今日の朝、お母さんに「今日はお母さんもお父さんも帰り遅くなるから適当にご飯食べてあんた散歩行っときなさいよ」と言われたのをすっかり忘れていた。学校の帰りに本屋に寄ってぐだぐだと結局小一時間潰し、ただいまーと帰宅しようとして鍵が開いていないことに気付いた。あぁそうか、と渡されていた鍵を取り出して夜ご飯どうしようと考える。適当にすませればいいやとカップラーメンを漁ってテレビを見る。そろそろお風呂にでも入るかと思っていたときに思い出した。家の外で愛犬が必死に鳴いている。………散歩。
「忘れてた………」
カーテンを開ければ嬉しそうに尻尾を振りまくる愛犬と目が合った。ごめん。今から行きます。
夏に近付いているとはいっても夜はまだ肌寒いから一枚羽織って家を出た。もうリードが千切れる勢いで引っ張られる。普段は夕方過ぎには散歩に連れていってもらえるわけだからこうなるか。焦らしてごめんよ。
散歩を忘れていたお詫びと思って、今日は私がいつも散歩するときよりは長めに歩く。お父さんやお母さんはどのコースを歩いているのか知らないけど。この時間に暗い道を歩くのも怖いからと明るい知っている道を歩いていたら少し先に学校が見えてきた。うわ、夜の学校ってやっぱりこわい。
「わっ」
「わっ!なに!!」
後ろから両手で軽く押された。ちょうど怖いと思っていたところにこの衝撃。驚かない方がおかしい。
「こんな時間に散歩してんだー」
「紫原君………今帰り?」
「うん」
「いつもこの時間なの?」
「こんぐらいかなー。あ、でも今日はちょっと遅いかも」
「そっか、大変だね」
少し疲れた様子の紫原君を見上げると、彼は私じゃなく私よりもっと低いところを見つめていた。ワン!と一つ大きく響く。
「ブサイクー」
「なっ、そこがかわいいんだよ」
「ふぅん。へんなの」
潰れた鼻とクリッとした目。この、パグの魅力はわからない人には到底わからないのかもしれない。でも私はそこがかわいくて愛らしいのだ。
「名前はー?」
「え、」
「名前」
「………ポテチ」
「……」
紫原君がちょうど、というかいつものように抱えていたポテトチップスの袋を見つめる。
はぁ、恥ずかしい。
「これ?」
「…まぁ、それだけど」
「へんなのー」
「だから言いたくなかったのに」
私が地味に赤面していると、紫原君が愛犬ポテチのそばにしゃがみこんだ。しゃがんでも相変わらず大きいなぁ。それでも、意外といったら失礼だけれど、ポテチはブンブンと尻尾を振っている。私がカーテンを開けたときばりに。
「オレ、ポテチ好きだからお前も好きだよー。ブサイクだけど」
「…よろこんでる、ね」
「そうなのー?」
「めちゃくちゃ尻尾振ってる」
「わ、ほんとだー。かわいいかも」
「でしょ?」
紫原君がポテチを撫でようと大きな手をかざすと、さすがにビクッとなっていたけどそれも一瞬だった。すぐに大人しく撫でられている。なにこの組み合わせかわいい。かわいすぎる。
「ミョウジさん家この近く?」
「ううん、もうちょっと先」
「ふぅん。じゃあ帰ろっか」
「ん?うん」
私と紫原君とポテチ。並んで街灯の下を歩く。変な組み合わせ。それでも紫原君のバスケの話やポテチの思い出話など、なかなか話題は尽きなかった。
「紫原君の家は?あ、寮だっけ」
前に学校の近くだと言っていたのを思い出して聞いてみた。まだあまり学校から離れてはいないからそろそろなのかなぁ、と。それに私は陽泉高校の寮というものを今まで見たことがないから一度見てみたいと思った。西洋風の校舎と同じように雰囲気のある建物なのかと。
「うん、寮。でももう過ぎたよー」
「…え?は?」
「だから、もう過ぎたし」
「え、もしかして私を送ってくれてる?」
「うん。そうだけどー?」
「ごめん。気付かなかった」
「なんで謝んのー?」
「だって部活で疲れてるのに。申し訳ないよ」
「いいよ。オレが送りたいから送ったんだし」
「でも、」
「しつこいなぁ、もう」
渋る私に、紫原君はポケットから取り出したチョコを包装されたまま私の口に押し付けた。むぐ、と黙るしかない。
「それ、あげるー」
「あ、え、ありがとう」
「ポテチもオレのこと好きみたいだし」
リードを離さないように包装を剥がして貰ったばかりのチョコを口に放り込む。優しい彼らしい甘さが口内にめいっぱい広がった。