黄瀬からあの人の名前を聞き出すというミッションをクリアした私は非常にテンションが上がっていた。頭の中で何度も何度も繰り返すその名前、響きだけで幸せな気分に浸れる。しかしそんな上機嫌な私とは逆に、隣を歩く黄瀬は酷くげんなりしていた。何だ、そんなに自分に好意を持たれないのが気に入らないのかこの男は。

「……何なの?」
「いや……あの、本当に森山先輩がいいんスか?」
「うん」
「俺よりも?」
「黄瀬くんって頭沸いてんの?」
「酷いっス!」

 酷いのは君の思考では。

「うーん……」
「ねぇ、本当に何なの」

 自分が好かれないことよりも、私が森山先輩のことが好き、ということに対して渋っているようで、流石にこっちの機嫌も降下してくる。せっかくの良い気分が台無しだ。

「いや……あんまり人の恋路を邪魔するようなことしたくないんスけど、」

 じゃあすんなよ。

「あの人、ぶっちゃけ凄い残念な人なんでやめた方がいいっスよ」



「……はぁ?」

 私の口から出たのは、余程女の子が出すとは思えないほどに低く底冷えしたような声だった。案の定、隣の図体がでかい男はビクリと体を跳ねさせてびびっている。

「いやっ、先輩としてはまぁ、良い人だと思ってるんスけど!でも彼氏にするのはオススメしないっていうかっ」
「喧嘩売ってんの?」
「事実を言ってるんスよ!あの人顔はイケメンだけど、無類の女好きっスよ!」

 流石にカチンときた私は無言で黄瀬に腹パンを食らわせてやった。ぐえっと蛙が潰れたような声を漏らしてその大きな体を折り曲げている。ざまぁみろ。

「ぐっ……いいもん持ってるっスねっ……」
「もう一発欲しいって?」
「言ってないっス!」

 黄瀬の話には何の信憑性も感じられなくて思わず鼻で笑いたくなった。だって、あの人がとても優しいことはもう知っている。初対面の全く知らない女の子に傘をあげちゃうお人好しだってことも。女好きなら、あそこで引き下がるなんてしなかっただろう。

「実際見てみたらわかるっスよ」
「見てみるも何も、もう知って、」
「あ、噂をすれば!」
「えっ」

 あっと声を上げた黄瀬が指さした方向にぐりん、と勢いよく顔を向けた。昨日に引き続き今日も会えるなんて!とわくわくした気持ちで見つめた先には森山先輩……と、知らない女の人。多分、先輩。え、嘘……もしかして彼女?あぁでもあんなにかっこよくて優しいんだもん、彼女くらいいる「どこ行くの?自動販売機?じゃあそこまで俺とデートしよう」……ん?

「デートって、50mもないじゃん」
「女の子と二人で歩くならデートだろう」
「極端過ぎない?」
「じゃあ本当にデートしない?」
「しない」

 え。え。……え?

「……わかったっスか?」

 いや、待って。なにあれ。本当にあの雨の日に私に傘を差し出してくれた人と同じ人物なの?
 流石にこれで百年の恋も冷める、とまでは行かないけれど、勝手に森山先輩のことを優しくて誠実で紳士な人だと思い込んでいた私を戸惑わせるには十分な場面だった。50mのデートを、求めているだなんて。

「……いや、待って。あれだけで女好きとは限らな」
「やぁ!君可愛いね。一年生?」
「…………」
「元気出すっスよ。もっと良い人がいるっス」

 俺とかね、とかなんとかぶん殴りたくなるような台詞が聞こえたような気がしたが、そんなことにいちいち構っている場合ではなかった。うそ……でしょ?







 あれから教室に戻ると何故か男子には黄瀬に興味がない奇跡の女子として支持をされ、黄瀬ファンの女の子からは安全パイ+情報源として何故か持て囃された。まぁ、「黄瀬くんに啖呵切るなんて生意気なのよ!」って虐めコースに行くよりは黄瀬の情報を横流しする方がマシである。しかし横流しできる情報があるほど仲良しでもない。寧ろファンの子たちの方が詳しいのでは?というか、奇跡の女子って。黄瀬どんだけよ。

 って、黄瀬のことはどうでもいいんだ!今の私は、あの現実をどう受け止めるかということが一番の問題なわけで。遊び人には見えなかったけれど、黄瀬だってチャラい見た目のわりに好きな女の子にはちゃんとするみたいだし、やっぱり見た目だけでは判断出来ない。でも、相手の女の人の反応からすると、物凄い遊んでる感じではないみたいだった。はいはいいつものいつもの、って感じで流しているようだったし、よくあることなのだろう。……いや、それもどうかと思うけれど。

「……もっかい、見に行こう」

 いろいろと考えるのは苦手だ、頭が沸騰しそう。さっきは突然の出来事で動揺してしまったけれど、そのことも含めてもう一回森山先輩に会いたい。戸惑いはしたけれど、だって、そんなに簡単に諦められるわけがない。







 今度は友達に引き摺られる形ではなく自分の意志で体育館へと行った。相変わらず黄瀬を見に来た友達には、やっぱり黄瀬を見に来たのかと聞かれたけれど、ばっさり違うと言い切っておいた。教室でクラスメイト全員の前で啖呵を切ったおかげですんなりと引き下がってくれる。
 本練習が始まる前の僅かな間だけ許される見学。部員が多いせいか、その僅かな時間でも貴重なようで入ったばかりの一年生たちがこぞって積極的に練習をしている。それを上級生も理解しているようで、コートを占領しないように少しだけ時間をずらしてやってくるようだ。だから、森山先輩を見ることが出来るのは本当に、本当に少しだけ。周りの女の子たちが黄瀬に声援を送る中、私は入り口に視線を釘付けて、先輩が入ってくるのを今か今かと待っていた。そして。

「あっ……」

 思わず身を乗り出して手摺を掴んだ。入ってくるのがすぐわかるように、と入り口近くの隅っこにいたからか、私を妨害するものはない。じ、っと食い入るように先輩だけを目で追った。黄瀬への声援が気になるのか、不意に先輩が二階の客席に目を向けた。が、隅っこにいる私とは目が合わない。

 こっちを、見てほしい。

 しかし、そんな祈りが伝わるわけもなく、視線を逸らした先輩は黄瀬に肩パンを食らわしてさっさと練習を始めてしまった。黄瀬が何か文句を言っている、生意気な奴めそこ変われ。

 ダムダムとボールが床を叩く重たい音が響く。昨日は、やっと会えた嬉しさで半ばぼんやりとしながら先輩を見ていたけれど、今日は少し冷静に見ることが出来ている気がする。それでも、ゴールを見つめる涼しい目元だとか、服を着ていてもわかるがっしりと鍛えられた体だとか、ボールがネットを潜った瞬間に見せる僅かに口角を上げた誇らしそうな表情だとか。二階席にいるはずなのにまるですぐ傍で見ているみたいに、先輩だけがはっきりと見える。冷静に見れていると思っていたのに、ドキドキが止まらなかった。

 やっぱり、わたし、森山先輩が、好きなんだ。



title:へそ様