高杉さんは洒落た男の人だった。服装がお洒落だとかそういうのではない。いつも着こなしていた種類の豊富なスーツはもちろんお洒落と呼ばれるものだったのだろうけれど、だって私にはそんなことはわからない。高杉さんは生き方の洒落た人だった。若くして立派な人望を得ている人だった。遊び方は快活で、たくさんの行きつけを知っていた。女性の扱いにも慣れていて多くの女性が高杉さんの周りには居た。それでいてだらしのない噂は一度だって聞いたことがない。
「あんたも災難なもんだ。こんなベタな転び方」
出会いはそれだった。グキリと嫌な音を立てて挫いた足のせいで盛大に転び、道ゆく人にじろじろと見られているのを確信しながらそれを確かめるわけにもいかずヒールの折れたパンプスをどうすることもできず。少しの間黒く光沢するお気に入りのそれを見つめていると降ってきた声。心地よく響く声だった。
「ここでちょっと待ってろよ」
それから高杉さんは近くの店で同じようなパンプスを買ってきてくれた。黒くて小ぶりのリボンがついた高いヒールのパンプス。慌てて財布を取り出す私を柔らかく制し、困るようなら俺だってこんなことはしない。と言われて渋々それを引っ込めた。少し先にあったベンチで履いてみるとそれはもう驚くほどにぴったりで。その心情が顔にも出ていたのか、高杉さんは可笑しそうに笑った。
「こういったプレゼントは慣れてるもんでな」
そこから私と高杉さんの関わりは始まって、名前を知って連絡先を知って、彼のあれこれを知っていった。休日には高杉さんの車でデートに出かけて彼は何度か私のアパートに泊まりに来た。あての無いことのように漠然と将来の話をしてみたりもした。けれど彼女という存在には成れていなかったのだと思う。高杉さんの通いつけに高級クラブは変わらずあったし、携帯電話の中身も私が増えたこと以外なんら変わっていなかったに違いない。もちろん彼は上手い人だからそんなことは私の前で微塵も感じさせなかった。心が暗くなるのはいつも彼と別れた後だった。それでもまた約束をもちかけられればすぐに機嫌が良くなった。まるで初恋に焦がれる若い女の子のようだったのだろうと思う。
「なんだ、ガキみたいな味覚してるんだな」
高杉さんはよく私にそう言った。コーヒーも紅茶も飲めないのだと言ったときが一番深刻そうな顔だったのを覚えている。私はコーヒーならミルクやシロップをわんさか入れないといけない。紅茶においては、学生のころはまだミルクティーなら飲めていたけれどそれすら飲めなくなった。甘いものは全般好きなのにミルクティーのその抜けるような甘さだけが嫌いになった。変なところで大人びてしまったのだ。彼だって抹茶は苦いから嫌いだと言ってみたり、吸い物の三つ葉を残していたり、同じような味覚だった。笑う私にお前もだと言う彼とのあの会話は堂々巡りが恒例になっていた。
「これ、似合いそうだと思ってよ。好きな型だろう?」
高杉さんはなんでもない日にプレゼントを買ってきてくれた。ネックレスや指輪、時にはバッグも。高級そうなそれらが私の部屋にどんどん増えていった。悪いからと申し訳ない顔をする私の言葉なんてまるで聞いていないようで、早く着けてみろよと急かされた。高杉さんは私の好みを熟知していて、やっぱり着けてみれば私は喜んでしまうのだった。彼がほら似合うと褒めてくれるから尚更。けれど彼はいつも無くなるものは買ってこなかった。形の残るものばかり。いつか彼が居なくなったらそれらのせいで余計に淋しくなるのだろうな、そればかり考えていた。
そうして彼が私に最後に寄越した贈り物は白ワインマスカットフレーバーの紅茶だった。レストランでディナーを食べた帰り、いつものような送りの車の中でいつもとは違う彼だった。いつもみたいに似合うと思っただとか着けてみろだとかそんな言葉はかけられず、小洒落た紙袋の中身を私は想像できないでいた。このプレゼントは何なのと聞くこと自体がそれまでにないことだったから、私はそれすら聞けなかった。変わらず走らされる車の中で焦燥と違和で変になってしまいそうだった。それからは普通の会話をしていつもの別れをして、私は帰宅してすぐに紙袋を開いた。なんだかひどく悲しい気持ちだった。紅茶の飲めない私に、無くなるプレゼントをしない彼の贈り物。
それから高杉さんからの連絡は来なくなった。私からの連絡も取れなくなった。今では飲めば無くなるその紅茶だけが、私にじくじくと彼を刻みつけている。