宛てがわれた自室で鶯丸は茶を嗜みながら本を読んでいた。その読んでいる本というのは、小梅に贈られた子供の絵本。何度か小梅に読み聞かせ、鶯丸自身も読み慣れたもの。主を待つ間の暇つぶしだった。
 じっくり読むわけでもなく、なんとなしに視線を滑らせて適当なペースでページを捲っていると、聞きなれた足音が部屋に近づいて来るのがわかった。子供の小さな足音。

「ただいまー!」

 扉が開かれると同時に、明るい声が室内に伝わる。鶯丸は読んでいた本を仕舞って出迎える。

「おかえり。楽しかったか?」

 新しい湯呑に小梅の分の茶を用意しながらいつものように話を聞く準備をする。小梅はにこにこと笑いながら鶯丸の隣に腰掛けると、一枚の紙を机の上に広げた。

「かんじ、おしえてもらったの!ほらっ」

 小梅の言葉に視線を向けて、鶯丸は愛おしそうに目を細める。

「……俺の名前だな」

 A4サイズの白い紙いっぱいに書かれた歪な“鶯丸”の字。文字に指を添えて、ゆっくりと字面をなぞる。

「凄いな。自分で言うのも何だが、難しくはなかったか?」
「むずかしかった……でも、かきたかったの!鶯丸、うれしい?」
「あぁ……嬉しいよ、ありがとう」

 自分の頭をくしゃりと撫でる大きな手に、小梅は猫のように目を細めて笑う。
 もう一度書いてみてくれないかと言うと、小梅は大きく頷いて新しい紙を引っ張り出してきた。一緒に色鉛筆も机に広げ真っ先に手にとったのは緑色の色鉛筆。たどたどしく鉛筆を握るように持って、ゆっくりと紙に滑らせる。緑色で書かれた名前に続けて、更に文字が綴られる。その文字を目で追って、鶯丸は再び目を緩めた。



“鶯丸 だいすき”



 書き終えた紙を「あげる!」と渡すと、鶯丸は大事そうに両手で受け取った。

「ありがとう、大事にしよう」
「えへへっ」

 小梅は嬉しそうに頬を染めると、もう一枚真っ新な紙を取り出して鶯丸に差し出す。

「こんどは、鶯丸がかいて!」
「小梅のか?」
「うんっ!」

 了承した鶯丸が色鉛筆を手に取る。勿論、小梅が大好きな緑色。ゆったりと流れるような手つきで書かれる名前。柔らかい筆圧で書かれた小梅の真名。小梅から見ればぐにゃぐにゃとした字面だったが、かっこいいと思った。

「ほら」
「すごいっ!かっこいー!」

 受け取った紙を掲げて、きらきらと目を輝かせる。

「真名だからな。表には出さないように」
「うん。たからものばこにいれとく!

 素直に鶯丸の言葉を聞き入れて持ってきたのは30cm四方の箱。小振りの南京錠がかけられている。その鍵は、いつも小梅が身につけていた。首にぶら下げたチェーンの先に繋がれている小さな鍵。それを鍵穴に差し込んで回す。蓋を開けた裏に一枚の写真。両親と三人で撮った家族写真が一枚、カラフルなマスキングテープで貼られていた。箱の中にはいくつかの小物。それら全ては小梅の宝物だった。中には所謂、両親の形見もあった。ただの玩具や紙切れなどもある。小梅の思いつく限りの大切なものが、その箱に詰め込まれていた。中身を全て机の上に出すと、一番下に隠すように真名を書かれた紙をしまう。が、小梅は直ぐにそれを出した。

「ぐしゃぐしゃになっちゃうかなぁ」
「以前、担当に貰ったものがあっただろう。ぺらぺらの……ファイル、とやらだったか」
「そっか!そうする!」

 引き出しに手を突っ込んでお目当てのものを見つけると、さっそくそのファイルに紙を挟んだ。言わずもがな、緑色のファイル。そして再度大事そうに箱の中に仕舞った。仕舞ったあと、薄らと見える名前に嬉しそうに笑いながら他の宝物も箱の中に戻していく。宝物箱を元あった場所に仕舞って戻ると、鶯丸が茶を飲みながら先程小梅があげた紙を眺めていた。

「えへへ、そんなにうれしー?」
「あぁ、よく書けているな」

 褒められて気分が良くなった小梅は、鶯丸が淹れた茶を飲んだ。

「それ、どーするの?」
「そうだな、何か良い仕舞い場所が見つかるまで懐にでも入れておくさ」

 そう言って鶯丸は紙を丁寧に小さく折り畳んで懐に仕舞いこんだ。

「こんどは、“おおかねひら”ってじ、おしえてもらってくるね!」
「ならば俺が教えてやろう」

 喜々として鶯丸が鉛筆を取った。







「おおきくなったら、鶯丸のおよめさんになる!」

 小梅のその言葉に、周囲の動きが停止した。







 女の子というのは、何処にいても恋愛話に花を咲かせるようだ。
 小学生高学年くらいの女の子が輪になって話している中に一つ、小さな姿。小梅は、4つ5つ程離れている女の子に混じり談笑していた。最近行った講習についてだとか、テレビで見た面白い話、流行りの音楽。話題が尽きることなくそれは続けられる。正直、小梅にはよく理解出来ない話もいくつかあったが、年上の彼女たちが次々の話す内容を楽しそうに聞いていた。
 そして、話題はいつしか恋愛話に変わった。

「A棟の――くん、かっこいいよね!」
「A棟だったら――くんの方がかっこいいと思うな〜」
「それよりC棟の――くん!こないだ初めて話したんだけど、すごい優しかったよっ」

 今までの話題で一番楽しげな声。きゃっきゃと声を弾ませ、誰かの名前を話す彼女たちの頬はほんのり赤い。恐らく審神者としてのコードネームだろうが、小梅の知らない名前だった。
 廊下の途中にある休憩スペースでわいわいと談笑している為、時々政府の役人やらなんやらが通りかかっては仲良く談笑する彼女たちを見て微笑ましそうに笑った。
 そしていつしか、その話題は小梅にも振られることになる。

「小梅ちゃんは、誰か好きな人いないの?」
「すき? 小梅は鶯丸がすき!」

 小梅は嬉しそうに言い切るが、女の子たちは違う違うと首を振る。

「そうじゃないよ〜」
「小梅ちゃんは本当、鶯丸が大好きだね!」
「? うんっ」

 だが、女の子達が聞きたいのはそうじゃないと言う。

「じゃあ、かっこいいと思う男の子とか、いないの?」
「んんん〜……??」

 尚も聞き出そうと質問を重ねるが、小梅は小首を傾げるばかり。かっこいい人?鶯丸しか思い浮かばないが、彼女たちは違うと言う。かと言って、他の名前も出てこない。好きと思うのも、かっこいいと思うのも、真っ先に思い浮かぶのは鶯丸。彼女たちの言う好きな人やかっこいい人とは、どう違うのだろう。悩む小梅に向けて、彼女たちは何人かの男の子の名前を次々と告げてみる。いまいちピンとこない。それどころか、名前を聞いても誰かわからない人もいた。考えても考えても、やっぱり大好きなのも、かっこいいと思うのも鶯丸だけ。どうすれば彼女たちに伝わるだろうか?ありったけの思いを込めて言おうと、小梅が口を開く。

「おおきくなったら、鶯丸のおよめさんになる!」

 それくらい、大好きなんだよ!
 そういう意味で告げた言葉が、通りかかった役人たちの足をぴたりと止めさせた。女の子たちも固まったが、大人よりも復活が早かった。

「それ、こないだ講習で聞いたよ。神嫁?だっけ?」
「大変なことだから、簡単に決めちゃ駄目って言ってたね」
「小梅ちゃん、それ、鶯丸に言っちゃ駄目だよ?」

「小梅、もっとちいさいころから鶯丸にいってるよ?」

 女の子の幼少期によくある話。「おおきくなったら、パパのおよめさんになる!」の小梅バージョンである。小梅は初めから、鶯丸と、と言って聞かなかった。自分の娘にお嫁さんになると言われるのが若干夢だった父親は、それを聞いてちょっぴり泣いた。
 当然、神嫁やら眷属やらだのと言った知識などこれっぽっちもなかった為、小梅はただ鶯丸と一緒に居たくて言っていた言葉だった。だが、神である鶯丸にとっては違う。捉え方によっては、それは神との約束になってしまうのだ。
 話を聞いていた役人は慌てて小梅に詰め寄り、他の役人は慌ただしく鶯丸を探しに行った。







「確かに、前々から言われていたな。女の子の幼少期にはよくある話なのだろう?」

 鶯丸の言葉を聞いて、役人はほっとした。どうやら、鶯丸は本気には捉えていないようだ。同じくして、役人に長々と詰め寄られていた小梅がムスッと頬を膨らませながら戻ってきた。

「これはこれは……どうやら俺の主はご機嫌が麗しくないようだな」
「ん〜……」

 機嫌を降下させたまま、小梅が鶯丸の足にしがみつく。それを宥めながら役人に目をやれば、申し訳なさそうに頭を下げて退室していった。扉が閉まるのを確認してしゃがみ込む。それに合わせて小梅が離れるが、相変わらず頬を膨らませた顰めっ面で下を向いていた。

「大方、もう嫁になるなど俺には言ってはいけないとでも言われたか?」
「……うん」

 鶯丸の口から似たような事を言われると小梅は悲しくなり、口をきゅっと結ぶ。鶯丸は、仕方ないなと言いながら小梅を抱き上げ畳に座る。

「心配してくれているんだろう。ありがたいことじゃないか」
「ん……」

 小梅も、頭の端ではわかっているんだろうが、幼い思考ではそれを素直に受け止められず、理不尽に感じてしまう。嘘偽りない自分の言葉を、受け入れてもらえないことが嫌だった。

「ま……周りがどう言おうが気にするな。俺はちゃんとわかっている」
「……ほんと?」
「あぁ。ちゃんと伝わっている」

 それに――



「小梅の父親からは、宜しく頼むと既に許可は貰っているからな」



 他がなんと言おうが、今更だろう?