カーテンから漏れてくる光と、僅かに耳に届く鳥の囀ずり。
重たい目蓋を押し上げれば、目の前に広がる逞しい胸板。
…胸板?
「………っ!?」
叫び出しそうになるのをなんとか堪えて、今の状況…というか、目の前に転がるブツを手早く確認する。
(……ありえねぇっ!)
目の前に転がるブツ…忍足は、そんな俺の叫びなんて知らないとでも言うようにすやすやと眠っていて。
ほんのりと香ってくるシャンプーの匂いが、この状況は現実なんだと語っているように感じた。
「…なんで忍足が俺のベッドで寝てんだよ…」
ぼそりと、思わず口から漏れた呟きは、忍足の寝息と共に空気に溶けて消えた。
どうしても今の状況を信じたくなくて自分の頬をつねってみたが、普通に痛い。
がっちりと俺の腰に回っている忍足の無駄に筋肉の付いた腕も、確かに暖かみと重みを俺に与えている。
どう足掻いても、この状況は現実でしかないようだ。
(昨日寝る時は…確か………あ?昨日?昨日…俺は何してた?)
とりあえずこの状況に至った理由を思い出そうとしたら、昨日の記憶がないことに気づいた。
正しくは、“昨日の部活終了からの記憶が”だ。
(部活やって…部室でジロー叩き起こして…それから…)
頭を抱えつつ昨日の事を思い出していると、もぞりと俺を包み込んでいる体が身動ぎ、ゆっくりと目を開いた。
「ん…」
「…!」
「…あれ、景ちゃん?もう起きてたんや?」
ぱちぱちと数度瞬きを繰り返した深い青の瞳が俺を映す。
眼鏡越しではない切れ長の瞳に、どくりと胸が音をたてた。
(…いやいや!なんで忍足相手に緊張してんだ!キャラ!キャラを保つんだ俺!)
返事を返さない俺を不思議そうに覗き込んでくる忍足の顔を片手で押し返しつつ、心の中で一人葛藤を繰り返す。
しかし、それも忍足の次の一言で吹っ飛んだ。
「何や、甘えたモードなんは昨日だけやったんやな」
可愛かったでーなんて言いながら、にこにこしている顔を呆然と見つめる。
頭が真っ白になるとはこういうことを言うのかと、どうでもいいことが一瞬頭を過った。
「…忍足…俺は、昨日、何をした…?」
「覚えてないん?」
変わらずにこにこしている忍足を見ながら、なんとか絞り出した問いに、忍足はきょとんとしたあと語りだした。
曰く、俺は起きたジロー(機嫌が悪かったようだ)に、張り倒されて無理やり口にチョコレート(酒入り)を数個突っ込まれて酔っぱらい、たまたま近くにいた忍足に引っ付き虫状態になって、仕方なく忍足が俺の家まで運んだが、俺が離れなかったので一緒に寝ることになった…らしい。
「離れたくないーって首振って、ほんま可愛かったんやでー」
にこにこと笑いながら昨日の俺を思い出しているらしい忍足を横目に、俺は再度頭を抱えた。
とても信じられる話ではないが、なんとか記憶を掘り起こしてみれば確かに、ジローに何かを口に入れられたような気はする。
(信じられねぇ…が、俺に記憶がない以上信じるしかねぇよな…)
叫び出したい衝動を抑えて、大きく息を吐く。
俺は全く覚えていないし、信じたくもないが、やってしまったことを今更うだうだ言っても仕方がない。
そう言って自分を半ば無理やり納得させて、忍足の腕を退けて体を起こす。
…いや、起こそうとした。
「…おい、何のつもりだ忍足」
「んー?今日は学校も部活もないし、まだ寝ててもえぇんちゃうかなーと」
「あーん?勝手に寝てればいいだろうが」
退かすことのできなかった忍足の腕をぺちぺちと叩きながらそう言えば、忍足は更に俺を抱き込んできた。
どうにも離すつもりがないらしい忍足に、でっかいため息を一つ。
今の俺の心境を一言で言うなら“もうどうにでもなーれ”だ。
「忍足、苦しいから腕を緩めろ」
「えー、緩めたら景ちゃん起きるやん」
「あぁ?…緩めねぇなら明日の外周増やすぞ」
「サーセンした」
少し緩んだ忍足の腕の中で、ごそごそと寝心地の良い場所を探す。
多少落ち着かないが何とか見つけた場所に身を落ち着かせていざ寝ようとしたら、困惑したような忍足の声がかけられた。
「えっと…景ちゃん?」
「あーん?」
「何しとん?」
「何って…寝るんだろ?」
「……えぇの?」
「起きて良いなら即起きるが?」
「寝ます寝ます!おやすみ景ちゃん!」
ジト目で見やれば、忍足は一瞬目を見開いた後、嬉しそうに笑った。
その笑顔に、まぁこんな日も悪くはないかと目を閉じた。
おやすみ
(…少しだけ速い)
(二つの心音には)
(気づかないフリをして)