一面桜色に輝く世界で、一際輝く桜色を見つけた。
木の根元に蹲るそれは、散った花弁を一生懸命、拾って、数えて、幼い掌に集めていた。
「なあ、お前、何やってんの?」
知らず、口が動く。
地面ばかりを懸命に映していたその双眸は、ゆうるりとこちらを向いた。
「お前…」
その桜色が紡いだ言葉は、只々驚きに満ちた色で。
どうしてそんなに驚く。内心首を傾げながら、自分は桜色を見詰めたまま、言の葉を思ったままに吐いた。
「―――一人でさ、何やってんだ?」
桜色の、目が見開かれる。
「べ、つに」
一瞬時を止めた口は、直ぐに動きを再開した。しかも、これまでの数倍速く。
「別に、何時も一人な訳じゃねーし?何、そーいうお前こそ、こんなとこで一人で何やってんだよ!」
いきなり威勢の良くなったそいつに、負けず嫌いな自分も、思わず言い返していた。
「あ?僻みか、僻み!オレはここ来たばっかだから、一人なんだよ!」
「結局一人なんじゃねーか!ま、同類ってやつだな、オイ」
「テメェなんかと一緒にされたくねぇよ!」
「あんだとゴラァ!」
それが、初めての出逢いだった。
幾度か巡った、桜の季節。
今年の桜色―――ナツは、いつかのように一人ぼっちではなかった。
「ナツー!」
「うおっ」
彼の背中に飛びついて、その毛並みのいい耳と尻尾をゆらりと揺らしたのは、猫の精霊であるリサーナ。
彼女はナツの昔からの知り合いだという。
そんな訳で、彼らに遠慮などというものは微塵も無い。
「お前ら、ホンット仲良いよなー…」
とはいうものの、人間である自分にとっては、目の前で異性同士がこうしてスキンシップを交わすのは、どうしても見慣れないものだ。
以前一度だけ、リサーナに「お前ってナツのこと好きなのか?」と聞いたことがあったが、彼女は笑って「精霊に恋も何もないのよー」と返しただけだった。
「あー!グレイも来てたんだね、久し振りっ」
不満気ながらも無理に拒もうとしないナツを良いことに、好きなだけスキンシップを堪能したリサーナが、こちらに手を振ってきた。
「よう」
「暫く見ない間に、また綺麗になったねー、グレイ」
「暫くっつーか、二、三ヶ月だろ?そんな変わんねーよ」
「えー、そうかな?私には十分変わったように見えるけど」
「そうですよグレイ様っ!以前にも増して麗しいお姿…ジュビア幸せ…」
「おっと」
突如割り込んできて急に倒れたジュビアを慌てて支えると、彼女は「ぐぐぐぐぐグレイ様!?ジュビアもう幸せ過ぎて死にそう…」とか何とか真っ赤な顔で呟いた。
因みにこのジュビア、水の精霊である。散歩していた時に湖の畔で出会ったのだが、それ以来何故かこうして良く顔を見せる。
「やーね、もう〜…二人ともラブラブなんだからぁ」
「ふむ、仲が良いのは素晴らしい事だ。種族の違いを超えてなお、こうして友情を通わせられるとは」
「そうですよ、グレイさん!」
「…分かったから、ジュビアどうにかしてくんねーか?」
何時の間にかふわりと現れた花の精霊―――エルザと、風の精霊―――ウェンディに、グレイはじとりとした目で自身の腕の中で気絶しているジュビアを突き出す。
すると何処からか、ナツが疾風の如きスピードで飛んできた。
「おい、貸せっ!オレがどうにかする」
「はぁ?」
何故か真剣な顔でジュビアを乱雑に奪ったナツを、思わず呆れた顔で見詰める。
何となく至った結論を、そのまま口に出した。
「おい、リサーナ」
「ん?」
「お前の恋敵、発見したぞ」
「………」
色々とズレたグレイの言葉に、突っ込みどころが多すぎて、取り敢えず黙るリサーナ。
一つだけ、訂正しておいた。
「精霊に恋も何も無いわよ」
春を過ぎれば、あいつは表に出てこなくなる。
「桜の花」の精霊であるが故に、その花弁が散れば力を失うらしい。
精霊は年を殆ど取らない、人間に比べれば何百倍も長生きなのよ、とリサーナは笑っていた。
だから、性別なんて必要ないの、とも。
神が直接作ったとまで云われる存在であるが故に、男女の概念すら無いらしい。
実際、精霊達は皆、自分達の思う通りに姿を変えているようである。
なら何故今も子供の姿なのだと聞けば、精霊達のリーダー的な存在であるエルザは、当たり前のように「お前に合わせているからだ」と答えた。
そんなエルザも花の精霊である以上、冬になれば力を失う。
一年中ずっと元気なのは、ジュビアとウェンディくらいなものだ。
だが、雪の激しいこの地方で、冬に外に出る村人などいたりはしない。
父にも母にも「冬に外には出るな」と厳しく言われていたから、無理にでも外に出ようとは思わなかった。
そんな時は、ジュビアとウェンディがたまに遊びに来た。
ただ沈黙だけが漂っていた自分の部屋で、常人には姿の見えない精霊と、声を潜めてとりとめのない話をするのが、大好きだった。
出会って4度目の春が巡ってきた。
桜が舞う季節になると、あいつは急に姿を現す。
そこへリサーナが飛び込んできて、ウェンディがふわりと笑って。
何処で摘んできたのか、エルザが苺を口に入れながらうっとりして、ジュビアが自分に抱きついて来て。
生物が眠る時期を終えれば、その間の鬱憤を晴らすかのように、桜の樹の周りは自然と明るく、暖かい空気で満ちる。
「そういえばさぁ。今度、ここら辺でお祭りやるんでしょ?」
可愛らしい尻尾を揺らしながら、小首を傾げてそう言ったのはリサーナ。
「そうだけど…何で知ってんだ?」
この辺りでは、桜の舞う季節になると、近くの古い商店街で、「桜祭り」と称した小さな祭りが開かれる。
そもそもは桜の精霊(今考えるとこれはナツの事なのだろう)を祀ったことが切っ掛けらしいが、今となっては単に出店が少し商売をする位の祭りとなっている。
「やだなぁ、私達だって文字くらい読めるわよー」
「街の至る所に、貼り紙が貼ってあるんですよ」
そう言いながら、ウェンディはきらきらとその双眸を輝かせた。
「楽しそうですねぇ、お祭り…」
「そのお祭りとやらは、甘いスイーツが沢山置いてあるのだろう?」
恐らくウェンディとは違う目的で顔を輝かせるエルザに、グレイは思わず苦笑する。
「まぁな。つか、お前らお祭り行ったことねぇの?」
「そりゃ、ねーよ。人間の知り合いなんてこれまで居なかったし、行く意味が無かった」
少し不満げな表情で、ナツがぶすりと言葉を漏らす。
それとこれの何処に関係があるんだと思っていると、リサーナが明るく声を上げた。
「でも、今回はグレイも居るし、お祭り行けるわね!はい、けってーい」
「でもお前ら、人には見えねーんだろ?」
少し常人とは違うらしい(そういう体質なんだろ、とナツには言われた)自分以外、人には見ることが出来ない彼等。
たった一人でぶつぶつ独り言のような会話をしながら祭りを楽しむ自分の姿が、周りにどう映るかを想像して、グレイは青ざめた。
明らかに変質者である。
しかしジュビアは、笑ってグレイの手を取った。
「ご心配なさらないで下さい、グレイ様!私達は、波長を合わせれば人間にも見えます」
「は?」
「そうなんだ、グレイ。何回か練習してみたら出来た」
「今までそんな必要無かったから、やろうともしなかったんですけどね」
「お前と会って、試しにやってみようかという気になってな」
成程、先程のナツの謎発言はこういう事か。
「でね、しっかり試験もしたのよ」
「試験?」
得意そうにふふんと笑うリサーナに、グレイは首を傾けた。
「街の人にね、ここら辺で一番綺麗な桜って何処ですかーって訊いたの」
「そしたらよ、ここだって!」
自らが宿る桜の樹が選ばれて、ナツはご満悦のようである。
「…そうかよ」
「だからね、一緒にお祭り行こう!」
「金は?」
人間としては一番に気にするべき所を突くと、精霊達は皆一様に同じような顔をした。
「そっ…それは、ですね」
「神社のお賽銭から、貰ってこようかと…」
おい。
それはつまり、盗みといっても良いのではないか。
「盗みじゃねーの、それ」
「だってさ、オレらに向かって払われた金だろ、それ」
何の罪悪感も無しに言ってのけるナツに、グレイは溜め息を漏らす。
しかし、精霊達は急に元気づき始めた。
「そ、そうですよ!」
「盗んだことにはならん」
「……わーったよ…屁理屈言うな」
流石に五対一では勝てそうにもない。
こうして、グレイは精霊達の犯罪を許可してしまったのだった。
「うわあ!」
「グレイさん、本当綺麗ですよ!」
「ああ…本当だな」
「ぐぐぐグレイ様ッ、それはジュビアを誘ってるんですね!?」
「いや…意味分かんねーよ」
桜祭り当日―――。
グレイは、宣言通り人間にも姿を見られるように波長を合わせ、ついでとばかりに着物を纏った精霊達に囲まれていた。
ナツは袴の帯が苦しいらしく、むっつりとそっぽを向いている。
そしてグレイも、家にあった作務衣を適当に来てきたのだが、それに精霊達は過剰反応を示していた。
「何か、すっごい色っぽいわぁ」
「……男に言う台詞じゃねぇな、そりゃ」
普段はある耳と尻尾を綺麗に消し、代わりにぴょこりと立ったアホ毛を揺らしながら、リサーナは目を輝かせた。
「どうしましょう、グレイ様に嫌な女が寄ってくるかも…」
「そりゃねえだろ」
「ていうか、こんなに女の子だらけで歩いてるのに、寄ってくる女の子なんているんでしょうかね…」
何処か的外れなグレイとジュビアに、ウェンディが苦笑しながらも冷静な突っ込みを入れた。
「ほら、ナツも!何時まで拗ねてんのよぅ」
「そうだぞ。大体、お前を祀った祭りだというではないか」
「あ、そうか…こいつを祀るとか、とんだ馬鹿だな、祭り始めた奴は」
「んだとぉグレイ!もっかい言ってみろや!」
「やんのかオラァ!」
「煩いぞ、お前達!」
間発入れず、エルザの鉄拳制裁が二人の頭に沈み込む。
あえなく沈没した二人に、エルザはがみがみと説教を、ウェンディはリサーナと共にやはり苦笑いを送り、ジュビアはグレイ様ぁぁぁと絶叫していた。
「……あら?」
不意に聞き慣れた声が届いた気がして、グレイが背後を振り返る。
案の定、其処に居たのは近所に住んでいる少女、ウルティアであった。
彼女も綺麗な白い浴衣を身に纏い、母親のウルに手を引かれている。その手には沢山の金魚が入った袋が握られていた。
「ウルティア」
「グレイじゃない!こんな所で会うなんてね」
少し離れた所に居る彼女に近寄る。
「お前こそ、こんな所に来るとは思ってなかったが」
「久し振りだね、グレイ。ほら、あんたもそう思うだろ?」
悪戯っぽい笑顔を浮かべて、ウルが娘を軽く揶揄えば、ウルティアは子供っぽく頬を膨らませて「うるさいわねー」と怒鳴った。
「大体、グレイだってあんなに女の子一杯引き連れて、どうしたのよ?学校の子の告白なんて、気にもしなかった癖に」
「いや、まあ…色々あってな」
精霊達の方をちらりと見遣れば、取り敢えずグレイを待っているらしい。林檎飴やら綿飴やらに目を輝かせながらも、遠くには動かないでいる。
そんな中、ナツ一人が少々憮然とした表情を浮かべていた。
どうしたんだアイツ、と内心首を傾げながらも、追及してやろうとばかりに此方をじっと見詰めるウルティアに向き直る。
「別に、アイツ等とは友達だからな」
「へーぇ?本当にー?」
弱味を握ってやろうと張り切っているらしい。そんな揶揄い好きな所は母親譲りか。
女子の中ではかなり仲の良い関係である彼女とは、普通に話が弾む。
その母親のウルは、グレイの両親とも馬が合うようで、互いの家に遊びに行くことは良くあった。
「ま、あいつら待たせてるから。また今度な」
「あ!逃げんじゃないわよー!」
後ろから叫ぶ声を苦笑しながらも無視して、自分を待ってくれていたのであろう精霊達の元へ戻る。
「悪いな」
「ねえグレイ、もしかしてあの美人ちゃん、彼女だったりするの?」
「はあ?」
予想もしなかった方向に話が飛んでいく。
驚いて目を瞠ったまま、勢い良く発言元―――もとい、リサーナを振り返れば、彼女は何の躊躇いもなく、えっ、違うの?と首を傾げていた。
「あいつはただの近所の奴だよ」
「えー、そうなの?」
それでもなお面白そうにくすくすと笑うリサーナに、グレイは思わず眉を顰める。
しかしその場に、二種類の声が割って入った。
「違うに決まっています!」
「違うに決まってんだろ!」
口調や声の高さは違えども、その内容は一切変わらない。
そして叫んだ本人―――ジュビアとナツは、何故かギラギラと瞳を怪しく輝かせていた。
「グレイ様っ!あんな何処の馬の骨とも判らぬ輩と、付き合ってはいけません!」
「だから近所だっつの」
「そうだぞグレイ!あんな奴とは絶対駄目だ!」
「何でお前に言われなきゃなんねーんだよ!」
よく判らぬ精霊たちの感覚に、思わず頭を抱えた。