第二章 | ナノ
第二章
第一話
第二話
第三話
第四話
第五話
第六話
第七話
第一話
「好きです付き合って下さい」
「嫌です離れて下さい」
隣を歩きながらじっと見つめてくる同い年の少年をぐいっと押しのける。非常に鬱陶しい。
昨日はうっかり動揺して泣いてしまったりこいつの作った簡易式テントで一緒に眠ってしまったりしたけれど、考えてみればとても不覚だった。あたしは一度泣いてすっきりしてしまったのでもう街のことはうだうだ考えないことにしても、昨日見せた醜態は忘れられない。どうにかしてなかったことにしたいくらい。
今朝目が覚めたら、この男は居た堪れない表情で目を逸らしたり甲斐甲斐しく世話を焼いたりしてきた。それが鬱陶しくて、今日から別で、と言い出したら驚いたようにやっとこちらを見てきたから。
『何で!?』
『何でって、それこそ何でよ』
『俺はリンのこと好きだからだよ』
『ああそうですか。でも好き合ってない男女が』
『じゃあ付き合おうぜ!』
『嫌よ断固拒否お断り』
『三つ返事で!』
そんな流れで、居た堪れない表情は消えたものの何故か好きだ付き合ってくれと連呼している。いい加減にしてほしい。道中賑やかになったは良いけれど。
「というか、これどこ行く流れなの?」
「ん? ああ取り合えず馬売って金に換えようと思う」
「結局返さないのね」
「ここまで来て返したら間抜けだろ」
あんまり堂々としすぎてるのもどうかと思う。
街から借りて来た馬(あえてこの言い方にする)は、今は乗らずにレンが引いている。荷物だけ載せているから、あたしたち二人とも手ぶら。
「この山越えたら町が見えるから、そこで売るよ」
「いいけど。ていうかレン、あたし手持ちが全くないわ」
「良いよ。俺そこそこあるし」
「手持ちだけじゃなくて、着替えとか、下着とか全く」
「しっ……した、」
「ちょっと何想像したのよ」
何故か顔を赤くしているレンのわき腹をどついた。あたしからしてみれば好きだのなんだの言ってくるほうが恥ずかしいのに。
というか。この人は、あたしのことを好きだとか言ってる割に、何も聞かない。昨日のこととか、こうなってしまったことの原因とか、気になることはあるだろうに。
本当は、あたしに興味なんてないんじゃないのかしら。それならそれで構わないと思うし、むしろ巻き込んでしまったのだからその辺りで別れても良いような気がする。そう考えればどんどんそうしたほうが良いような気がしてきた。とりあえず替えの服とか食べ物とか買わせたらそうしよう。当面の当たりがつけば何とかなる。
「……ああでもあの町かぁ……」
「何かあるの?」
「いや、何かっつーか、誰かっつーか。もういないと良いけど」
「はぁ?」
独り言のように紡がれる言葉。聞かせる気がないのなら、聞かなくても良いかしら。
次第に、続く上り坂であたしは考える余裕をなくしてしまった。
20151123
第二話
やっと町についたときはもう日暮れで、リンの口数がもうめっきりなくなってしまったところだった。相当疲れたらしい。だろうな。昨日からずっと気が張り詰めっぱなしだっただろうし、慣れない山道とかもあったし。今日は早めに宿をとって休んだ方が良いと、俺は少し前に訪れたことのある宿の門をくぐった。といっても、この町には宿はここしかないのだけれど。
ところが、である。
「一室しか空いてないの?」
「そうなんスよ、この先ちょっと道がふさがってまして」
「ふさがってる?」
「お客さん、知らないんスか? 昨日ちょっとデカい地震がおきましてね、土砂崩れですよ。今町から若い衆が出向いて整備してます」
「うーん。……じゃあその一室貸してください」
ロビーのベンチにぐったりと腰を下ろしている彼女を見ると、ここでごねるよりは取ってしまおうと思う。
手続きを終えてリンを迎えに行くと、リンはぼんやりと俺を見た。
「リン、立てる? 部屋空いてるって。行こう」
「ああ、うん」
眠そうな目を擦り、ふらりと立ち上がる足元にひやりとする。腰に手を回すようにして支えても、文句は出なかった。ちょっと役得かもしれない。不謹慎だけど。
用意されたのは二階の部屋。ドアを開けると、ベッドが一つ置かれた簡素なものだった。俺は彼女をベッドに座らせて、少ない荷物を部屋の隅に置く。
「シャワーついてるみたい。リン、俺出てるから一回休みなよ」
「そう、ね……ああでも着替えない」
「俺のでよければ貸すよ。洗ってから使ってないやつ」
「お願い」
鞄の中からタオルと着替えを出して手渡す。リンの目は半開きで、今にも眠ってしまいそうだ。シャワールームの中で眠ってしまわないか心配だけど、一緒に入るわけにもいかないし。大丈夫だろうか、と心配しているときに、こんこんとノックの音。
「? はい、なんすか」
「お二人さんと伺ったので、簡易ベッド持ってきたんですけど」
ドアを開けると、恰幅のいい中年のおばさんがキャスターのついた折り畳みベッドを傍らに立っていた。お二人さんだけど、そうだけど!
「いや、俺はここには泊まらな……」
「なにしてるの、レン。足りないんだからいれてもらえばいいでしょう」
背後からリンがぼんやりとした口調で言う。振り返ると、苛立ったように眉を寄せた顔が見えた。
「それとも、何? 一つのベッドで一緒に寝ろっていうの?」
「はい!? え、そんなの良いんですか?!」
「いいわけないでしょ! 馬鹿じゃないの!」
わかっていた返事だけど、ちょっと期待したのに。
というか同じ部屋で寝るのは良いのか、と嬉しかったり。
おばさんにベッドを入れてもらって(すぐ終わった)、リンがシャワーを浴びている間俺はロビーに降りた。さすがに同じ部屋でシャワーの音を聞いてると駄目だとわかっているのに妙な気分になりそう。
暇つぶしに新聞を読んでいると、別の団体らしい旅人達の声が後ろから聞こえた。例の土砂崩れについて話しているようだ。
「結局まだ帰って来ないんだろ……? それってやっぱおかしいよな」
「ああ……危なくて出られやしない」
「例の噂は本当なのか?」
「あいつが言ってただろ。見たって……土砂崩れも、もしかしたら」
「そうだな……」
こそあど言葉ばかりの暗号めいた会話だったけれど、ぴんと来た。彼らは、魔物のことを言っているのではないか、と。
突然出現したこの辺りにはいないはずのオーク。あれは背丈こそ小さくてあまり力もないが、数は多いし見た目よろしくないから、見慣れないと恐ろしいだろう。オークがこの辺りに出てき始めたとしたら、他の魔物もいるのかもしれない。
逃げろ、と言われた。でも一体、どこに。彼女が安全に過ごせる場所はあるのだろうか。
慣れない考えごとに思考を沈めていた所為か。
背後の人物に反応できなかった。
「首取った」
20151129
第三話
「っ、にゃろっ」
「うわ、」
声と首筋に当てられた冷たい金属の感触。考えるよりもまず先に身体が動く。こういう場合、下手に会話をすると相手に主導権が握られてしまうから、背後をとって油断しているうちに、すなわち今、動くのが良い。まぁ、動きがのろかったり相手が早ければ怪我ですまないけど――とか全く考えなかった。
幸いにも、顔の右から首に当てられた金属に対して右へ振り返り腕を薙げば、向こうは怯んでくれたらしかった。そのままソファーの背もたれに手をかけて床を蹴り飛び越えると、反動を利用して回し蹴りをしようとして、
「ちょっと待った! 俺! 俺だってばレン!」
「へ。……うわぁ」
「傷付くなぁその嫌そうな顔とこの反応」
へら、と両手をあげてわざとらしい降参のポーズをとっているのは、顔見知りの男だった。さらりと流れる緑の髪を項の上で一まとめにし、袖や裾がたっぷりと余る独特の服。じゃらりと首や手首にまとわりついた飾りは酷く重そうだし大仰だ。
この男、クオは、祈祷師とかいうものを生業にしている、酷く胡散臭い男だ。俺が旅に出た当初請け負った仕事で知り合い、それからちょくちょく顔を合わせている。腐れ縁だった。リンの街に行く前ここに立ち寄った時もいたから、まだいるんじゃないかと危惧していたが、本当にいるとは。
「なんでまだいるんだよ……」
「昨日出立しようとは思ったんだけどね」
「ああ、例の土砂崩れ?」
「そうそう。あと、ゴーレムも出たっていうしね」
「は? ゴーレム? オークじゃなくて?」
「おや、オークがこの地方に出たんだ?」
ゴーレムは土から出来た巨大な「人形」で、それに紛い物の生が吹き込まれている。身体が土だから切ってもすぐに再生するし、触れれば瘴気にむしばまれるし、はなはだ厄介なものだ。
しかしそれだからこそ、出会うことはまずなくかなり珍しい。基本的に人形だから使役する人物がいるのだが、ゴーレムを操ることができる者や作り出せる者はそれなりの魔力を持たなければならないし、その魔力にしたって中途半端なものでは続かない。
「土くれの中からゴーレムが出て来たって話。俺も聞いただけだけどね。でも多分本当だよ」
「なら……」
「でも主人はいなさそうだなぁ。目撃者の話だと、土砂崩れの中からってことだし。あと、こんなところでゴーレムを作り出すのは何のメリットもない。平和なとこだからね。だから、大昔に眠っていたものかなと思うんだけど」
「けど?」
「それもなんとなく違うような気もするなぁ。まぁ、というわけで足止めだよ。レンは? 何でまた戻って来たのさ」
「成り行きっていうか……俺の話はどうでもいいだろ」
「ははぁ、つまり隠したいことがあるわけだ」
こいつの何が嫌いって、こういう無駄に鋭くてもったいぶった態度だ。クソむかつく。
職業柄、勘は鋭いと言っていたけれど、それが胡散臭さに拍車をかけていると何故わからないのか。
「ま、良いけどね、言いたくなければ。魔術師は見つかった?」
「またそれかよ」
魔術師。いつかこいつに預言された俺の未来。
――二人の魔術師に出会うだろう。
はるか昔、この世界は魔法と魔力で溢れていたという。魔術師はそれらに秩序と術式を与え、系統立てた。そして世界は豊かになった。
今、魔法を使えるものはほとんどいない。魔力自体が希少価値なのだ。だからこそ、ゴーレムも珍しいのだが。
そんな魔術師に生涯で一人でも出会えたらいい方なのだろうとは思うのに。
「……一人は、見つかったと思う」
「一人?」
「でも、それがそうなのかはわかんねえ」
「レンが『そう』だと思ったんならそうなんだろ」
こいつの預言の意味だってわからない。いきなり言われたそれを、俺はどうして覚えているのだろうか。
睨みつけたときだった。
「レン、終わったけど」
シャワーを浴びて、少しだけ目の覚めたらしいリンが、階段を降りて来た。……俺の服を着て。
「シャワー使うんだったらどうぞ。あたし寝るわ」
「………オヤスミナサイ」
「おやすみ」
だぼだぼの男物の服に、乾かしたのだろうがまだ若干湿った髪。寝ぼけ眼に舌足らずな口調は隙だらけで思わず赤面した。
そして、クオの野郎の視線が痛い。
「……」
「……」
「……」
「……隠したいこと、か」
「にやにやしながら重々しく頷くの止めてくんね!?」
20151129
第四話
ぐるぐると。
身体の中で、何かが渦巻いている。それはどす黒く重たい何かで、いつかあたしという器を壊して外に飛び出していきそうなくらい。
怖い。
あの瞬間から、あたしの中に何かの存在を認めた。それは今までいなかったのではなくて、あたしが気付かないだけで、いつでもそこにいた。それに手を伸ばしてしまえば、あたしはいずれ、ここにいられなくなってしまうような気がして、怖かった。
「……」
目を開けると、もう部屋の中は明るかった。ベッドの上から起き上がると、一瞬ここがどこだかわからなくて戸惑う。ああ、そうだ。あたし、もう街にいられなくなったんだ。
部屋の中を見回すと、静かなもので誰もいなかった。そういえば昨日、足りないからと宿のおかみさんがベッドを運び入れてくれていたのに、それも見当たらない。
レンは、どこに行ったのかしら。
肩からずり落ちそうなレンのシャツを脱いで、昨日洗っておいた自分の服を手に取る。少しだけ湿っているけれど、許容範囲だと思う。着替えることにした。
身支度を整えてから、部屋を出てロビーに降りる。すぐに、騒がしい二人組が目に入った。
「はい出会いはー」
「うっさい」
「告白の言葉―」
「黙れ」
「黙れとか酷くね?」
「わかってんだろ!」
「あはははは、レンが怒った」
レンと喋っている、なんだか軽そうな(見た目は重そうなものジャラジャラつけているけれど)青年。誰だろう。そういえば、昨日もいたような気がする。眠すぎてあんまり覚えていない。
「おはよう」
「! リン、おはよう」
「はよー」
「お・ま・え・は・だ・ま・れ!」
「いたたたたた」
挨拶をすると気軽に声をかけてくる青年は、クオという、レンの友人らしい。祈祷師をしていると言っていたけれど、なんだからしくない。昔見た祈祷師さんは、重苦しい喋り方をしていて雰囲気もあったし、この人は格好さえ見なければ近所のお兄さんという感じだ。
「ああ、なるほどね。確かにこれは『魔女』だ」
「……え?」
自己紹介を交わし、簡単な雑談をしていた。レンはクオさんとは喧嘩友達みたいで、食ってかかっては柳のように受け流されていた。そんな中で、唐突に言われた言葉。
人の奥底を見透かすような、嫌な目だと思った。
「クオ!」
「お前が言ってた魔術師かもしれないって彼女のことだろ」
「レン?」
「魔術師か。ん……封印の跡があるね」
「あなた……」
誰だ。
どうして、わかるのだろう。
思わず胸元を押さえれば、彼はふっと笑って目元を和らげた。
「でもってごく最近までってことか。それ用の修行は受けてないみたいだし、力も安定していないね。なにか媒介でもあれば良いんだけど。さて、レン、今日は買い物なんだろ?」
「お、おお……」
「なら、杖でも買ってやりなよ」
じゃあね、とクオさんはさわやかに胡散臭く笑って席を立った。そのまま、止める間もなく宿を出る。
「……レンの友達って、変わってるのね」
「友達じゃねえ!」
「爽やかさと胡散臭さが同居してる人って初めて見たわ」
「胡散臭さ一択だっつの」
それからあたしたちは朝ご飯を食べて、買い物に出かけることにした。
20151129
第五話
これってデートみたい。
と思ってしまうのも仕方がないと思う。好きな女の子の服を選んで買えるってすごい楽しい。いや、俺は服はわからないからあんまり選ばないけど。
「終わったわ。レン、ありがとう」
「早くね? もういいの」
「うん」
田舎町だから、あんまり服の種類がないせいかリンは即決で服を決めた。試着することもなく。ある意味男らしい。
替えの服と、俺に見えないとこで下着も買ったらしい。素早すぎる。ちょっとみたかったのに、と言ったら引かれそうだったので口には出さなかった。
それから、俺たちは道具屋へ寄った。ちょっと薬が切れそうだったし。
「レン、傷薬それにするの?」
「ああ、いつもこれだったから」
「それなら、」
と、リンがここで少し背伸びをして、俺の耳元に唇を寄せた。うわ……俺、死にそう。
「あたし、もっと良いの作れるわ」
「えっ……えっ、何ごめん」
「ちょっと何赤くなってんのよ」
「赤くならない方が無理っ」
「…………馬鹿じゃないの」
彼女は俺から少し身を放して腕を組んだ。あ、ちょっと惜しい。頑張れば良かった。
「だから、あたし、呪い師なの」
「ああうん」
「正直、腕は良いと思うわ」
「うん」
「だから、これ、買ってくれたお礼に薬くらい作るわ」
「……マジですか」
呪い師は、確か自然の力を利用して薬を調合したり天気を読んだり病を治したりする人たちのことだったと思う。呪術的な要素も加わるけれど、基本的には知恵のある人たちだ。
俺の怪我を治す薬を、リンが作ってくれるという。それって、なんか、
「……ありがとうございます」
「何でそんなに赤くなるのよっ」
「え、だってなんか嬉しい」
「ばかばかばかばか」
リンはふいっと顔を背けて向うへ行ってしまった。なんだか、俺、怒らせてばかりだ。正直なところ、女の子と一緒に過ごすのはこれまでの短い人生でほとんどなかったから、どう接すればいいのかわからない。
追いかけようとしたとき、ふと、視界の隅にあるものが映った。
「リン、これ」
「なによ」
「これ、買おう」
ようやく振り返ってくれた彼女に差し出したのは、古い古い杖だった。滑らかな木の素材は手にしっくりと馴染み、先でぜんまいのようにくるりと曲線を描いている。俺には少し細く感じるけれど、リンには丁度良いくらいだろう。
魔術師の杖だ。
埃を被った、古いもの。
こうした杖は、今の世に魔術師がほぼいないにも関わらず古い店には一本くらい置いてある。魔除けや呪いの類だと聞いたことがあった。
「……さっきの、クオさん、が言ってた?」
「うん。あいついけ好かないけど、ああいう助言は従っておいた方が良い」
「やっぱり。仲良いのね」
「よくねーよっ」
ただの腐れ縁だ。マジで。
リンの細い手が俺の方へ……じゃない、杖に伸びた。それに触れた時、
「!」
「なに!?」
轟音が、響く。
20151129
第六話
「化け物が出たぞー!」
「誰か!」
外から聞こえた阿鼻叫喚の騒ぎ声に、思わず手が震えた。ああ、どうしよう。思い出したのは、先日のあたしの町での出来事。あの一件で、すべてが覆ってしまった。またあんなことがあったら。
「ゴーレムか」
ぽつりと言ったレンを見上げると、さっきまでふざけていたのが嘘みたいにきりっとした顔つきだった。戦いに身を投じることを何ら疑わない瞳。
ふと思った。
この人は、本当はとても怖い人だ。
「リン、俺ちょっと行ってくるから。待ってて」
「レン何言って……!」
止める間もなかった。レンは、外に出て行ってしまう。待ってろって、ここは宿屋でもないただの道具屋さんなのにどうしろっていうの。
がしゃがしゃと動揺したような激しい音がして振り返ると、レジのおじさんが慌てて荷物をまとめていた。
「どうしたんですか?」
「ま、窓の外から化け物が見えるんだよ……! 逃げないと、ほら、君も出て出て!」
「あっ、」
追い出されるようにお店の外に出たと同時に、ずしんと地響きが思いのほか近いところから響いた。
岩の塊が動いていると思った。二本の足と、二本の腕。不格好な歩き方。五メートルほどある巨体。逃げ惑う人々が、まるで、子供のようだった。
ああこれが、ゴーレム。
ひ、と悲鳴が聞こえて、背後で扉の閉まる音。
「ちょっと! 開けて! 開けなさいよ!」
締め出されたのだ。といっても、あれに家の中かどうかなんて関係なさそうだけれど。
人の悲鳴が薄くなっている。恐る恐る背後を振り返ると、ゴーレムがいた。人影はもう逃げ切っているのか、見当たらない。違う。いた。
子供だった。
ゴーレムの目のその奥。足の間から、小さな子供が震えているのが見えた。あの子を助けるのは、誰もいない。あたししか、この場にいないのだ。
でも――どうやって?
あたしにあのゴーレムが倒せるとは思えない。見過ごせないのに、体が動かない。何も考えず、後先考えず、勝手に動けるタイプならよかった。
「お、おねえ……ちゃ……」
「!」
子供と目が合う。その瞬間、あたしの手の中の杖が震えた。ああ、あたし、まだこれを持っていたのだ。
――水の気配がした。
ざぁ、と耳元で音が鳴る。空気が含む水分が多くなったような気がして、息が苦しくなった。杖が熱くなり、持っていることすら辛いのに、放せない。知っているのだ、あたしは。これが、唯一、あの子を助ける方法だと。
知っていた。
知っていたから、徐々にゴーレムの足元に水が溜まっていっても、渦巻くように足元をすくっても何も疑問には思わなかった。もっと、もっと、もっと。
水よ、集まれ。
所詮、土塊。あたしの相手じゃ、ない。
なぜか、そう思った。そう思って、怖くなった。
土塊は、水を吸って脆くなる。ぐずぐずと足元から溶け出して、立っているのもおぼつかない。あたしのほうを振り返り、うつろな目にあたしを認める。そのまま、こちらに近づこうとして、できなかった。べしゃりと水に落ちて、それは、溶けてしまったのだ。
「あ……!」
終わった。これで、あの子を助けられた。
自分の中の恐怖心には見ないふりをして、安堵の息を吐きかけた。違う、まだだ。
あの子が、泣いていた。周囲は渦を巻く水で、どんどん嵩を増していく。あの子は今にも飲み込まれそうになっていたのだ。
「やめて! もういいの、お願い引いて! どうして!」
思わず杖を振って叫ぶけれど、状況は何も変わらない。どうして、どうして、どうして。頭が混乱に沈んでいく。どうしたらいいのだろう。こんなの、願っていないのに。
「落ち着いて」
杖を掴む手に手を重ねたのは。
「あいつも馬鹿だなぁ。一番守りたい子から離れるのが悪いんだ」
「あ、あなた……!」
「やぁ」
緑の髪の、胡散臭い笑みを浮かべた青年。確か、クオさんだ。彼はあたしの後ろから覆いかぶさるようにして杖を支えている。
「大丈夫。落ち着いて。杖に集中して。水は君の敵じゃないよ」
「敵じゃ、ない」
「そう。友達だと思ってみて。大丈夫、君の言葉は通じるから」
落ち着いた静かな声に、少しずつ、混乱していた意識が浮上していく。深呼吸してと言われたとおりに呼吸を繰り返す。ゆっくり、ゆっくり、水が引いていく。
完全に水がなくなったとき、膝から力が抜けた。崩れ落ちそうになったところをクオさんが支えてくれる。
「あ、ありがとう……」
「よくできました。お疲れさま」
胡散臭い、けれど人好きのする笑みを浮かべる青年を見て、この人は一体なんなのだろうと少しだけ警戒心が呼び覚まされる。けれどそれより先に考えるほどの体力が残っていなかったことと、
「あーっ、クオ、お前……!」
「やあ、おかえり、レン。遅かったね」
「おま、お前何、」
体中泥まみれのレンが乱入してきたために、あたしは思考を放棄した。
20151220
第七話
リンが助けた子供は、幸いなことに無傷だった。泣き疲れて眠ったところで親がやってきて引き渡した。リンは複雑そうな顔で見送っていた。
「で」
俺はじとりとクオを睨み据える。
「なんでお前がリンに抱き着いてたんだ。セクハラだ、変態め。俺を遠ざけといて何してやがる死ね」
「わあ、悪意満々だね」
「殺意だよ」
そこんとこはき違えないでほしい。
さっきリンを置いて道具屋の外に出たら、クオがいたのだ。ゴーレムは複数いる、自分はこっち方面をやるからお前は外を見てくれなんて言っといて、セクハラするために残るなんて知らなかった。
リンは椅子に座りこっくりこっくり船をこいでいた。大分疲れているのか、しかしこの状況だと非常に無防備で、俺はリンの隣に陣取ってクオを睨みつけている真っ最中だ。
「あ、そうだ、レン。あれは取ってきてくれた?」
「あ?」
「キャラがブレてるよレンくん」
「うっせこの似非祈祷師。ほら、これでいいんだろ」
投げ渡したのは、俺が倒したゴーレムの中から出てきた真っ黒なこぶし大の石だった。黒という色は世の中にさまざまにあるが、この石の色は良いものではなく、色や悪意が混じり合って濁った黒をしていた。
「ああそうこれこれ。ゴーレムの核な。珍しいものだから売ると結構な値段になる」
「そんなすげぇの?」
「まぁ、珍しすぎて真贋つくやつが滅多にいないからな、売るより使ったほうが早い」
クオは慎重に石に札を貼り、懐に収めた。あの無駄に余った布はポケットかなんかだろうか。
こてん、とついにリンが眠気に負けて俺の肩に寄り掛かった。すぅすぅと小さな寝息を立てる様に胸がざわつく。可愛い……。
「レン、顔」
「……うっさい」
指摘を受けて思わず口元を拭った理由が自分でもわからん。
クオはしばらく俺を面白そうに眺めていたけれど、さて、と空気を改めた。
「その子。やばいな」
「は?」
「この周辺に川も沼も湖もない。むしろ乾燥しきっている。なのにいきなり水を呼び出した。相当強い魔術師だな」
「そうなのか?」
「お前知ってたんじゃ……ないか。お前は脳筋だもんなぁ」
「何言ってるかわかんねぇけど馬鹿にしてんのはわかった」
殺意だ。これは間違いなく殺意だ。
「でもやっぱり力は安定してない。いやぁ、すごく面白いね」
「面白がってんじゃねーよ」
「あ、お前シーザーに似てる」
「シーザーってなんだよ」
「昔厄介になってた家の裏に住んでた。縄張り意識が強くてさ、ちょっとでも家に近づくとわんわんわんわんうるせーの。不審者だけじゃなくて客人にもな」
「犬じゃねえ!」
その後、面白そうだから俺もついていくね、と実に胡散臭く笑ったクオを振り切ろうとしたけれど、目が覚めたリンがなぜか乗り気だったため押し切られてしまったのだった。
やっぱり埋めとこうかな。
20151220
クオをイケメンに書くのが好きです。
いつにもまして雑な展開で申し訳ないです。