私の隣を歩く彼は背が高い。しかも人並み以上どころか人並み以上の人以上に高い。私たちの通う大学に彼以上の身長の人はいないし、いま通りを見てみてもそうそう見つけられそうもない。そんな彼と最近付き合いはじめた私はこの身長差に劣等感を感じていたりする。今日が二人きりでの初めてのデートだというのに、まわりの目を気にして存分に楽しめない。彼に近づこうと新しくおろした高いピンヒールに支えられる足元はじんじんと痛い。慣れないのに無理するんじゃなかった。少しでも彼に釣り合うように。こんな私の無理も、彼は気づいていないのだろうけど。
「オレなんか食いたいんだけど。腹へったし」
「うん。どっか入ろっか」
「ん」
手をつなぐわけでもなく、腕をからめるわけでもない。せめてそのどちらかでもしていれば少しは歩きやすかったかもしれないのに。不意に香る甘い匂いに引きつけられた彼は歩く足を速めてしまった。なんだか、とさみしい気持ちになるのと同時にバランスを崩した10センチ近くのピンヒール。瞬間足首は捻れてそれに引っ張られるように私の身体も捻れた。
「いっ、た……」
派手に転んだ。付き合いたての彼氏の目の前で。大勢の知らない人たちの前で。なんだか。もう。無様だなぁ。痛い恥ずかしい消えたい見ないで帰りたい、つらい。
今日の占い、そんなに悪かったっけ。
中途半端にしか顔を上げられない私の視界に、紫の髪の毛が飛び込んだ。身長の高い高い彼が転んだ私の目線に合わせてしゃがみ込んでいる。体操座りでもするくらいの姿勢で。
「もー、ナマエちんどんくさい」
「…う、泣きそう」
「だめ。はぁ、よいしょ」
よいしょ
そのかけ声で私の体はふわりと浮き上がった。軽々と敦の左肩に担がれてわけもわからないまま視界が流れて行く。転んだ痛さも涙もなにもなくなった。ただ、ただただ恥ずかしい。
「あ、敦!いい!歩けるから!」
「ふぅん。これ」
敦の右手がぶんと振り上げられる。顔を上げて見ればそこにはさっきまで安定感もなく私を支えていた細いヒールがぷらり。ヒールの付け根部分からいっそ綺麗に折れていた。
「歩ける?」
「…歩け、ないです」
「ん。だから大人しくしてて」
しばらく顔を伏せて羞恥に耐えていると、小さな噴水の脇に座らされた。敦の右手にはまだおろしたてのパンプスと、ヒールの折れたパンプス。かっこわるいなぁ。
「こんなん履いてるからだし」
「…うん」
「歩きにくそうにしか見えねーんだけど」
「…うん。すごく」
「はぁ」
「……ごめん」
石造りの段差に腰かける私とその前に目線を合わせてしゃがむ敦。まるで私は迷子の子どもで、敦はそれに出くわした優しいお兄さんみたい。敦はあまりそんなタイプじゃないけど。
転けた恥ずかしさと裸足の恥ずかしさと、申し訳なさと。
「こんなせいぜい10センチあるかないかのヒールなんてオレにとっちゃなんの意味もないし。オレと釣り合うように、とか思ってんの?」
「……だって、敦は背の高い子の方がすきだって」
「うん言った」
だから私はこんなにも格好の悪い無理までしたのに。私に足りない身長をこの可愛らしくて意地の悪いピンヒールに助けてもらおうと思ったのに。
「ナマエちんほんとバカ」
「ば、バカ?」
「ナマエちんなら背が高くても低くても好きに決まってんじゃん」
ね。わかってねーなんてほんとバカ。
そう続けられて私はもっともっと恥ずかしい気持ちになる。
「でも、好きな人の理想に近づきたいなんて、みんな思うことだよ。そのくらいの見栄は私だってあるんだから」
「うん。ありがと。でももうこれはダメ。もっとナマエちんに似合うの履きなよ」
私のなかの敦の彼女像に似合うものは私には似合わない。だけど敦は私を好きだと言ってくれる。そんな敦が私は、好きだ。
「オレのためにがんばってくれんのは嬉しいけど、無理は嬉しくねーし」
「…うん、わかった」
「ん。えらいえらい」
今度こそ本当に私は子どもみたいに頭を撫でられる。これ以上恥ずかしい思いをさせるのはやめてくれと頭を振ってみても敦は楽しそうに笑って止めてくれない。
「もう、敦、」
「新しい靴、オレが選んできてあげるねー」
そう言って無邪気に笑ってどこかに行ってしまった敦の後ろ姿はやっぱり大きい。私は足元の無様なパンプスを裸足で弄って笑ってやった。