように前を歩いていたリンたちの前に出ると、クオが追いかけて来て俺の頭にフードを深くかぶせた。


「次の獲物どうすんよ」
「西の方にいるって聞いたぜ」
「遠いなー。つか、今回がチョロすぎたから一旦休もうよ」
「どこで休むんだよー。次んとこは良い女いないぜ」
「酒だ酒」


 下卑た声。リンに聞かせたくなくて、今すぐ声を消したい衝動にかられる。レン、ともう一度クオが呼んだ。


「っせーな。わかってる」
「お前が我慢してんのわかるから。もうちょい頑張れ」
「ガキ扱いすんな……!?」


 後ろの街もこれから行く街も大きなところだ。だから、街道はそれなりに人で賑わっていた。多分、リンにだって雑音として処理されるだろう。わかっている。
 俺が動揺したのは、別のこと。いきなりだった。前触れもなく、温度が下がった。はっきりとわかったのは俺だけではない。
 空気に動揺が走る。


「なに……?」


 その答えは、明白。
 挟み撃ちするように、前後から黒い影の群れ。








20160312























第二話



 ずっと考えてもわからないのは、自分自身のこと。

 一番古い記憶は、多分父さんと手を繋いで歩いた街の景色。近所の子たちと走り回って、遊んで、不思議なことなんて何もなかった。花屋の仕事を手伝うようになって、あたしが受け持つ花は持ちがよくて、天職だわ、なんて自画自賛して。呪い師の仕事だってそんな大それたことだとは思ってなかった。自分に魔力があるから、なんて言われても、人より目が良いとか、耳が良いとか、その程度の認識で。それが役に立てるなら、と思って、ただそれだけで。違和感こそあっても、それだけだった。それが大きな問題に発展するなんて、誰が思うかしら。
 それなのに、どうしてあたしは狙われてるんだろう。どうして、あの街で、名指しで、あたしを。
 誰も、答えてくれない。欲しい答えをくれない。あたしは、どうしたらいいの。
 先生。
 思い出したのは、呪い師の優しい先生のこと。それほど時間は経ってないはずなのに、もう、どうしてだろう、顔も思い出せないのはいろんなことがあった所為だろうか。
 無事かな。先生。父さんも。
 目を瞑りそうになったときに、体感する温度の変化。

 ――敵だ。

 そんな言葉も呆気なく使ってしまう自分は、あの頃からどれだけ離れてしまったのだろう。


「クオ、お前そっちな」
「暴れ過ぎんなよ」
「わかってるって」
「おいテメーら、あたしも混ぜろよ」
「ふざけんな、遊んでんじゃねえんだぞ」
「あたしにはテメーらのほうが遊んでるように見えんだよ」


 彼らはすっとあたしを挟んで敵に向き合う。この前出会ったばかりのミクでさえ、当たり前みたいに二人に声をかける。背中を見るのは、辛いと思う。
 街道を行く旅人たちは恐怖に逃げ惑ったり、動けない有様で。少しずつ近付いてくる黒い影は、死を引き連れてくるのだ。
 あれは武器じゃ倒せないと言ったのはクオくんだった。クオくんがちらりと視線を寄越した意味は、多分そういうことだ。時間を稼ぐから、水を呼ばないと。


「行くぞ!」
「あいよ」
「命令すんな」
「もっと盛り上がろうぜ!?」


 てんでバラバラなあたしの仲間は、地面を蹴った。惑う旅人たちの間を縫って、影に肉薄する。ああでも、数が多い。影は二人だけれど、他にオークや魔物がいる。
 急がないと。
 杖を持ち、集中する。前よりも自分の力の使い方がわかるようになった。全然知らなかった魔法の知識が増えた。どうすればいいのか、知っているのだ。

 ――本当に?

 冷たい水を、かけられたみたいだった。ふと浮んだ言葉。本当に……本当に? 自分の力の使い方なんてわかるの? 自分のこともわからないのに。この前も、何がなんだかわからなくなって、ミクに止められたじゃない。その前だって、始めのときだって。あたしの力は暴走する。今のところそれは敵にしか向けられないけど、もしかして幸運だったからじゃないのかしら。もしかしたら、次に使った魔法は仲間を攻撃してしまうかもしれない。


「あの女だ」


 しゃがれた声が、あたしを指差す。死人の指。おぞましい。怖い。嫌だ。
 手が震えた。


「リン!?」
「……、」


 あたしが発したのは、一言だけ。水をよぶ呪文だけだ。
 呼ばれて集まった水は、二人の影を強く押し流した。本当に、それだけで。
 ぺたんと座りこんでしまったあたしを余所に、レンたち三人は魔物を倒していった。









20160312























第三話



 リンの様子がおかしかった。戦闘を終えてクオとミクは辺りの旅人に怪我がないかとか、残党がいないかとか確認していたようだが、俺は慌ててリンの方へすっとんでいく。
 座りこんだリンの傍らに膝を突くと、彼女の手が震えているのがわかった。


「リン……?」
「ごめん、大丈夫」


 嘘吐くな、と叫びそうになって、堪える。大丈夫じゃないくせに、なんで強がるんだよ。俺がいるのに。俺に、頼ってくれればいいのに。
 必死に上げた顔が、白かった。痛々しくて、手を握ろうとして。
 声が、聞こえた。


「おー。さすがドラゴンの鱗はよく斬れるな」
「お前、道具に傷つけんじゃねえぞ」
「でえじょーぶだあって。おっ」
「おい馬鹿」


 がはは、と戦闘後に響く場違いな笑い声。あいつら、だ。さっきも俺たちと一緒に魔物を狩っていた。そして今は、奴らの鎧や剣を剥いでいる。売るつもりなのだ。
 ぐっと唇を噛んで無視しようとした、とき。


「でもこの鱗綺麗だよな」
「ああ、アメジスト色っつーのか?」
「おっ、頭良さそう」
「ばっかでー」


 ………え?


「レン?」


 遠くから、とても遠くから、リンの声がした。
 振り返った。何故か、男が持っている「それ」が距離に関わらずよく見えた。
 ――アメジスト。宝石を向こうが透けるほどに薄く伸ばしたような手のひら大のそれは、見た目に反してとても硬く、磨けばナイフよりも斬れるものになる、ドラゴンの鱗。けれど、一般的なドラゴンはもっと濃い色をしている。あんな、色、は。
『彼』は言っていた。こんな色を持つドラゴンは、もう世界に自分だけなのだと。


「…………それを」
「レン……?」
「どこで、手に入れた」


 あいつらが俺の方を向いた。俺を認めて、にやりと笑う。


「あーお、誰かと思えばレン君じゃねえか」
「お、ほんとだ」
「ドラゴンっ子のレンじゃんな」
「これ、気になる?」


 ひらひら、と碧色がふれる。


「吐けよ」
「俺らのもんだよ。俺らの獲物だ」
「―――――」


 そこから先は、覚えていない。






20160312





















第四話



 物覚えついた頃から、俺は木々に囲まれて育った。どうしてそこにいるのかとか、本当の親はどうしたとか、そんなのは一切考えなかった。山での暮らしは楽しかったし、養い親が教えてくれる剣術も自分に合っていたのかどんどん面白くなっていったし。 養い親が剣をとることはなかったけれど。

 彼は、綺麗な翡翠色をしたドラゴンだった。

 山の中でひっそりと暮らしていた彼に育てられた。空を飛ぶと光を反射して目立つ大きな体躯は、木々の中ですっかり迷彩色になっていた。山の中で迷子になって泣きながら彼を呼ぶ小さい俺を、彼は物音させず器用に隠れながら、にやにやと見ていたこともあった。上手く食べ物が見つけられなくて、肩を落として帰ったら見せつけるように肉をドラゴンの焔で焼いていたこともあった。俺の足をひっつかんで逆さ吊りにして、山肌すれすれに飛ぶこともあった。
 連日そんな感じだったので、たびたび本気で腹を立てて剣術で向かっていっても、彼には敵わなかった。
 ある日、いつものように泥だらけになって帰ると、彼は俺の襟元を掴んで飛んだ。何しやがると喚いても何も言わず、山の入り口にぺいっと俺を放り投げて。


――お前はこれから旅に出ろ
――はあ? 何でだよ
――そろそろここも危ないからだ


 彼が語ったのは、ドラゴンスレイヤーの存在。この世界で最も強いドラゴンに牙を向ける怖いもの知らずな人間のこと。少し前ならいざ知らず、最近性能の良い武器が増えて来たことや、倫理観の欠如した人間が徒党を組み、集団でドラゴンを追いこむことで、そういった存在が増えているらしい。


――あんたは負けねえだろ
――俺だけならな
――俺が足手まといだってのか!
――そうだ


 力をつけておいで、と、彼は俺の背中を鼻先で押した。そして、自分もこの山を離れるから、と。


――お前が強くなったら、会いに行こう


 だから、俺は強くなると決めたのに。





「レン」
「……リン? 悪い、俺」
「気絶してたのよ」


 目を開けると、リンが俺を静かな目で見下ろしていた。辺りを見回すと、狭い部屋にベッドが二つ並んで、そのうちの一つに俺が寝ていたらしい。宿屋のようだった。


「クオたちは?」
「後片付け」
「今、」
「夕方。寝てたのは三時間くらいよ」
「……リン、俺」
「八人」
「え?」
「あの人たちの、八人。あんたがのしちゃったの。止めたのはミクとクオくん。ミクちゃんが飛び蹴りして倒れたところをクオくんが踏んづけて、杖で殴ったの」
「……後半過剰じゃね?」
「これ以上悪くなる余地のない頭だから心配ないって言ってたわ」
「通りで頭が痛いと思った!」


 起き上がる気力もなくて、瞼の上に腕を乗せる。


「レンのお父さん、ドラゴンだったのね」


 静かな声。静かな言葉だった。そんな風に、初めて、言われた。
 ドラゴンに育てられた、とか、親がいないのか、とか、そんな反応じゃなくて。
 父親がドラゴンだったのだと、肯定された気がした。
 だから、思わず、素直に頷いてしまったのだ。


「……うん。俺のこと、転がしてくるし蹴飛ばしてくるし突き落とすしからかうし、酷いやつだったけど」
「うん」
「でも、俺の親父だ」


 だから、ドラゴンスレイヤーなんて存在が許せなかった。
 だから、そいつらが彼の鱗を持っているのを見た時、信じられなかった。
 だから、だ。


「嘘だ」


 嘘だ。嘘のはずだ。あんなやつらに、俺の親父が倒されるはずがない。


「嘘……だ」


 鱗なんて、いくらでもある。落ちていたのを拾っただけなんだ。おぼろげな記憶の中で、やつらの袋の中に何枚も、何十枚も入っていた鱗を見た気がするけれど、きっと、違う。大丈夫、違う。


「レン」


 布団の上に投げ出された手に、柔らかい温もりが重なった。


「大丈夫だよ。あんな奴らにレンのお父さんが倒せるはずないでしょ」
「……」
「レンに簡単にのされちゃったんだもん。レンより強いお父さんが、倒せるはずないわ」
「………リン」


 瞼の上から腕を下ろすと、リンは優しく俺を見下ろしていた。その視線がふと外されて、宙を向く。


「見て」


 リンの視線を辿ると、宙にぽんっとシャボン玉のようなものが浮いていた。それが、いくつもいくつも分かれて見る見るうちに視界を覆う。窓から差し込んだ西日を反射させて、きらきらと光って。それがきゅっと一つにまとまったかと思えば、空中に水面を作る。光を閉じ込めたような、水。


「すげぇ」
「やっと笑った」


 その方がレンらしいわ、なんて言われて。
 俺は、もう一度腕を瞼に乗せる。
 なんだそれ、ずるい。俺より格好良くなるなよ。






20160312






















第五話



 いつも笑っていて、たまに情けないけど、戦う段になればきりっと前を見据える、そんな人だと思った。
 でも、ベッドに横たわり弱音を吐く姿だとか、怒りに我を忘れて目をつり上げる様子とか、ああ、この人も、抱えているものがあったんだわと思って少しだけ――ほっとした。
 表情がすっかり抜け落ちて問答無用で剣を振るう姿は、少し、怖かったけれど。
 手を繋いでいると、不思議と不安定だった気持ちがまっすぐになっていくのを感じた。魔力を息に乗せて、水に光を閉じ込めてみる。そんな曲芸みたいな魔法、今まで考えたこともなかったのに。


「あたしにはこのくらいしか出来ないけど」


 レンにはいつもお世話になっているから。
 いつも助けてもらっているから。
 こんな魔法で喜んでもらえるなら、いつでも見せてあげられるわ、と続けようとして、レンが繋いだ手に力を込めた。


「俺は別に、魔法が使えるお前だから好きになったんじゃないよ」
「そういうの、良いわよ」
「リン。俺、」


 レンの眉が苦しそうに歪む。ぐっと腹筋だけで起き上がられて、近付いた顔の距離にどきりとした。


「俺、さ」
「レン、寝てなさいよ」
「やだ。話逸らそうとしてんな」
「そんなこと」
「リンが好きだよ」


 咄嗟に、何も言えなかった。


「ま……って」
「好きなんだ。ずっと。一目惚れだけど、リンと一緒にいてまた好きになった。ずっと一緒にいたいって思った」
「レン。眠って」
「リン」
「お父さんのことがあったから……混乱してるのよ」
「リン。俺のこと好き?」


 嫌いか、と聞いてくれたらよかったのに。
 そしたら、そんなことないと言えたのに。
 また言葉に詰まったあたしを見て、レンが笑った。


「いいよ。好きじゃなくても。俺は好きだから」
「っ」


 動揺して。
 魔法が解ける。


「冷たっ!?」
「きゃっ」


 ばしゃんと弾けた水を頭から被って、ずぶ濡れになった。
 レンのぽかんとした目に、あたしの同じような目が映っている。ああ、何だろう、すごく今、笑いだしたくなった。
 実際に笑いだしたのはあたしたちじゃなかったけれど。


「ぶはっ」
「ひえっへへへ」
「え、今笑ったのミク?」
「ふへへへ、何、あたしだけど」
「笑い声変なんだけど、待って腹筋に来る」


 ばっと振り返れば細く開いたドアの隙間から気の抜ける会話が聞こえる。もうバレたことに気付いたようで、開き直ったかのようにドアが大きく開いた。


「よっ、レン、久々にキレたな」
「いちゃこらしてんじゃねえよ。ん?」


 ミクがあたしを見てこてんと首を傾げる。隣のクオもあたしに目を留めて大きく目を見開くと、気まずそうに背を向けた。


「何だ、レンお前策士だな。油断させといて下着透けさせる手か」
「はっ!?」
「へっ!?」


 慌てて下を向くと、濡れた服がぺたりと肌に貼りついて、たしかに……下着が、透けている。胸元を手で庇いつつ涙目になるのを押さえきれない。レンを振り返ると真っ赤な顔でおろおろしつつも視線があたしの胸元を行ったり来たり。
 …………この、


「変態っ!」
「ふぎゃっ!」


 宿屋の一室、ところにより大雨。






20160312




ドラゴンは結崎の都合のいいように作った設定です。
うちの竜と娘シリーズのレンverみたいな感じになっちゃいましたね。
そしてドラゴンはもうちょっと落ち着いた昭和の親父みたいなキャラにしようかと思ったのですが、何故かレンを良いようにおちょくるキャラになってました。水乙女レンのおちょくりやすさといったらwwwww
あと本当はレンがキレた後リン視点を入れた方がよかったと思うんですが、何分結崎の気力が続かないため諦めました。