第四章 | ナノ


第四章 
 第一話
 第二話
 第三話
 第四話
 第五話
 第六話
 第七話


































第一話



 視線を感じて立ち止まる。これで何度目だろう、でも振り返っても人の気配はなくて、気のせいか、とすら思うほど。
 でもなぁ……こういうの、ほっとくと後で祟ったりするんだよな。
 ということで、俺は前を先に歩く二人に声をかけた。


「なぁ、クオ。誰かにつけられてねぇ?」
「お前が言うならそうなんじゃねえの」
「投げやり!?」


 立ち止まった二人は、それぞれに手に本を持っていて、さっきまで歩きながらああだこうだと魔術の話をしていたのだ。俺にはすっかりよくわからない話で、後ろからもくもくと歩いていた。拗ねていたわけじゃない。断じて違う。


「だってお前の方が野性的勘に優れてるだろ?」
「野生って言うな! 俺はちょっと山で育っただけだっつの!」
「え、レンって山育ちなの?」
「えっ、あ、はいっ」
「……お前反応が日に日に残念になってるぞ」
「いやだってリンが俺に興味」
「リン、ちょっとレンに優しくしてやんなよ。あんまり哀れで見てられない」
「って言いながら何で笑いだしてんだよ」


 いやなんかだって最近リンが前より増してきらきらしてて直視しづらい……こないだ抱き締めた肩とか、涙声とか、華奢で儚くて守ってやんなきゃと思うし、でも俺がさつだし迂闊に触れて良いのか迷う。
 リンと出会った頃ならもうちょっと俺だって頑張れてたんだけど。
 リンは何故か本で顔半分を隠しつつ俺をジト目で睨んでいる。可愛い。いや違う。すみません別に変なこと考えてません!
 思わずたじろいでしまったのが悪かったと言うか、そのとき俺は完全に油断していた。どん、と背後であがった大きな爆破音。弱くはない爆風が背中を押して、慌ててリンに走り寄って庇う。爆風が収まった頃に振り返れば、ほんの五分前まで俺たちが歩いていたところに穴ができていた。思わずそっちに寄ってみる。五メートルほどのクレーターから察するに、かなり危険な爆発物か、もしくは魔物か。


「なん、だ今の!?」
「おいあんまりそっち行くな! 危ないだろうが」
「お前な、子供扱いす……」


 振り返って、愕然とした。こちらに寄ってくる二人の後ろに、人影が。俺の顔を見て察したのか、クオが慌てて振り返ろうとするも、遅い。


「ぐっ!?」


 強烈な回し蹴りがクオの後頭部を襲い、倒れかける。その人物はすかさず背中を蹴って俺の方へクオを飛ばした。避けるわけにもいかず受けとめるが、その隙に。


「え……」
「リン! 逃げろ!」


 リンの首筋に手刀がおとされ、足から崩れ落ちた。その人物はリンが完全に倒れる前に腰に手を回し、ぐったりしたリンを抱えあげると。


「おいてめぇ!」


 杖ごと、攫ってしまったのだ。
 人一人抱えているとは思えない早業だった。








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第二話



 振動が心地よくて、でも反対に酷く座りが悪い。ここのところ野宿ばかりだったし、レンはやたらとそわそわしてるし、クオくんは日増しにからかうのが酷くなるし、そろそろ個室のベッドでゆっくり休みたい気分。そんなことを考えつつ目を開けると、目の前が茶色だった。何これ。同時に気付くのは、目の前に誰かがいて、あたしはその誰かの背中に顔を押し付けているということ。離れようとして更に、自分の両手が身体の前で縛られていて、その上、その人と腰の位置で落ちないようにか縄で固定されていることだった。
 馬の上にいた。


「やっと起きたのかよ」


 乱暴な言葉遣いのその人は、あたしを振り向くことなくそう言った。


「あなた、誰」
「魔法使う奴は皆嫌いなんだ、黙ってろよ」
「理不尽じゃないの」
「うっせぇ、落とすぞ」
「レンとクオくん……あたしと一緒にいた二人はどこ? あたしをどうするつもり」
「黙ってろっつってんだろ」


 ち、とあからさまな舌打ちに、なんなの、と思う。それでも今すぐどうこうされる様子はなく、あたしは今自分がいる場所の状況を得るために当たりを見回した。
 森の中だ。馬で通れるくらいの道はあるけれど、けもの道と言った方が通りがよさそう。太陽の位置から、あたしが気絶していた時間はそう長い間じゃないのはわかった。背中に背負っていた荷物はなくなっていて、いざというときのために、とクオくんが渡してレンが真っ赤になって絶句していたガーター式のナイフベルトにも、ナイフが抜かれている。今この体勢では、靴の底に隠されているナイフも取ることが出来ない。
 その代わり、何故かあたしの杖は前の人物が持っているようだった。それが一番納得できない。あの杖を見れば、あたしが魔法使いだってわかるだろうし、第一魔法を使う奴は嫌いだとも言っていた。魔法に関わる杖を持っていて良いのかしら。
 務めて冷静に状況を考えていると、馬は洞窟に入った。ぴちゃんと連続的に水音が聞こえる。そこでようやく、前の人は馬を止めてあたしとその人を繋ぐ縄を切った。それがあんまり乱暴な手つきだったから、馬の上から落ちそうになって心臓が縮む気がした。


「あっぶねえな。何してんだ」
「あんたのせいでしょうが」
「口の減らねェ女」


 その人は先に降りてあたしの腕を掴み、引きずりおろすようにして馬から下ろした。乱暴すぎて膝を突いてしまえば、やっぱり舌打ちが降ってくる。なんなの、本当。


「人のこと言えないでしょ。あんただって、ああ言えばこう言う、口の減らない女じゃない」
「あ?」


 睨みあげた、その人。
 頭をぐるぐるとターバンで巻き、わずかに髪が覗く。胸を黒い布でしっかり巻き付け、お臍の出ているお腹は少し寒そうだけれど、肩から厚手のローブを羽織っていた。裾が膨らんだズボンはくるぶしのところできゅっと結ばれていて、布の靴が動きやすそうだった。
 目の色は、緑。鋭く尖った眼光に、薄汚れた顔はどうしてもとっつきづらい印象を受けるけれど、やっぱり、あたしと同じ年くらいの女の子であることは隠しようもない。というか、隠してもいないだろうけれど。
 あたしは立ち上がって睨み返した。


「あたしをどうするの」


 本当は、怖かった。 
 怖くて、今にも泣いてしまいそうで。
 でも、頭をよぎるのはさっきの光景。
 彼女はにやりと笑った。


「仕事を手伝ってもらう」
「仕事?」
「言っとくけど、断ったらあんたのツレの命はねえからな」
「どこにいるの」
「あたしの仲間が見張ってる。終わったら会わせてやるよ」
「…………何をしたらいいの」
「物わかり良いじゃん」


 彼女はナイフを使って、あたしの両手を拘束している縄を解いた。そして、杖を返してくれる。それにかえって拍子抜けしてしまう。


「いいの?」
「なにが?」
「あたし、あんたの言う通り魔術師よ。杖は武器でしょう」
「あたしを攻撃する? 良いけど、あんたのツレの命はないよ」
「……最悪」
「どーぞなんとでも」


 ふんと鼻で笑われて、眉が寄る。ああ、もう。


「それで、あたしは何をすればいいの」
「焦んなよ。敵は逃げねェで待ってくれてんだからさ」
「敵?」
「そ」


 彼女はゆっくりと洞窟の外を指さした。その向こうには木々が見え、遠くに細く、煙が立ち上っているのが見える。


「魔術師を倒したいんだ」







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第三話



「おいクオ! とっとと目ぇ覚ませバカヤロー!」


 ばしんと平手を一発、二発、三発したところでクオの目がぱっと開き、四発目を繰り出そうとしていた俺の手をすんでのところで止めた.


「痛ぇだろうが何しやがる!」
「いってー!」


 しかもあろうことか反撃でその手を捻りあげやがった。思わず蹴りが出たのは仕方がないと思う。


「なにすんだよ!」
「リンが攫われたんだよ!」
「……お前さぁ、前からつくづく思ってたけど、好きな子守りたいんならほいほい離れるのやめろよ」
「………うっせぇ」


 耳に痛くて、俺は乱暴にクオを放した。図星つかれて拗ねるなんて、ガキ臭い。くそ、ほんと、嫌になる。


「で、どっちに行ったんだ」
「あっちに馬がいて、それで逃げられた」
「手慣れてたな。爆発音で注意を逸らして背後から、しかも気配を悟らせない。お前に特にやり合った感じしないから、俺を蹴飛ばしてリン攫って一目散に逃げたな。最初からリンが目的か」
「……お前怖ぇ」
「脳筋と一緒にすんな。考えりゃわかる。お前、誰かにつけられてるとかいってちょくちょく後ろ見てただろ。いつからだ?」
「一週間くらい前だな。いつも視線感じるわけじゃなくて、二、三日いたりいなかったりしてたような気がする。さっきは久々に感じた」
「ハクさんと別れたあたりか。リンが魔法使うとこ見られたな。久々ってことはさっきの爆発準備してたんだろ」
「どうすんだよ」
「ここで仕掛けて来たってことは奴の根城だろう。分が悪い。今から追いかけても無駄だ」
「じゃあ」
「焦るな。リン――魔術師が目的ってことは、それなりの理由があるはずだ。探るぞ」
「どうやって」


 ここは、森の中だ。次の町まで歩いて半日。大した距離じゃないが、その間にリンに何かあったらどうする。


「あっちになんかあるだろう」


 クオが指差したのは、木々の間から立ち上る、細い煙。







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第四話



 軽々と道なき道を歩いていく彼女に、あたしは付いて行くだけで精一杯だった。というか、ちょっと待ってくれたっていいじゃない。文句を言うと、彼女は立ち止って舌打ちをしつつ振り返る。感じが悪い。


「ねぇ、ちょっと、その倒したいっていう魔法使いのこと、知らないんだけど」
「あんたは黙って従ってくれればいいんだよ」
「嫌よ」
「人質がどうなってもいいわけ」
「考えてみれば、レンもクオくんも強いんだったわ。捕まってても自分で何とかするだろうし」


 むしろ、あたしを心配してるだろう。あたしは弱いし、唯一の魔法だって未だに上手く扱えない。


「だから、レンだって最初にクオくん呼ぶし」
「ん? 何、あれどっちかあんたの恋人だったんだ」
「はあ!?」


 にやっと声をかけられて、思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。


「違うわよ。どっちも旅の仲間よ。レンが……あんたが蹴っ飛ばしてないほうだけど、あたしのことお姫様かなんかと勘違いして過保護ぶるの。いい加減頭くるわ」
「はーん。いたいた、そういうやつ」
「あんたも経験あるの? 意外だわ、昔から態度大きそうなのに」
「あたしだって幼気な子供時代くらいあったよ。ま、そういう連中は全員叩き伏せたけどな。全員あたしの下僕だし」


 彼女はまた背を向けて歩き出した。あたしも、やっと息が整ったところなのでなんとか付いていく。
 ……あら。
 休憩、させてくれてたのかしら。


「……だから許せない」


 血を吐くような、低い声には、明確な怒りが宿っていた。仄暗い炎のような、復讐心。


「ほら、着いたよ。ここだ」


 木がいきなり途絶えた。立ち止まった彼女の横に並んで、ぎょっとする。
 足元から地面が消えていたのだ。眩暈を覚えるほどの深い谷の向こう、孤立するように巨大な塔が聳え立っている。此方側と向こうを繋ぐのは、細い道が二本。それきり。


「なに……ここ」
「ここらはあたしらの縄張りだった」


 静かに、彼女が言った。
 その横顔を見る。汚れた顔の中で、眼だけがぎらぎらと憎しみを放っていた。


「二か月前だ。いきなりあいつらがやってきた。この森はね、中継地点なんだ。近くに町が三つある。その真ん中くらいに位置するから、どれにも出やすい。あの塔が立ってるところはね、あたしらの根城だった。馬鹿で粗野な連中ばっかだったけど、家族みたいに過ごしてたよ。あいつらが来るまではね」
「……あんだの、仲間は?」
「全員死んだ。あたしを庇いやがった」


 ああ――本当は、この人は。
 今、とても、悲しいのだ。


「一緒に死ぬと約束したのに、あいつらは嘘を吐きやがった。だから、あたしは奴らに復讐しなければいけない。でもあたしじゃ奴らに歯が立たない。向こうの頭は、魔法使いだ」
「魔法使い……」
「この谷と塔を一晩で作った。それから――殺しと焼き討ち。恐怖政治だよ。あたしらは盗みも恐喝もしたが人間には手は出さない。そういうのは反吐が出る」


 案外、仲間思いなのね、というと、うるさいと返ってくるのは照れ隠しだろう。可愛いところもあるものだ。


「……ってちょっと待ちなさいよ、盗みと恐喝って犯罪じゃない!」
「うるさいっつってんだろうが。行くぞ」
「待ちなさいってば! 大体あたし、魔法なんて不安定だし、作戦はどうすんのよ」
「あんたが考えな」
「無責任よ! まずは作戦会議」


 その場に座りこむと、彼女はチッと舌打ち一つしながらも足を広げてしゃがんだ。


「で? 何から決めるんだよ」
「まずは教えて」
「なにを」
「あんたの名前。あたしはリンよ」


 目を見ながら言うと、彼女はぱちくりと驚いたような瞬きひとつ。そうすると、急に幼く見えた。


「……ミク」





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第五話



 こちらと塔を繋ぐ、細い道のこちら側には、魔物が立っていた。もう一つの道にはミクが一定時間を過ぎたら爆発する爆弾を仕掛けている。魔物の隙を突くのも、谷に落とすのも、全部ミクがやった。本当に身軽で、思わず見惚れてしまうくらい。
 谷に落としたのは二人の魔物のうち一人だけ。もう一人は後頭部を蹴って昏倒させて、茂みに引き摺りこむ。なんて早技。
 でも当然そんな騒ぎを起こせば向こうからは丸見えなわけで。かんかんかんと警鐘が鳴った次の瞬間、矢が雨のように降ってくる。


「チッ、仲間生きてるかもしんねえのにおかまいなしかよ!」


 ミクは引き摺りこんだ魔物の死体を盾にして矢を防いでいる。あたしはそんなミクの後ろで、何も見ないように目を瞑っていた。死体を盾になんて――怖かった。


「よし、来た!」


 背後から怒涛の足音。この塔は道が二本しかなくて、籠城には向くかもしれないけれど攻め出してくるのは不利だ。それを補うように、もう一つ地下の出入口があるらしい。この深い谷のさらに下に地下通路を作っているというのだから、向こうの魔術師にはかなり力があるのだろう。
 怖いから、あまり、考えないようにしているけど。
 ミクとあたしは木の上に隠れて下の大群を眺めた。武器や鎖がじゃらじゃらと鳴る。不意に、ああこれは現実なのだ、と妙な恐怖感が襲ってきて、怖くなる。


「とちんじゃねぇぞ」
「わかってるわよ」


 ざわめく大群の最中に、ミクに引きずられるように降り立つ。そして、ついに叫んだ。


「隊長! 怪しい人間を発見!」
「なんだと」


 ざらざらと砂を噛んだような不快な声だった。魔物の群れが割れて、隊長と思しき一際身体の大きな生物がのしのしと近付いてくる。
 魔物の鎧を身に纏い、扮したミクがあたしを捕まえていた。逃げられない。


「なんだ、人間の子供か」
「いえ、魔術師のようです」
「なんだと」


 ざっと周囲から魔物が距離を置く。さわさわとおののいたように囁く声。


「杖を持っていました。先ほどの襲撃はこの者でしょう」
「魔術師か。ならば陛下のもとへ持って行かねばなるまい」


 隊長がミクからあたしを取り上げようとする。それを、待って下さいとミクが止めた。


「こいつ、女でございます」
「だから何だ」
「隊長が握れば潰れてしまいます。人間の女は脆いです」
「ああ……そういえばそうだな」
「折角の獲物ですので、陛下に生きたまま持って行かねば」
「分かった。お前付いて来い」
「はっ」


 それから、隊長は数人の魔物を選び、道を渡り始める。ミクに拘束されたまま、あたしは足早についていかなければならなかった。


「お前よくやったなぁ。うまく取り入りやがって」
「ずるいぞ、俺にもわけろ」
「うるせぇな。俺の手柄だぞ」
「指一本くらい食わせろよ」
「つまみ食いしたら殺されても知らねえからな」


 隊長の背後でかわされる飄々とした会話にも、ミクは堂々と応じている。場馴れしている、というのか、すごい度胸。対してあたしは、恐怖で震えている。
 扉が開いて、塔へ招かれる。一瞬、あたしの腕を掴むミクの手が震えた。


「行くよ」


 耳元で囁かれた声に、ほんの一瞬、躓いた振りをして頷いた。背後でドアが閉まる。この瞬間、覚悟した。
 塔の内部は薄暗く、腐敗臭がした。きぃきぃと耳障りな音がして耳を塞ぎたくなった。
 階段は、長かった。
 塔の中央に据えられた螺旋階段。延々と、天まで続いているかのような錯覚。足が重くなり、空気が薄くなっていく。
 気のせいではなかった。
 魔物の足も、どんどん重くなっていっていたのだ。
 上から感じるプレッシャー。ああ、敵は、魔術師だったのだ。


「魔術師を捕えました」
「入れ」


 階段の終わり、大きな扉。聞こえてきたのは皺がれた声。誰も触れてすらいないのに開かれていく扉が、全開になったとき。


「覚悟ッ!」


 ミクが動いた。
 懐からナイフを出して、一瞬で周囲の魔物たちの急所に突き立てる。その勢いを殺さずに壁を蹴り、部屋の奥にいた黒衣の人物に――


「小童が」
「ぐああああああ!」
「ミクっ!」


 横から壁がやってきた。
 そう、見えた。


「う……」


 横の壁から土の塊が手のように伸び、ミクを反対の壁に押し付けたのだ。思わず助けに走り寄ろうとして、上からの衝撃に倒れる。押し潰されるような感覚に、あたしも、天井からの土の塊に押し付けられていることを悟った。


「ここまで来れたのは褒めてやろう……と言いたいところだが、待っていたぞ、小娘」


 あざ笑う声でその魔術師が言った。黒いローブを身に纏い、灰色の髭を蓄えているのが見える。老人のようだ。皺が走った手に重たそうな杖を持っている。


「どういう……意味」
「お前を魔王陛下に差し出せば、私の覚えも目出度いだろう」
「おめでたいのはあんたの頭よ」


 思わず反射的に怒鳴り返してしまったけれど、それで正しかったようだ。男がローブの影からあたしを睨んで来た。暗い瞳に、恐怖を覚える。


「今の、どういう意味よ。あたしはただの花屋の娘よ。あたしなんか差し出したところでちんけな娘持ってきてよくも時間を取らせたなくらいにしか思われないでしょうよ」
「自分の価値がわかっていないようだな……哀れな。いや、愚かな、というべきか」
「独り言ばかり言ってると、早くボケるのよ、おじいさん」
「挑発には乗らぬぞ小娘。私にはわかる、震えているな」
「っ……」


 よかった。まだ、気が付いていない。
 震えているのは仕方がない。だって、怖いのには変わらない。あたしはただの花屋の娘で、呪い師、それだけだったんだもの。


「おじいさん」


 笑ってやった。


「気が付いてないの?」
「なにを……」
「水の音」


 地下からゆっくりと登ってくる、水。
 あたしはただここに連れられて来たわけじゃない。地下の水の道しるべとなったのだ。
 何もないところから水を呼ぶのはかなり体力を使うのは、今までの経験からわかっていた。でも、あの洞窟で感じていた水の気配。この森は水が豊富で、地下にたくさん蓄えられている。それを運ぶだけなら、もう、あたしにだって出来る。ゆっくりと下から昇ってくる、水の固まり。溺れる魔物の悲鳴。崩れていく塔の土台。
 土の塊は、水の敵じゃない。
 男の気配が見る間に変わった。慌てたように窓辺に寄り、外を確認する。そしてあたしに近付くと頭を踏みつけて来た。


「ぐっ……」
「くそっ……くそ、貴様の所為で! 魔女が! だが貴様だけは陛下のもとに連れて行かねば……何のためにこんな辺鄙な場所に居を構えたと思っている!」
「………なに、いって」


 なんの、ため……?


「まさか、あたしを……待っていたの」
「ふん、そこの小童も役に立ってくれたがな、こんな小細工をしかけられるとは……!」
「そう……あたしを待っていたのね」
「?!」


 あたしの所為で。
 あたしの所為で。
 あたしの所為で。


「この辺りの人が、死んで……」


 あたしの所為で。


「町が、燃えて」


 あたしの所為で。


「ミクの家族が死んだのね」


 そう。
 わかった。


「じゃあ、仇を取るのはミクじゃない」
「ひっ……」


 あたしだ。
 ばちんと弾けた、お守りのブレスレッド。
 その意味を、あたしは知らない。







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第六話



 轟々と水が渦巻いている。まるで虫のように魔物が溺れていた。


「おいおいおいおい……リン、まさかここまで操れるようになったとか聞いてないんだけど」
「やっぱりリンいるのかよ! どこだ!」
「黙ってろ」


 驚くほど深い谷――というより、穴だ。地面にぽかりと空いた穴のおよそ真ん中に、細長い塔が聳え立っていた。しかしその見える窓からも水が溢れていて、溺れた魔物が零れてくる。今にも倒れそうな塔なのに倒れないのは、水が遊んでいるから――弄っているからのようにさえ見えた。


「ありゃ、てっぺんだな……暴走しやすいなぁ、リンも。まぁもともと魔術師の修行してたわけじゃないし、あれは精神力がもの言うからな」
「御託は良いからなんとかしろよ!」
「いやだってあっちに行く手段すらねえしさぁ……」
「お前のその頭は何のために出来てるんだよ!」


 普段悪知恵やら俺をからかう言葉はぽんぽん出てんだろうが!
 そう言うと、あいつは仕方ないとばかりに深く溜息を吐き、首元のスカーフを外した。スカーフとは言ったが、広げてみればかなりでかい。大人一人寝転がっても余りある。薄手のため首にひっかけてもそれほど大きいとは思えなかったけど、すごい収納力。
 それに、クオがふっと息を吹きかけると宙に浮んだのを見た時は度肝を抜かれた。


「ほら、乗るぞ」
「え……何お前やっぱり魔術師だったのか」
「違う。俺自身に魔力はないよ。これはただの魔術道具。あんま外でぺらぺら喋んなよ、高いんだから」
「おう……」
「なに引いてんだ」


 原理は教えてくれなかったしどうせ聞いても理解しきれないので聞かないが、追い立てられるように宙に浮かぶ布に登る。案外、しっかりしていた。


「上に」
「わわわ」
「落ち着け馬鹿」


 ゆっくり浮上するそれに慌ててしがみつくとすぱーんと頭を叩かれた。仕方ねーだろ、生まれてこの方、地面からこれほど離れたことはないんだって。
 塔のてっぺんまでやってきたとき、その光景が見えた。天井でもあったのだろうが、水圧だろう、吹き飛んでいたため綺麗に吹き抜けだった。


「リン!」


 水の固まりが、宙に浮んでいた。その中で老人がもがき苦しんでいる。息が出来ないのだろう、ひどい形相をしている。
 それを、リンが虚ろな目で見上げていた。口は何かを唱えているが、この距離と轟音では聞こえない。


「あっ、ちょっとてめーら!」
「あ、あの野郎!」


 壁に貼りつくようにしていたのは、あのときリンを連れ去った人物だった。魔物製の鎧を着てずぶ濡れだ。やっぱりそっちサイドのやつか。俄かに殺気立つ俺に、ちょっと待てとクオが制する。


「なんだよ!」
「あの子は多分普通の人間だ。向こう側じゃない」
「はあ?」
「今リンを元に戻せるのはあの子しかいないし」
「なんで!」
「この距離じゃ危なくて近付けない。迂闊に近付けばリンに敵認定されて沈められるぞ」
「……っ」


 確かに、リンはいつもと違った。普段暴走しても、もっと生きている感じがした。でも今は違う。表情が全て抜け落ちて、このまま、もう生きているリンには会えないんじゃないかって恐怖が湧いてくる。


「いい。俺が行く」
「は? 馬鹿俺も道連れにする気か」
「放せ!」
「黙れって! おいそこの! 何でも良いからリンの注意引け!」
「はぁ!? どうすりゃいいんだよ何でも良いって!」
「ビンタでも何でも良いから驚くようなことしろ!」
「あっ、おいリンに手ぇ上げたら殺すぞ!」
「お前は黙ってろ!」


 そのターバン野郎は、この距離と轟音の中でもはっきりと聞こえる舌打ちをして、徐にリンに近付いていく。途中で水の飛沫に攻撃されながらも、リンの正面に立って、そして、


「きゃああああああああああ!」
「うるせぇ!」


 ……あろうことか。
 あろうことか。
 奴はリンの頭をがっと捕まえて、捕まえて……キスしやがった。
 リンの目がはっと見開かれるのがここからでも見えた。そして水は次第に勢いを失って、ばしゃん、と宙に浮いていた男が叩きつけられる。
 ターバン野郎がリンから唇を放したとき、完全にリンは正気に戻っていた。そして、言った。


「〜〜なにすんのよこの痴女!」
「いってぇ! 女同士ならノーカンだろ!?」
「はぁ!? 女!?」
「って、レン!? クオくんも!? え、何で浮いて」
「おいレン暴れるなよ!」






20160221





















第七話



 あの魔術師の男は少し遠くの大きな街から来た、警邏に曳かれていった。魔術師用の拘束衣を着せられて。
 それを、複雑な気分で見送った。


「おい」
「なによ」
「まだ怒ってんのか」


 声をかけてきたのは、もとの格好に戻ったミクだった。ぶすくれて、母親に怒られた男の子みたいな顔になっている。ちょっと笑いだしたくなったけど、そんな権利、あるわけないのだ。
 あたしはミクに向き直る。


「ごめんなさい」
「はぁ? なんであんたが謝るわけ」
「あたしの所為であなたの仲間が殺されたの」
「……あんた、誰かに狙われてんの」
「知らない。何も知らない」


 あたしはただの花屋の娘だった。それなのに、あるときいきなり魔力があることがわかって、何故か、追いかけられて、逃げ出した。
 それだけ。
 そう言ったら、ミクはにっと笑った。


「馬鹿だなぁあんた」
「馬鹿とは何よ」
「わかんねぇもんに謝られてもムカつく」
「う……」
「とりあえず、仇取ってくれたことには礼言うよ」


 え、と顔を上げたら、ミクはふいっと顔を背けるようにして振り返り、レンとクオくんの方へ向かう。彼らは馬の用意をして、いつもみたいにじゃれあっている。いいなぁ、男の子って。


「ちょっとミク!」
「あんたらなってねぇな馬の扱い。どうせモテねえだろ」
「はあ?! 関係ねぇだろ!」
「おいおいミク、いきなり図星突いてやんなよ可哀そうだろ」
「ああ……」
「おい哀れむの止めろ。つーか何で馬三頭いるんだよ、リン俺の後ろに乗せるんだぞ」
「あたしの分だろ、そりゃ」
「は!? 何で付いてくんだよ!」
「いや、だって面白そうだし。あと何か金になりそう」
「意地来たねェぞ!」
「それにさ。あたしら盗賊は義理堅いんだ」


 ミクが振り返る。


「なにチンタラしてんだ、リン」
「……あんたいっつも一言多いわね!」
「つーかリンに近付くなよ!」
「あんた何かっかしてんの? あ、あたしがリンにキスしたとき悲鳴あげたのってお前か。女かと思った。リン、お前らのことただの度の仲間って言ってたけど」
「良いんだよ今はそれで!」
「あっ、ごめん」
「いきなり謝んな」
「やっべこいつおもしれええええ」
「お前ら嫌い」


 馬鹿だな、ほんと。
 馬鹿、ばっかり。
 あたしは少しだけ滲んだ涙をこっそりと拭った。






20160221