Mis6 scene3 | ナノ





――scene 3



 現大統領がその地位に就いたのは、十年ほど昔のことだ。驚くほど長い期間、大統領は国のトップにある。それは、とりもなおさず彼が上に立つ人間として、この国の人間に支持されているからに他ならない。圧倒的なまでのカリスマ性と政治的手腕を兼ね備えた、まさにリーダーだ。
 大統領の功績は、ちょっと思い出すだけでも、多岐に渡る。浮浪児の救済から労働条件の改善、交易の拡大から多国間の紛争まで、あらゆることに手を伸ばした。中でも一番力を注いだのが、病気治療や薬品開発に関すること。きっとそれは、病気の奥方を思ってのことだと、国民の人気がかえって高まったらしい。
 この国は、物凄い勢いで発展を遂げた先進国だ。今ではおそらく世界のトップを独走状態。だからこそ、世界のどこかしらで困っている国があったら手を差し伸べなければならないし、戦争をする国があれば調停や仲立ちをしなければならない。ある戦争を治めた後、大統領は語った。

――世界には哀しいことが多すぎる。しかし幸いかな、我が国は世界をよい方向に導く力がある。力をつけすぎてしまった我が国が、そうして世界のために尽力することこそが義務であり、正義なのだ。

 これをきっかけに、彼はこう呼ばれることになる。

 Mr.Justice――彼こそが正義――と。


「……だから、【SOJ】なのね……」


 私は呆然としつつも呟いた。なんだか……ちょっと、驚いた。
 メイコさんは相変わらず、前の方で威風堂々と挨拶をしている。口元に手を当てて楚々と微笑む美女の姿は、今朝方これから仕事だと、悪魔のような目つきをしていた人と同じなんてとても思えない。


「ミク」


 声をかけられて振り返ると、ミクオが苦笑気味の表情で、片手に持ったシャンパンのグラスを渡した。


「いやぁ、変わり身の早さすごいね、めーこさん」
「あんた、あんまり驚いてないのね」
「驚くって、あのおねーさんがこういう場所得意なのは知ってたろ?」
「え? 仕事じゃいつも裏方じゃない、メイコさん」


 人前で喋ることなんて、思い返す限りなかったはず。ああ、最初リンとレンに連れてこられたときの本部襲撃事件で、放送とはいえメイコさんは柄悪く啖呵切ってたから、苦手なイメージはなかったけど。
 思い返していると、ミクオはこてんと首を傾げた。可愛くないわよ、そんな仕草しても。


「……ミク、ちなみに、新聞とか読む?」
「全然」
「ラジオは?」
「聞かないわよ。持ってないし」
「学校とか」
「随分行ってないわね」
「……はぁ、それで」


 訳知り顔で頷くミクオに軽くいらっとする。


「なによ」
「いや、メイコさん、結構人前で喋ってるよ。大統領の娘ってことで。頭良いし。大学首席で卒業して、今でも論文色々書いてて結構なとこから引く手数多らしい」
「……嘘」
「有名だけど」


 ミクオが今度は反対側に首を傾けた。
 メイコさん、まさかそんな、すごい人だったなんて。いつも、凶悪な目つきで仕事の文句零してる姿とか、ルカさんと楽しげに、如何に標的を罠にかけるか話してる姿とか、書類溜め過ぎて必要なものなくして騒ぐ姿とか思い返すと、とてもそんな風には見えない。なんだか、今、メイコさんのいる壇上と、私のいる扉の前との距離がすごく遠いように感じた。
 私が知ってるのは、大統領とか外務大臣とか、露出が激しい人。大統領に娘がいることは知っていたけれど、それ以上を知らなかった。
 ぽん、と、ミクオが私の頭を撫でた。


「そんな顔しないで、ミク」
「……そんな顔って」
「ふふ。まぁミクは、メイコさんに懐き過ぎだからね。これを期にちょっと離れてくれると、僕的には嬉しいかな」
「たとえメイコさんに懐かなくっても、代わりにルカさんにべたべたするからあんたなんて用なしよ」
「酷いな」


 ああ、私、今こいつに慰められてるのね。そう思うと、本当なら酷くむかつくはずなんだけど、別に嫌じゃないことに気付いた。調子狂うったらないわ。
 パーティなんて、庶民の私には所詮非現実的なこと。だからここでは、何が起きても不思議じゃないのだ。


「ミク、移動だよ」


 小型受信機をこっそりと耳に当てて、ミクオが私を促した。カイトさんから指示が飛んできたらしい。


「どこ?」
「ブリジッドのとこ。ちょっと手薄だから、行った方が良いみたいだって」


 ブリジッドというのは大統領夫人の、SOJにおけるコードネームだ。ちなみに大統領はアーノルド。他にも要人にはコードネームをつけている。
 挨拶が終わって、よくわからないおじさんたちと談笑しているメイコさんをちらりと一瞥して私はミクオについて、再び会場の外に出た。


「会場の方はリンとレンに任せていいってさ」
「怪しい人とか、見かけた?」
「そんな簡単なら、仕事なんか来なかったでしょ」
「そうだけど」


 夫人の部屋は、最上階だ。私たちはエレベーターに乗って移動し、分厚い絨毯のおかげで音のしない廊下を歩く。すかさずSPの人たちに詰問を受けたけれど、SOJであることと、暗号を口にし、更に無線で確認してもらった。
 SPの人は、等間隔に廊下に配置されていた。今夫人は、部屋に一人でいるらしい。


「先ほど階下で異臭騒ぎがありまして、人員が足りないのです」
「そうでしたか。その騒ぎの原因は?」
「確認中ですが、どうやら掃除に使う洗剤が化学反応を起こしたようで」


 ふと、私は違和感を覚えた。なんだろう……この、臭い。


「ねぇ……料理でもしてるんですか? 焦げ臭くない?」
「そう?」


 ミクオと、話をしていたSPさんはすんすんと辺りの空気を嗅いでいる。うん、段々焦げ臭いのが強くなってきた。私たちの会話を聞いていた周りのSPさんたちが、はっと空気を緊張させた。


「この階に調理場なんてありません。それに、夫人は動くことができないのです」


 そう、だ。夫人は病気で、身体の自由が。
 慌てて走り出したSPさんの後を、私たちは追う。どんどん強くなる臭い。


「あの部屋です!」


 部屋に辿り着く、その前に。


「きゃっ!?」
「ミク!」


 どん、と、建物が揺れた。

 私がしっかりと覚えているのはそこまでで、それから後は、まるで夢の中のように疾走した記憶だ。










20140802