一同は鍛刀部屋へと集まっていた。刀を造る部屋にしては随分と殺風景だった。材料となるものが見当たらない。着任した段階で、予め3000近くの資材は用意されていると聞いていたのだが。どうしたものか、と少女と鶯丸は揃って室内をきょろきょろと見渡していると、不意に少女の緋袴が引っ張られる感覚がした。そちらに視線を向けると。
「わぁ!ちっちゃいっ」
少女の掌にすっぽりと収まる程小さな者。人の形のような姿をしているが、彼らは一体なんだろうか。
「彼らは刀鍛冶です。審神者の霊力を受け取り、付喪神様の依代となる刀を打ってくださる妖精ですよ」
そういえば、そんな話も聞いていた気がする。その時写真も見た気がするが、如何せん小さすぎて覚えていなかった。
「それはわかったが、資材は何処にあるんだ」 「外の倉庫に保管されております。そのまま置いては場所を取ってしまいますから」
成る程、確かに無造作に置いたままでは刀鍛冶も安心して仕事を出来まい。
「そこから持って来れば良いのか」 「いえ、資材の数を指定して下されば刀鍛冶がその数を取り出してくれます。数の指定は炉にある機械に入力をするか、刀鍛冶に直接伝える方法の二つがあります。資材の投入ですが、初期値と上限値がありますので、ご注意ください。そうですね……まずは初期値で一振り拵えてみては如何でしょう」 「そうだな。まずは様子見で……小梅?」
鶯丸とこんのすけが話している間、少女は小さな刀鍛冶に夢中だった。言葉を喋ることはしない妖精だったがその表情はとても豊かで、少女の掌の上を遊ぶように転げまわって少女を喜ばせていた。自分が何かをする度に大喜びする少女に気をよくしたのか、小さな刀鍛冶は少女を炉の近くに誘う。その先を指差してみせるその意図は、刀を造らせろという意味だった。よくわからなかったけど、何か見せてくれるらしいと思った少女はこくりと頷く。何やら数字を決めなければいけないようで、少女は悩んだ末に「いっぱい!」と答えた。
その結果、鶯丸が気付いたときには上限値いっぱいの資材が炉に放り込まれた後だった。
「あぁっ、審神者様っ!」 「ははは!小梅は豪快だなぁ」 「すごい!よーせいさん、ちからもちだねぇー」
こんのすけは思わず頭を抱えているようだったが、鶯丸は大して気にした様子もなく、寧ろ可笑しそうに笑っていた。一人だと思っていた刀鍛冶は実は複数いるらしく、数を指定した瞬間に何処からともなく妖精は増え、これまた何処からともなく資材を持ち出してせっせと運んでいる。自分よりも大きな資材を軽々と運んでは動き回る刀鍛冶を見て少女はすっかりはしゃいでいた。
資材の投入が終わり、鶯丸の笑いも収まったところで炉の方に視線を向ける。カチカチ、カチンと数字盤とは別の場所にあったそれに、数字が表示される。どうやら刀が出来上がる時間のようだ。それを確認して、もう一つ開放されている炉を見た。
「もう一つあるな。同時に出来るのか?」 「え?あ…は、はい。最初は二つの炉が開放されています。今後の戦績によっては最大4つまで解放することが可能です」 「そうか。まぁ刀を集めるのが目的ではないから当分増やす必要はないな」
そう言って鶯丸はもう一つの炉にさっさと初期値を指定してしまう。鍛刀時の霊力は、数を指定した時点で自然と審神者から引き出されるらしい。付喪神の依代を造る鍛刀部屋は本丸のどの場所よりも神聖な領域だ。
「いつできるの?」 「一つは少し待てば終わるだろうが……こっちは時間がかかるな」
火花が散る炉を覗き込もうとするので、その体を抱き上げて離す。大人しくその腕に抱かれながらも若干身を乗り出すようにして覗き込んでいる。
「手伝い札を使えば即座に完成させることが出来ますよ」 「そんなものもあったな。刀が一瞬で出来てしまうなど、何だか不思議な気分だが」 「では、刀装でも拵えますか?」 「それがいいな」
刀装部屋は鍛刀部屋と隣接しているらしく、室内でも扉一枚で繋がっていた。少女は未だに炉が気になるらしく、ちらちらと後ろを振り返っている。それを宥めながら、刀装を造る装置に視線をやる。鍛刀と同じく、4つの資材を必要とするそれは主に刀剣男士が拵えることが出来る。審神者も出来ることには出来るが、刀剣男士の方が成功率は高いらしい。装置には数字盤とスイッチがいくつか。鍛刀部屋で見たものと同じだ。
「小梅、これから仲間が二人増える。だから刀装を用意しておこう」 「うんっ どれ?」 「そうだな、まずは短刀の刀装を作るとしようか」 「短刀は『軽歩兵』『重歩兵』『投石兵』『弓兵』『銃兵』の5つが装備可能ですよ」 「じゅうがいい!ばーんってなるやつ!」 「遠戦が出来る装備は確かにいいな。だが兵力が低いからな、投石にしておけ」 「ん。どれだっけ…?」 「レシピとやらが端末で見られただろう、貸してみろ」 「あい」
少女から受け取った端末を、鶯丸は手馴れた様子で操作する。少女がそれを見ようと足元でぴょんぴょんと跳ね上がるので、しゃがみこんで画面を見せてやる。
「玉鋼を多くすればいいようだな」 「小梅やってい?」 「あぁ、ほら」
脇の下に手を挟んで抱き上げ装置に近付けてやる。ポチポチとスイッチを押して資材を投入すると、小さな祭壇のような棚の中心に透明な玉が出てきた。少女より高い位置にあるそれを代わりに取った鶯丸がそれを少女の掌に転がす。受け取った玉を掌で挟むようにコロコロと転がしていると、次第に透明だった玉に光が宿り、やがて金色に輝く一つの刀装が出来上がった。
「凄いな小梅、特上の投石兵だ」 「わ、ぁ……」
眩いほどに輝く金色の刀装。少女は暫し感動してそれを見ていたが、不意に鶯丸を見上げて困ったような顔をした。困った表情のまま刀装に視線を戻し、また鶯丸を見上げる。2、3度それを繰り返していると鶯丸が不思議そうに問い掛けた。
「どうした?」 「鶯丸にも、ぴかぴかのあげたい……」
どうやら、短刀の為に作ったものだが鶯丸にもあげたいという葛藤の間で困り果てていたらしい。鶯丸は目を細めて笑いながら少女の髪をくしゃりと撫でた。
「嬉しいが、俺は投石兵を装備出来ないからな。それは短刀に渡してやると良い」 「ん……」
素直に頷いた少女は出来上がった刀装を大事そうにポケットにしまった。
「鶯丸のは?」 「太刀ならば軽騎兵が良いんじゃないか。新しく来るもう一振りも、恐らく太刀だろうからな」 「ケーキ」 「軽騎。馬だ」 「おうまさんっ」
その後、再び少女が軽騎兵獲得を目指して刀装を作り始めたが、全て失敗に終わった。審神者の成功率が低いという話は本当らしい。一発で特上装備を拵えることが出来たのは運が良かった。灰となって崩れた刀装で真っ黒になってしまった少女の手を手拭いで綺麗にしていると、少女が拗ねたように唇を尖らせている。
「うぅー…なんで?」 「これは刀剣男士の役目らしいからな。手渡すのは小梅の役目だ」 「うん……」 「喜んでくれると思うぞ」
鶯丸の言葉に、ポケットにしまった刀装の存在を思い出す。唯一出来た刀装。大好きな鶯丸にあげることは出来ないけれど、これから自分と一緒に居てくれる刀剣に渡す少女の思い。どんなひとなのだろうか、仲良くしてくれるだろうか。降下していた気分が戻り、わくわくとした期待を抑えきれずに少女はへらりと笑った。
その後の刀装は全て鶯丸が拵えた。刀剣男士の方が得意だというのも本当らしく、失敗は一度もしなかった。しかし特上を作ることは出来ず、結果出来上がった刀装は上軽騎兵が2つと並軽騎兵が3つだった。
「なかなか難しいものだな。早く得意な刀剣に任せてしまいたいな」 「ですが見事全て軽騎兵を引き出しておりますね、流石です」
出来上がった上軽騎兵1つと並軽騎兵2つはその場で鶯丸が装備してしまい、残った二つを少女に渡す。ちょうどそのタイミングである気配を感じた鶯丸は扉の向こうに視線を向け、少女に言った。
「刀が出来たらしい」
*
刀掛けに納められているのは一振りの短刀。それを前に、少女はきらきらと目を輝かせていた。黒い鞘に金色の模様がある。葉っぱのような、花のような模様だ。それ以外にも丸で囲まれた模様も一つ。
施設で、祝詞というものを教わった。しかしこれは顕現時に必ず言わなければならないというわけではなく、形的なものらしい。実際少女は特に祝詞を唱えることなく鶯丸を顕現させている。まぁ、少女と鶯丸の場合は少し特殊なのだが。鍛刀時に主となる審神者の霊力を与えている為、その依代に呼ばれた付喪神は割とすんなり降りてくれる。来てください、の一言でも。少女以外の候補生達は何だか難しそうな長ったらしい祝詞を延々と覚えていたが、少女はとても簡略された祝詞を一つだけ教わった。
「さぁ、呼んでやれ」 「うんっ!」
するり、と短刀の鞘を撫でると少女は刀掛けの前に正座をした。
「かたなのつくもがみさま、おいでください」
瞬間、刀掛けにあった短刀がふわりと空中に浮き、刀を覆うように大量の桜の花が芽吹く。そして大量の桜の花が弾けるように舞い散ると、その中から現れたのは一人の少年。
「平野藤四郎と言います!お付きの仕事でしたらお任せ下さい」
視界を覆うほどの桜の花びらに圧倒されていた少女は暫し呆然としていたが、平野の名を受けてその表情に桜に負けないほどの笑顔を咲かせた。
「きてくれた、きてくれたっ!わぁーい!」 「よろしくお願いしますね、主」 「平野か、見知った顔が来たな」 「鶯丸様もいらっしゃったのですか!では、既に刀剣が揃っているのでしょうか?」 「いや、平野で二振り目だ」
自分を呼んだのが小さな子供であることに一瞬目を見開いたが、直ぐに視線を下げるように少女の前に片膝をついてその手を握る。少女が握った平野の手を嬉しそうに揺らしていると、その後ろから聞こえた声に顔をあげる。稀少刀剣と呼ばれる鶯丸が既に顕現しているということは、この本丸には殆どの刀剣がいるのかと思えば、平野が二振り目だという。つまりは初めて鍛刀して顕現させた刀が平野だということ。そして、鶯丸は一振り目である初期刀だということだ。瞬時に、この本丸は少し特殊なのだと理解した。
会話なく平野が理解した事を悟ると、鶯丸は少女の背を叩いて促す。
「ほら、渡さないのか?」 「あっ」
嬉しそうに平野を見ていた少女だったが、鶯丸の言葉にハッとして平野の手を離しポケットをごそごそと漁る。手が離されたことで立ち上がって少女の動作を見ていると、目の前に金色に光る玉を差し出された。
「はい、あげるねっ」 「これは……」
差し出されたそれを手に持つことで、その正体が特上の投石兵であることがわかった。出来たばかりの本丸で、来たばかりの自分が特上装備を与えられていいのだろうかと少し困惑していると、鶯丸が口を挟んだ。
「まぁ、お近づきの印みたいなものだ」 「それね、小梅がつくったんだよ!」 「主が?」
審神者による刀装作成の成功率は低いと聞く。更に聞けばこれは唯一成功して拵えたものだとか。そんな大事なものを主君自ら渡されたことに平野は感激した。
「嬉しいです……大事にします!これで警護もばっちりですね」
目の前で早速装備をしてみせれば、少女は嬉しそうに笑った。
「そうだな、主の警護は平野に頼もうか」 「はい。しかし、近侍は鶯丸様では?」 「近侍は俺だが、主の懐刀がいても可笑しくはないだろう?」 「懐刀……はい!お任せ下さい」
鶯丸の任命を受け、平野はしかと頷く。対して少女はまだ完成しないもう一振りが気になるのか、相変わらずまた炉を覗き込もうとしていた。それを平野が慌てて制す。早速懐刀として働こうとしている様子だ。
「あまり近付いては危ないですよ」 「まだなの?」 「あと二時間はありますよ」 「うー……はやくわたしたい!」
平野に刀装を渡した時に喜んでもらえたのが嬉しかったのか、少女は残りの刀装も早く渡してしまいたくて仕方がないようだった。次はどんな人が来るのか、という期待も大きい様子。鶯丸は仕方ないな、とこんのすけに視線を送ると既に手伝い札を咥えて待っていた。
「すまないが、これで仕上げてくれないか?」
そうして刀鍛冶に手伝い札を渡すと、目にも止まらぬ速さであっという間に刀を仕上げてしまった。本当に一瞬なのだな、と鶯丸は少し感心した。出来上がった刀を、刀鍛冶が刀掛けへと掛ける。黒い鞘に、紫色の紐がある。
「わぁー…小梅もてないのに、すごいねっ」 「人の子の身では仕方がないだろうな」 「どうぞ、主。こちらの刀剣も呼ばれるのを待っていますよ」 「うんっ」
そうして、先程と同じように刀掛けの前に座り、やんわりと鞘を撫でた。少女の為に簡略化された祝詞を唱えると桜の花びらを散らせながら現れたのは隻眼の青年。
「僕は、燭台切光忠。青銅の燭台だって切れるんだよ。……うーん、やっぱり格好つかないな」 「しょく、しょ……もっかい!」 「燭台切光忠、だよ」 「しょくだいみつ……?」 「ふふ、光忠で良いよ、お姫様」 「小梅、ひめじゃなくて、小梅だよ!」 「小梅ちゃんね、オーケー」
もう一振りの新しい仲間は燭台切光忠。鶯丸と同じ太刀である。全身黒い戦装束に隻眼と、初対面ではなかなか近付きづらい風貌をしているが、中身はとても穏やかでフレンドリーな青年だ。鶯丸とて服装の殆どは黒いし、片目もほぼ隠れているから似たようなものだ。そのおかげか、少女は大して怖がる様子もない。元々人見知りをしない懐こい性格をしているのもあるが。
とにもかくにも、これで少女の刀剣男士が三振り揃った。
人の良さそうな笑顔を浮かべる燭台切と話していると、少女のお腹からぐぅぅ…と腹の虫が鳴った。
「おなかすいた……」 「そういえば、もう昼時だったな」 「お食事はまだなのですか?」 「まだー」 「何しろ今日が初日だからな。食材すら調達していない」 「それは困ったねぇ。簡単なものなら僕が作れそうだったんだけど」 「光忠、ごはんできるの?」 「前の主の影響かな。人の身になったのは初めてだけれど、簡単なものなら作れそうだよ」 「それは楽しみですね」 「今後に期待するとしようか。取り敢えずは昼餉をどうするか……」
最悪付喪神である自分たちはなしにしても人間である少女には食べさせなければならない。しかし本丸に着いてから部屋を見て歩いただけで生活に関する補充は何一つしていない。よって予め用意されている畑も何もない状態だ。さてどうしたものかと三振りが首を捻っていると、こんのすけが口を開いた。
「食事でしたら端末で出前のようなものを注文出来ますよ」 「わざわざ隔離された本丸にまで届けに来るのか?」 「いえ、特殊な時空装置を使って転送するのです」 「本当に、現代の日の本は奇っ怪になったものだねぇ」 「全くですね。ですが、食事が用意出来るのでしたら助かりました」 「私生活に必要なものも粗方注文出来ることが可能ですよ」
こんのすけの言葉にこれ幸いと、取り敢えず必要なものを一通り注文しておく。備品などの消耗品はまとめて送られてくるのを待つとして、直ぐに必要なものだけ告げると玄関の方で何か物音がした。全員でぞろぞろと見に行けば、早速注文したものが届いたらしい。
「これ、無償ってわけじゃないんだろう?」 「生活必需品となるものは全て政府が負担していますよ。娯楽や趣味などに関するものは自費となります」 「成る程ね。取り敢えず、畑は食事のあとに取り掛かろうかな」 「いいにおいするー!ごはん、なぁに?」 「焼き魚の定食のようですよ」 「荷物は俺と燭台切が運ぼう。小梅と平野は食事をする部屋の準備を頼めるか?」 「かしこまりました。広間で用意させていただきます」 「小梅も、おてつだいするー」 「はい。では行きましょう、小梅様」 「うんっ」
なんとか食事にありつけた四名は楽しげに会話に花を咲かせながら昼を過ごした。少女から、鶯丸とずっと一緒にいるのだという話を聞いた。今は政府にいる担当のお姉さんの話。施設で出会った他本丸の刀剣男士の話。薬研の名が出てきて、平野は嬉しそうに彼は兄弟であると伝えると、少女は平野以上に嬉しそうに笑った。鶯丸からはこの本丸が他とは違い、通常の任務が免除されていると聞いた。月一の二回鍛刀、月に10回戦闘といった他とは違った任務が与えられているが、これも強制ではないらしい。しかし練度は上げておいて損はない。ただの刀であった時からほぼ実戦経験のない鶯丸と平野と違い、燭台切は実戦向きの刀であった為、戦には出たいようだ。平野も、主の懐刀として実力をつけたいと意気込んでいる。鶯丸と平野達では既に10程の練度差が出ていた為、燭台切はその差も埋めたいらしい。ならば、と鶯丸は編成などの出陣関係の仕事を燭台切に一任した。丸投げとも言う。
*
食事が済んだあとは畑に野菜の苗を植えたり、生活する空間を整えたりと忙しなく動いているうちにあっという間に夜になった。一日中はしゃいでいた少女は既に眠気に襲われているらしく、先程からこくりこくりと船を漕いでしまっている。
「床の準備が整いました」 「ありがとう。ほら、小梅」 「んぅ……」 「僕は厨をもう少し片付けてから休むよ。おやすみ、小梅ちゃん」 「おやすみ、みつただ……」
燭台切と別れ、平野の先導で鶯丸は少女を抱き抱えながら寝室へと向かう。審神者と刀剣男士の寝床となる部屋が集まるのは一の丸、鍛刀部屋や手入れ部屋、大広間などの作業空間があるのが二の丸だ。審神者の私室は一の丸の一番奥まった場所にある。
部屋に入ると、布団が二つ並んで敷いてある。一つは勿論少女のもので、もう一つは平野のものだ。平野個人の部屋も用意されているが、警護のため寝る時は彼と一緒である。部屋に向かっている間に鶯丸の腕の中で寝落ちてしまったらしく、少女は既に穏やかな寝息を立てていた。それを妨げないようにゆっくりと布団へ寝かす。
「よく眠っておられますね」 「随分はしゃいでいたからなぁ」 「ふふ、そうですね」
さらり、と額にかかる前髪を撫でるように退ける。
「平野も、顕現したばかりで疲れただろう。ゆっくり休むといい」 「はい。鶯丸様も」 「あぁ、おやすみ」 「おやすみなさいませ」
少女と並んで平野も布団に横になったのを見届けて室内の明かりを消す。人工的な明かりがないこの空間では、夜になれば文字通り暗闇状態だ。余計な光に邪魔されない無数の星ぼしが煌びやかに輝いている。太刀の性質上夜目が効かない鶯丸は月明かりを頼りに自室へと向かっていった。
*
鶯丸は宛てがわれた自室で久々……というよりほぼ初めて一人で眠っていると、不意に目が覚めた。戸の外はまだ暗く、夜明けは遠い。どうやら寝入ってからそれ程時間は経っていないらしい。それを理解すると同時に小さな足音が二つ近付いてくる気配がした。啜り泣きのような声も聞こえる。上体を上げて戸に視線を向けていると、二つの気配がその前で止まり、遠慮がちに声をかけられる。
「鶯丸様、お休みのところ申し訳ありません……よろしいでしょうか?」 「構わない、入っていい」 「失礼いたします」
障子が開かれるとその向こうには少し困り顔をした平野と、予想通り静かに啜り泣いている少女の姿。ぐっすりと眠っていた為大丈夫そうだと思ったが、どうやら途中で目が覚めてしまったようだ。苦笑いをしながら鶯丸はそっと手を広げた。
「おいで、小梅」 「ぐすっ……ぅ……」
平野に導かれながら鶯丸に近付くと、少女はゆっくりとその腕の中に潜り込んだ。啜り泣く声が少し大きくなり、ぐずぐずと鼻を鳴らしながら鶯丸の胸にぐりぐりと顔を押し付けている。
「一度目が覚めて、その時は手を握ったら安心して眠ってくれたのですが……どうやら二度目は耐え切れなかったようで。お役に立てず、申し訳ないです……」 「平野のせいじゃないさ。環境がいきなり変わったからな、仕方がない。寝付きが良いから大丈夫かと思ったが…平野も起こしてしまってすまないな」 「いえ、僕は問題ありません」 「そうか」 「はい。……この本丸は、主には静か過ぎるのかもしれませんね」 「そうだな」
隔離された特殊な空間であるこの本丸は、夜になればとても静かだった。草木も眠る、とはよく言ったもので、それこそ虫の音も風で揺れる音も一切しない。特殊であるが故、現代では感じる人工的な音も、自然の音もしない。それは、小さな少女にとっては耐えられないものだったらしい。
「泣き声が聞こえたから来てみたんだけど…主、大丈夫かい?」 「燭台切さん、起こしてしまいましたか」 「いや、これからだよ。それより、主はどう?」 「少し泣けばすっきりするだろう。……ほら、小梅。皆来ている」 「うぅ……」
開いたままの障子から顔を覗かせたのは燭台切だった。ぎりぎりまで厨の準備をしていたらしい彼は、終わって部屋に戻る途中で少女の泣き声に気付き、駆けつけてくれたらしい。部屋に入って平野と並びながら心配そうな顔をしている。すると、何かを思い付いたように手を軽く叩いた。
「そうだ。なら、今日は皆で一緒に寝ようか」
燭台切の明るい声に、ぐずっていた少女が顔を上げた。
「ぐす……いっしょ……?」 「それは良い案だな」 「よろしいのですか、鶯丸様」 「一人二人増えたところで狭くなる部屋じゃない、気にするな」 「じゃあ布団を持ってくるよ。平野くんは僕と一緒でも構わないかな?」 「勿論です、お願いします」
燭台切が部屋を出ていくのを見送る。顔を上げた少女の顔は涙で濡れていて、目は少し赤い。平野は用意していた懐紙で頬を拭う。
「あぁ、赤くなってしまっていますね……少々冷やすものを持ってまいります」 「すまないな、頼んだ」
続いて、平野も部屋を出る。二人がいなくなってしまったことに、少女は少し不安そうな顔を浮かべた。それに気付いて、鶯丸はそっと額を撫でた。
「すぐに戻ってくるさ。さぁ、良い子は寝る時間だ」 「ん……」
そう言って少女を自分の布団に招き入れて横にする。眠気はちゃんとあるようで目はとろんとしているが、不安の方が優っているらしく目を閉じることはしない。頭を撫でることでそれを宥めていると、濡れたタオルを持った平野と一式の布団を持った燭台切が戻ってきた。平野が持ってきたタオルを少女の瞼に当てて冷やし、燭台切は持ってきた布団を鶯丸の隣に敷く。二人が戻ってきたことに、少女は小さくほっと息をついた。
「皆一緒だ。大丈夫だろう?」 「うん……」
鶯丸と少女、その隣に平野が横になり、更に挟むようにして燭台切が寝る。相変わらずとても静かな夜だったが、皆が近くにいるという安心感がじわじわと湧き、閉じることを拒んでいた瞼がそっと閉じられた。一分と待たずに再び穏やかな寝息が聞こえ始める。それに安心した溜息が3つ程溢れた。
「何処までもご一緒いたします、小梅様」 「ちゃんと小梅ちゃんの近くにいるから、安心して眠って」
眠る少女に語りかける平野と燭台切の声はとても優しい。
「……ほらな、大丈夫だと言っただろう?」
鶯丸は愛おしそうに目を細めて笑いながら少女の頬を撫でた。
こうして少女の本丸着任一日目が終わった。
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