政府本部内にある、とある一室。神聖な空気に包まれたそこで厳かに行われるのは審神者の通過儀式。通路の両隣にずらりと役人が並ぶ中、少女は鶯丸に手を引かれながら歩く。通路の先には赤い鳥居がいくつも連なって続いていた。その鳥居が始まる手前に、少女の担当役人であるイロハが待っている。イロハの前で歩みを止めると、少女に視線を合わせるようにしゃがみこんで微笑んだ。

「今日から正式な審神者になるのね、おめでとう」
「うんっ ありがとう!」
「ふふ。でも……お姉さん、ちょっと寂しいなぁ」

 人懐っこい笑みを浮かべて自分を慕ってくれていた少女が、隔離された空間へと向かってしまう事にイロハは寂しさを感じていた。まだ30代の女性ではあるが、少女のことを妹…もしくは娘のようにすら思っていた。それでなくとも、まだ親に甘えたい盛りの幼い子供である。少女を守ってくれる絶対的な存在である鶯丸がいるにしても、心配をしないはずがなかった。
 優しく少女の頬を撫でていると、少女がその手にすりすりと顔を寄せて悲しそうに笑う。

「小梅も、おねーさんいないの、さびしい……」

 鶯丸のように毎日一緒にいるわけではなかった。それでも、忙しい時間の合間を縫って遊んでくれていたし、少女が施設内で十分な生活を送れるように色々なものを贈ってくれた。鶯丸とは違う柔らかな手つきで抱き締めてくれたこともあった。まるで、かつて母がしてくれたように。

 近しいものが離れていくという事に、少女は一種のトラウマを覚えていた。永遠に会えなくなる恐怖心を、既に知ってしまっていた。イロハと二度と会えなくなるわけではないとは理解していたが、それでもやはり寂しさは拭いきれぬ様だった。

 しかし、物悲しい空気のままではいけないと先に気を取り直したイロハがおどけた様な笑みを浮かべて少女に言う。

「魔法のボタンの使い方は、覚えているかな?」
「うんっ」

 魔法のボタン。少女は力いっぱいに頷くと隣にいる鶯丸を見上げる。その視線の意味を察して懐から取り出したのは審神者の通信端末。それを受け取ると、イロハに見えるように端末に指を滑らす。

「ここを、ぺいってして…ぽちってする!」
「はい、正解。ちゃんと覚えていて偉いね」
「えへへっ」
「その魔法のボタンを押せば、いつでも私と話せるからね。何かあったら……ううん、何もなくても、押していいからね」
「わかった!」

 少女は大切そうに端末を握りこんだ。それを見て、イロハはたまらず少女をぎゅっと抱き締める。小さい体を腕いっぱいに閉じ込めて数秒。吹っ切ったように体を離して立ち上がると、鶯丸に視線を向けた。

「心配など、必要ないとは思いますが……」
「無論だ。だが……」

 傍にいることが出来ない自分よりも、長いこと少女の近くにいる鶯丸の方が断然信頼できる。故に無用な心配だとは思っている。頭では、わかっているのだけれど。
 イロハのそんな葛藤を感じ取り、鶯丸は真摯な瞳を向けた。

「主を思ってくれて感謝する、ありがとう」

 鶯丸の心からの言葉に、イロハはぐっと口を結んだ。湧き上がる感情を抑えるようにして、深々と頭を下げた。

「……宜しく、お願いいたしますっ……」

 きっと、他に言うべきことがあったはずなのだけれど、これ以外の言葉は出てこなかった。

 一つ深呼吸をして気持ちを落ち着かせて顔をあげる。きりり、と気を引き締めると胸元のポケットから一本の小さな筒を取り出した。

「それでは、ナビゲーションを務めるこんのすけを喚ばせて頂きます。政府本部との連絡は主にこんのすけが務めます。小梅ちゃん、今から小梅ちゃんたちと一緒に行ってくれるお友達を呼ぶからね」

 そう言うと、イロハは取り出した筒を両手でパンッ!と挟んだ。瞬間、ぼふんっと音を立てて小さな煙が立ち込める。少女はその様子に驚いて思わず握っていた鶯丸の手を両手でぎゅっと掴んだ。しかしそれよりも好奇心の方が勝るらしく、鶯丸に寄り添いながらもその煙の先をわくわくと見つめていた。

「お初にお目にかかります、審神者様。これよりナビゲーション兼政府との橋渡しを務めさせていただきます、こんのすけと申します」
「わぁっ…!!」

 現れたのは一匹の管狐。白と黄色のふわりとした毛並みに、顔には朱色で模様が描かれている。イロハの言う“お友達”が小さな動物だと知って、少女はわっとこんのすけに近寄った。恐る恐る手を伸ばすと、こんのすけはそれを受け入れるように自ら頭を差し出す。ぽすん、と小さな手をこんのすけの頭に乗せてゆっくりと撫でる。撫でる度に小さく「わぁ」と嬉しそうな声を出している。

「かわいいっ こんこん!」
「ふふ、気に入った?」
「うん!いっしょにいけるの?」
「勿論。この子は小梅ちゃんだけのこんのすけよ」
「やったぁ!鶯丸、こんこんだよ!」
「あぁ、管狐だな。良かったな、小梅」
「よろしくお願いいたします、審神者様、鶯丸様」

 少女はまるでペットを得たように喜んでいるが、こんのすけはこれより少女の本丸の仲間の一員となる。まずは己の最初の役目を果たすため、ひょいっと軽やかに鳥居の前に座った。

「これより先、本丸への案内はこのこんのすけが」
「本丸に着任祝いを贈っておいたから、落ち着いたら見てね」
「わかった!イロハおねーさん、いってきますっ」
「えぇ……いってらっしゃい」

 挨拶を交わすと、イロハも他の役人と同じように列に並んで頭を下げた。“魔法のボタン”がある端末をぎゅっと握りながらこんのすけの前に立つ。

「本丸に着くまでの間、決して足を止めませぬよう」
「うん……」

 そう言うと、こんのすけが先駆けて最初の鳥居を潜った。少女は足を踏み出す直前に後ろを振り返る。頭を下げている為、イロハの顔は見えない。手を引かれる感覚がして前を向くと、鶯丸が優しい表情で見下ろしていた。

「大丈夫だ」

 たったその一言だけで、いろんな思いが綯交ぜになった感情が軽くなった気がする。こくり、と頷いて一歩、一歩と足を踏み出す。最初の鳥居を潜り、二つ目三つ目と足を進めて通り過ぎていく。最初のうちで鳥居の数を数えるのには飽きた。こんのすけの歩みが止まるまで、変わらぬ景色の中を歩き続ける。何処までも続く鳥居に少し不安になって歩みが止まりそうになる。しかしその度に鶯丸が手を引いてくれる。この手が繋がっていれば、絶対に大丈夫。

 どれくらい歩いたか。続く鳥居の先が段々と明るくなってきている。こちらが向かっているはずなのに、その光が迫ってくるような感覚がした。何だろうと首を傾げたその瞬間、少女の周りを光が包み、パッと弾けた。眩い光にぎゅっと目を閉じ、恐る恐るその両目を開ける。そして目の前に広がる景色に、少女はぱちぱちと目を瞬かせた。
何処までも続いているようだった赤い鳥居は何処にも見えない。代わりに目の前に見えるのは真新しい日本家屋。それ以外には何もなかった。大きな庭のようなものが見えるが、その庭を彩るものは何もない。

 いつの間にか足は止まっていた。先を歩いていたこんのすけもこちらを振り返って座っている。あぁ、此処が。

「ここが、小梅のおうちになるの?」

 期待がにじみ出た声で言う。

「はい。今日からこの本丸の主は審神者様でございます」
「わ、あ……!」

 嬉しさのあまり、鶯丸の手を離して目の前に広がる大きな庭に駆け出した。庭に面するように長い縁側があり、真新しい障子が張られた襖部屋がいくつもあった。

「おっきー!すごーい!」

 一通り庭を駆け回って辺りを見渡し、興奮冷めやらぬ様子で鶯丸のもとに戻る。いつの間にか縁側に座って待っていたらしい鶯丸の隣にはこんのすけも控えていた。

「満足したか?」
「ん!なかもみたいっ」

 はしゃいだ気分のまま、中を指差す。しかしその前に、とこんのすけが口を挟んだ。

「まずは本丸に審神者様の霊力を注ぎましょう。初期刀である鶯丸様もご一緒にお願いいたします」
「あぁ、了解した。おいで、小梅」
「はぁーい!」

 本丸に着任したばかりの審神者がまずやらなければいけないこと。それは真新しい本丸に己の霊力を注ぐことである。謂わば本丸とは審神者にとっての城であり、自分を守るための砦だ。更にはこれから顕現される刀剣たちの拠点でもある。本丸に馴染んだ霊気はそのまま結界の役割を果たす。そして顕現を果たした刀剣達が審神者から直接霊気を注がれずとも本丸内で暮らせる環境が出来上がる。主である審神者の霊力が本丸に、刀剣達に、馴染めば馴染む程その力を発揮する。
 そして、その霊力を最初に注ぐ場所が本丸の玄関になる。主の守りを受け入れる入口、または仇なす者を追い払う出口にもなる門。

 玄関の扉にはしめ縄がされていた。これに触れて霊力を注ぐことで、最初の儀式は完了する。通常ならば審神者一人でやるものだが、少女は多過ぎる霊力を上手く制御出来ない為、鶯丸に介入してもらうことによって放出のし過ぎを防ぐ。

 そっと手を伸ばしてしめ縄に触れると、その上に鶯丸の手が重ねられる。見上げた先の鶯丸が頷いたのを確認して、霊力を注ぎ始めた。何度繰り返しても未だ慣れない、霊力が内から引き出される感覚。湧き出る水とか、花開く蕾だとか、イメージをしながら行うと制御がしやすいと教わったが、まだ幼い少女では極端なイメージしか作れず、湧き出るというよりも噴き出してしまうし、花開く瞬間は満開だ。今回もそのイメージしか作れなかったが、余分に引き出された霊気を鶯丸が受け取っているため、放出は防げている。これは、少女の霊気に馴染んだ鶯丸だからこそ出来る介入だった。

 暫く霊力を注ぎ続けていると、しめ縄が光を零すようにしてふわりと消えた。

「……できた?」
「あぁ、一気に過ごしやすくなったな。良い霊気だ」

 周辺に満たされた少女の霊気に鶯丸は心地良さそうに笑った。瞬間、ふわりと暖かな空気が頬を撫でた。先程まで、物音一つ、それこそ風一つ吹いていなかった。これは、少女の霊気が本丸に馴染み変わった証拠だ。







 少女と鶯丸は早速本丸の中を探検していた。探検と言っても、あちこち部屋を開けて見て回る少女の後ろを鶯丸が付いて回っているだけだが。そして、大体が同じ造りの和室ばかりだった。
 とある一室を開くと、その部屋の中心に見慣れた箱と、見慣れない箱があった。見慣れた箱は、少女の宝物箱である。

「あっ 小梅の!」
「成る程。此処が審神者部屋になるんだな」
「はい、隣は近侍の待機部屋になります。お部屋の構成は後程変えることが可能です」

 宝物箱を抱えながら、少女は隣にあるもう一つの箱を見て首を傾げた。

「これ、なぁに?」
「それは審神者様の担当が贈られたものですよ」
「あぁ、イロハからか。着任祝いを贈ったと言っていたが、それか」

 イロハから、と聞いて少女は嬉しそうに箱を引き寄せた。色鮮やかなリボンを解いて、可愛らしい包装を剥がそうとするがテープの部分が見つからなくて苦戦する。見兼ねた鶯丸が代わりに包装を剥がしてくれた。わくわくと心を躍らせながら蓋を開け、中を見て驚嘆の声を上げた。

「わぁ!すごいっ これぜんぶ、小梅の?」

 中はまさに、おもちゃ箱だった。おもちゃ以外にも、女の子ならではの可愛らしいアクセサリーもあった。まだ読んだことのない絵本も。少女が本丸で楽しく暮らせるよう、ありったけの思いが込められていた。

「良かったな、小梅」
「うん、うんっ!」

 中から一つ一つ取り出してはじっと眺め、嬉しそうに笑う。その中でわからないものがあって、首を傾げる。

「鶯丸、これ、なぁに?」
「ん?あぁ……それは紙風船だな。こういうものも、まだあるんだな」

 貸してみろ、と言われてそれを渡す。紙のようなものがぺしゃんこに潰れたそれを少し広げ、小さな穴の部分に口を寄せる。そこから息を吹き込むと、ぺしゃんこだったそれがゆっくりと膨らんだ。少女は、わぁ!と嬉しそうに声をあげる。

「ほら、どうだ?」
「ふわってしてる!小梅もつくれる?」
「あぁ、此処……この穴に息を吹き込んでみろ」

 鶯丸に教わりながら、紙風船を膨らませる。色鮮やかな二つの風船が出来上がった。空気を含んだ軽いそれは、少女が軽く宙に放っただけでふわりと浮かぶ。嬉しそうにきゃっきゃと笑いながら鶯丸とそれを投げ合って遊んでいると、こんのすけが姿勢を正して二人に声をかけた。

「通常任務は免除されておりますが、最初の任務だけは必須になります。ご準備はよろしいでしょうか?」

 その問いに答えたのは鶯丸だ。

「あぁ、構わない。待たせてすまないな」

 そして、紙風船を持って不思議そうにしている少女に振り返る。

「初めてのお仕事だ、主」