少女は目の前に差し出された小型チップを穴が空きそうなほど食い入るように見つめていた。それを差し出した張本人は目の前で少女の様子を見てニコニコと笑っている。この小さなチップは、審神者の”お給料”らしい。

「……これが、おかね?」
「そうよ。正確には、これを使ってお金の管理をしているのだけど」
「……?」

 説明をしてもらっても、これがお金だという意味がよくわからない。ただ、これが少女のものになるということだけは理解出来た。お仕事を頑張ると、貰えるものらしい。これを審神者の端末に入れることで、お金の出し入れや買い物などがスムーズに行えるという。

「みんなのはないの?」
「勿論あるわ。刀剣男士様方には、こんのすけが渡してくれているの」

 昔は審神者から刀剣男士へと給金を配っていたが、中には配らずに自分の懐に隠してしまう輩もいたため、現在はこんのすけを通して配る手筈になっている。
 しかし、これが少女のものになると言われてもどう使えばいいのかわからなかった。足し算の勉強は始めたばかりでお金の計算なんて全く出来ない。お菓子やら玩具やら、欲しいと思ったものはたくさんあるけれど、いざ大きなお金を渡されても使い方に困ってしまう。だって、頑張ったのは鶯丸たちだから。だから、どうせ初めて使うお金ならば鶯丸たちの為に使ってみたい。

「……これ、なんでもかえるの?」







「これが、お金……」

 小夜はこんのすけから渡された金子を物珍しそうに見つめた。それは小夜に限らず鶯丸たちも同じようで、しげしげと色んな角度から眺めていた。

「刀の僕たちが給金を貰うなんて、何だか笑っちゃうねぇ」
「寧ろ俺たちがお金でやり取りされる立場だったからな」
「これが働くということなんですね」

 それぞれが初めての給金にむず痒さを感じていると、とたとたと可愛らしい足音が近付いてきた。言わずもがな、その足音の正体は我らが主である。

「いたー」
「うん、どうしたの?」

 少女は室内にいた小夜と燭台切に目を留めて駆け寄り、それを受けた燭台切は不思議そうに首を傾げた。

「光忠と小夜、おでかけするんでしょ?」
「あぁ、遠征だね」
「とおい?」
「30分くらいで帰るよ。何か用事かな?」
「んーん。きをつけてね?」
「うん、ありがとう」

 少女と燭台切が話すのを横目で見ていた小夜は少女と手元にある金子を交互に眺める。燭台切と話し終えた少女がこちらに向いたのに気付いて少し考えたあと、金子を懐に仕舞いながら少女の前に躍り出た。

「……お土産、買ってくるから」
「!」

 小夜は、初めての給金の使い方を小さな主への土産にすることにした。それを聞いた少女は目を輝かせ、給金の使い道をどうしようか迷っていた鶯丸たちは成る程、その手があったかと頷いた。

「ありがとう、小夜!いってらっしゃいっ」
「うん……行ってきます」

 少女の本丸はまだ刀剣が四振しかおらず、故に長期遠征は行えない。ただでさえ出陣で幼い主一人を本丸に残してしまう為、見回りのような短期遠征を数日に一回だけ行っている。
二人を遠征先に見送った一同は、遠征部隊が帰ってくるまで縁側で寛ぐことにした。平野がお茶の準備をしている間、少女は先日研修で世話になった本丸の審神者への手紙を書いていた。時々言葉がわからなくて鶯丸に訊ねては平仮名だけの手紙をつらつらと書き上げていく。

「取り敢えず、茶菓子でも買ってみるか」
「おかしー?」
「あぁ、何が食べたい?」
「んー……わたがし!」
「それは茶に合うかなぁ」

 使い道を考えてはみたが特に欲しいものは思い浮かばない。別に使わなければならないものではないが、些細なものでも何かしら自分で買ってみたかった。茶菓子ならば自分だけでなく少女や平野たちにも分けることが出来るからと聞いてはみたが、返ってきた言葉に鶯丸は苦笑いした。まぁ、茶には合わなくとも買ってやるつもりではいるが。暫くして三つの湯呑を持った平野が戻ってきて少女を挟むようにして座りながら縁側に並ぶ。一足先に飲み終わった少女は残った便箋に絵を書いて遊び始めた。何か一つ絵を完成させては平野に見せて、「なんだとおもう?」「可愛らしい猫ですね」「せーかい!」と、当てっこをしている。出来上がった絵は鶯丸に渡されている。全て鶯丸にあげるらしい。

「そういえば、主君も給金を頂いたのですよね」
「きゅー?」
「お金の事だ」
「もらったよ!」
「何に使うのか決めたのですか?」
「うん!」

 自分たちとは違い、既に少女は使い道を決めていたことに平野は感嘆した。それと同時に、何か欲しいものがあったのかと気になった。それは鶯丸も同じだったようで、不思議そうに少女を見ている。

「なんだ、何か欲しいものでもあったのか?」
「んとね、わかんなかったけど、できた!」

 どういう意味だ、と平野が首を傾げている反面で鶯丸がそうか、と頷いている。今ので意味が理解出来たのであろうか。

「特に欲しいものはなかったが、思いついたものがあったということだろう」
「なるほど……?」

 子供であるが故か、少女は色々な言葉を省いて喋る。知っている表現の仕方が少ないのだから当然なのだが、聞いている身としては時々理解が追いつかない場合がある。だが鶯丸は流石と言うべきか、少女が話す1から意味を10理解する。自分も益々精進せねば、と平野は意気込んだ。
 さて、少女が描き続けて鶯丸に渡した絵が厚みを増してきた頃、玄関先に人気を感じた。気付けば遠征部隊を見送ってから30分が経過したらしい。そしてその30分の間に少女は結構な量の絵を描き続けていた。便箋が驚くスピードで減っている。

「遠征終了だな」
「小梅様、お出迎えに向かいましょうか」
「うんっ」

 少女は逸るように早足で縁側を抜けて玄関へと向かっていった。それに合わせるように着いて行く平野を鶯丸はゆっくりと歩いて見送る。歩きながら少女から貰った絵の数々を見て心を暖かくしていると、玄関先から少女の嬉しそうな歓声が聞こえてきた。あぁ、そういえば小夜が土産を買ってくると言っていた。喜んでいる原因はそれだろうか。一足遅れて玄関に着くと、少女は飛び跳ねるように喜びながら小夜に抱きついていた。小夜は小さな主を引き剥がすに剥がせず、わかったから…と何とか少女を宥めようと必死だ。助けを請うように燭台切と平野にちらちらと視線を送ってはいるが、両者は助ける気がないらしい。寧ろ良かったねと少女を煽るものだから、更に機嫌をよくして擦り寄るばかりだ。何だか犬猫に懐かれているようだなぁと思いながら近付くと、それに気付いた少女が小夜から鶯丸へと標的を変えて、足元に体当りするように抱き着いた。解放されたことに小夜はほっと胸をなで下ろした。

「あのね、みて、みてっ!」
「随分機嫌が良いな。何を見せてくれるんだ?」

 そのまま足をよじのぼってきそうな程興奮しきった少女の頭を宥めるように撫でてやりながらしゃがみこんで視線を合わせると、少女は手元に持っていた袋を漁る。先程は持っていなかった小さな袋からはカチャカチャと何かがぶつかり合う軽い音がする。はい、と小さな掌に乗せられたそれは小さくて丸く、色鮮やかで光を通している。

「玻璃……硝子玉か」
「びーだま!きれいなの、いっぱい!」

 少女の掌から一つ摘んで掲げてみる。余程嬉しかったのか、鮮やかな硝子玉と同じくらいに少女の瞳は輝いていた。大事そうに硝子玉を袋の中に戻すと、くるりと振り返ってその先にいる小夜にまた抱き着いた。二度目ともなると観念したようで、小夜はその小さなくっつき虫にされるがままだ。少しして満足したのか、未だ興奮で頬を紅潮させながら少女は小夜を見て笑った。

「ありがと、小夜!だいじにするねっ」
「……うん。喜んで貰えて、良かった」

 漸く主が落ち着いてきたところで、ぞろぞろと廊下を歩いていると進む先からこんのすけがやってきた。

「審神者様、お荷物が届いておりますよ」
「う?」
「イロハ様とお話していた“アレ”です」
「あっ!」

 こんのすけの言葉に、少女は輪を抜けて駆け寄った。荷物は執務室に届いているようで、少女は一目散に向かっていった。置いていかれた刀剣たちは首を傾げるばかり。

「先程仰っていた“欲しかったもの”でしょうか?」
「らしいな。余程欲しかったのか」

 先程のやり取りを知らない燭台切と小夜は更に首を傾げる。







「小梅、入るぞ」

 少女が審神者の仕事部屋である執務室にいるのならばと、近侍として鶯丸が部屋へと訪れた。少女は部屋に入ってきた鶯丸にバッと振り返ると、何やら手元で広げていたものを掻き集めて腕に抱え鶯丸に駆け寄ってきた。その表情には先程覚めたと思っていた興奮の色が浮かんでいる。これには流石の鶯丸も疑問符を浮かべるほかない。

「? どうしたんだ」
「みんなは?」
「自室に戻っているんじゃないかな」
「よんで、よんでっ!」

 まるで鬼気迫るような様子に何事かと思ったが、少女は全員に用があるらしい。主の命ならばと「広間でいいか」と聞けば、少女は力強く頷いて部屋から出て行ってしまった。一足先に広間で待つつもりらしい。

 部屋で寛ぎ始めていた面々を再度集めて広間へと向かっていた。小夜は何の用事か検討がつかずに不思議そうにしており、燭台切は何か問題でもあったのかと心配そうだ。平野は何か大事な命でも下されるのかと真剣な表情をしている。背後から様々な気を感じて鶯丸はひっそりと苦笑いを浮かべながら振り返った。

「あまり気を張るな。幼子は感情に敏感だぞ」

 鶯丸の言葉でなんとか肩の力を抜いたものの、広間へと着くと自然と表情が引き締まった。室内に入ってきた鶯丸たちを見て、先に座って待っていた少女はそわそわと何処か落ち着きがない。上座に座る少女に向き合うように並んで座ると、待ちきれないといった様子の少女が突然立ち上がり、はい!と何かを差し出してきた。何の前触れもない行動に一同は目を見開きながら差し出されたそれに視線を向ける。しかし少女にとってはそれすらも待ちきれないようで、四人が差し出されたそれが何かを認識する前に、一人ずつ押し付けるように渡していく。渡されたそれは掌に収まる小さなもの。布地で作られた小さな袋は優しい金色をしていて、その中心に入れられた文字は……

「刀剣、御守……」







 研修先では確かに遊び相手をしてもらうことの方が多かったが、ちゃんと審神者としての心得も教わっていた。その中で特に真剣に教わったものが一つ。

「戦場ってね、私たちが思っている以上に危ないところなんだよ」
「こわい?」
「そうだね。でも、刀剣たちは私たちの為に行ってくれているね」
「みんな、つよいよ」
「うん、知ってる。私も皆を信じてるからね」
「でもこわい?」
「そうだね……戦場じゃ、私たち審神者は役立たずだからなぁ」

 戦う術を知らない現代に生きる審神者。例え武器を振るうことを覚えても、人間以上の力を持つ異型なモノに太刀打ちできるわけがない。だからこそ、時を渡ることが出来るのは刀剣男士のみ。審神者は役立たずどころか足を引っ張る存在になりかねない。時代を遡るごとに敵の強さは増して来ている。それと同じように刀剣たちも練度を重ねてはいるが、この世に“絶対”など存在しないのだ。いくら彼らが強いと信じてはいても、“もしも”という最悪の事態は存在する。戦争を知らない現代人がそれを感じるのだから、群雄割拠の時を過ごしてきたであろう刀剣たちはもっと感じているはずだ。
 だが、ただ一つ。審神者が刀剣男士を守る為に出来ることがある。その存在が、「刀剣御守」だった。

「これで、まもるの?」
「うん。 ……多分、使われないことが一番良いんだろうけどね。これを使うことになる事態だなんて……ない方がいい。でも、戦場に出ることが出来ない私たちが、それを言うのは駄目なんだ」

 少女に言い聞かせているのか、自分に言い聞かせているのか、彼女は話しながらとても辛そうだった。少女が泣きそうな顔で自分を見ているのに気がついて、慌てて笑顔を取り繕った。

「ま、あれだ……どれだけ大変な怪我をしても、戻ってさえきてくれればさ……霊力なんていくらでもくれて治してやるから、帰ってこい!……っていう、審神者の思いなんだよ」







 鶯丸たちは、言葉なく御守りを見つめていた。小さな主は、彼らに難しい言葉をつらつらと並べることは出来ない。全てを理解することが出来ないまま、大人しく一人本丸で待つしか出来ないから。でも、置いていかれる寂しさは知っている。だからこそ。

「あのね……小梅、いいこでまってるから……かえってきてね……?」

 この小さなお守りに、小さな主の思いがどれだけ詰まっているか。考えただけで胸が張り裂けそうだった。

「こ、うめさまっ……」

 平野は感動のあまり泣きそうなのか、声が震えてしまっていた。貰った御守りを握り締めながらふらりと少女に近付き、恭しく手を握った。

「この平野……必ず主のもとへ帰ると誓います。僕は……小梅様の、懐刀ですから」

 遅れて、燭台切と小夜も御守りを握りながら少女に寄り添った。

「ありがとう、小梅ちゃん……僕らの帰る場所は、ここだからね」
「僕の刃は、貴女のものだから。貴女が望むままにしていいよ」

 平野たちが感動で少女を囲む中、鶯丸は未だに御守りを眺めていた。この中で誰よりも、お守りに込められた少女の想いを理解しているのは鶯丸だ。まだ親の愛情が必要な幼子が、戦場の最前線にいる。実際戦場に出るわけではないが、似たようなものだ。遡行軍は歴史を修正しようと各時代を飛ぶと同時に、それを邪魔する刀剣男士の親玉である審神者を抹消しようとしている。刀剣男士は確かに手強いが、主である審神者を消せば戦わずして刀剣男士を消すことが出来るのだ。
 鶯丸のために、審神者として必死に勉強している姿は政府の施設にいた頃から知っていた。喜んでもらいたいという、ただその一心で。だが、学を勉めても理解するには程遠かった。政府は霊力の高い少女に期待しているようだが、鶯丸は後々理解していけばいいと思っていた。鶯丸にとって、少女が虐げられていたあの空間から抜け出せるのであれば何処でも良かったのだ。政府を受け入れたのは、ただ自分を顕現させる為に利用したようなものだった。
 少女の成長に嬉しく思いながら、同時に切なくもなった。覚悟を、させてしまっている。

「鶯丸……?」

 気付けば、何も言わない鶯丸に不安そうな表情を浮かべながら少女が近づいてきていた。御守りを見つめたままだんまりを決め込んでいる鶯丸の顔を覗き込んでいる。反応がない鶯丸に不思議そうにしているのは平野たちも同じだったようで、少女の後ろから鶯丸の様子を眺めていた。そして次の瞬間、彼らはぎょっと目を見開いて狼狽え始めた。あ、とか、う、やら言葉にならない声を出しては慌てたような身振りをしている。だが少女だけは鶯丸から目を離さない。

「鶯丸、かなしいの?」

 鶯丸は泣いていた。本来なら、鶯丸らしからぬその姿に少女が一番狼狽えそうなものだが、意外にもしっかりと鶯丸を見据えている。取り乱している様子はない。

「いや……」
「じゃあ、くるしいの?いたい?」

 まるで鶯丸をあやしているように、少女の声は優しい。どこまでも、鶯丸を大切に思っている優しい幼声。

「よく、わからないな……」

 少女に教えてあげられる言葉が思い浮かばなかった。鶯丸自身も、涙が込み上げるこの感情をどう表現していいかわからなかった。

「あぁ、でも……お前の……小梅の思いは受け取った」

 ありがとう、と流れた涙の跡も拭えぬまま、泣き笑いのような笑顔で告げれば、少女も花開いたように笑った。鶯が鳴いて、梅の笑顔が咲いた。きゅ、と鶯丸の首筋に抱きつくと、鶯丸もそれに応える。

「鶯丸、だいすき……」
「あぁ……俺もだ、小梅」

 だから、帰ってきてね。