その人は、物心着いた頃から傍にいた。だから、近くにいることに何ら違和感を抱かなかったし、当たり前の事だと少女は思っていた。しかし時間が経つにつれ、その人が少し他と違う事に気付き始めた。その人と外でお散歩をしていると、「一人じゃ危ないよ」と声を掛けられる。一人じゃないのに、と不満げに隣を仰ぎ見ると、その人は柔らかく微笑んで、「次は両親も連れてこよう」と言った。両親も連れて四人で散歩に行くと、危ないと声を掛けられる事はなかった。でも、一緒にお店に入ると、促されるのは三人だけ。まるで、他の人には見えていないようだった。
 それは、両親でも同じだった。同じ食卓を囲んでいても、テーブルに並ぶ食事はいつも三人分。何で一つ足りないの、と泣きそうな顔で隣を見ると、「美味そうだな。ゆっくり味わって食え」と、自分の分が足りないのに怒りもせずにこちらを見ている。
そのような事が何度も重なると、遂に少女に限界が来た。三人分の食事が並ぶ食卓で、足りないと泣き叫ぶのだった。娘がいきなり癇癪を起こしたことに、両親は狼狽えた。一体何が足りないのか、何か食べたいものがあったのか?と少女に身を寄せて優しく宥めるが、足りないのは少女の分ではない。

「うぐいす、まるっ…のぶんが、ない〜っ!!」
 当の本人である鶯丸は、困ったように少女の頭を撫でていた。



 両親と鶯丸の三人に宥められ漸く涙が収まってきた頃。落ち着いた娘に安心した両親が優しく訪ねた。鶯丸とは誰なのか、と。
 若干気分が落ち着いた少女は、ぽつぽつと鶯丸について話し始めた。いつも自分に傍に居てくれること。嫌なことがあれば慰めてくれること。怖い夢を見たと泣いて夜中に目を覚ませば、寝付くまでお話をしてくれていたこと。雨が降って外で遊べないときは、お部屋でおはじきをして遊んだこと。ずっと自分の近くにいるのに、誰も鶯丸の事を気づいてくれないこと。思い出して、少女の瞳に再び涙が浮かび上がる。それを、鶯丸の指がそっと掬った。
 誰にも見えない“お友達”の話をする娘を、両親は信じた。それ以前に、気付いてあげられなくてごめんねと謝った。そして、見えない鶯丸に向かって頭を下げた。

「ずっと娘を守ってくれて有り難うございます。どうぞこれからも、娘を宜しくお願いします。」

 承知した。という鶯丸の声は、少女にしか聞こえない。それでも、少女にとっては嬉しい事に変わりなかった。
 その日から、食卓には四人分の食事が並んでいる。しかし、外出先では相変わらず三人分だった。でも、それでも良かった。両親が鶯丸の事を信じてくれたことが、何よりも嬉しかったのだ。



 鶯丸の存在が両親に認められて、数日が過ぎた。やはり、少女以外にその姿は見えない。見えない両親に向かって、少女は鶯丸がどんな姿をしているか懸命に伝えていた。こんな話をした、今日はこういう遊びを教えてくれた。嬉しそうに鶯丸の事を話す娘を見つめる両親の目は優しい。

 父親が勤める職場の同僚から、お土産を貰った。家族で京都へ旅行に行ったらしい。娘さんへ、と少女に渡されたのは色とりどりの綺麗な京菓子だった。初めて見る綺麗な菓子に、少女の目はきらきらと輝く。京菓子が詰められた箱を持って真っ先に向かうは、鶯丸の元。

「みてみて、鶯丸!きれいでしょ?」
「京菓子か。これは見事だな」

 並んで箱を覗き込み、色鮮やかな京菓子を眺める。

「あ、これしってるよ!もみじでしょ?」
「あぁ、そうだ。これは柿だな、なかなか面白いじゃないか」

 一つ一つ指をさしてその色彩や形を楽しむ。が、次第に少女は困ったような表情を浮かべ始めた。

「……?どうした、食べないのか?」
「うぅ……だってもったいないよぅ……」
「食わぬ方が勿体無いぞ。目で楽しんだ後は舌でじっくり味わう。それが京菓子だ。甘くて美味いぞ、食え」

 鶯丸の言葉に観念してこくりと頷く。紅葉の形をした京菓子を一つ手に取り、箱ごと鶯丸に向けると、鶯丸が不思議そうな表情をした。

「なんだ?」
「鶯丸もいっしょにたべよ」

 今度は鶯丸が困った。一向に受け取らない鶯丸に、少女は首を傾げるばかり。先程、甘くて美味しいと鶯丸自身が言っていた。味を知っているならば、食べたことがあるのだろう。なら、何故手を伸ばさないのだろうか。
 鶯丸はやんわりと首を振り、箱を少女の手元に押し戻した。

「俺はいい、お前が食え。俺はそれを、貰い受けることが出来ない」



 結局少女は菓子を食べることをしなかった。綺麗なものだから鶯丸に見せたかったし、美味しいものならば一緒に食べたかったのだ。だが、出来なかった。どうして駄目なのだろう。食卓に並ぶご飯は、一緒に食べている。ご飯は良いけれど、菓子を食べることは出来ないのだろうか。
 悲しくなった少女は、両親に聞いてみることにした。鶯丸が、一緒にお菓子を食べてくれなかったのだと。ご飯は食べれるのに、何でお菓子は駄目なのかと。それを聞いた両親は、少女にある事を教えた。「お供えすればいいんだよ」と。そういえば、両親は鶯丸の食事を並べる前、何かしていた気がする。それをすれば、綺麗な京菓子を一緒に食べることが出来るのだろうか。両親にやり方を聞いた少女は、早速それを実行する事にした。



「いつもわたしをまもってくれて、ありがとう。もらってください」

 多少、少女が言いやすいように改変されていたが、少女は鶯丸の前にしっかりと膝をついてお辞儀をし、京菓子が入った箱をススッと差し出した。これで大丈夫なのだろうか、と下げていた頭を上げてちらりと鶯丸を見上げる。すると、鶯丸は嬉しそうに微笑みながら箱を手に取ると、少女の頭を優しく撫でた。

「あぁ、有り難く頂戴しよう」
「いっしょにたべれる……?」
「もちろんだ。ほら、食べよう」

 そう言って、鶯丸は箱の中から紅葉の菓子を取り出し、それを少女の手に持たせた。そして、自分は柿の形をした菓子を手に取る。それを見た少女が嬉しそうに笑い、今度こそ菓子を食べることが出来た。

「あまくて、おいしいね!」
「あぁ、美味いな」

 それ以来少女は、例え小さな飴玉だろうと必ず鶯丸にお供えをし、小さな喜びを分かち合うように同じものを一緒に食べるようになった。