高校時代にまあまあ親交のあった沖田からメールが送られてきたのはちょうど一週間前のことだった。内容はライブをやるから来てくれという素っ気のない一文とその場所日時だった。たしか沖田は私と同じように帰宅部だったはずで、楽器をやっているという話を聞いたこともなかったように記憶している。ましてやライブなんて。とは思ってみたが、大学の長い春休み中で大してスケジュール帳の埋まっていない私は行ってみるかとようやく昨日返事を送った。一斉送信で送られてきていれば対応も違ったかもしれないけれど、宛先は私だけだった。

ライブハウスの場所なんて知っているはずもない私はその旨を伝えると迎えに行ってやるからととあるパン屋の前を指定された。迎えに行ってやるだなんてたしか2年近くも連絡をとっていない旧友によくも言えたものだ。少しは高校とは違う距離を気にしたりしないものなのだろうか。

昨日沖田に指定されたフランス語のような表記で記される店名を掲げるパン屋の前に立つ。同じく指定された時間よりは5分早い18時25分。パンの焼ける良い匂いが店の外にまで漂っている。15時に遅めの昼食をとってはいるが、このパン屋で小腹でも満たして待っていようか。私の記憶によれば沖田は約束の時間前に来るようなきっちりとした性分の男ではない。大きく取り付けられたガラスから、小ぶりのクロワッサンや横にかわいらしい説明の立てられたパニーニがこれでもかと私を誘惑してくる。こうなると、待ち合わせ場所にここを指定した沖田が恨めしく思えてくるほどだ。


「ヨダレ、どうにかしろよ汚ぇな」

「…………沖田」


まさか、そんな分泌物を気づかず垂れ流すほど飢えてはいない。久方ぶりの男を軽く睨みつけると、その男は私の目から逃げるように腕時計に視線を落とした。それにつられて私も最近買ったベルトの細い腕時計の針を確認する。18時28分。珍しいこともあるものだ。


「久しぶり」

「おう」


沖田はまるで変わっていないようだった。明るい色の髪の毛は高校時代からそうだったし、イケメンと称される二重のくっきりとした両目も、少し細身の体型も、変わっていない。安心したような、面白みのないような。私の方はあの頃黒かった髪は染めていて化粧だってしっかりとするようになった。沖田も、変わった、と思っているのではないだろうか。


「痩せただろ」

「え、あぁうん」


はっきりとわかる変化よりももう一段深いところに気づく沖田は、高校時代時折見せていた毒々しさがなければもう少しモテていたのだろうに。けれどきっと本人はそれをもったいないとは思っていないのだろうなぁ。


「一人暮らし始めたからかな。食べる量減ったかも」

「ふぅん。料理下手そうだもんなァ」

「…しないだけ」

「どうだかねィ」


ライブハウスへの道は今まで私が通ったことのない通りだった。それでもしばらく歩けば以前気まぐれで入ったカフェの前を通り過ぎて、なるほどこの道に通じていたのかと一人新たな発見を心の中で秘めていた。ぽろりと溢してバカにされでもしたら面倒くさい。


「あ、ねぇ」

「ん?」

「ライブ、19時からでしょ?準備とかリハーサルとかいいの?」

「あぁ、別に」

「別にって。…そういえば沖田、楽器なんてやってたんだ」

「やってねぇよ」

「じゃあボーカル?」

「でもねぇよ」

「は?じゃあなに」


だんだんと、先ほどまで歩いていた街並みが変わってきている。雑貨、カフェ、古着屋、ファーストフード店、そんなものが並んでいた道はもう随分後ろに遠く、河原沿いの緑のある通りに出ていた。ライブハウスは、まだまだ先なのか。


「しばらく連絡とってなかった男がいきなり連絡寄越してくることになんの引っかかりも覚えねぇのかよ」

「だから、楽器やってなかったはずなのにライブなんて…とは思ったよ」

「ライブ告知メールが一斉送信じゃねェってのは」

「気づいてる」

「つまり、あんたに会いたくてウソついてるってとこまで、気づけ」

「………は」

「大体俺がライブなんざやるわけねぇだろィ」

「ちょっと待って。ウソ?は?」

「ウソ。ライブはねぇっつーこと」


なんでそんなウソ。っていうのはさすがに留めた。あんたに会いたくて、なんて沖田はさらりと言ってのけたのだ。つまりは、沖田は私に会いたくて、そのためのウソで、大事なのは聞きたいのは、なんで沖田が私に会いたいのかっていうこと。


「…俺のこと、どう思ってる。いや、変な意味じゃなく人として」

「……高校の友達で、性格悪くて、顔は良いのにもったいない、ひと」

「俺もまぁミョウジに対して特別なにも思ってなかった。クラスメイトで、そこそこ気が合ってあまりバカみてぇにはしゃがねェやつ、って」

「うん」

「…反応しづれェだろうから俺の独り言だと思って聞いてろよ」

「……うん」


それから沖田はぽつりぽつりと話し始めた。
出だしは最近のことだった。この辺りの大学に通っていて私と同じように一人暮らしで、大学での話も幾つか聞いた。それが本題ではないだろうことは私にもわかって、沖田の声が少し掠れたところから、なにか悪い類いの本題に入るのだと感じた。歩く速度の落ちた沖田が語ったのはお姉さんの死だった。沖田がそのお姉さんと仲が良いというのは高校時代の私も知っていた。そのお姉さんが亡くなったのだと沖田は言う。それが沖田にとってどれほど大きいことなのか私にはわからない。けれど私が想像できないくらいの強い悲しみであることは容易に想像できた。
沖田の言ったように、私は言葉を返せなかった。


「それで、なぜかミョウジのことを思い出した。急に連絡とりてェって。会いたいって思ったんだよ」

「…」

「慰めてほしいってんじゃねぇけど」

「沖田」

「…」

「さみしいって、言ってもいいよ。…私は沖田のつらさは分からないけど、沖田が私を選んだなら私は沖田の力になりたい」

「………情けねーなぁ」


沖田は笑うでも沈むでもなく呟いて、一人になっちまった。と今度は泣きそうな顔でそう言った。


「なんで、ミョウジなんだろうな。急に、不意に、顔と声と、ついでに笑顔まで浮かんできやがって」

「沖田、ほんとは私のこと好きだったんじゃない?」

「自分の気持ちに気づかねぇほど鈍感かねィ、俺は」


そういえば、沖田は優しい声をしているなぁと不意に思った。高校時代からそうだったのか、この数年で小さな変化を遂げたのか、私にはわからない。ただ、今の沖田は私を必要としていて、私は沖田を以前とは違う角度で見ようとしている。


「…パンでも食い行くか」

「もどる?」

「予定空いただろ」

「まぁ、平たく言えば」


随分と長く歩いた道を引き返して、待ち合わせの場所へ戻る。19時15分。45分前とは違う私と沖田と、変わらない品揃えのショーウィンドウ。

脳裏 / 沖田総悟

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