Mis7 scene5 | ナノ
――scene 5
ガラスの破片や瓦礫が散乱する床の上を、白いドレス姿のリンが危なげなく歩いている。邪魔にならないように裾を千切り捨てたスカート部分以外は、綺麗なままで、下さえ見なければ天使が降りてきたのかとすら見紛う程に清らかな光景だった。半分が割れてしまったステンドグラスから、穏やかな陽光。無傷なままの十字架。優しく微笑み、楽しげに歩くウェディングドレス姿の少女。日の光を浴びて、散らばるガラスがきらきらと光る。撤回しよう、下さえ見なければ、と言ったけれど、違う。壊れたものも含めて、全てが不完全な危うい美しさを演出していた。世の中には、廃墟マニアという人種がいるらしい。私はそれを何とはなしに思い出す。壊れゆくものの、美しさ。こういうことなのかしら。さしずめ彼女は、堕天使なのだろう。
けれど、私は目の前の美しさにさっきからひたすら違和感を覚えていた。なんだろう。リンが振り返って、その手に鈍く光る不釣り合いな鉄の武器を認めて、悟った。ああ、彼女が黒以外のドレスを身に纏っているところ、初めて見たかもしれない。
リンは、思う存分、暴れた。教会の何もかもを破壊して、呆然と膝を突いた男に銃を向けて、ひどく呆気なく引き金に手をかけた。そこで、レンが止めたのだ。レンは無表情で男を拘束して、どこかへ連れて行ってしまった。
私は何もしなかった。見ているだけだった。メイコさんに頼まれていたのはリンのストッパーであるはずなのに、動けなかったのだ。
飲まれていた。普段だったら、いつものリンだったら、私はもっと早くに動けていたと思う。何してるの、と、怒っていたと思う。出来なかったのは、リンが、私の知っているリンに見えなかったから。
「どうしたの、そんな顔をして」
リンが優しく微笑んだまま、私に聞いた。
そんな顔をして、と彼女はよく言うけれど、自分の顔がどんな表情を作っているのかなんて自分じゃわかりっこないじゃない。
「……殺しちゃうのかと思った」
「どうして?」
「リン……すごく、怒ってたみたいに見えた。ううん、憎んでいたように見えたわ」
あの男の額に銃口を合わせ、撃鉄を起こした彼女。いつになく冷たく澄んだ目をしていて、身ぶるいがした。だから、私は動けなかった。
私は誤魔化すように笑う。
「よく考えてみれば、リンはあの男に憎む理由なんかあるわけないし、第一、人殺しなんてしないものね」
「あら」
リンは、おかしそうに笑い声をあげた。
「人殺しなんてしないって、よく言えるわ」
「……え?」
「だってあたし、こんな武器を持っているのよ」
かちり、と、リンは戯れのように撃鉄を鳴らす。
それは。
それは、人を殺すための武器だ。
「で、も。ほら、メイコさん、言ってたし。一応正義を謳ってる集団だしって。それに、さっきも言ったけど、あの男殺す動機なんてリンにはないでしょ? それに、それに」
どうして。
どうして、私、こんなに必死になってるのかしら。
「ふふ。正義。正義、ね。素敵よね」
リンは、一段、また一段、ゆっくりと祭壇を降りる。
「動機なら、あるわよ」
「え?」
「あたしね、むかーし、婚約者がいたの。親に決められてね。あたしの意思なんかどこにもなかった。親も放任主義の癖して、そこだけ妙に譲らなかったわ。あたしはそんな親が大嫌いだったし、あたしを縛る象徴みたいな、婚約者も殺したいほど憎んでいた。あいつさえいなければ、って」
「で、でも。その人とあの男は違う、じゃない」
「同じよ。おんなじ。象徴みたいな、って言ったでしょ。あの男の個を排除して、一般化するの。そうしたら、ほら、女の子を縛る、憎たらしい婚約者じゃない。特にあの男なんか、無理矢理攫ったのよ」
「詭弁、だわ」
「うふふ。ねぇ、ミク、いろいろ言ったけど」
リンは、いつの間にか私の正面にまで来ていた。自分より小柄で華奢な少女に、私は圧倒された。思わず、後退りをする。けれど、リンは距離を許してはくれなかった。
一歩、また一歩。ゆっくりと距離を詰める。
「人を殺すのに動機なんてね、いらないのよ」
「そ、んな。だって」
「人を殺すのなんて、簡単だわ。ね、そうでしょ」
リンは力の入っていない私の手をとると、無理矢理に銃を持たせた。重い。こんなに重い物を、リンはいつも振り回していた。しかも足にいくつもくくりつけて。
そして、リンは手を添えたまま。
銃口を、自分の胸に押し付けた。撃鉄は、起きている。
「リ……!」
「あとは引き金を引くだけ。それだけで、あたしは死ぬわ」
「な、なん、」
「簡単でしょう?」
違う。私は、ぞっとした。
この少女は、天使でも、堕天使でもなかった。
天使の皮を被った――悪魔。
かちかちかち、と、震えているのは私の歯だ。嫌だ。こんなもの、持っていたくない。一刻も早く捨ててしまいたいのに、リンは許してくれない。
にこりと、白い歯を見せて悪魔が笑う。
「さぁ――」
私の手に、力は入らない。押されるがまま、私は引き金を。
やめて、やめて。私、そんなの、
――カチリ。
弾は、入っていなかった。
「……っ」
腰が抜けて、わたしはしゃがみ込んだ。その拍子に銃が手を離れて、床に転がった。
「あら。脅かし過ぎた?」
「っ、リン! 冗談が過ぎるわ!」
「ごめんなさい」
見上げたリンは、相変わらず天使のような格好で、困ったように眉尻を下げて微笑を浮べていた。もうそこに、さっき感じた悪魔の面影はなくて、白昼夢を見ていたようだった。
「貴方にきっと、銃は合わないのね」
そういう問題じゃない、と思ったけど、それ以上何かを言うのも疲れてしまって、私は膝を抱えて震える身体を隠し続けた。
20140927