アリスが館内を覗き込むと、既にコートの準備が終わっている状況だった。手伝おうと思っていた出鼻をくじかれたが、ならば音駒のマネージャーさんは何処だろうと辺りをキョロキョロと見渡す。しかしそれらしい人物は見当たらない。ドリンクでも作りに行っているのだろうか。仕事が終わっているのならば選手と一緒に外にいただろうし、此処にはいないのかもしれないと思ったアリスは皆の元に戻ることにした。
「はぅっ?!あっ、も、一人……マネッ……あぁぁぁあ〜!」
すると、扉を開けて出たところでモヒカンの男が突っ込んできた。が、アリスの姿を見た瞬間にピタリと動きを止め、奇声を発しながらグリンと方向転換をして走り去ってしまった。その後ろを、恐らくモヒカン君の後輩であろう二人が「タケトラさん逃げないで〜」と追いかける。
「……虎が脱走したのかぁ」
こわー。ぼんやりとそう思いながら走り去る赤いジャージを見送っていると潔子が近寄ってきた。
「いた?」 「居なかったです〜。コートの準備も終わってて……ドリンク作ってるんですかね〜」 「そうかも。私たちも準備済ましちゃおうか」 「はぁい」
再び中に入るとユニフォームに着替えた部員たちがそれぞれウォーミングアップの準備を行っていた。アリスも適当なところに荷物を置いて中からスポドリの粉末を取り出していると、不意に自分を中心に影が出来た。しゃがみこんでいるアリスの後ろに誰かが立っているようで不思議に思いながら振り返ると、まず目に入ったのは真っ赤なジャージ。烏野の誰かと思いきや、まさかの音駒の方。まぁ烏野の誰かなら背後に立たず名前を呼ぶだろう。足元からゆっくり顔を上げると、顔を確認するまでに相当首を持ち上げることとなった。この人、背が高い。月島と同じくらいかなぁと思いながら立ち上がって視線を合わせる。しゃがみこんだままだと首が痛くなるが、立ち上がれば身長差はあまりなくなる。
「? 宜しくお願いしま〜す」 「宜しくお願いします」 「………?」
取り敢えず挨拶してみた。挨拶を返された。先程途中で抜けたから、わざわざ挨拶をしに来てくれたのかと思ったがそのまま立ち去る様子はない。
「こないだ会いましたね」 「? 初めましてでは???」 「槻木澤」
つきのきざわ。つきのき……槻木澤!
「あー……あぁ〜」
思い出したのは日向迷子事件。ロードワーク中に一人走り去って居なくなってしまった日向と、探しに残った菅原を見つけるために駆り出された時。たまたま通りがかった槻木澤の入口で、そういえばすれ違った人だ。真っ赤なジャージ、やっぱり此処で見ないものだと思えば東京の学校のものだった。しかも音駒。部員より先に会っていたとは驚きだ。
「まさかあの時の美人が烏野のマネージャーだとは思わなかったわ」 「わたしもあの派手ジャージさんがねこさんだったとは」 「猫さんじゃなくて、黒さんね。黒尾鉄朗」 「ご丁寧にどうも〜。東雲アリスです〜」
挨拶ついでに、気になっていたことを聞いてみた。
「ねこさんのマネージャーさん、どこですかー?」 「あぁ、うちマネージャー居ないんだよ」 「あら〜。どーりで見つからないはずです〜」
マネージャーは存在しなかった。わざわざ東京から遠征に来ているのにマネージャーが不在では不便もありそうだ。いや、寧ろ居ないことに慣れているのだろうか。すると、音駒の監督との挨拶を終えた武田先生から呼びかけられた。そばには潔子もいる。ぺこり、と黒尾に頭を下げてその場を離れる。
「なんでしょ〜」 「東雲さん、音駒の主将と知り合いなんですか?」
なんと、彼は主将だったらしい。知り合いと言うほどお互いを知らないし、ついさっき名乗りあったばかりでそれ以外のことは何も知らない。寧ろたった今武田先生によって新たな情報を得たくらいだ。
「黒猫さんは初めましてさんです〜」 「アリスちゃんて意外とコミュ力あるよね」
人形みたいに表情が殆ど変わらない為に愛想がなく取っ付きにくい性格に思われがちだが、中身は基本的にゆるっゆるである。伊達に残念な美人と呼ばれてはいない。
「なら東雲さんにお願いしようかな」 「何の話です〜?」 「音駒にはマネージャーが居ないらしいの」 「あ〜、くろーさんに聞きました〜」
早い話が、潔子かアリスか、どちらかを音駒につけるという話になったらしい。臨時マネ、という程仕事を全部やるわけではなく、セット間にタオルやドリンクの補充を行うだけ。足りなくなったドリンクを補充する為にコートを離れなくてはならず、マネージャーの居ない音駒ではそれはベンチにいる選手が行う。スタメンではないが、わざわざ遠方まで来てマネージャー紛いの仕事をするだけでは可哀想だ、と武田先生は思ったらしい。ベンチからでも、得られるものはある。それを他の仕事で潰されるのはあんまりだ。
「おっけーですよ〜」 「スコアはやらないで、ドリンクの補充がメインになると思います」 「じゃーベンチは烏野のままでいーんですね〜」 「はい。ただ他に頼まれることもあるかもしれないので、覚えておいてください」 「ガッテンですよ、武ちゃんせんせー」
*
「やぁやぁ我こそは〜」 「東雲さん」 「冗談です〜」
そんなわけで早速音駒の方々に改めて挨拶に向かったアリス。掴みは大事だろうと口にしたおフザケは隣にいた武田先生により早々に打ち止めされた。黒猫さんは顔を背けて声を出さずに笑っている。肩揺れてるのわかってるからな。
「なんか雑用あったら言ってくださーい。よろしくお願いします〜」 「「しアッス!!」」
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