「……えと、なんスか?」

 私は今、自分の席に座る黄瀬の目の前で仁王立ちをしている。硬い表情で、威圧感たっぷりに見下ろす私に黄瀬はドン引きだ。

「……昨日、もっかい見に行った」
「知ってるっス。随分隅っこにいたっスね」

 くそう……先輩には気付いてもらえなかったのに。黄瀬のことなんか一瞬も見ていなかったから黄瀬に気付かれていたなんてわからなかった。

「私、海常に来る前から先輩のこと好きで、先輩に会うために此処に来たの」
「えっ、まじっスか!意外と一途なんスね」

 意外、は余計だこの野郎。

「私は先輩の優しくて誠実なところしか知らないし、あまり信じたくないけど……昨日見た先輩も、多分本当なんだと思う」
「多分どころか、本性っスよ」
「ぶっちゃけ戸惑ったし、私が勝手に良いイメージ抱いていただけで本当に遊び人だったらどうしようって思った」
「遊び人って程じゃないっスけど、女の子大好きなのはガチっス」

 こいつ、いちいち茶化さないと気が済まないのか?

「……それでも、やっぱり好きだって思ったの。バスケしてるとこ、めちゃくちゃかっこよかったし」

 女の子が好きというのは本当のことなのだろう。その事実に戸惑いはするけれど、それでも良いと思った。なら、私だけを見てくれるようにいっぱいアピールして、私だけを好きと思ってくれるように努力すればいいんだ。
 そう意気込んだ私に黄瀬は少し困った表情をしたあと、はぁっと溜息を零した。そして、あの張り付けたような笑みではなくて、やんわりと目を細めるような優しい笑みを浮かべた。

「……本気なんスね。わかったっス、出来る限りのことは協力するっスよ」
「っ、……ありがとう!」

 昨日、やめた方がいいと私を止めたのは黄瀬なりの思いやりだったんだろうけど、思いを止められるよりは後押しされる方がずっと良い。

「まずはどうやって先輩に認識してもらおうかな……」
「良い案があるっスよ!」
「ほんとに?黄瀬くんって意外と頼りになるね」
「意外は余計っス!」
「あんたもさっき余計だったよ」

 自分のことは棚に上げてこの野郎め。

「放課後、何か予定あるっスか?」
「今日?特には……ギリギリまで練習は見に行くけど」
「じゃあ終わるまで待ってて」
「……は?いや、バスケ部何時に終わるの」
「んー……19時くらい?」
「三時間……」
「図書室で勉強でもして暇つぶししてたらいいっス」
「そんな真面目そうに見える?」
「全然っスね!」
「黄瀬お前この野郎」

 もはや敬称は外れた。いらん、こいつに丁寧に“くん”呼びなんていらん。

「まぁ、この俺に任せとくっスよ!」







 ブー…ブー…と、ポケットに入れていたスマホの振動ではっと目が覚めた。バスケ部の部活が終わるまでの暇つぶしで図書室に来てみたものの勉強をする気はしないし、読書もあまり得意ではない私は案の定静かな空間にゆったりと眠気を誘われてしまい、いつの間にか落ちていた。やばい、今何時だ。もしかして寝過ごした?バスケ部とっくに終わってる?
 慌ててスマホを付けると一件の通知。お馴染み、緑のアイコンのトークアプリだ。送信者は黄瀬。部活が終わったら教える、と連絡先を交換したのだ。

<今着替えてるとこっス!5分くらいしたらゆっくり正門まで来て>

 良かった、まだ居る……じゃない!どうしよう、ちょっとメイク崩れちゃったかな?髪も梳かさないと!と、私は慌てて鞄からコンパクトミラーを取り出した。変なところはないかな、と隅々までチェックをして、髪も綺麗に梳かしてセットをした。制服も綺麗に整えて、よし!と気合を入れる。あ、別にこれらは全部黄瀬の為ではなくて、もしかしたら部活終わりの先輩に会うかもしれないという期待から出ている気合であって、断じて黄瀬の為ではない。まぁ、会えなかったら無駄に終わるのだけども……
 一通り身嗜みを整えた後は、ひたすらスマホの時計とにらめっこ。別に時間きっちりでなくてもいいのだろうけれど、黄瀬から連絡が来てからぴったり5分経ったことを確認してからすぐに図書室を後にした。黄瀬は一体どんな提案をしてくれるのだろう。わざわざこんな時間まで待たせるくらいだから相当自信があるのだろう。経験豊富そうだもんね。
 ゆっくりとは言われたけれど気持ちが逸ってしまっているせいか、少し早足になっているのは否めない。その度に「ゆっくり、ゆっくり……」と小さく呟きながらスピードを緩める私の姿は相当滑稽だろう。こんなところを森山先輩に見られたら死ねる。

 進学校で、部活にも力を入れている為に生徒ですら迷いそうなほど広い校舎を歩いてなんとか正門まで近付いてきた。すると、同時にざわざわと複数人の話し声も聞こえてきた。バスケ部以外にも遅くまでやっている部活があるんだな、とそちらに目を向けて固まった。バ ス ケ 部 だ。
 恋の力とは恐ろしいもので、距離があってしかも複数の人が固まっていても大好きな人というのは直ぐに目に入ってしまうのだ。森山先輩に会えたという喜びで視線を釘付けにしていると端にちらつく黄色い影。お呼びでない。

「あれー、桐島さんじゃないっスか!」

 黄瀬の声に反応して、バスケ部の皆さんの視線が一斉に私に向く。勿論森山先輩もこちらを向いて、先輩を穴が開くほど見つめていた私は当然目が合った。瞬間羞恥心が勝ってバッと視線を逸らして黄瀬に目を向ける。というか、待っていろと言ったはずなのに偶然会いました、みたいな台詞はなんなんだ。それともそういう設定?偶然居合わせたように装って、先輩に私を認識、あわよくば名前も覚えてもらえるかもという作戦?……黄瀬、なかなかやるじゃない。

「あ、黄瀬…………くん」

 先輩の前だから、とつい取って付けた様に付け足した敬称。

「偶然っスね!何してたんすか?」

 あ、やっぱそういう設定なんだね。了解、把握した。

「えと、図書室でちょっと……」

 寝てました、とは馬鹿正直には言えない。

「へー、勉強家っスね〜」

 お前絶対そう思ってないだろう。数時間前に言ってたこと忘れてないからな。でも先輩からの好感は悪くないと思うので良しとする。
 私としては今のところこれだけで大満足だった。偶然居合わせました作戦はなかなか良いサプライズだったし、体育館で眺めているよりもずっと近い。まぁ、初めて会ったときは泣いているのを気付かれる程の距離だったわけだけども。でも、先輩を好きだと認識してからは意識しすぎてまだ直視できない。黄瀬と話している今も、先輩がこっちを見ているんだと思うと緊張で口が渇く。明らかに口数が減っているであろうことが黄瀬にもわかるだろう。

 しかしなんと、黄瀬の作戦はこれだけではなかった。

「女の子が一人で帰るのは危ないっスよ、一緒に帰らないっスか?」
「……えっ」

 先輩の方は見られないけど、そちらの方向に神経を尖らせて意識していたら反応が遅れた。ちょっと待てよ……黄瀬最高かよ……

「先輩たち、いいっスか?」
「あぁ、女の子の一人歩きは危険だからな」

 黄瀬の言葉にすかさず返事を返してきたのはあの優しい声。忘れるはずもない、森山先輩の声だ。あぁ、やっぱりとても優しい人。あのナンパ現場は先輩に夢見ていた私にはとても衝撃的だったけれど、女の子に対してとても紳士的なんだと思えば問題ない気がしてきた。ちょびっとだけ。

 何はともあれ、これはとてつもないチャンス。先輩とたくさん喋って私を覚えてもらって、仲良くなって連絡先をゲットしてみせる!と、頭の中で意気込んだものの現実ではそんな上手くいくはずもなく。というか、私が緊張しすぎて先輩と話すことが出来なかった。時々黄瀬が気を利かせて先輩に話を振って会話に混ぜようとしてくれていたけれど、歯切れの悪い言葉ばかりが出てくる。これ以上はボロが出そう、黄瀬も私が緊張しすぎているのを悟ったのか、無理に先輩と絡ませようとする会話は減った。そのおかげで、意識は先輩に向いていたけれど下手を打つことはなくなったと思う。ただし、黄瀬とばかり話していたんだけれど。

 これが最悪のカウントダウンの始まりだったなんて、おバカな私は全然気が付かなかった。