(泥棒/レン)








「まずは人を愛しましょう!そうすれば争いはなくなるのです!」

「……」


意気揚々と語る女のそんな主張を俺は冷めた目で聞いていた。


遡ること三十分ほど前。
小さくはないが、大きくもないごく普通の街で物資の調達を終えて、近くの公園のベンチで軽く食事をしていた時のこと。
一人の若い女が俺の前に立ち、声を掛けてきた。

また軽率な誘いの類いかと微かにうんざりつつ顔をあげると、どうやらそういうものとは少し違うようだった。
女の着ている服は質素ではあるが上等な生地で仕立てられていて、それなりに裕福な暮らしをしているのが見て分かる。
おそらくお嬢様ってやつだ。

今にして考えれば声を掛けられたのはおそらく俺が持つ短刀に気づいたからだろう。

あからさまな面倒ごとに関わりたくなかったが、仕事の予定はないとはいえ目立つこともしたくはない。
一瞬思案して、とりあえず黙って話を聞くことにした。


女は主張する。
世界で起こる争いは全て、人を嫌い、憎み、いがみ合うからだと。
ならば人を愛することが出来れば、争いはなくなるのではないか。
互いを慈しみ、敬い、愛情を持って接することが出来れば武器を持ち、誰かを傷つけようなどと思わないはず。
そうすれば平和な世界になるのだと。

そんな夢を見ている女はそうやって愛する素晴らしさを街の人々に一人で説いてまわっているのだという。


なんて馬鹿馬鹿しい理想論。
率直に思った感想だった。


まるで新しい宗教の勧誘のようなその話を聞き流しつつ押し付けるように無理矢理渡された、同じようなことが書かれた小さな紙切れにちらりと視線を落とす。
愛を表しているという形に切られたその小さな紙は見る人によっては可愛らしいとでも、素敵だとでも思うんだろうが、生憎俺には少しもそんな感情は湧かない。


「どうでしょう?私の考えは理解していただけたでしょうか?」

「理解はしたけど共感はしない」


紙切れから視線を上げ、はっきりとそう返すと、女の顔から分かりやすいほどの落胆が伺えた。
それでもぐっと右手を握り締めて口を開く。


「…今はまだ分からないかもしれません。でもいつか貴方にも愛したいと思う人が現れるはずです。そうすれば…」

「無理だよ」


人を愛せば争う気は起きなくなる。
本当にそんな簡単な話なら、とっくの昔に女の望みは実現されてる。

遮るように強く否定すると女は静かに唇を噛んだ。


「人を、愛することが怖いのですか?」


その問いに微かに目を伏せ、ため息を吐く。
人の神経を逆撫でするのが好きな女だ。


「ならお前は今まで出会った全ての人間を愛せるのか?」

「分かりません」


答えを口にせず、質問に質問を返せば、即座に発せられた答えは意外にも肯定ではなかった。
そこまで思考停止はしていなかったか、と我ながらなかなか酷い感想を思い浮かべてしまう。

そんな俺の思考をよそに女は続きを話す。


「でも、愛したいです。私は人に嫌悪ではなく愛を持って接したいのです」


そう言って女は笑う。
迷いも憂いもない、自分の夢はいつか叶うと信じて疑わない、そんな笑みで。


「だって人は独りでは生きていけないのですから」

「……」


似たような事を随分と前に聞いたことがある気がした。
でも、そんなのは結局綺麗事だ。


…生きていけるよ。
独りでも。


言葉にはせず内心否定する。
つくづくおめでたい女の思考は徹底的に俺とは合わないようだ。


「………大した博愛精神だな」


それだけ言って俺は立ち上がる。
もう用は済んだ筈だ。
歩き出した俺を女が引き止めることはなかった。
ただ最後に後ろから言葉を投げかけられる。


「私は願ってます。いつか貴方に愛する人が出来る日が来る事を」


その言葉に俺は一度足を止め、顔だけ振り返って女を見た。
しかし何も返すことはせず、再び前を向いて以降女の姿を見ることはなかった。



次の日。


街を出ようとしていたところ、街頭のテレビから聞こえてきたニュースに足を止める。

昨日の女が殺されたと報じられていた。

犯人は女に近しい人物。
つまり女が愛を持って接していたはずの者。
犯行の理由は彼女が愛を他の人に向けるのが憎かったから。

ニュースの内容を聞きながらそっと目を伏せる。

愛を与えても結果がこうなると、あの女は一度でも考えたことはあったのだろうか。
信じたものに裏切られて絶望したのか、それともこれは何かの間違いだと最期までその理想を盲信したのか、今となってはもう知る由もないし、知る必要も興味もない。
やはりただの綺麗事でしかなかったと改めて思うだけだ。

慈しみ、敬い、愛情を与えたとしても人というのは、裏切り、騙し、利用する勝手なものだから。

それは俺自身も例外ではない。
分かっているからこそ、俺に出来るわけがない。

人を愛すということは、相手を完全に信じることと同じなのだとしたら。


「……怖いよ、すごく」


あの時の返答を小さく呟く。
もう彼女の耳には届くことはない。

ふと、風に飛ばされてきた小さな紙切れがかさりと音を立てて足元にひっつく。
手に取るとそれは、あの時女が渡してきた愛を表したという形に切られたもの。

誰かが適当に捨てたのだろう。くしゃくしゃになったそれを冷たく一瞥して手を離せば、紙切れは再び風に乗って何処かへと飛んでいきすぐに見なくなる。
俺の掌には、何も残っていなかった。










027:人なら人を愛せる
        (Agate/瑪瑙)




(信じられるはずがなかった)





───────
それは『彼女』と出会う少し前の話




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