広い廊下を一人で歩く少女の表情には少しばかり疲れが浮かんでいた。週に一度行われる霊力指導を受けた帰りだ。膨大な霊力を質・量ともに持つ少女だが、そのコントロールには些か手を焼いていた。有り余る霊力を制御しきれず、一度に大量に放出してしまうのだ。そのお陰で強力な結界を作ることが出来たわけだが、まだ小さい体では負担がかかってしまう。暴走を起こしたことがないのは幸いだったが、どちらにせよ第三者による介入で制御する必要があった。

 とにもかくにも、重い足取りで自室を目指す少女。早く鶯丸に会って、一緒にお茶を飲もう。大丈夫だと頭を撫でてもらおう。
 つらつらとそんな事を考えていると、がやがやと少し賑やかな声が聞こえた。進むにつれてその声は大きくなり、少女は思わずその部屋の前でぴたりと止まった。何かあるのかな、とぴょこぴょこと身を跳ねさせて中を覗こうとしていると徐ろに目の前の扉が開いた。え、と思ったときには既に遅く、不安定だった少女の体は扉の向こうからやってきた人影にぶつかり尻餅をついてしまった。

「わ、あっ!」
「だ、大丈夫ですか?!」

 少女に当たった人影が焦ったようにしゃがみ込み、手を差し出したのがわかる。大人しく伸ばされたその手を掴むと、酷くぎこちない動きでゆっくりと起き上がされた。次いで、すみません、と謝る声が聞こえたが通り道を塞いでしまっていたのは少女である。ちゃんと理解していた彼女は、ごめんなさいと謝ろうと顔を上げて目を見開いた。すごく、大きい。鶯丸も長身であったが、目の前の人はそれ以上である。顔の位置は少女が首を殆ど真上に傾けなければ見えないほどだった。大きい。
 対してその大きいひとも少女の小ささに狼狽えているようだった。しかしあまりにも少女にガン見されているので声を掛けづらい。すると、その人の後ろから「どうした、太郎?」と声をかけながら一人の男がひょっこりと顔を出した。その人は普通の身長、鶯丸より低いくらいの高さだった。それでも少女の目は目の前の男――太郎太刀に釘付けであった。少女の存在に気付いた後ろの男――太郎太刀の主である審神者が経緯を察し、少女に視線を合わせるようにしゃがみこんだ。

「ごめんな、怖かったか?でも、悪い奴じゃないんだ」
「……? 小梅、こわくないよ!」
「ははっ!そうかそうか。良かったな、太郎」
「……え、えぇ」

 怖くないという反応に、太郎太刀はほっとしたように息をついた。しかし、相変わらず少女は太郎太刀を見上げている。その視線が僅かきらきらと輝いているように見える。怖がられてしまうのも申し訳ないが、この視線も僅か耐えられない。どうしたものかと悩んでいると、少女の方が先に声をかけてきた。

「おにーちゃん、おっきいね!すごいっ」
「……えぇ、私は大太刀ですからね」
「おおたち!小梅おべんきょうしたから、しってるよっ」
「それはそれは。勉強熱心なのですね」

 少女は臆することなく話しかけてくる為、太郎太刀は幾ばくか緊張を解いて受け答えしていた。それを隣で眺めていた審神者はそうだ、と手を打って少女に笑いかける。

「どうせなら太郎に抱っこしてもらうか!」
「えっ」

 名案だとでも言うように提案した審神者に対し、太郎太刀は困惑した表情を向ける。しかし少女は先程よりも瞳を輝かせて太郎太刀を見ている。

「いいのっ?!」
「いいぞー。な、太郎?」
「……わかりました」

 審神者の有無を言わせぬ問い方に渋々と承諾する。人知れず溜息を吐いて少女を見ると、少女は腕を太郎太刀に向けて広げ、今か今かと待っていた。もう一度しゃがんで近づいてみても、それでも少女は小さく感じた。自分が抱き上げても大丈夫なのだろうか。自分と圧倒的に違う体格差に改めて戸惑う。しかし近付いてみて改めて感じた、心地よい気配。先程若干慌てたように部屋を出たのも、部屋の外から穏やかで清い霊気を感じたからだ。それは今も相変わらず感じている。この、目の前の少女から。太郎太刀はその気に惹かれるように恐る恐る手を伸ばした。大した力を加えずとも、少女の体は簡単に抱き上げることが出来た。ゆっくりゆっくりと膝を伸ばす。やがて太郎太刀と同じ目線まで抱き上げられると、少女は嬉しそうに声を上げた。

「わぁーっ すごいっ!たかいっ」
「……怖くはないのですか?」
「こわくないよ?」
「そう、ですか」

 あまりにもけろりと少女が答えるものだから、太郎太刀の方が動揺してしまった。小さな体が落ちないように支えながら、でも潰してしまわないように決して力は加えず。緊張感を感じながらも、こうして抱き上げたことで更に感じる清らかな霊気に太郎太刀はほう、と息を漏らした。するとこちらに向かってくる足音が聞こえた。人が行き交う施設内では誰が通っても不思議ではないが、その主を確認しようとする前に声をかけられた。

「随分と楽しそうな遊びをしてもらっているじゃないか」
「ん? え、あ、鶯丸…?」

 まず声の主を確認した審神者が驚いた表情を浮かべた。まさか施設内でレア刀剣と呼ばれる一振りに出会うとは思ってもいなかった。見たことがないわけではないが。
 鶯丸の姿を確認した太郎太刀、次いで気付いた少女が嬉しそうに鶯丸に手を振った。

「すっごくね、たかいんだよ!小梅、はじめて!」
「それは良かったな。良い眺めか?」
「うんっ!小梅、鶯丸よりおっきいでしょ?」
「そうだな、抜かれてしまったなぁ」

 ほのぼのと行われる会話の応酬。そして明らかに少女の扱い方に慣れている鶯丸の態度に首を傾げた。

「? もしかして、鶯丸はこの子の刀剣?」
「あぁ。太郎太刀が抱えている少女は俺の主だな」
「ほぇー……」

 この少女が…と審神者は感心したように少女に視線を向けた。が、太郎太刀は何処か納得していた。確かにこれ程までに清く気高い霊力ならば、稀少と呼ばれる刀剣を呼び出すことも出来るのだろう。現に、少女と気の繋がりがない太郎太刀が壁を隔てていても感じる程の霊気。気を繋いだ刀剣ならば尚更だ。
 三名の視線が少女に向けられている中、渦中の少女はきょろきょろと忙しなく視線を巡らせている。見慣れた景色も、見る角度が変わるだけで楽しくて仕方がないらしい。そしてその視線が天井に向けられて、止まる。

「とどくかな?」

 落ちないように太郎太刀の首に回していた手を離し、天井に向かって手を伸ばす。が、伸ばした手は空を切るだけだった。一度届きそうだと思うと試さずにはいられず、太郎太刀の腕の中で伸びをするようにして何度も手を伸ばす。それに焦ったのは太郎太刀だった。大きな動きではないが、腕の中でもがかれるとどうすればいいかわからない。天井に手が付けば満足なのだろうか?大きな施設な為、天井もそれなりに高い。が、太郎太刀の身長は2m以上もあった。抱え上げてやれば簡単に届きそうだ。

「持ち上げてあげますから、じっとしてください」
「うんっ」

 そう言って太郎太刀は一度少女を地面に降ろすと、腰の辺りを抱え直して再度持ち上げた。そのまま自分の頭上超えるまで手を伸ばして持ち上げてやる。先程よりも天井が近い。少女は精一杯に手を伸ばすと、指先が天井を掠めた。掌を付ける事は叶わなかったが、確かに触った感触に少女は歓喜した。

「とどいた!すごいっ」
「えぇ、良かったですね」
「お嬢ちゃんすげぇなー、俺じゃ届かないぞ!」
「へへっ 鶯丸!みた?小梅すごい?」
「あぁ、見ていた。凄いな、小梅」

 えへへ、と満足げに笑った少女はぱちぱちと手を叩いて大喜びしている。加えて周りから持て囃されてご機嫌だ。少女が満足したらしいと感じた太郎太刀は少女を地面に降ろす。興奮冷めやらぬ様子で太郎太刀を見上げて笑っていた。その少女の様子に、鶯丸がほっと息をついた。

「感謝する。少し心配で迎えに来たんだが……大丈夫そうだ」

 鶯丸は少女の疲労を感じ取っていた。それが霊気に関わるものであり、その変化は鶯丸にも伝わったのだ。故に迎えに出向いたところ、太郎太刀に抱き上げられて大喜びしている主を見つけた、ということだった。感情の流れ一つで気は変わるものだ。特に幼い子供ならば尚更。

「ありがとう!小梅、すっごくたのしかった!」
「えぇ……喜んでいただけたのならば何よりです」
「今度はぶつからないように気をつけてな、お嬢ちゃん」
「うんっ」

 力いっぱい頷いた少女は二人に手を振って鶯丸に近付く。鶯丸も二人に向かって目礼をすると少女の肩を押して離れていった。少女は嬉しそうに鶯丸を見上げて何やら楽しそうに話している。少女の話に鶯丸は逐一相槌を打って丁寧に受け答えしていた。すると途中で少女が鶯丸に両手を広げ、抱っこをせがむ。鶯丸は伸ばされた腕を掴むと、勢いよく上に引き上げた。突然に浮遊感に少女が声を上げる。しかしそれは絶叫ではなく、嬉しそうにはしゃぐ声だった。「もいっかい!」と更に少女が強請る。もう一度伸ばされた腕を勢いよく引き上げる。そして浮いた体はそのまま鶯丸の胸に受け止められ、少女と鶯丸の楽しそうに笑う声が廊下に響く。鶯丸に抱き上げられた状態でまた歩き出すと、背後で未だこちらを見つめる太郎太刀に気がついた。少女はにっこりと笑いながら太郎太刀に向かって手を振った。それに応えるように、太郎太刀も小さく手を振った。
 あぁ、自分は戦うために現世に呼ばれた存在だというのに。平和だと、感じてしまう。

「子供は可愛いな〜」
「えぇ、そうですね」
「お?太郎、小さいものは苦手じゃなかったか?」
「私が、恐れられてしまいますからね……」
「でも、あの子は怖くないってよ」
「……えぇ」

 本丸に戻ったら、少し短刀たちの輪に入ってみようかと決意した太郎太刀であった。





 しかし、そんな少女を見つめていたのは太郎太刀らだけではなかった。





「可愛いなぁ、あの子。欲しいなぁ」

あの子じゃわからん その子じゃわからん

「どうしたらいいかなぁ」

相談しましょう





「僕のところに、隠しちゃえばいいか」

そうしましょう