「じゃあ行ってくる。留守は頼んだ」 「オーケー、任せてよ」
鶯丸と燭台切が話す横で、少女は平野と小夜に挟まれて何やら手渡されていた。
「あちらの方々に、是非これを」 「これをあげるの?なに?」 「リンゴだよ」 「りんご!小梅、りんごすきっ」 「あげるんだよ?」 「んっ!」
巾着袋の中に数個包まれているのは林檎。袋の口に顔を近付けると漂ってくる甘い香りに少女は嬉しそうに笑った。小梅、と鶯丸に名前を呼ばれて近付くと、差し出された手をぎゅっと握る。鶯丸は足元に置いてあった大きめの鞄を肩に背負って再度、「行ってくる」と告げる。
「うん、気をつけてね」 「いってらっしゃいませ」 「……頑張って」
何やら出かける様相の鶯丸たちと違い、燭台切たちはいつもの軽装であり、荷物も何も持っていない。これから出掛けるのは少女と鶯丸の二人だけである。
「うん、いってきます!」
これから少女は鶯丸と二人でとある本丸へと向かい、五日ほど滞在する。つまり、研修に向かうのだ。
*
他の本丸に行く、ということで少女はとても気分を躍らせていた。審神者として研修に向かうわけだが、少女にとっては新しい場所に遊びに行くような感覚だ。
「ほかのほんまる、はじめて!」 「あぁ、そうだな。向こうには燭台切光忠と小夜左文字がいるみたいだ」 「平野はいないの?」 「居ないみたいだな。レア、と呼ばれる刀剣は今のところ厚藤四郎しか居ないらしい」 「とーしろー!平野といっしょだっ」 「あぁ、平野の兄弟だな」
今回研修先である本丸は、事前にイロハを含む他の役員数名が直接下見に行ったようだ。審神者としての能力も戦績も申し分なく刀剣との関係も良好で、備前国エリア内では上位にランクする本丸らしい。希少刀剣には恵まれていないようだが、現在顕現している刀剣全ての練度は高い。報告してきたイロハはとても嬉しそうだった。自分の管轄内にいる審神者が名実ともに素晴らしい戦果を挙げていることが誉れ高いのだろう。
「お待ちしておりました」 「あっ イロハおねーさん!」
政府施設へと足を踏み入れた二人を迎えたのは少女の担当役員であるイロハ。彼女の姿を見て、少女は嬉しそうにその腕に飛び込んだ。しかし色々話したいこともあるところだが、今回の目的は研修である。積もる話もそこそこに、一同は転送ゲートをくぐり抜けた。見慣れたいつもの大門を背後に、前方には本丸に繋がる赤鳥居。しかしそこから感じる霊力は少女とは違うものだ。
「さあ、参りましょう。小梅ちゃん、準備はいいかな?」 「うん!鶯丸もいっしょだから、だいじょぶ!」 「ふふ、そうね」
鳥居を抜けたイロハに続き、鶯丸に手を引かれながら少女も本丸の中に足を踏み入れる。次の瞬間、視界に鮮やかな景色が広がった。
「わー……まっかっかだ!」 「これは見事な紅葉だなぁ」
本丸を彩る鮮やかな紅色に少女は頬を染めて喜んだ。と、そこへ第三者の声がかかる。
「いらっしゃい!よく来たね〜。ほら、あがってあがって!」 「あんたはどうするんだ?」 「顔合わせが終わりましたらお暇させていただきます」
ハキハキと明るく話す審神者らしき女性と、白い襤褸布を被った刀剣男士らしき姿。刀剣男士の方は以前、演習で見かけたことはあるが名前は知らない。
「五日ほど世話になる」 「おうっふ…レア太刀オーラぱねぇわ。演習以外にこんな近くで会うの初めて、やばい」 「いいから落ち着け、子供に立ち話をさせる気か」 「ごめんごめん!じゃ、自己紹介は中でね!どうぞ〜」 「はーいっ」
審神者の案内で彼女の本丸内へと足を踏み入れる。少女は脱いだ草履を持って鶯丸を見上げたあと、審神者へと視線を向けて首を傾げた。
「小梅、どこにしまっていい?」 「ん?あ、靴?出しっぱなしでも大丈夫だけどね、えーっと……」 「此処が空いているから、此処を使え」 「ありがと!」
審神者よりも先に刀剣男士の方が答え、示された場所へと少女と鶯丸二人分の履物が収納される。
「ちゃんとしまうんだね〜偉いね〜」 「“ぱなし”はかっこわるいって、光忠がいってた!」 「ぐっ……なかなかいい教育をしていらっしゃる……」
しっかりと仕舞う姿勢に審神者は感心していたが、少女が放った言葉が胸に突き刺さった。審神者が脱いだ履物は出しっぱなしだ。少女のこれは、燭台切の教育の賜物である。
「まあこれはうちの教育だが、よそはよそだ。気にするな」 「鶯丸が保護者してる、すげー……」 「あんたは何をいちいち感心しているんだ……」
刀剣男士が呆れながら審神者を急かし、一同は応接間へと案内された。一つのテーブルを鶯丸・少女・イロハ、審神者・刀剣男士とで挟み、漸く正式な顔合わせが行われる。
「この度は研修の受け入れを……」 「あー堅っ苦しいのはなし!イロハさんとは付き合い長いほうだし、気楽にいこう!ねっ」
畏まった挨拶をしようとしたイロハの言葉を遮り、審神者はニッと満面の笑みを浮かべた。イロハも、相変わらずだなぁとつられて笑った。
「よし!えーっと、私が此処の本丸の審神者です!ツムギって呼んでね」 「ツムギおねーさん」 「あっ、思った以上にいい響き……!」 「?」 「おいあんた、自重しろ……」
おねーさん、と呼ばれた響きに審神者もといツムギは両手で口元を覆って悶えている。
「えっと、小梅だよ。よろしくおねがいしますっ」 「うんうん、小梅ちゃんね!可愛いな〜もう、うふふふ」 「本当自重してくれ……」
ツムギの反応に彼女の刀剣男士は心底呆れ、疲れたように額を抑えた。少女は向かいにいる刀剣男士を興味深そうに見つめている。その視線に気付いた刀剣男士が名を名乗ろうと口を開きかけてツムギの声によってかき消される。
「あ、この人は私の近侍の刀剣男士だよ。まんばって呼んであげてね!」 「おい!」 「まんば?」 「そうそう!」 「その呼び方はやめろ……おい、俺は山姥切国広だ」 「やま、ば……ん?」 「まんばね!」 「まんば!」
山姥切の言葉を遮ってツムギが教えた呼び方に彼は不満げに異を唱えた。だがしかし彼の修正も虚しく、少女は正しく彼の名前を呼ぶことは出来ず、ツムギから教わった呼び名で嬉しそうに山姥切を見上げた。助けを請うように鶯丸に視線を向けると、それに気付いた鶯丸が少女に向き直る。
「小梅、や・ま・ん・ば・ぎ・り、だ」 「やーまーんーば、ぎり」 「彼の名前は?」 「まんば!」 「……まあ、なんだ。諦めろ」 「くっ……」
鶯丸のフォローも虚しく少女はすっかり「まんば」呼びで覚えてしまった。悔しそうに布を掴む山姥切の隣で彼の主は爆笑している。
「俺は鶯丸。主ともども、暫く世話になる」
ツムギの大笑いをよそに鶯丸が淡々と自己紹介を済ますと、爆笑していた彼女は笑いを引っ込めて座り直す。
「こちらこそ!まぁ気を楽にして過ごしてね。遊び相手には困らないと思うし!」 「研修じゃないのか、はぁ……」
此処の山姥切は大変苦労しているらしい。名前を修正しようにも子供相手に強くは言えないようだ。中々に良い時間を過ごせそうだと、鶯丸は人知れずほっと息をついた。
*
無事顔合わせも終わり、イロハも政府本部へと帰還した。そして今度は五日間過ごす客間へと案内してくれるようだ。
「わかんないことあったらいつでもどうぞ!……って言いたいところなんだけど、場合によっては難しいかもしれないから、お世話係をつけとくね」 「気を使わせてしまってすまないな、こちらの刀剣も忙しいんじゃないか?」 「一日中仕事してるわけじゃないし、大丈夫。任せた本人もはりきっていたしね!」
世話係に任命された刀剣は、あとで客間へと顔を出すらしい。さあ、まずはその客間へと案内しようとツムギが歩き出そうとしたところで山姥切が何かに気付いた。
「おい、遠征連中が帰ってきたぞ」 「おおおおまじか!まんばっち、案内頼んでいい?小梅ちゃんごめんね、お姉さんお出迎えしなきゃ!」 「小梅だいじょーぶだよ」 「んんんいい子っ……!」 「さっさと行けっ……!」
半ば山姥切に背中を押されるようにしてツムギはその場を去った。まるで台風のようだなぁ、と鶯丸はふっと笑みを零す。
「賑やかな審神者だな」 「落ち着きがないだけだ……そら、こっちだ。 ……なんだ?」
歩き出そうとした山姥切の襤褸布を、少女がはしっと握り締める。不可解なそれに山姥切は不思議そうに少女を見下ろした。すると、掴んでいた襤褸布をぱっと離し、少女は山姥切に向かって両手を向けた。
「て!」 「て?」
ますますわからない、と首を傾げる。
「手を繋いで欲しいそうだ。俺は生憎荷物で手が塞がっているのでな、頼めるか?」 「なっ……」
鶯丸の言葉で漸く少女の行動の意味を理解すると、山姥切はおどおどと瞳を揺らす。
「う、写しの俺と、手なんか繋いでも……」 「? まんば、てー」 「観念して繋いだほうが良いな、そのうち飛びつく」 「わ、わかったっ」
狼狽える山姥切に対し、少女は一貫として手を差し出している。しかし手を繋ぐどころか飛びつかれるとまで聞いてしまっては観念する他なかった。
「……これで、いいのか」 「えへへ〜」
差し出された手を恐る恐る握ると、少女は嬉しそうに山姥切を見上げ、繋がった手をぶらぶらと揺らした。
「良かったな、小梅」 「うんっ!」 「……ふん」
何がそんなに嬉しいのやら。だが嫌な気はしない。寧ろ何処かむず痒さを感じながら山姥切は少女の手を引いて歩き出した。 案内された客間はとても日当たりが良さそうで、畳が差し込む陽の光に照らされていた。そして何より、客間に面した庭から見える紅葉の鮮やかさ。視界いっぱいに広がる紅や黄などを彩る木々に、はらりと地面に揺れ落ちる落ち葉の何と風流なことか。少女は目を輝かせて縁側へと走り寄った。山姥切の手を握ったままだったので、彼も引きずられるようにして室内に入っていく。
「すごいすごーい!鶯丸っ、みてみてっ!」 「あぁ、本当に凄いな。まさに紅葉が見頃になっているな」 「この本丸は主に似てせっかちだから、季節が回るのが早いんだ」 「四季を巡回させていてこれか。個性というものはどこで出るかわからんな」
少女の本丸同様、暦通りに動いているようだがこちらの本丸は既に秋真っ盛りのようだ。少女の本丸ではこれからが紅葉の見頃になるだろう。
「小梅のとこもなる?」 「いずれな」 「やったぁ!」
少女が嬉しそうにはしゃぐ横で、鶯丸は「平野が必死で落ち葉を片す姿が目に浮かぶなぁ」としみじみしている。少女は隣にいる山姥切を見上げ何かを告げると早速庭へと飛び出していった。何やら“お土産”とはしゃぎながら色とりどりの落ち葉を拾い集めている。
「自分の本丸でも同じものがなるんじゃないか……?」 「こら、無粋なこと言わないの」
落ち葉を持って帰っていいか聞かれたのは山姥切だったが、それほどはしゃぐものなのかと不思議そうに呟くと、そんな彼の言葉に叱咤するような声がかかった。鶯丸と山姥切は声のした方へと揃って顔を向ける。
「兄弟か。用事は済んだのか?」 「うん。暫く僕は世話係に徹するからね、兼さんには粗方説明しておいたよ」
山姥切と親しげに話す彼は太刀の鶯丸や打刀の山姥切よりも幼い。だが短刀ほどでもない。恐らく脇差の刀剣男士だろう。話している内容からして、彼が少女たちが滞在中のお世話係になるのだろう。
「ここの審神者に頼まれた世話係か?」 「あ、はい!僕は、」 「鶯丸ー!ね、みてみてっ いっぱいひろったよ!」
世話係の彼が自己紹介をしようとしたところで庭から少女が戻ってきた。両手いっぱいに拾った落ち葉を嬉しそうに鶯丸に差し出している。が、すぐに知らない刀剣男士がいることに気がついてきょとんと目を丸くしている。
「たくさん拾えて良かったな。それはあとでしまって、先に挨拶をしようか」 「はーいっ」
少女の小さな手のひらからこぼれ落ちてしまった落ち葉も含めてそれらを鶯丸が受け取ると隅の方へといったん置き、自分の隣に座らせて世話係の彼へと向き直った。彼も、山姥切を隣にして向かいに一緒に座っている。
「小梅です、よろしくおねがいしますっ」 「鶯丸だ。手を煩わせてすまないが、暫く世話になる」 「僕は堀川国広です、どうぞよろしく」
世話係の彼―堀川国広はニコニコと優しげな笑みを浮かべていて、それを見ていた少女もつられて笑った。
「実は僕、お二人が来るのを楽しみにしていたんです。結構世話焼きなんで、遠慮しないで下さいね」 「あぁ、ありがとう」 「ほりかわ、おにーさん?」 「うん、そうだよ。宜しくね、審神者さん」 「うんっ」
しっかりと少女と目を合わせて喋る堀川は、次いで彼女が庭から拾ってきた落ち葉に目を向けた。
「たくさん拾ってきたね、誰かにあげるの?」 「あっ うん!あのねあのね……」
堀川の言葉に少女は思い出したように落ち葉をかき集める。鶯丸たちが見えるように広げ、一枚一枚取っては並べていく。
「これがね、平野のでね、こっちが光忠。これが小夜で、これは鶯丸のだよ!」 「俺にもくれるのか」 「うん!きれーだからね、鶯丸にもあげる!」 「そうか、ありがとう。大事にしよう」 「何か包めるものがあったほうがいいかな。ちょっと持ってきますね」 「ありがとう」
山姥切は部屋を出る堀川を手持ち無沙汰に目で追った。流石兄弟、小さな子とでも打ち解けるのが上手い。それに比べて自分は手を繋ぐことですら狼狽えてしまった。所詮写しだから……などと通常運転を働かせていると被っていた布を引っ張られてそちらに顔を戻す。戻した先には少女がいて、手には庭で拾った落ち葉を持っている。
「なんだ?」 「これ、まんばのいろ!」 「俺の色?」
そう言って差し出されたのは銀杏の葉。鮮やかな黄色は、確かに山姥切の美しい髪色と似ている。
「小梅、きーろもすきだよ。きれい!」 「……綺麗とか、言うn」 「あげる!いちばんきれーなのだよっ」
押し付けられるように渡されたそれを、山姥切は反射的に受け取る。あげるも何もこの落ち葉は自分の本丸にあったものなのだが。それでも少女は嬉しそうににこにこと笑っていた。と、そこへ席を外していた堀川が部屋に戻ってきた。
「お待たせ。あ、兄弟も貰ったんだ?良かったね!」 「あ、あぁ……」 「包むの、これでどうかな?可愛いのってこれくらいしかなくて」
少女の視線に合わせてしゃがみこみ、堀川は持ってきた懐紙を見せた。
「あ!うさぎさんだ〜」 「良かった、大丈夫そうだね。鉛筆も持ってきたから、どうぞ使って」 「うんっ」
渡された懐紙にはウサギの模様が施されていた。控えめに跳ねているウサギの絵に少女は喜んだ。貰った懐紙に先程分けた落ち葉を鶯丸が包んでいき、包み終わったそれに少女が名前を書く。歪な文字で名前が書かれた包が全部で5つ。「ひらの」「みつただ」「さよ」「鶯丸」、そして。
「これは、まんばのねっ」
もう一つは「やまんばぎり」。なんだ、ちゃんと名前を覚えているじゃないかと思いながらそれを受け取った。名前は覚えていても、まんば呼びはやめないつもりらしい。少女がじーっと山姥切を見上げる。その視線を受けながら、受け取った懐紙に先程貰った銀杏をしまい込むと満足そうにニカッと笑った。……まぁ、まんば呼びでもいいか。
「……ありがとう」 「うん!へへ〜」
お礼を言えば、少女は嬉しそうに笑った。そんな二人を見て堀川はとても嬉しそうにしていて、山姥切は何だか気恥ずかしくて被っていた襤褸布を更に目深く引っ張って顔を隠した。
「それじゃあ夕飯前に本丸の中を案内しますね」 「あぁ、すまないな」 「いえいえ!今夜は歓迎会なので、期待していてください」 「兄弟、俺はそろそろ仕事に戻る」 「あ、うん、わかったよ。ありがとう!」
退室しようと腰を上げ、戸に手をかけた山姥切を少女が見上げる。
「まんば、おしごと?」 「あぁ、そうだ」 「またきてね?」 「……あぁ、わかった」
少し躊躇ったあと、見上げる少女の頭をそっと撫でる。次いで、貰った懐紙を掲げてありがとうと告げて山姥切はその場をあとにした。
*
「……とまぁ、こんな感じですかね。大丈夫そうですか?」 「まあなんとかなるだろう。しかしこの本丸は広いな」 「刀剣が増えてくると本丸の拡張が出来るんです。男所帯ですから、すぐ手狭になるんですよ」
一通りの案内を受けて一同は用意された客間に戻ってきた。そして少女の手には紙飛行機。案内されている途中に庭で遊んでいる短刀たちと遭遇し、小さな客人に興味津々な彼らにあっという間に囲まれた。堀川の計らいで、一旦案内を中止して少女は短刀たちに庭で一緒に遊んで貰った。その帰り際、愛染国俊という短刀からこの紙飛行機を貰ったのだ。短刀たちの中で、愛染の紙飛行機が一番よく飛ぶらしい。客間の前の廊下で、少女は早速貰ったばかりの紙飛行機をスッと飛ばした。
「わっ…!とんだーっ」 「おぉ、確かによく飛ぶなぁ」 「紙の硬さとかにも拘っているみたいなんですよ、凄いですよね」
少女の手から放たれた紙飛行機は安定した動きで長い廊下を抜けていく。そして段々と低速して少女たちから大分離れた廊下の先へと着陸した。少女が早足で紙飛行機を拾いに行くと、それより先に誰かがその紙飛行機を拾い上げる。拾ったその影を見上げて、少女はぽかんとした。
「君が主の言っていた客人だね」
拾った紙飛行機を、はい、と渡される。素直にそれを受け取りながら、少女は勢いよく後ろにいる鶯丸に振り返った。
「光忠そっくり!」 「だろうなぁ」
少女の言葉に、この本丸の燭台切光忠は笑った。
「ふふ、僕も燭台切光忠だからね」 「おんなじなの?」 「そうだよ。まぁ、個体差ってのもあるだろうけど、見た目は同じだよ」
演練先で何度か似ている刀剣男士をみたことはあった。でも少女にとっては「なんか似ている」という感覚だけだった。だが着任してから毎日一緒にいる燭台切の姿ははっきりと覚えている。故に、似ているというよりもそっくりそのままであることに少し驚いていた。
「すみません、もう仕込み始めますか?」 「うん、そろそろね。それで呼びに来たのもあるんだけど、小さな審神者さんに挨拶しようと思って」
燭台切の登場に、堀川は慌てて彼に近寄った。それを横目に見ながら、燭台切は懐から出した何かを少女に差し出した。
「はい。小さい子は好きかなと思って。貰ってくれるかい?」 「? おかし…?」
差し出されたそれを目に留め、少女は先程よりも更に目を丸くして燭台切は見上げた。あまりの驚き様に燭台切と堀川は揃って首を傾げる。
「あれ?好きじゃなかったかな……」 「どうしたの?自分の本丸にも燭台切さんがいるから、びっくりしちゃったのかな?」
二人は、溢れんばかりに目を見開いている少女を心配そうに見つめている。その少女の後ろから鶯丸が笑いながら近付き、少女の肩にぽんと手を置いた。
「いや、違う燭台切だということは理解している。間違えはしないだろう」 「じゃあ、やっぱりこれ好きじゃなかったのかな?うーん……」
残念そうに眉尻を下げる燭台切に、鶯丸は首を振って否定した。
「うちの燭台切は食事前に菓子を食べると怒るのでな。この本丸の燭台切は寧ろ与えてくるのだと知って驚いているだけだ」
その言葉に燭台切はほっとしたように肩を撫で下ろす。が、また心配そうに少女を見下ろした。
「そっちの僕は厳しいのかい?」 「以前食事を残してしまったことがあるからな、仕方がない」
別個体の存在とは言え、他本丸の自分が厳しい教育をしているのかと心配になったが、どうやらちゃんと正当な教育らしい。でもならば、あげようと思ったこの菓子はどうしようか。そう思ったのは少女も同じだったようで、困ったように鶯丸を見上げた。
「どうしよう?」 「貰ってしまえ。燭台切には内緒、だ」
少女の問いに鶯丸はおどけたように言い、立てた人差し指を口元に当てて笑ってみせる。少女は嬉しそうに頷くと燭台切に向き直り、両手を差し出してそれを受け取った。
「ありがとう!」 「どういたしまして。貰ってくれて嬉しいよ」 「なんておかし?」 「きなこ玉だよ。柔らかい飴にきな粉が塗してあるんだ。甘くて美味しいよ」
袋に鼻を近付けてくんくんと香りを嗅いでみると、甘くて優しい香りがした。
「鶯丸、いっしょにたべよ!」 「そうだな、後で貰おうか。堀川、先に風呂を借りてもいいか?主を入らせる」 「あ、そっか。さっき庭で遊んでちょっと汚れちゃったもんね……どうぞ!食事が出来たら呼びに来ますね」 「ありがとう。さ、小梅、支度しろ」 「はーい」
歓迎会とやらの準備で離れる堀川と燭台切に手を振って一旦分かれると、早速浴場へと向かった。刀剣の人数が多いからか浴場もそれ相応に広く、大浴場と言った方が正しい。昼間も鍛錬に勤しむ刀剣の為に、早めに湯は張ってあるようだ。着ていた服を脱ぎ捨てていく少女の後ろで、鶯丸は手甲を外し靴下を脱いでズボンの裾を膝まで捲くりあげて準備をしている。少女が浴室に入っていくと、鶯丸も続けて入る。それからは慣れたもので、髪を洗ってあげたあとは背中を洗い、それ以外を少女が自分で洗っている間に湯船の温度を確かめる。湯船は二つあり、大きめの湯船の温度はとても高い。熱めが好きな刀剣用か。そしてそれより一回り小さい方の湯船は少女が入るにはちょうどいい温度。短刀か、もしくは熱いのが苦手な刀剣用か。
「おわったー」 「あぁ、おいで」
湯船にしっかりと肩まで浸かり、少女は濡れた顔を両手で拭う。その傍らで鶯丸は濡れない位置で腰掛けている。湯船に手をいれて波を立ててやると、少女は声を転がして笑った。
「えへへ、ゆらゆらしてる!こぼれてるよ〜」 「一緒に入ったら溢れそうだな」 「なくなっちゃうね!」
鶯丸が揺らしている波に対抗するように少女もお湯の中から手を動かしてゆらゆらと波を立てる。別々の軌道で不規則に揺れる波に少女は楽しげだった。
「ねーぇ、小梅のとこにも、堀川おにーさん、きてくれる?」 「そうだな、呼び掛けに答えてくれやすい刀剣だから来てくれるだろう」 「きてほしいなぁ」 「ふふ、随分堀川が気に入ったみたいだな」 「うん!あとね、まんばもね、きてほしい!」 「そうか。じゃあ頑張って見つけてくるとするか。ほら、100まで数えて」 「ん!いーち、にーい、さーん……」
広い浴場に高らかに数を数える少女の声が響く。自分の声が反響するのが面白くて、その声はどんどんと大きくなる。少女のその声は浴場の外にも聞こえているらしく、たまたま通りかかったツムギは鼻を押さえて悶絶していた。近侍として仕事の補佐をしている山姥切は隣で呆れている。落ち着け。
*
髪も乾かして客間に戻り、堀川が呼びに来るのを待つ間、少女はお勉強の時間。広げたノートにはたくさんの「あいうえお」が書かれている。50音は既に覚えているから、字を綺麗に書くための練習だ。因みに燭台切お手製である。更にもう一冊、数字がたくさん書かれたノートがある。こちらは平野が監修している足し算の勉強用のノートだ。
「んー……できた!ね、きれい?」 「ん、どれどれ……あぁ、綺麗に書けているな。着実に上手くなっている」 「やった!はなまるくれるかな?」 「くれるさ」
文字を綺麗に書く事が出来ると、燭台切が花丸をくれる。花丸が10個になるとノートの裏にシールを貼ってくれて、それは平野の方も同じ。シールを貰えるのが嬉しくて、少女は勉強するのが楽しみだったりする。わくわくとしながらノートの裏に今まで貰ったシールを眺めていると廊下から人の気配がしてすぐ、呼び声がかかった。
「お待たせしました!食事の用意が出来たので、呼びに来ましたよ」 「ありがとう。小梅、行こうか」 「わーい、ごはんだねっ」
案内された大広間には、既にこの本丸の刀剣たちが集まっていた。先程会った刀剣もいれば、まだ知らない刀剣もいる。皆興味津々に小さな審神者を見つめていて、その視線を受けながら中に入ると既に席に着いていたツムギが少女を呼び寄せた。
「あ、来た来た!小梅ちゃん、ここおいで〜」
ツムギに手招きされて彼女の隣に座る。少女とツムギを挟み、両隣にはそれぞれの近侍。少女たちを呼びにきた堀川も席に着いたところで、ツムギがパンッと手を叩いて注目を寄せる。
「さて!今日から五日間研修に来てくれた小梅ちゃんと、小梅ちゃんの鶯丸を歓迎して……かんぱーい!」 「「「かんぱーい!!」」」
ツムギの音頭で大広間中にわっと活気が集まった。賑やかな雰囲気に少女は楽しげだ。
「いっぱい食べてね!どれも美味しいぞ〜」 「うん!良い匂いする〜」
人数が多いせいか食事の席での会話は絶えず、常に明るい声が其処ら中でしている。少女の隣にいるツムギは目が合った刀剣を少女に紹介しながら機嫌良さそうに酒を煽り、鶯丸は少女の食事に手を貸しながら近くにいる刀剣との会話に花を咲かせている。世話好きな鯰尾藤四郎という刀剣が、少女からは遠い位置にある料理を美味しいよと言いながら少女に渡し、食べることが好きな御手杵がそれじゃ少ないと皿いっぱいに食べ物を乗せ、小さな女の子にその量は駄目だろうと加州清光がダメ出しをしている。終始、食事の席は賑やかだった。
歓迎会、という無礼講のおかげか審神者も含めて皆酒を飲むペースが早い。殆どの料理が平らげられた今はただの飲み会と化しており、先程よりも更に賑やかさが増している。歓迎されている鶯丸も酒を勧められてそれを受けていたが、お腹がいっぱいで鶯丸の腕の中にいた少女はいつの間にか眠たそうに頭を揺らしていた。少女と会話していたはずのツムギはいつの間にか酒に潰れ、今は山姥切に付き添われて厠へと消えている。鶯丸は器に残っていた酒を飲み干すと、少女を膝から下ろして堀川に声をかけた。
「すまないが、俺たちは先にお暇させてもらおう」 「あっ、眠くなっちゃったかな?それじゃあお布団の準備をしてきますね!」 「ありがとう。小梅」 「ん……」
退席する鶯丸に気付いた刀剣たちが二人に向かっておやすみと告げる。しかし少女は眠気でそれに答える気力がないのか、こくこくと頭を揺らしながら手を振ることしか出来なかった。それでもおやすみを告げた刀剣たちは嬉しそうに笑った。
「寝る前に厠へ行くから、自分で歩いて」 「んー……」
少女は抱っこをして欲しそうだったが、厠へ行く前に寝られてしまっては困る。鶯丸は少女の手を引いて厠へと向かうと、グロッキーな表情を浮かべたツムギが先客としていた。
「うっぷ……あ、小梅ちゃん……おねむ?」 「あぁ。先に休ませてもらう、すまないな」 「いえいえ、お気になさらっ…ず……うぅ……」 「あんたは何で限界まで飲むんだ……」 「飲まなきゃ損だろー!うぇ……」
壁に手をつけて蹲るツムギの背を山姥切が心底呆れたように摩っているのを横目に少女を厠の中へと急かす。眠たげに目を擦りながら中へと入り、暫くして出てきた少女は遂に我慢出来ずに鶯丸に手を伸ばした。
「だっこ……」 「ん、よし」
漸く抱き上げると、少女はすぐさま鶯丸にしがみついて顔を隠す。が、すぐに眠たげな表情を鶯丸に向けて首を傾げた。
「ひらのは……?」 「平野は本丸で留守番中だ。今日は俺と寝よう」 「ひらの……」
ぐずった声を上げて顔を埋めてしまった少女に鶯丸は苦笑い。着任前までは鶯丸と眠ることが普通だったのに、今ではすっかり平野と眠ることが当たり前になってしまっているようだ。聞けば、平野は少女をぐずらせることなく2分と待たずに寝かせつける術を身につけたらしい。
「小梅、おやすみは?」 「んぅ……おやすみなさい……」 「んんんっ、おやすみ!っ……おおぉ……」 「吐くなら中に行け!」
眠気で舌っ足らずな声でおやすみを告げるとそれに悶絶したツムギが勢いよく顔をあげた。が、答えた次の瞬間に口元を押さえたため山姥切によって厠の中へと放り込まれた。
「はぁ……」 「なかなか大変そうだな?」 「本当にな……あぁ、もう休むんだったな」 「あぁ、先に失礼する。おやすみ」 「あぁ、おやすみ」
既に少女は眠ってしまっていた。客間へと戻る道中、鶯丸の腕の中で揺らされることで更に眠りは深くなる。部屋の中に入ると堀川によって既に布団が敷かれており、出迎えた堀川が声を出そうとしたところで鶯丸の腕の中で眠る少女に気がついて口を閉じる。そして今度は少女の眠りを妨げないように小さな声で喋りながら布団へと招いた。
「一応二つ敷いておきました。水差しも用意しておいたので、必要ならどうぞ」 「ありがとう、助かる」 「いえいえ。じゃあ、おやすみなさい」 「おやすみ」
足音を立てずに部屋を後にし、堀川によって戸が締められると鶯丸は敷かれた布団を捲って少女を寝かす。少しの衝撃でも起きないくらいには寝入っているようだ。穏やかな寝息を立てる少女の額を撫でたあと、鶯丸も寝巻きに着替えて少女の隣に横になった。片肘をついて布団の上からとん、とんと少女の体を叩く。眠っていた少女がもぞもぞと身動ぎをして鶯丸の方へと向き直り、薄く目を見開いた。とろん、と瞼が震える瞳で鶯丸を見つめると胸元に引っ付くように寄り添った。
「うぐいすまる……」 「ん。……おやすみ」
少女を腕の中に抱きながら、鶯丸も眠りへと意識を投げ出した。
*
五日間の研修はあっという間に過ぎ、少女と鶯丸は鳥居の前で見送りを受けていた。既にイロハが迎えに来ている。
「ううう、小梅ちゃんもう帰っちゃうのかぁ……」
少女を見送るツムギは肩を落として落胆している。研修期間中、暇さえあれば客間へと顔を出して少女と遊んでくれていた彼女はこの中の誰よりも見送りを惜しんでいた。隣に控える山姥切はもう呆れを通り越して無反応だ。
「でも端末に連絡先登録したからね!いつでもお話できるね、小梅ちゃん!」 「うん!おでんわするねっ」 「ちょー待ってるまじで」
少女はツムギと笑いあったあと、堀川へと駆け寄った。それに合わせてしゃがみこむと、少女は堀川にぎゅっと抱きついた。
「また、小梅とあそんでね」 「もちろんだよ。また遊ぼうね」
よく遊んでくれていたのはツムギや短刀たち、そして御手杵だったが一番少女たちと長く一緒にいたのは堀川である。ツムギが仕事で会えなかったり、遊んでくれていた刀剣が出陣やら遠征やらでいなかったりした時は只管堀川にくっついていた。堀川は家事を任されているらしく、よく洗濯物を干したり取り込んだりするその後ろをついて回っていた。畳む手伝いをした時もあった。……これだけ聞くと何をしに研修に来たんだと思われそうだが、ちゃんと審神者としての仕事も教わっていた。最終的に遊ぶ形になってはいたが。
「堀川おにーさんがきてくれるように、小梅、がんばるねっ」 「うん、そっちに僕が来たら宜しくね」 「うん!」
堀川、そして他の刀剣たちとも別れを告げて少女は鶯丸に駆け寄った。短刀たちが両手を振ってバイバイと告げている。少女も負けじと手を振り返している。
「世話になったな。まあ、これっきりではないようだから……これからもよろしく頼む」 「あぁ。こんな主だが、審神者としては何かと役に立つだろうからな」 「こんな?まんばっち、こんなって言った?ねぇ」 「ツムギおねーさん、またね」 「んんんっ、またね、小梅ちゃん!」
非難の声が聞こえるが、山姥切は完全無視を決め込んでいる。が、すぐに少女の方に気を取られてデレデレと笑っている。ツムギに向けて手を振った少女は次に山姥切へと目を向けた。
「まんば、またね」 「……あぁ、またな」
ひらひらと手を振ると、山姥切も控えめに手を振って応える。そして、柔らかく微笑んだ。刀剣たちの賑やかな見送りを受けて、少女と鶯丸の研修は終わった。
「ねぇ今まんばっち笑った?笑ったよね??んんん天使かな????」 「黙れ」
あっという間に過ぎた五日間。帰るは少女の刀剣たちが待つ本丸。さて、まずは何から話そうか。あぁそれより先に、あの本丸で貰った秋を届けよう。
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