第一章 | ナノ


第一章 
 第一話 
 第二話
 第三話
 第四話
 第五話 
 第六話 
 第七話















第一話





 修行中の剣士、なんつっても、正直なところ俺より強い相手に出会ったことがない。まぁ魔法とか使われたらアレだけど。あと噂のエルフ族とかはまだ当たったことはないけど。
 つまりは、このトーナメントで俺があっさり優勝してしまったのも、また強いやつがいなかったと期待はずれだったわけで。


「もうちょっと、手ごたえあると思ったんだけどなぁ……」


 師匠からは、調子に乗るなと小突かれそうだが。決勝戦であたったやつは、図体だけでかくてモーニングスターぶらぶらさせてるだけの男だった。いかにも大男総身に知恵が、つーような。
 また別の街の力試し探すか。

 ここはターンサーガの街。王城にそれとなく近い位置にある、栄えた場所だ。実際、人は多いし市も賑わっているし、金回りも良い、ついでに酒屋料理が美味い。こんなでかいコロシアム、初めて見た。そこで数年に一回開かれる異種格闘技トーナメントに参加するため、俺ははるばるやってきたのである。
 計二十人の参加者だったらしいけど、俺はとりあえずその二十人の中の頂点ということになった。表彰台で、このトーナメントを開いた開催者兼出資者から賞金とメダルを渡された。メダルは、そんなに荷物にならないからいいけどさ。どの道売るし。賞金は地味に重いんだよな……。
 これで終わりか、と思いきや、開催者の初老の男がついと右に避けた。視線を後ろに投げたため、俺も顔をあげると、そこには花束を持った女の子が立っていた。
 小柄で、背の低い俺から見ても目線くらいの位置に頭のてっぺんがある。色白の顔を囲むように、さらさらと肩に届かないくらいの黄色い髪が靡いていた。水を湛えたような澄んだ目は意思が強そうで、固く引き結ばれた唇がふわりとほころぶ。


「おめでとうございます」


 鈴を鳴らすような声。多分、俺と同じくらいの年の女の子は俺に近付いて少しだけ踵を持ち上げたらしい。近付いてきた愛らしい顔に、さっきまで会場を身軽に飛び回っていたはずの身体が固まってしまった。花のような甘い香りは、花束からじゃない、この女の子から。
 ちゅっと、頬にリップ音。そして柔らかい感触が、消えない。にこりと微笑んだ表情に、俺は、つまり、


「好きです」
「へ?」


 ぽかん、と呆気にとられた顔も、可愛いなぁ、なんて。そしてその子の白い頬が、耳まで真っ赤に染まったのを見て、あ、俺今なんつった!? なんてようやく我に返った。
 思わず釣られて赤くなると、彼女は怒ったように俺に花束を突き渡して、足音高く会場から出て行ってしまった。あー……。


「あの子は花屋さんの娘さんじゃよ」
「え?」
「まぁ、しばらくは会えんかもしれんがの」


 と、開催者のおっさんが面白そうな顔で言う。気がつけば、会場はやんややんやの盛り上がり。ちょっと。待て。


「〜〜違う! いや違わないけど!」


 花束を抱え蹲りながら、さっきの女の子を思い浮かべる。やっぱり、あの匂いは花束じゃないらしい。目が合った瞬間、心臓が動いてしまった。言葉じゃ説明できない、なんだろう、これは。

 どうやら、つまりは、一目惚れしてしまったらしいです。








20150816























第二話





 もう! もう! もう!
 仕事にならないわよあの馬鹿男!


「リンちゃーん……可愛い顔が台無しだよー」
「うるさいわね、父さんは黙ってて!」
「ええー……ほら、お客さん逃げちゃうし、ね?」
「お店開けらんないんだから、お客さん逃げようがなんだろうが知ったこっちゃないわよ。ていうか父さんこそ、あたしがあんな目に遭ったって言うのに何よその態度!」
「いや、まぁ、ね? リンちゃんなんもされてないし。告白されただけだよ。青春だねぇ」
「青春!? 何もされてない?! 余所でやってほしいわ!」


 あたしは花屋用の仕事用具の入った戸棚をばたんと閉めて、足音高く外に出かける用意を始める。あれは昨日のことだけど、既にあの優勝した子がしたことは街の隅から隅まで行き渡ってしまったらしく、早朝からすごい有様だった。あの子と付き合うのか、とか、そりゃもう面白可笑しそうに。今日は商売にならなそうだから、と急きょお休みにさせてもらったくらいだ。
 それなのに、父さんはこうして笑ってるし。もう、信じられないわ。


「リンちゃん? どっか行くの」
「先生のとこに行ってくる」
「あれ、昨日行ったばっかじゃん」
「ここより断然静かだもの。今日は勉強じゃなくて、お喋りに行くの。先生、今週は特に何もないって仰ってたし」
「はいはい。気をつけてね」


 裏口からこっそり抜け出して、路地裏を選んで街の外れを目指して歩く。フードを深く被って顔を見られないように。なんだか嫌だわ、あたしが悪いんじゃないのに。
 これから向かう先生は、あたしの呪い師の師匠だ。小さい頃からお世話になっていて、病気の治し方とか薬草の煎じ方から、たまに迷い込んでくる野生生物や魔物の対応なんかを教えてくれる人。何故こんなことを、と言えば、あたしに魔力があるから、らしい。
 あたしは、拾われ子だ。
 経緯は話してくれないけど、生まれつき持っていた魔力は街で生きてくには必要のないもの。だから上手く生きて行かれるように、いろいろ教えてくれる。とても、良い人。
 この街は大通りはとても賑やかだけど、打って変って裏通りはとても静か。石畳の道に、建物に切り取られた空。遠くから響く喧騒が、静けさを増していく。余所から来た人は表通りしか使わないから、ここは好きだ。
 でも。……なんでかなぁ。


「……あんたたち、誰?」
「お前、昨日の花娘だな?」
「ちょっとツラ貸せや」
「はぁ?」


 二人組の、肌の浅黒い大きな男が道を塞いだ。あたしの家は花屋だしあたしも交友範囲は狭いほうじゃないし、街の人たちは大体知ってる。名前は知らなくても、顔覚えくらいあるものだ。でも、この二人は知らない。ということは、街の人間じゃないってこと。心当たりがなくて、思いっきり怪訝な声を出したら腕を掴まれた。その拍子にフードが外れて、中で蒸していた空気が流れて行く。


「あーっ!」


 と、思ったら。背後から聞こえた素っ頓狂な声。思わず振り返れば、そこに元凶のあの男の子が目を丸くしていた。


「やっと見つけた! 店行ったらいないって言われて!」
「え、あの、」


 近付いてきたその子は、あたしの掴まれてない方の手をぎゅっと握り締めて嬉しそうに笑う。ぶんぶんと手を振って、なんだか騒がしい子。


「すっげぇ偶然! なぁこれって運命とかじゃないかな!? あ、俺レンっていうんだけど、名前教えてもらっても良い? 昨日とかさっき店で聞こうかとも思ったんだけど、やっぱりきみの口から聞きたくて」
「リン、だけど……」
「リン。良い名前」


 にこ、と輝くような笑顔を向けられて、毒気を抜かれてしまう。なんなのこの子。ぽかんとしてたのはあたしだけじゃなかったみたいで、「お、お前!」と男二人が声を荒げるのと同時に掴んでいたあたしの腕を乱暴に引いた。


「き、昨日はよくも!」
「あ、なんだあんたら。つーか、」
「きゃっ」


 どうやったのか、その子はあたしとそいつらの間に割って入って腕を解いた。あたしを背中に庇って、男たちを睨み据える。背中に背負った剣が目に入って、これを抜いてしまったらどうしようかとひやひやした。


「昨日の初戦の奴じゃん。何、俺に勝ってもどうせ次で負けてたよ」
「昨日は油断しただけだ」
「テメーみてえなガキが、どうせ不正でもしたんだろ」
「ああ?」


 怖い、のですけれども。
 どうしようかと思っていたら、男の子が後ろ手にあたしの手を握り、軽く引いた。まるで合い図するかのように。
 だから、次の瞬間男の子がそいつらに器用に足払いをかけて駆け出したとしても、素直について行くことができた。
 力強く引いて行く手。背後から追いかけるような怒声。走っているうちに迷っているような素振りを見せたから、あたしは咄嗟に近くの路地に入り、また曲がり、を繰り返して背後の男たちを撒くことにした。
 どのくらい走ったかわからないけど、もう大丈夫かな、と思って立ち止まった頃にはしばらく息が戻らなくて、壁にもたれかかって一休みした。でも男の子は鍛えてるからかなんなのか知らないけど、そんな素振りなくて、あたしが落ち着くまでじっと待っていた。


「大丈夫? 水いる?」
「ん……欲しい」
「はい」
「ありがと」


 渡された水筒の水は、温かったけど、ないよりマシだったかな。ありがたく受け取って半分くらい飲んでしまった。水筒を返すと、何故か男の子はまるでその水筒が爆弾に変わったみたいにおろおろと持つ手を変えたりしてたけど、結局肩かけの鞄に仕舞った。


「ごめんな、俺が余計なこと言ったから」
「ほんとよ。おかげでお店閉めなきゃいけなかったし、変なのに絡まれるし」
「う……悪かった」
「でも、助けてくれてありがとう」
「いや、それは、俺の所為だし。ていうか間に合ってよかった。うん。どういたしまして」


 素直な子だなぁ。なんて、ちょっと和んでしまった。けど、男の子――レンが、そっとあたしの前に立った。昨日はあんまり見てなかったけど、こうして見ると思ったより幼い。二つ三つ年上だと思ってたのは、昨日という場が普通じゃなかったからかしら。長めの金髪を頭のてっぺんで括ってるから、幼く見える。あたしと同じくらい? 空色の綺麗な目は生き生きと輝いている。平均的な男の子の身長よりは低めだし細身だけど、がっしりしてるみたい。胸当てみたいな防具と背中に背負っている大振りな剣が、なんだかしっくりしていた。


「俺、やっぱり君が好きだ」
「なっ……」


 直球?!
 なんか、もう、動揺しすぎて、逆に冷静になってしまう。


「……あのね。昨日会ったばっかりで、その上名前だってさっき知ったくらいでしょ」
「これから知りたい」
「昨日は興奮してて、勘違いしちゃっただけじゃない」
「今日は興奮してないよ。リンに会ってドキドキはしてるけど」
「だ……から、もうそう言うこと言わないでっ。そんなこと言われてもあなたとはどうにもなりませんっ」
「なんで? 恋人いるの?」
「いないけど、あなたとはどうにもならないんだってば!」


 慌てて歩き出すと、後ろをレンがついてくる。振り切ろうにも、どうせあたしより足早いだろうし、無茶なこと言わないし、一応助けてもらったし。
 でもおかげで、先生のところには行かず仕舞い。







20150816























第三話





 本当のことを言えば一目惚れってどうなの、と思ってた時期が俺にもありました。
 それって容姿しか見てないじゃん。


「でも好きになったんだからしょうがねえよなー」
「独り言うるさい」
「ごめんなさい」


 買わないのなら客じゃない、というリンの言葉により、俺は花屋の手伝いをしている。最初の頃は俺を見てひやかしたりする街の連中も何人か……どころじゃない数がいたけど、彼女がぎろりと睨めば皆黙った。強い。
 昼頃になり客がひと段落して、店の整理をし始めた彼女に近付いた。


「リン、昼飯にしようぜ」
「先食べてて」
「良いじゃん」
「そうだよ、レンくんと食べておいで」
「父さん!」


 店の奥から声をかけてきた店長ことリンの父親に、リンが余計なことを言うなと睨みつける。俺としてはナイスアシスト! という感じだったためリンの手から花ばさみを取り上げて自然に店の外に誘導しようとした。


「どこ行くの」
「どっか外で食べようぜ。昨日もそうしたじゃん」
「冗談やめてよ。あんたと食べると視線が痛いんだから。うちで食べるわ」
「え。もしかしてリンの手作り?」
「父さんよ」
「……それはそれでアリか……」
「なにが!?」


 リンと一緒に食べられるなら、という意味で。
 家の中にあがらせてもらうと、簡素な作りのリビングに案内された。木のテーブルに椅子が二脚。食器棚一つと大きな窓。それが特徴で、妙に清潔だった。ここ数日店を手伝ってるけど、こうして家にあがるのは初めてで思わず緊張してしまう。


「リンの部屋は?」
「それ聞いてどうすんのよ。階段の下」
「そこは、店長だろ? ちょっと聞いただけだよ、忍んで行ったりしないって」
「んなっ、当たり前じゃない!!!」
「あはは」


 店長が作ってくれていたパスタを皿に分けていたリンに指示を仰いで食器棚からコップとフォークを出す。スプーンは、と聞くと、馬鹿にしないで、と返ってくる。そうか、これは馬鹿にしてることになるのか……俺はパスタにスプーン使うけど。幼児向けだって言われようが上手く食べられないんだから仕方がない。
 テーブルに向かい合わせで座り、昼食をとる。食べ方綺麗だな、とか。また見てしまう。
 この街に来て早二週間弱。そろそろ次に行った方が良いことはわかっている。修行中の身だし、強くなりたい。でも、やっぱり後ろ髪を引かれてしまうのはリンに好きだと言ってしまったからだろうか。言わないで、秘めたままならすんなり立ち去れてたかも。いや駄目か。後先構わず突き進んでしまうのは俺の悪いクセだ。


「……あのね」


 何を思ったのか、リンがフォークを置いた。


「ん?」
「次はどこに行くの?」
「んー、どこ行こうかな。決めてないんだ。いつも」
「いつも?」
「そう。気が向いた方角に行って、力試しの大会でもあればそっちに行く、みたいな。決めてないし、いつ発つのかも特に」
「ふぅん。だから?」
「だからって?」
「船乗りは港ごとに女がいるって言うわ。あなたもそうなんでしょ」
「は!?」


 思わず立ち上がってしまった。そしたら、リンが眉を潜めて座ってと言うのでしぶしぶ座り直す。


「んなわけねえじゃん。つーかそこまで器用じゃねえし初恋だし口説こうと思ったのもお前が初めてだし」
「ちょ……恥ずかしい人ね!」
「なにが恥ずかしいんだっつの。事実だから仕方ないじゃん」
「ねぇ、じゃあどうしたいの? あたしにあんなこと言って、いずれこの街を出て行くあなたが」


 何を言いたいのかわかった気がして、俺は静かにリンを見る。どうしたいのか、と言われれば。


「いや……付き合えれば……嬉しい、です」
「ちょっと何照れてんのよ。あんだけ恥ずかしいことしてきたのに今更?!」


 いやまぁそうかもしれないけど正面切って聞かれると照れるというか。落ち着かなくなってきた。
 リンは少しだけ頬を赤らめて咳払いをすると、唇を尖らせて目を若干逸らした。


「あたしはこの街が好きよ。父さんもいるし、お友達もいるし。嫌な人もいるけど、愛着あるし。この街で穏やかに暮らしたいの。あなたはそうじゃないでしょう、合わないもの」
「……リンは現実的だな」
「馬鹿にしてんの?」
「違うって。いや、俺はリンのこと好きでいられてそれだけであんまり考えなかったけど」


 また、呆れた目が突き刺さる。


「確かに、俺はまだ修行中だし、強くなりたいからずっと一所になんていうのは無理かもしれない。でも、拠点定めることは出来るし、もし叶うなら、待ってて欲しいよ」
「ポジティブ思考ね」
「駄目?」
「でもあたしはあなたとお付き合いなんかしませんから」
「つれないなぁ」


 本当は。
 付き合うとか、付き合わないとか、それよりも、こういう時間が好きなんだって。
 一目惚れだったけど、こういう風に話をして、あんたを見てられるだけで結構楽しいんだって。
 さすがに、考えなしの俺でもそれを言う勇気はないけど。
 彼女が困ったように眉をさげ、何か言おうとした。けれど、結局何を言いたかったのかわからなかった。


「……何かしら。騒がしいわね」


 表がざわついている。
 なんだろう……腰を浮かしかけたとき、店に繋がるドアが開いて店長が顔を出した。


「父さん? どうしたの」
「リンちゃん大変だ、逃げなきゃ!」
「え?」


 そのときの店長の真っ青な顔を、俺はよく覚えていた。


「今までそんなことなかったのに……オークの大群が、街に向かってる」








20150906






















第四話




オーク――人を食う小鬼。身の丈は子供のそれと同じくらいでも、凶暴かつ残忍な鬼だ。それは西の森に棲む闇の生き物だと、話に聞いたことがある。
 でもそれだけ。本物を見たことは勿論、この辺りに生息するなんて話も聞いたことがない。本物かどうかも怪しいとすら思っていた。だから、父さんの言うそれも驚かせようとしてるだけじゃないかって思った。
 けれど、外から聞こえるざわめき。大きくなっていく悲鳴、そして怒号。まじまじと父さんの顔を見ると、父さんは慌てたようにあたしの手をとった。


「早く――きみは逃げなくちゃ!」
「に、逃げるって」
「とりあえず先生のところにでも……」
「なぁ」


 打って変って、落ち着いた声が遮る。見ると、レンが声と同様落ち着きはらって剣を佩きつつ立ち上がり、窓から外を覗いていた。


「数はどのくらい?」
「知らないよ、平原をやってくるってのが聞こえただけだから」
「今になってもこの騒ぎってことはそれほど多くないか。トーナメント出場者、どこにいんの?」
「まだ帰ってなかったらコロシアムすぐの酒場にいるんじゃないの。それよりいいから」
「じゃあカイトさんはそいつら連れて来てよ。俺、ちょっと行ってくるから」
「へっ!?」


 行ってくるって何が?


「大丈夫。あいつらは数だけで頭も悪いしトロいから、最初に一発脅かしちまえばこっちのもん」
「き、きみ、オークと」
「戦ったことくらいあるよ。傭兵してたし」
「ちょ……」
「多分トーナメントに出てた奴らもそういう経験者だろうし。じゃ、リン、待ってて」
「レンってば!」


 レンは、本当に行ってしまった。剣を佩いただけの軽装。トーナメントのときは、胸当ても肩当てもしてたのに――それだって十分とは思えないけど。
 父さんとぽかんと顔を見合わせて、そしてはっとした。数がどのくらいかわからないけど、応援呼ばないと。それは父さんがやるって言うから、あたしは父さんに任せて、そして思い出す。
 街外れに住んでいる先生。気付いていないかもしれない。窓を開けて人が逃げる流れを見ると、先生が住む方角とは九十度違う。あたしは家を飛び出して、先生の家に向かった。流れる人をかきわけつつ、馴染んだ道のりのはずなのに、どこかよそよそしく見えるのはどうしてだろう。
 無我夢中で走っていた所為か、脇から飛び出て来た小さな影に気付かなかった。正面衝突。思いっきり尻もちをついてしまう。


「父ちゃんっ!」
「あっ、こら待ちなさいっ」


 子供だ。十歳くらいの小さな子。パン屋の息子のイリアくんじゃなかったかしら……その子が小さな身体ですり抜けるようにして、人混みに逆らっていくのだから、思わず追いかけた。だって、そっちは危ない。大きくなる喧騒に、嫌な予感も比例する。


「もうっ、捕まえた!」


 小さな子の足だったから舐めていたけど、思いの外すばしっこくて捕まえるのに思ったより手間どってしまった。けれどようやく追い付いて首根っこを掴みあげると、イリアくんは何するんだと暴れる。


「うわ、放せ!」
「逃げるわよ、そっちは駄目なんだから」
「うっせー! 父ちゃんがまだ残ってんだ!」
「え?」
「俺、やっぱり父ちゃんと店守るんだっ!」
「命あっての物種よ! いいから逃げなさいってば、お父さんのことはあたしが見てくるから!」
「信用できるかバカヤロー!」
「口が悪い!」


 イリアくんを説得するのに夢中で、周囲からすっかり人の気配が絶えたことにあたしはこのときようやく気付いた。同時に、ギィギィと錆びた金属のようなしゃがれた声が、近付いてくる。


「あ……」


 あれが、オーク。
 子供かと思った。けれど違う、子供の肌はあんなに不気味な色をしていないし、目がぎょろりとしてもいない。がしゃがしゃと鎧の音を携えて、下品な笑い声を響かせる。それぞれ剣や斧といった武器をぶらさげ、それにはおびただしい血が。


「……逃げるわよ」
「……ねえちゃ、」


 がたがた、と震える手が、あたしのスカートを掴む。腰が抜けてしまったのか、動く気配を見せない。あたしだって、この子がいなかったら腰を抜かしてしまったかもしれない。
 イリアくんを抱えて踵を返す。獲物をみつけた歓声が聞こえる。逃げきれない。後ろからの声が、どんどんどんどん近付いてくる。
 焦っていた所為か――躓いた。


「姉ちゃん!」
「逃げなさい!」


 イリアくんを出来るだけ遠くへ突き飛ばして、振り返る。敵はもうすぐそこにいて、歓喜の雄叫びに武器を振り上げて、そして、それは、


「リン!」


 血しぶきを上げた。


「……とう、さ、」


 父さんが、あたしを掬いあげて走り出した。途中でイリアくんも拾って、痩身の見た目からは想像もつかない速さで走り出す。突然沸いた人間に驚いたのか、オークたちは目をぎょろぎょろさせている。が、直に気を取り直したのか、また追いかけて来た。


「父さん、父さん、父さん……!」


 ぬるり、とした血。背中から、夥しい血が流れている。さっき、あたしを庇って。
 父さんは返事をしなかった。次第に足がもつれて、どう、と倒れ込む。父さんの顔色は、酷く悪くって。


「リンちゃん、逃げるんだ……」
「嫌だ。父さん、立って」
「逃げて」


 腕を抱えて立ち上がろうにも、あたしには重かった。二人一緒に倒れ込んでしまう。そうしている間に、あいつらとの距離がどんどんなくなっていく。
 父さんはあたしの手を恐ろしいほどの力で掴み、微笑んだ。


「逃げるんだ、リン。捕まるな……!」


 力の抜けた手が、あたしのブレスレッドに引っ掛かり、糸を切った。








20150906





























第五話



 ……おかしい。
 俺は流れる汗と返り血を拭ってひと息ついた。見たところ、本当にそう敵の数は多くなかった。俺ともう一人残っていたトーナメント出場者で片づいたくらい。三十前後か。ただし、やつらは頭が悪いが微妙に狡猾で、残忍だ。混乱に陥ったこの街の住人が相手をするのは難しかっただろう。この辺りはオークの出没もなかったらしいし。
 そうだ、それだ。俺は辺りを見回して、首を傾げた。街の入り口、草原は血と死体に塗れている。街を囲むようにぐるりと柵が一周しており、敵はそう簡単に入れない作りになっていた。それでも何匹かは入りこんでしまっていたが、それはもう一人の出場者がなんとかしてくれた、はず。心配になって、街へ入りこんだ。しんと静まり返った表通り。人の気配はなく、家の中で息を潜めているか、または随分と奥まで逃げ込んだのか。
 どうして、こんなところにオークが出没しているのだろうか。
 何度もよぎった疑問に、答えは出ない。俺ももっと西の方で腕試しをしていたときならよく見たけど、こんなところで出会ったことはなかった。――嫌な予感。
 
 違う。

 始めから、オークの数が三十やそこらじゃなかった。もっといたのだ。それが、波が引くように、どこかに引き寄せられるように俺の周囲から消えたのだ。思い出した。嫌な予感は、それだ。
 呼応したかのようだった。


「――なっ」


 突然、辺りが明るくなった。雷が落ちたかのような――違う。北の方角から、何か光の柱のようなものが出ていて、それはすぐに消えた。すぐさま駆けつけようとした俺は、何かにぶつかりたたらを踏んだ。
 何かは、人だった。黒いローブを頭からすっぽりかぶった、小柄な人影。すまない、と慌てて声をかけて手を差し伸べたが、その人は俺の手を避けるように立ち上がり、ふっとこっちを向いた。


「魔王が復活してしまったよ」
「え……?」
「かわいそうに」
「あっ、おい!」


 しゃがれた声。老婆のような声だった。その人は止める間もなくそそくさと俺に背を向けて、足早に立ち去った。
 魔王が……? 一体、なにを。けれど、俺にはそれについて何かを考えている暇はなく、急いで先ほど見た光の方へ足を向ける。
 嫌な予感は、当たるもの。どうか当たらないでくれ。頭の中に、彼女の笑みが浮かんで消える。どうか、どうか。
俺は、絶句した。


「リン……」


 俺の知らない間に入り込んでいたらしいオークたち。十数匹のそいつらは、しかしとっくに絶命して地面に倒れ伏していた。おかしいのは、血が一滴も流れていないこと。一見したところ、どうして死んだのかわからない。
 死体の群れの中心に、三人の人間。
 一人は血塗れでぐったりと目を瞑っている。一人は子供で、怯えたように震えている。
 最後の一人は、血塗れの人間を膝に抱いて、呆然と宙を見ていた。


「リン!」


 彼女に駆け寄る。何も映していない瞳にぞっとしたが、息はある。店長もそこまで怪我は深くない、大丈夫だ。子供も無事。


「リン……しっかりしろ!」
「……誰?」
「俺だ、レンだよ!」
「誰」


 ぽたん、と彼女の目から涙が零れた。ぎょっとして思わず固まるが、彼女は相変わらず何も見てはいない。


「魔王が……復活してしまった」
「え?」


 そしてリンは、ふっと力が抜けたように倒れ込んだ。抱き起こした彼女に意識はなく、俺は聞いたばかりの二度目の言葉に恐れを抱いた。








20151025























第六話



 まるで嵐の前の静けさだ――と思う。
 窓の外の風景は閑散としていて、誰もいないようだった。その実、街の皆が家の中で息を殺している。殺気だった空気を感じた。
 街では長を始めとした偉い人間が会議をして、衛兵などが周囲の掃除をしていると聞いた。オークや魔物の姿は、今のところない。それより、オークの死体の放つ腐敗臭が酷かった。奴らの身体は短時間ですぐに腐る。
 俺は、彼女の家で剣を抱え、二人の様子を看ていた。二階の彼女の部屋にもう一つ簡易式のベッド(客用らしかったのを発見した)を置き、二人を並べて寝かせた。店長の怪我は思いの外酷くて、手当てのとき絶句してしまったくらいだ。それでももともと体力のあった人のようで、今は落ち着いて寝息を立てている。
 リンは、さっきからずっと眠ったままだ。
 何が原因なのかもわからない。頭でも打ったのかと思ったが、そんな気配もない。白い顔が更に白くて、手足が冷たくなっていた。医者の話では、気絶しただけだろうと言っていた。
 本当に、そうなのだろうか。


「レンくん」
「! カイトさん! 目ぇ醒めたのか」


 リンを見ていた目を放し、カイトさんに目をやった。カイトさんは静かに目を開けて、天井を見ている。血の気が失せていて辛そうに見えた。


「リンは?」
「ここにいる……眠ってるよ」
「そっか。君が助けてくれたんだね」
「俺は……何も。あんたらのところに駆けつけたら、周りにオークが死んでた。あんたが戦ったんだろ」
「違うよ」


 レンくん、と、カイトさんがそこで初めて俺に視線を向けた。


「頼みがあるんだ」
「なに?」
「リンを連れて、逃げてくれ」
「……え?」
「俺は駄目だ。この怪我じゃ。それに、情けないけど俺は弱いからね。リンを守れない」
「どういう、」


 どうして、逃げなければならないのか。
 どうして、守ると言う言葉が出てくるのか。
 この局面で、一体何を言い出すのだろう。
 オークが出たから大切な娘を連れて安全なところに、という話ではないことくらい、彼の目を見ればすぐにわかった。


「彼らの目的は、リンなんだ」


 カイトさんは、告げた。


「彼ら……?」
「彼らに捕まったら、リンは殺されてしまうか、もっと酷い目に遭う。だから、その前に逃げてくれ」
「待って、待ってくれよカイトさん。どういうこと。リンが目的って何。殺されるってどういうことだよ!」
「今は何も言えない。頼むよ、レンくん。リンを守ってくれ」


 彼の目は強かった。子供を守る、父親の目だ。けれどここで簡単に頷くわけにはいかない。何もわからずに彼女を連れて逃げるだけでは、きっと駄目だと思う。
 俺は真意を問おうとした。それは、けれど、階下でガラスが割れる音がして遮られてしまった。はっとする。家の周囲を、たくさんの人に囲まれていた。
 彼らは、街の人間だった。


「リンを出せ!」
「お前の所為で襲われたんだぞ!」
「今までこの街に置いていてやった恩を!」
「出て来い!」


 罵倒の数々。殺気立つ人々。どうして。呆然としたのは一瞬で、湧き上がる怒りにかられて俺は窓を開けた。


「どういう意味だお前ら! リンが何をした!」
「お前も仲間か!」
「『奴ら』から通達があったんだよ、リンを渡さなければ再度攻め込んでくる」
「何でだよ!」
「知るか!」


 奴らってどういう意味だ。それは、カイトさんの言った「彼ら」と同義なのだろうか。けれど、問い返せなかった。
 レンくん、窓を閉めろ、と、悲鳴のように。


「! リン、」
「リンちゃん、大丈夫だ! 大丈夫だから……!」


 リンが。
 起き上がっていた。ベッドに腰かけて、うつむいているから表情は見えない。けれど、カイトさんには見えているのだろう、慌てたように起き上がろうとしていた。
 かたかた、かたかた。窓が、小刻みに揺れていることに気付く。
 違う。揺れているのは、窓だけじゃない。家全体が、揺れていた。


「落ち着いて、リンちゃん、君の味方はちゃんと、」
「さっさと出て来い! 裏切り者!」


 ごうごうと何かの低い音が近づいてくる。外の人々の気配が変わった。悲鳴を上げる人々、逃げ惑う気配。何だ、と思って窓の外を見て驚いた。
 波だ。
 道の向こうから、激しく波打つ水がやってきている。この付近に川はあれど、氾濫の気配もなかったし第一距離が遠すぎるのに、どうして。
 それは人々を押し流して、やがては引いて行く。あっという間の出来事に、道が濡れていなければ夢かと思う。流された人は飲んでしまった水をげほげほと吐いていた。


「父さん」
「リン……」


 顔をあげたリンは――微笑んでいた。悲しそうに。


「あたし、行くわ」
「君が傷付く必要はないんだ」
「ありがとう、父さん。大好きよ」


 今の一瞬で、何をわかってしまったのだろうか。俺にはわからない。けれど、彼女は立ちあがって俺のことは一顧だにせずドアに向かう。
 って、


「ちょっと待てよリン!」
「なによ、まだいたの」
「いたよ最初から! つーかどこ行くわけ」
「街の外よ」
「危ねーだろ。勝手に行くな」
「あんたに指図される謂れなんかないわ」
「一緒に行くに決まってんだろ」
「はぁ?」


 リンが、助けを求めるように彼女の父親の方を向いた。カイトさんはいまだ青白い顔を、それでもにこりと笑みの形に歪めた。


「レンくんと一緒なら安心だよ。リンちゃんに惚れてるから、死ぬ気で守ってくれるだろうし」
「当たり前だっつーの」
「ちょっと突っ込みどころそこじゃないわよ」
「いいだろ、駄目だって言われても勝手についてく……ああ、やべーな」


 そろそろ謎の波で掃けていた人が集まり始めた。人目につかないように出発した方がよさそうだ。


「父さん、ごめんなさい」
「俺のことは心配しないで。大丈夫、上手くやれるよ。リンが無事ならね」
「うん。わかったわ――さようなら」


 リンは俺の手を掴むと、あっという間に部屋を出た。階段を降りて裏手へ回り、外を覗く。俺は慌てて通り際にリビングの机に置いていた鞄を取って彼女の隣に並んだ。


「確か近くに厩があったな。借りてこうぜ」
「泥棒する気?」
「借りるだけ。反対?」
「いーえ。さっきの人の中に厩のご主人いたし、いいわもう」
「そう」


 そして俺たちは、街を脱出することになったのだ。









20151123






















第七話



 小さな頃から、違和感はあった。
 あたしが触れた花は他のどれよりも生き生きとしていたし、長持ちした。枯れていた花が何もしないのに生き返ったこともあった。大好きな花の綺麗な姿は好きだからそれは喜んだけれど、純粋に喜べないこともあった。あたしと喧嘩をした子が転んだり、嫌味を言ってきたいじめっ子が川でおぼれたり、変な人が大やけどをしたり、そんなことが何度も。
 そして、どんなときも決して外してはいけないよと言われて渡されたブレスレッド。
 それをするようになってからは、そうしたことが徐々に減っていったと思う。おまもりだったのだ。
 もう何もつけていない手首を眺めた。なんとなく、寂しかった。
 やっぱりあたしは――


「リン」


 さっきからずっと黙っていたレンが、ふとあたしを呼んだ。見上げた先は彼の後ろ頭。ずっと、馬を操っている。
 彼は馬に乗るのも上手らしかった。おかげで街の人々を後ろに置いて、衛兵がたくさんいた門すらも呆気なく流してあっという間に外に出てしまった。後ろを向いても、もう、見えない。


「なによ」
「この先に川があるんだ。流れがゆるやかだから、水汲もうと思うんだけど」
「わかった」


 レンが言う。旅慣れている感じがした。
 しばらく行くと、レンの行った通りに清水が流れているところがあった。彼は馬を止めて先に下り、あたしに手を差し伸べたところで目を丸くした。ついでに口もぽかんとしている。


「なに」
「……いや、」


 何故かうろたえたように視線を彷徨わせ、あたしに目を向けないまま馬から下ろした。そして自分はいつの間に持ってきていたのか、鞄から水筒を取り出して水を汲み始める。あたしは手持無沙汰になって、その光景を木の根っこに腰かけてぼんやり見守った。
 もう、戻れないんだなぁと実感したのは、彼の背中を見ていたからだ。
 レンは相変わらずあたしに目を向けないまま、そわそわと落ち着かない動作であたしの隣までやってきて、人一人分くらいの距離を隔てて座った。


「レン?」
「……その、俺、は」


 しどろもどろだ。
 本当に、どうしたのかしら。さっきから挙動不審。


「俺は……あんなこと、絶対言わないから」
「え?」
「確かに一目惚れだし後先考えなくて告ったりしたからあんまり信用ないかもしんねーけど。リンのこと好きだし大事にしたいし惚れてるから。誰が何と言おうと、俺だけはお前が傷付くようなこと言わない。あと、カイトさんも」
「……何、それ」
「だから、泣くな」


 泣いてない、そう言い返そうとして、そこで初めて自分の目からぼろぼろと涙が零れていることに気付いた。
 気付いてしまったら、嗚咽を堪えることなんて出来なかった。せめて隣のこいつには聞かれないように、と無意味な意地を発揮して、膝を引き寄せて顔を埋める。
 泣くな、と言われたのに、涙は止まらない。散々恥ずかしいことを言ったから、当てつけにしてやろうと思った。


 ――もう、戻れない。









20151123