「ん……?」

 聞き慣れない音が聞こえ、平野の意識は浮上した。

 着任初日では夜中に目が覚めて泣いてしまった少女だったが、二、三日すれば平野と二人だけの就寝も慣れたようだった。自分では務まらないのかもしれないと一抹の不安を抱えていた平野だったが、少女は平野と共に寝ることを存外楽しみにしているらしく、沢山の絵本を引っ張り出してきては嬉しそうに見せてくれる。

 今日も今日とて主との就寝は平野の仕事。枕を並べて眠っていたわけだが、聞き慣れぬ音に平野は首を傾げた。少し外に意識を向けてみると、夜明けが近いのがわかる。いつも正確な時間に起床している為、大体は体感でわかる。いつもより少し早い起床だな、と体を起こそうとしたところで、平野を起こした聞き慣れぬ音がまた聞こえた。

「けほっけほっ……」
「? ……小梅様?」

 音の出処はすぐ隣。布団を剥いで隣で眠る主君を見ようとしたところで、また聞こえた。

「っ小梅様!」

 体を小さく震わせてその口から出る音は酷く苦しげで、思わず平野は飛び起きた。平野が大きな声を出しても目が覚めることはなく、苦しさに勝てないのかぎゅっと目を閉じて苦しげに眉を寄せている。急いで枕元の明かりをつけてみれば、額にうっすらと汗が滲んでいるのがわかった。

「あぁっ小梅様……どうすれば……はっ、鶯丸様に知らせなくては!」

 異常事態であることはすぐに理解出来た。しかしいかに打開すればいいか全くわからずわたわたと辺りを見渡したところで漸く近侍殿のことを思い出した。いつもならばすぐに思いつくはずが、平野も動揺してしまっているらしい。着替えることなく寝室を飛び出して鶯丸の私室へと向かう。と、廊下の向こうでこちらに向かってくる人影が。それは今まさに会いに行こうとした人物、鶯丸だった。

「あぁ、鶯丸様!良かったっ……あの、小梅様がっ」
「わかっている、部屋にいるか?」
「は、はいっ!」

 事情を説明しようとしたが鶯丸は既に心得ているらしく、平野を急かすようにして来た道を戻っていった。廊下を走る勢いでずんずんと歩いていく鶯丸を追って、平野は緊張で顔が強ばっていた。

 平野が飛び出したままで開けっ放しだった障子を抜ける。布団で眠る少女の顔色は枕元の小さな明かりでも分かる程に赤い。喉が掠れるような咳もしているし、呼吸も苦しそうだ。

「小梅、少し触れるぞ」

 恐らく少女には聞こえていないだろうが、一言断りを入れて鶯丸は汗が滲む額にそっと掌を当てた。そして僅かに眉を寄せると背後で心配そうに控える平野を振り返る。

「恐らく風邪だろう」
「かぜ?かぜ……あ」

 付喪神である刀剣男士は病気にはならない。己の本体である刀を傷付けられればその身を作る人の体も傷付くが、人間の体を侵すような病気にかかることはない。それ故に、平野は主が風邪を引いたという可能性に気付けなかった。彼らには馴染みのないものだから仕方がない。だが、原因がわかったからと言って、同時に対処法がわかったわけではない。どうすればいいのか、と平野は鶯丸を見て指示を待った。

「燭台切を起こしてきてくれ。それと水を張った桶と、手拭いを…なるべく多くだ」
「はい、すぐに!」

 慌ただしく部屋を飛び出した平野を見送り、少女を振り返る。

 気の乱れを感じた。少女の霊気を受けて顕現した付喪神なら、恐らく極僅かだが感じられるそれに鶯丸はより正確に感じ取ることが出来る。長く一緒にいるおかげでお互いの気が馴染んでいるからという理由もあるが、少女には鶯丸の印がある。どれだけ離れた場所にいてもその印を辿れば居場所は直ぐにわかる。楽しさや悲しさなどの思いも、その印を通じて感じ取れる。その気になれば、その瞳に宿した印を持って少女が見ているものを自分の瞳を通して見ることができる。今までも気の繋がりによって少女の変化に気付いたことがあった。霊力のコントロールで疲れたり、施設で仲良くなった年上の女の子たちに可愛がられて嬉しそうにしていたり……亡くなった両親を思い出して泣いてしまった時もあった。今回も、そのような感情の揺れが原因だと思った。しかし、いつもより些か気の乱れが酷く、違和を感じて慌てて飛び起きて少女の寝室に向かっているところで平野と鉢合わせたわけだ。

 バタバタと慌ただしい足音が部屋に近付いてきた。いつもは上品な足取りも、今回ばかりは動揺でそれどころではないらしい。

「お持ちいたしましたっ」
「ありがとう。一枚濡らしておいてくれ」
「はいっ」

 乾いた手拭いを一枚貰い、額や首筋などに滲んだ汗を拭き取る。後ろでは濡らした手拭いを持って平野が待機している。

「それを額に乗せてやってくれ。熱を冷まさないと……」
「わかりました」

 鶯丸の反対側に回り込み、少女の顔を心配そうに見下ろしながらゆっくりと額に濡れた手拭いを乗せる。その間にも、少女は未だに苦しげな咳を繰り返している。その度に、平野は自分のことのように痛ましそうな表情を浮かべていた。それから直ぐに、慌ただしい足音がもう一つ近付いてくる。

「主っ」

 バタバタとした足音こそ立てなかったものの、部屋に入ってきた燭台切の表情にも心配の色が浮かんでいた。

「燭台切、担当に……」
「イロハさんにはもう連絡してあるよ、すぐ来てくれるって。それとお水も持ってきたよ。飲めるかな…?」
「ありがとう。まだ目が覚めないからな、どうだろう……」

 此処まで鶯丸の指示ですんなりと行うことが出来たが、出来ることはここまでである。鶯丸たちは神ではあるが、人間の病気の治し方など知らない。いや、唯一知っている方法はあるが、それは同時に少女が人間でなくなってしまうことを指している。要は神気を与えて人の子の体から離してしまえば良いわけだ。しかし、そんなことをするつもりは毛頭ない。それ故に少女の担当役人であるイロハを頼ろうとしたわけだが、流石燭台切、既にこんのすけを通して連絡をつけたらしい。水差しを手に鶯丸の隣に並び、少女の様子を伺っている。

「主、苦しそうです……」
「起こしてあげたほうが良いのかな?一口でもお水飲めたらいいんだけど……」
「………」

 あぁ。こんな時、こんな時“あの人”はどうしていただろうか。過去にも少女は今のように苦しそうに咳をして、顔を赤くしながらか細い声で名前を呼んでいた。その声は掠れていて、今にも泣きそうだったのを覚えている。しかし、それをどうやって宥めていたのか、肝心なところが思い出せない。思った以上に鶯丸も動揺していた。その時、睫毛が震えて頑なにぎゅっと閉じられていた瞼がゆっくりと開いた。

「! 小梅、わかるか?」

 今にもまた閉じられてしまいそうなほど瞼は震えているが、その視線が鶯丸のそれと絡まる。寝惚けているのか、答えられないほどに辛いのか、少女は咳き込みながら鶯丸をじっと見上げているだけだった。水を与えてみようかと燭台切が動こうとした時、ぽふん、と小さな音を立ててこんのすけが現れた。

「担当が来ました、医師もご一緒です。鳥居の準備を」
「僕が繋げてきます!」

 真っ先に平野が反応し、その機動力を持って部屋から離れていった。対処法が分かる者が来たおかげで、鶯丸と燭台切もホッとしたように肩の力を抜いた。

「小梅、わかるか?ちょっと頷くだけでいい」
「ッ……」

 鶯丸の言葉に、少女は僅かに首を動かして頷いた。反応があることに安堵して、燭台切が少女を安心させるように笑いながら布団をぽん、と叩いた。

「お医者さんが来てくれたみたいだからね、大丈夫だよ」

 それにもまた僅かに頷いて反応する。閉じてしまいそうな瞼が不規則に震えていた。



「お連れしました」

 暫くしてすぐ平野が二人を引き連れて戻ってきた。担当のイロハと、年配の女性。恐らく彼女が医師なのだろう。鶯丸と燭台切が場所を開けると、診察の道具が入っているのであろうケースを傍らに置いて少女の顔を覗き込んだ。

「小梅ちゃんだったかな?」
「そうだ」
「小梅ちゃん、ちょっと体診させてもらうねー」

 そう言って先程鶯丸がしたように額に手を当てる。しかし鶯丸とは違い顔色一つ変えずに手を離すとケースから何やら色々と取り出しているが、鶯丸たちにはそれが何なのかさっぱりわからなかった。

「小梅ちゃん、胸の音聞かせてねー」

 胸元が出るように布団を剥ぐと、聴診器を胸に当てた。最近の医療技術では、一枚ならば服の上からでも心音が聞こえる聴診器があるのだ。誰も喋らない静かな空間で心音を聞くと、今度は小さなヘラのようなものを取り出した。

「ちょっとあーんてしてね、出来るかな?」
「…ぁー……」
「はい、良い子だね」

 ゆっくりと、そして小さく口を開くとヘラのようなものを口の中に入れた。傍で見ていた平野は思わずぎゅっと手を握り、隣にいるイロハを仰ぎ見てしまった。それに気付いたイロハが大丈夫だと言うように頷くと、神妙な表情を浮かべたまま少女へと視線を戻す。

 何を見てわかったのか鶯丸たちにはさっぱりだが、医師は出していた道具をケースに片付けると背後で控えていた鶯丸たちを振り返る。

「風邪ですね。恐らく環境の変化によるものかと。少し喉が腫れていますので、腫れを引かす薬と咳止め、解熱剤を出しておきましょう」
「大きな病気では、ないですか?」
「大丈夫ですよ、数日もすれば熱も下がります」
「良かった……」

 恐々と平野が問いかけると、医師は目尻に皺を寄せるように笑った。ホッと息をついたのは平野だけでなく、鶯丸と燭台切、そして連絡を受けてやってきたイロハも同じだった。

「近侍は貴方ですか?」
「あぁ、俺だ」
「ではお薬は貴方に渡しておきます。一日三回、食後に飲ませてあげてください。決して空腹時には服用させないように、少しでもいいので食べさせてあげてください。熱を下げるために汗をいっぱいかくと思いますので、適度にお着替えさせてください。濡れタオルも……あぁ、用意してあるようですね。そちらもこまめに変えてあげてください。何かあれば担当を通してくだされば対応いたします」
「心得た。感謝する、侍医殿」
「いいえ、お大事にしてください」

 鶯丸は少女に近付き、軽く額を撫でながら医師に視線を向けてお礼を言った。それに対して緩やかな一礼をして、医師は荷物を片付ける。帰る医師を見送ろうと各々が腰をあげようとしたところで、くん、と鶯丸の腰元が引っ張られる感覚がして振り返る。寝巻きにしている着物の裾を小さな手が掴んでいた。

「小梅……?」
「…ぉ……ぇ……」
「ん、どうした?」



「…おいて、かないで……」



 鶯丸は言葉を詰まらせて少女を見下ろした。熱のせいで水気が含まれた瞳が、じっと鶯丸を見ている。縋るような頼りない声は鶯丸以外の耳にも届いたらしく、気遣わしげな視線が少女に集められた。

「お見送りはいいですよ、傍にいてあげてください」
「……すまない、侍医殿。平野、頼んだ」
「お任せ下さい」
「燭台切様は私と食事の支度をしましょう、口に入れやすいものがよいかと」
「わかった、お願いするよ」

 中途半端に上げたままだった腰を下ろして彼らを見上げる。開け放された障子の向こうはすっかり宵闇の色が抜け、朝になっていた。しかし、本丸の主の体調不良という気の乱れを感じ取ってか、いつもなら感じる木々の揺れが一切なかった。だがそれでもそれぞれが先程よりもホッとした表情を浮かべていた。

「…――ッ…」

 鶯丸はハッとして少女を振り返る。しかし反応したのは鶯丸だけのようで、他のものは部屋を出る準備をしている。

「それじゃあ、ご飯を作ってくるよ」
「僕もお見送りが済みましたらお手伝いします」
「……あぁ、頼んだ」

 少女に顔を向けたまま答えると、四人がぞろぞろと部屋を出ていくのがわかった。鶯丸だけ反応したそれは、他のものにはわからなかったらしい。だが、鶯丸にははっきりと聞こえた。

『ママ』、と。

 確かに呼んでいた。苦しさに呼吸が漏れた音のようでもあって、だが確実に呼んでいた。恋しさや、寂しさや、愛しさや……色んな気持ちが込められた言葉に聞こえた。

 すると、先程まで全く思い出せなかったかつての記憶がゆっくりと呼び起こされてくる感覚がする。“あの人”は、どうしていたか。

 裾を掴むために伸ばされた少女の手を取り包むように優しく握る。額に乗せられた手拭いを退けると、僅かに湿った額を、前髪を掻き分けるように優しく撫でる。晒された額に向かってゆっくりと顔を近付け、熱に侵された額に口付けを一つ。そして最後に、祈るように自分の額と少女の額をコツリと合わせて目を閉じた。“あの人”が、していたように。

 少女は今この熱によって苦しんでいるというのに、鶯丸は額を通して感じるその熱に僅かな安心感を覚える。苦しいのだろう、辛いのだろう。だがそれでも、この異様なほどに高い熱が、少女が生きているのだということを感じさせてくれる。それが、鶯丸を酷く安心させた。

「……すまない、“陽和”」

 少女の苦しげな呼吸だけが聞こえる室内で、静かに吐き出されたのは鶯丸の懺悔。その言葉は誰の耳にも届くことなく空気に溶けた。







「何を食べさせれば良いのかな?」
「あまり固形物を与えてはかえって辛いでしょうから、お粥でよろしいかと」
「お米だけで、栄養は大丈夫かい…?」
「まずは食べることが大事ですよ、燭台切様」
「……そうだね、僕が焦っちゃ駄目だよね」

 早炊きであっという間に炊かれた白米を少し鍋に放り込むとなみなみと水を注いで火にかける。あとはどろどろにふやけるまで待つだけなので、主のお粥はこれで終わり。鍋の様子を気にしながら自分たちの分のご飯も作っていく。イロハは一人暮らしのようで、手際よく燭台切の手伝いをしていた。白米を火にかけた時に、見送りに出ていた平野が鳥居を閉じて厨へと戻ってきた。

「お見送りありがとう、平野くん」
「いえ。僕もお手伝いさせてください」
「ありがとう。そうだね、何をやってもらおうかな……」
「では平野様、小梅ちゃんの為に摺り林檎を作りましょう」
「すりりんご?」
「はい、摺りおろした林檎ならば小梅ちゃんも食べやすいでしょう。甘いものなら喜んでいただけますよ」
「わかりましたっ」

 厨には、包丁がまな板を叩く音、鍋の中の具材が煮える音、林檎を摺りおろす音が聞こえる。黙々と作業をしている中で、平野がぽつりと口を開いた。

「……主は人の子なのだと、再確認しました」
「え?」

 思わずイロハが手を止めて平野を振り返った。燭台切も、手は止めないものの平野の言葉に耳を傾けている・

「いえ、ちゃんとわかっていたのですが……主といると、あの方の持つ強い力で忘れてしまいそうになります」

 イロハは、少女が生まれ持った高い霊力のせいかと思った。しかし正確には、鶯丸が与えた印の方が影響している。しかし印の存在は鶯丸と少女だけの秘密、イロハだけでなく平野と燭台切も少女の霊力の高さ故と思っていた。

「簡単に、弱ってしまう存在なのですね……」

 しゃり、しゃり、と林檎の面積が減っていく。

「……守ろう。僕たちの主だよ」
「はい。守ってみせます、守ります。……僕は、主の懐刀ですから」







 平野達が部屋を出てから一時間弱。鶯丸は少女の手を握った体勢のまま、じっと動かなかった。目を開けているのに疲れたのか、少女の瞼は今閉じられている。黙ったまま少女の寝顔を見ていると、背後の障子が開いた。

「お食事をお持ちいたしました。主は起きていられるでしょうか?」
「ん? …あぁ、待ってくれ」

 鶯丸は少女の頬をするりと一撫ですると、肩を軽く揺さぶった。

「小梅、少し起きよう。何か口に入れたほうが良い」
「……んん…」

 億劫そうに瞼を上げた少女は首を僅かに振っていらないと示した。熱のせいで食欲がないのだろう。背後にいる平野と、平野と続いて入ってきた燭台切が困っているのがわかる。そこに口を挟んだのはイロハだった。

「ダメよ、小梅ちゃん。少しでも食べましょう?燭台切様がお粥を作ってくれたのよ。平野様も、小梅ちゃんの為に林檎を摺ってくれたの。食べたらきっと元気になるわ、ね?」

 少女の視界に入る位置に腰を下ろしてそう言い聞かせる。弱りきった主に強く言うことは出来ないであろう刀剣たちに代わり、イロハがその役を買って出た。

 燭台切と、平野が作ってくれた。その言葉に迷うようにゆらゆらと瞳を揺らしたあと、こくりと頷く。それに安堵した平野と燭台切が漸く立ったままだった腰を下ろした。鶯丸が、自分で思うように体を動かせない少女の体を布団から抱き起こす。平野が持ってきた盆には少量のお粥と摺りおろした林檎。その隣に燭台切が別の食事を置いた。

「鶯丸さんのも持ってきたよ。此処で食べるんでしょう?」
「あぁ、ありがとう」

 上半身を支えられるように起きた少女の目はまだ少し虚ろ。それを横目で見ながら平野は勝手知ったるように衣装箪笥へと近付き、一枚の厚手の羽織を取り出して少女の肩へとかけた。ぼーっと一点を見つめる少女の目の前にふんわりと温かな湯気を立たせる粥が差し出される。

「ほら、口を開けて」
「ぁ……」
「良い子だ」

 小さく開かれた口に少量の粥を掬った匙が入れられる。柔らかい粥をいつもよりゆっくりと咀嚼してこくんと飲み下すと、それを見ていた燭台切にゆっくりと視線を向けた。視線が自分に向けられたことに驚きながらも、にこりと笑って見せれば、少女もつられるようにして僅かに目を細めた。未だに苦しげではあるが、はにかんだ笑顔を見せてくれたことに燭台切は思わず目頭が熱くなった。大袈裟だと思われるだろうが、本当に心配していたのだ。

 一口一口少しの量を匙で掬って与えていると、段々と飲み下すスピードが遅くなってきているのがわかった。恐らくそろそろ食べられなくなる頃だろう。それを見越して鶯丸は粥を与えるのを止めると、向かい側で少女を挟むように待機していた平野に摺り林檎が入った小皿を渡した。

「小梅、平野が林檎をくれるそうだ。良かったな」
「ん……」
「し、失礼します……」

 林檎もそのまま鶯丸が食べさせるのだと思っていた平野は少々狼狽えた。それでも先程の鶯丸を習い、摺り林檎を掬った匙を少女の口元へと運ぶ。唇に林檎の甘い汁が当たり、それを舐めるように少女の口が開いた。少女が食べやすいようにと平野が一生懸命に摺りおろした林檎が、ゆっくりと喉を通って体に入っていく。ほぅっと息をついた少女はまたもゆっくりと平野へと視線を向けた。

「……おいしぃ」
「! はいっ、小梅様。まだありますよ、好きなだけ召し上がってください」
「うん……」

 実際のところ、高い熱に浮かされているせいか味なんて殆どわからなかったが、少女は確かに林檎を美味しいと思った。



 結局少女が食べたのは粥と摺り林檎を半分ずつ。もっと食べなくて大丈夫かと燭台切は心配したが、イロハによれば最初はこれだけ食べられれば十分なのだそうだ。

 食べ物を口にしたことで少し元気が出たらしい少女は、未だ眠そうではあるが先程よりも目付きがはっきりとしている。傍に控える鶯丸、平野、燭台切を順番に見て、安心したように溜息をついた。

「みんないる……よかった……」

 少女の言葉に鶯丸は少女の手を握り、平野と燭台切は布団の上から少女の体に触れた。

「一人にはしない。置いていかない」
「何処までもご一緒です、小梅様」
「傍で小梅ちゃんが元気になるのを待っているからね」
「うん……」

 医師から貰った薬を飲ませると、起き上がって食事をした疲れが出たのか、少女は横になって直ぐに眠ってしまった。起き抜けから少女の傍にいた鶯丸は今、着替えるために自室に戻っている。その間、平野がせっせと汗を拭ったり、汗で温くなってしまった手拭いを取り替えたりと献身的に看病をしていた。燭台切は鳥居を閉じるためにイロハを見送りに来ていた。

「本当にありがとう。僕たちだけじゃどうにもならなかったよ」
「いえ、当然のことをしたまでです。何より、私も心配でしたから……ですが、問題ないようですね」
「そうかい?」
「はい。皆様方なら大丈夫だと、確信いたしました」

 厨で聞いた平野と燭台切の強い決意。子供だからと侮ることは決してせず、たった一人の主として少女を守るという強い思い。それをひしひしと感じた。まだ幼い少女に本丸を与えるなど、時期尚早ではないかと思ったこともあった。けれど、もう大丈夫。相手を思うという心を持った彼らが一緒ならば大丈夫。……亡くなった少女の両親の代わりというつもりはないけれど、きっと少女に温かな居場所を与えてくれるのだろう。審神者と刀剣男士は所謂“主従”で結ばれた関係だが、その間に主従以外の思いがあってもいいのだ。それは良い方へと転がるばかりじゃないことは知っているけれど、彼らは大丈夫だと断言できる。

「あとはよろしくお願いいたします、燭台切様」
「うん、任せてよ」

 燭台切の晴れやかな笑顔を見て、イロハは鳥居に消えた。





 時々辛そうな顔色は見せるものの、日に日に元気に反応してみせることが多くなっていった。彼らの献身的な支えもあって、少女の容態は徐々に回復していった。そして完全に回復するまでの間、少女の寝室で彼女を守るように囲みながら四人で晩を過ごしていた。せめて夢の中では、楽しい夢を見れるように、と。