ついに恐怖の期末試験が近づき、18時までという部活制限期間が始まった。時間まで図書室で一人ノートまとめをする。教室でやっていてもよかったけれど、まだ居残りしてまで勉強する時期じゃないからとみんな帰っていくなか、ここに場所を移した。教室に一人はさみしいけどここならちらほら生徒もいるし、やっぱり移動してきてよかった。


「ミョウジさん、おまたせー」

「ん。おつかれ」


18時を少しまわって、紫原君がやってきた。昨日教室か図書室にいる予定だと伝えていたからまず体育館に近いこっちに寄ったのだろう。


「ここでやる?」

「んー。教室がいい」

「あ、そう?」

「話しながらやりてーし」

「…勉強なんだけど」

「静かにやってたら一緒にする意味ないじゃん」


それもそうか。私の予定ではたとえば数学なら問題を解いていってわからないところを私が教えるつもりだったけど、赤点を量産したらしい彼ならしっかり教えられるように教室に行った方がいいのかもしれない。

やっぱり誰も残っていない教室につくと、紫原君はいつもの私の前の席に座って大きなあくびを一つこぼした。


「できる?」

「ん、ミョウジさんしだい」

「なにその上から目線」

「オレ褒められて伸びるタイプだから。よろしくー」

「……やっぱり教えるのやめようかな」

「アララ。ごめんごめんー」


謝る気持ちはさらさらないようだ。とりあえず紫原君に勉強道具一式を出させて苦手なものを聞いてみた。まずはそれからやっつけていけばいい。


「…………ぜんぶ」

「えっと、こら」

「だって本当のことだしー」

「………」

「…そんな顔されても、しょうがないじゃん」

「じゃあ、暗記系は後回しね。テスト直前に詰めこむよ」

「げ、やだなー。やめたい」

「ん?」

「…ごめんってばー」


今度は悪いと思ったのか少しだけしゅんとしている。ただ単に勉強することがいやになったのかもしれないけれど。


「じゃあ数学、やってみる?」

「あ、でもオレ理数系はまぁまぁ得意かも」

「そう?じゃあまだやらなくていっか」

「うん。まだ大丈夫ー」

「じゃあ、古文とか漢文は?」

「………大っきらい」

「うん。じゃあそこから攻めていこう」


はぁぁぁぁ。と生気をすべて吐き出すようなため息をもらして、紫原君はようやくペンを握った。


「先生、だれ?」

「メガネで髪もじゃもじゃのおじさん」

「あーわかった。あの先生ならテスト大丈夫かも」

「なんでー?」

「今週古文の授業いつある?」

「明日だけど」

「じゃあ明日出るとこと形式ほとんど言ってくれると思う。だから古文と漢文は明日それ聞いてからにしよう。寝ないでちゃんと聞いててよ?」

「…ん。がんばる」


不安だ、この返事は。それに本当は中間でも同じように形式を言ってくれていたはずなんだけど、寝ていたかなにかで聞いてなかったんだろうなぁ。まぁ寝てしまったら寝てしまったで誰かに聞きでもすればきっと赤点はまぬがれるはずだ。私もそれでなんとかなったし。


「じゃあ、英語やろうか」

「ん。英語はミョウジさんのノートあるから大丈夫でしょ。訳ぜんぶあるし」

「それ、自分で訳せるようにならないと意味ないよ」

「………そっか」

「英語は先生だれ?」

「太った女の人。いっつも派手な服着てんの」

「あの先生は…教科書のすみに載ってる問題あるでしょ?あそこから結構出すらしいからそこもやらないと」

「ミョウジさん詳しいね」

「私の友達がそういうの調査して毎回助けてくれてたから。今日一応知ってる先生のは聞いといたよ」

「ミョウジさんありがとー。オレ将来ミョウジさんのお嫁さんになる」

「こんな大きい花嫁さんいやだ」

「えー」

「いいから、やるよ」


スパルターとか、鬼ーとか言って紫原君が駄々をこねる。無理やりに教科書を開いてとりあえずは自力で訳していくことにした。思っていた通り、ほとんどの単語でこれなにー?と聞いてくるものだから心が折れそうになったけど、たまに出る正解には素直に褒めてあげた。そのたびに紫原君は嬉しそうに喜んで、褒めさせ上手な子だと思った。二度目に訳したときには半分近くの単語を覚えていた。


「すごいね紫原君。思ったより早く終わりそう」

「ミョウジさんに褒められんの嬉しいから頑張ろうって思うんだよねー」

「紫原君って、勉強できないっていうよりしないだけでしょ」

「んー。そうかも」

「なんかやる気出てきた」

「なんでミョウジさんがメラメラしてんのー?へんなの」


それから他のページの訳や教科書の問題を解いていって、気づけばもう20時近くなっていた。紫原君は眠そうではあるけど集中してがんばっているし、思ったよりもずっと早く進んだし、今日はこのくらいで大丈夫だろう。まだ期末試験までは二週間もある。


「そろそろ、帰ろっか」

「ん、もうこんな時間だー。バスケ以外でこんなに集中したの初めてかも」

「えらいえらい」

「……なんか、小さい子あやしてるみたいだし」

「あ、ばれた」


ポッキーを二本同時にムシャムシャと食べる顔はまるで本当にわんぱくな子供みたいだ。そう伝えたらきっと紫原君は口をとがらせてそれに私は笑ってしまうから言わないでおこう。


「そういえば、今日はポテチの散歩どうすんの?」

「期末試験終わるまではお母さんかお父さんに行ってもらうことにした。元はそうだったし」

「ポテチ、オレに会えなくてさみしがるねー」

「うん。ほんとになついてるもんね」

「オレもさみしい」

「テスト終わるまでのがまんだよ」

「ん。がんばる」

「………ねぇ、」

「ん?」

「頭撫でていい?」

「…は?」


紫原君がかわいくてつい。


「いや、ごめん。なんでもないです」

「ん。いいよー別に」


こてん。紫原君の頭が撫でやすいように倒される。いつもずっと高い位置にあるその紫に手を添えると、ふわりとやわらかい髪の感触がした。すごい。私、紫原君の頭頂部を触っている。


「………撫でるんじゃねーの?」

「いや、うん。感動してる」

「感動?またー?」


そういえば、紫原君の試合の姿を見たときも私は感動したと彼に伝えた。二度も感動させられてしまった。一度目と今回では全然意味はちがうけれど。


「うん。まただね」

「へんなのー」


やわらかい感触も十分楽しんだし、手のひらを左右に動かす。うわ、かわいい。猫か犬みたい。所々からまる細い髪の毛を手ぐしでとかしていく。その髪の間から少し赤い耳が見えた。


「紫原君、照れてる?」

「………は?照れてねーし」

「ふぅん」

「……ミョウジさんのアホ」


そりゃあ照れもするのかもしれない、と改めて思う。高校生になって頭を撫でられることなんてそう滅多にないだろうし。しかも女子ならまだしもこんなに大きな男子が。うんうん。いい経験ができた。


「よし、ありがと。帰ろっか」


私が手を離すと紫原君はもう一度ミョウジさんのアホ、バーカ。と罵ってきた。なんでだ。それでも帰る準備はちゃんとしていて、広げたノートや教科書をカバンに詰めこんで教室を出た。一応試験週間だからか廊下の電気はついていて以前来たときのような不気味さは今日はない。


「ねぇミョウジさん」

「ん?」


見上げた先には紫原君の顔じゃなくて彼の大きな手が迫っていて、びくりと立ち止まってしまった。え、なに。なにこれなにされるんだ。
がしりと私の頭が掴まれる。


「な、に。どしたの紫原君」

「ヒネリつぶそうかなー」

「は?え、こわい。やめてやめて」

「ウソ。ヒネリつぶすわけねーじゃん」

「………仕返しか」

「んー、そんな感じー」


なんで私は頭撫でたのに掴まれたんだ。してやったりと笑う紫原君の頭頂部に今はもう届かない。

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