びたんっ

バラバラバラバラ…………



 何かが地面に打ち付けられ、次いで細かいものが撒き散らされる音がして薬研は顔を上げて音の先を見ようとする。しかしそれより先に、足先にコツン……と何か小さいものが当たる感覚がして、視線を向ける。見れば、掌に収まる程小さい緑色の棒状のもの。しゃがんでそれを拾う。緑色のクレヨンだった。先程聞いた音の一つはこれが撒き散らされた音だったらしい。再度音の先を確認しようと視線を上げると、小さな女の子が周りに散らばったクレヨンを一生懸命ケースに戻していた。いくつか戻したあと、周りをきょろきょろと忙しなく眺め、困ったような泣きそうな顔をしている。何を探しているのかを察した薬研は、ゆっくりと少女に近付いた。

「探し物はこれか?」
「? あっ!」

 小梅は不思議そうに顔を上げると、薬研が差し出した手に持つそれに気付いて声を上げ、こくこくと頷く。差し出された両手で作られた小さな器にクレヨンを乗せると、小梅は嬉しそうにそれを握りこんで薬研を見上げた。

「ありがとう!」
「礼には及ばないぜ、嬢ちゃん。それよりも、さっきは盛大に転んでいたみてぇだが、大丈夫か?」
「だいじょぶ!小梅、いいこだからなかないよっ」

 ふにゃりと表情を緩めて笑う少女が強がりを言っているようには感じられず、薬研は微笑ましそうに笑った。
 ふと、小梅は薬研の腰に佩かれた刀の存在に気付く。施設の住人の中では比較的刀を身近にして生活している小梅だが、見慣れている刀は太刀である。しかし薬研の刀は随分と短い。これは、なんと言ったか。以前、刀の種類について勉強した気がする。確か……

「……たんとう?」
「ん? あぁ、確かに俺は短刀だぜ。薬研藤四郎だ」
「やげんとーしろー」
「薬研でいい」
「薬研!わたしは、小梅っいうの」

 ふふっ、と小梅は嬉しそうに笑うと、まじまじと薬研の短刀を見つめる。薬研は腰から己を抜いて見やすいように掲げてやった。

「刀は珍しいか?」
「ん? んーん。たちは、まいにちみてるよ。たんとうははじめて!」
「太刀?」

 大凡少女に似つかわしくないな、と薬研は首を傾げた。この施設にいるという事は少女も審神者候補なわけだが。何処かの本丸の刀剣だろうか。確かに講習として主である審神者とその刀剣が度々この施設を訪れてはいる。だが本来のお役目は遡行軍の阻止。いくら星の数ほど本丸があれど、毎日のように講習に訪れることなどないのだ。しかも太刀限定ときた。一体どの刀剣男士だろうか。

「その毎日見る太刀ってのは、同じ奴か?」
「そうだよ?」
「へぇ。名前は知ってるのか?」
「鶯丸っ!」

 小梅は今一番の嬉しそうな表情で答えた。すると、少女の明るい声に誘われたように今し方話題に上がっていた本人が現れた。

「小梅、もう遊びは終わったのか?」
「あ、鶯丸!うんっ、いっぱいおえかきしてきたよ!」
「それは良かったな。あとで見せてくれ」

 少女はもうそれはそれは満面といった笑みを浮かべて鶯丸を見上げている。と、鶯丸が薬研の存在に気付いて視線を送る。それに答えるように薬研も鶯丸を見返した。

「薬研藤四郎か」
「鶯丸の旦那だな。嬢ちゃんが言ってた太刀はあんただったのか」
「あ、あのね!小梅ね、さっきクレヨンおっことしちゃってね、そしたら薬研がひろってくれたの」

 お互いがお互いを確認し合っていると、小梅が鶯丸の裾を引っ張って気を引いた。そうか、と小梅の頭を一撫でして再度薬研を見遣る。

「主が世話になったようだ。俺からも礼を言おう」
「大したことはしてない。それよりも、主……?嬢ちゃんがか?」

 てっきり何処ぞの本丸の刀剣だと思っていたが、鶯丸ははっきりと少女の事を主と示した。既に本丸を持つ審神者なのだろうか。いやしかし、短刀は初めて見ると先程言っていた。鍛刀でもドロップでも比較的入手しやすい短刀を見たことがないのは少々可笑しい。中には持つ霊力が高く、鍛刀で集まった刀剣が短刀よりも太刀の方が早い審神者もいるようだが、稀だ。この少女が、そうなのだろうか。
 不思議に思っていると、鶯丸が答えるより先に小梅が薬研に近付いた。

「あのね、おれいに薬研のえ、かいてもい?」

 言いながら小梅は持っていたスケッチブックを掲げた。礼には及ばないと答えていた薬研だったが、少女の好意を断るのは気が引ける。何より話も聞いてみたいことだし、薬研は快く頷いた。宜しく頼む、と答えた薬研に対し、小梅は嬉しそうに笑いながら薬研の腕を引っ張って近くのソファに座らせた。そのすぐ隣に座ると早速スケッチブックを開く。遅れて小梅を挟むようにして鶯丸も腰掛けた。スケッチブックを開いた小梅が、クレヨンのケースを何処に置こうか迷っていると、鶯丸が後ろから手を伸ばして持ってやる。お礼を言うように一度鶯丸に擦り寄ると、小梅は早速絵を描き始めた。それを合図に、小梅を挟んだ二振りの視線が交わる。

「先程の答えだが、小梅が俺の主で間違いないな」
「既に本丸を持ってるってことか?」
「いや。だが、近いうちに与えられるんだろう」

 それはつまり、それ程この少女が優秀であり、とても高い霊力を持っているということ。そしてそれを使いこなす技量があるということだ。薬研は感心したように目を瞬かせた。

「そいつはすげぇな。この嬢ちゃんは色んな可能性を秘めている、ってことか」

 そして、不思議そうに小首を傾げた。

「だが、本丸なしに鍛刀したってことか?規則上、本丸に着任する前に与えられる初期刀は打刀の五振りと決まっているだろ。着任前の鍛刀は許可されてねぇんじゃねぇか?」

 何処か心配そうに薬研が問う。だが、鶯丸はやんわりと首を振った。

「俺は、というか俺たちは少し事情が違ってな。俺は鍛刀で作られた刀剣ではない。だが確実に言えるのは、俺の主は小梅であり、俺は主の刀剣だ。所謂初期刀、というのも俺になるんだろう」
「複雑な事情、って奴か?まぁ深く突っ込む気はねぇが……そういう事例もあるんだな」

 ふぅん、とそこまで聞いた薬研は目の前の少女に視線を移した。ザカザカとクレヨンを走らせるスケッチブックは立てるように持たれていて、この角度からでは見えない。どんなもんか、と覗こうとするとそれを阻止するように小梅はバッとスケッチブックを胸元に引き寄せた。

「まだだめ!できてないもんっ」
「そいつは悪かったな。何せ、絵に描いてもらうなんざ初めてなんでな」
「あとちょっとだよ?」
「あぁ、わかった」

 大人しく覗き見るのを諦めて体を戻すと、小さな絵描きはまた筆を走らせる。

「確かに、そうだな……近くにいると、尚更霊気が澄み渡っているのがわかる」
「居心地がいいだろう?」

 鶯丸は自分のことのように嬉しそうに笑った。残念ながら薬研の本丸に鶯丸はいないので個体差がどうのとは比べることが出来ないが、傍目から見ても鶯丸がどれだけこの少女に傾倒しているのかわかる。時折演練で出会う鶯丸は内を見せない薄らとした笑みを浮かべている事が多いが、この鶯丸は存外屈託なく笑うようだ。場が違う故と言われればそれまでだが、本当に、わかりやすいほど。ある意味、この鶯丸もなかなか底が知れないのかもしれない。
 すると、今まで黙って大人しく絵を描いていた小梅が身を乗り出して薬研をじっと見つめだした。

「ん? なんだ、出来たのか?」
「……きれーないろね」

 綺麗な色。はて、一体何のことか。一瞬考えたが、一切のズレなく少女と目が合っているという事は、小梅が指しているのは薬研の瞳の色のことらしい。

「あぁ、瞳の色か」
「小梅そのいろみたことあるよ!」

 てっきり花の名前でも言われるのかと思った薬研は、子供の感受性を舐めていた。

「ゆうやけがね、よるのおそらにとけるいろ!」

 実際に見たことがない為かなかなか想像が出来なかったが、随分と風流な表現をされた気がする。聞いていた鶯丸も、あぁ、と思い出したように頷いた。

「あの時見た夕焼けか。時間を忘れて遅くまで遊んでいたせいで、怒られていたな」
「しー!鶯丸、しー!だよっ」

 鶯丸に振り返った小梅が人差し指を口に当てて慌てたように言う。

 家の近所だからとついつい遊びに夢中で、気が付けば門限などとっくに過ぎていた。それは小梅と遊んでいた他の子供も同じで、その子の母親が心配して迎えに来たところで、漸く時間が過ぎてしまっていることに気付いたのだ。友達に別れを告げて急いで帰ろうと走りかけたところで見上げた空。いつもならば家に帰宅していて見ることが出来なかった景色。鮮やかなオレンジ色が訪れる夜にじわじわと溶けていく。星がきらきらと瞬く夜空ではなく、まるで夜になる準備をしているようだ、と小梅は思った。その色があまりに綺麗で見惚れていると、鶯丸が心配そうに急かしていた気がする。いくら家がすぐ近所で、鶯丸が近くで見ていてくれているとは言え、両親が心配しないはずがない。慌てて帰れば案の定家の前に母親が待っており、小梅の姿を見てほっと安心した束の間、家の中に入ると当然怒られた。その時、鶯丸も小梅の母親に、「ちゃんと帰ってくるように尻を叩いてください」とお小言を言われた為覚えていたのだ。見えないながらも鶯丸に対して怒ったのはその時だけだった。
 つまりは、二人共若干苦い思い出があったというわけだ。察した薬研は吹き出して笑った。

「はっはっは!なるほどなぁ。それでよく覚えてるってわけか」
「うぅ……しーなのに……」
「はは、すまんな、つい」

 両者に挟まれて笑われた小梅は不機嫌そうに頬を膨らました。ぷっくりと膨れた頬に鶯丸がつん、と指を突くと結ばれた口からぷすんと空気が漏れた。それにまた笑う。

「笑って悪かった。そんなに綺麗なら、俺もいつか見てみたいもんだな」
「……うん、すっごくきれいだったよ!」

 機嫌をあまり悪く引き摺らない小梅は直ぐにつられて笑った。嘗て見た色を思い出しながら、また色を塗っていく。どうやら瞳の色を塗るので最後だったようで、直ぐに「できた!」と嬉しそうな声が上がった。完成した絵を薬研に見せる。丁寧に顔だけでなく体も描いていたようで、ちゃんと腰に薬研の本体が佩かれているのがわかった。顔が大きくて体が小さいそれは子供ならではの独特な絵だったが、贔屓目なしによく描かれていると思った。全体的に黒やら紺やら暗い色がある中で一際目を引く浅紫色の瞳。夕焼けが夜に溶ける色。その表現を思い出して、薬研は嬉しそうに笑った。

「よく描けているじゃねぇか」
「えへへっ。 なまえかくね!」

 そう言って小梅は手に持ったままだった紫色で空いた場所に薬研の名前を書き始めた。後ろで鶯丸が一字一字教えている。「小梅、とーではなく、とう、だ」「と、う?」「あぁ。伸ばさずに発音するからな」「しろーも?」「しろう、だな」「わかった!」今度こそ完成したそれを、鶯丸が代わりにスケッチブックから破く。引き外されたそれを、小梅が嬉しそうに薬研に差し出した。

「はいっ!ありがと、薬研!」
「……あぁ、こちらこそ、ありがとな」

 薬研が受け取ったのを確認すると、鶯丸が小梅の手を引いてソファから立ち上がった。

「引き止めて悪かったな。待機中だったのだろう?」
「まぁな。だが、おかげで良い手土産が出来たぜ」
「そうか、それは良かった。まぁ、流石にこれ以上引き止めるわけにはいかんからな。…ほら、小梅」
「あそんでくれて、ありがと!」

 またね!と薬研に手を振って別れを告げ、小梅と鶯丸はその場を後にする。それを見送って背中が見えなくなるタイミングで用事を終えた薬研の主が戻ってきた。

「いやー待たせてすまん!」
「ご苦労さん、大将。なかなか良い待ち時間が過ごせたぜ」
「え、なに。なんかあったの?」

 無精髭を撫でながら男は不思議そうに問う。簡単に、施設に住む審神者候補である少女と話していたと伝え、心底自慢げな表情を浮かべながら一枚の紙を見せびらかした。

「可愛らしい贈り物ももらっちまったぜ」
「なにそれ羨ましい」