お人好しなあの人から傘を借りたものの既にびしょ濡れだった私は、結局あの後風邪を引いてしまい数日間寝込んでしまった。学校で元カレと会うのも気まずかったし、ちょうど良かったかもしれない。でも何より戸惑ったのは、熱に浮かされた中で考えていたのが元カレではなくお人好しなあの人のことだったこと。私のせいで濡れてしまったあの人はあのあと大丈夫だったのかな。風邪を引いてしまってはいないかな。随分背が高かったけれど、何かスポーツはやっているのかな。バレーとか、バスケとか。海常はスポーツに力を入れている学校だから、何かしらの部活には入っているんだろうな。授業は真面目に受けるタイプかな、こっそり携帯とかイジっていたりするのかな。お弁当派?購買派?見ず知らずの女の子に傘を渡しちゃうくらいにお人好しで優しいあの人はきっと友達も多いんだろうな。……彼女、いるのかな。
 そこまで考えて、もぞもぞと顔まで布団の中に潜り込んだ。少し息苦しかったけれど、それどころじゃない。考えれば考えるほどドキドキし過ぎて心臓が破裂しそうだ。発熱しているせいか、はたまた別の理由か、体中が熱くてたまらない。いや、風邪を引いているから寒いんだけれども。でも、熱い。馬鹿な私でもここまで考えれば流石にわかる。あーもう。

「……すきになっちゃった……」







 名前も知らないあの人を好きになってしまったと自覚してからは、私の環境はがらりと変わった。元々好きになったら一直線な私は、あの人と同じ高校を受けようと決めた。それを両親や担任に伝えたときは、揃って「お前じゃ無理だ」と言われた。それも当然、勉強なんて全く得意ではないし、テストの順位なんて後ろから数えたほうが早いくらいだ。それでも海常に行きたいという意志は変わらなかった。だから、死ぬ気で勉強した。今まではわからないままで放置していたことも積極的に先生に聞きに行ったし、両親に頼み込んで塾にも通わせてもらった。最初は無理だ無理だと言っていた周りも、私の態度に感化したのか段々と応援してくれるようになった。担任なんかは、海常入試の過去問やら、私の苦手分野克服の特別補習を開いてくれたりもした。休み時間も絶えず問題と睨めっこをしている私を、クラスメイトが遠巻きに見ていたのは知っていた。彼氏に振られたせいで気が振れたのか、とも噂されていたのも知っている。でも、そんなことは全く気にならなかった。どれだけ周りにからかわれて元彼の話を出されようと、あの人のことを思い出せば笑い話にすら出来た。……でも、当の本人をたまに見かけた時は、少しだけ、ほんの少しだけ心が痛んだ。

 そして、血の滲むような努力の結果、私は海常高校に合格した。両親は目が飛び出るんじゃないかと思うくらいに驚いていたし、担任なんかは涙を流して喜んでくれた。
 これで、あの人と同じ学校に通える。あの人にもう一度会える。そんな喜びでいっぱいだった私は、大事なことを失念していた。







 合格時の天にも昇るような夢心地から一転、私の気分はどん底まで沈んでいた。良く言えば一途、悪く言えば猪突猛進。海常高校に受かることだけを考えていた私は、他のことなど全く考えていなかったのだ。
 晴れ晴れとした高校生活を迎えた私は早速あの人を探しに校舎へ繰り出そうとした。私のこと覚えてるかな、今度傘を返すと言えばまた会える約束が出来るかな。クラスはわからないけど、何組なんだろう。……そもそも、何年生なんだろう。そこまで考えて、足が止まった。私はあの人が必ず此処にいるということしか考えていなかった。もし、私と会った時、あの人が三年生だった場合……既に卒業していて、此処には、いない。その可能性に全く気付かなかったのだ。そう思った途端探しに行く気力はなくなり、踵を返して自宅へと戻った。家を出た時と全く違うテンションの私に両親は不思議そうにしていたけれど、それどころではない。どうしよう、どうしよう。まだ卒業したと確信したわけではないが、可能性はゼロではない。そもそも、あの人が確実に居る去年のうちに傘を返すという名目で会いに行けば良かったのでは?と思わなくもないが、あいにくあの時の私はあの人と同じ学校に通うという甘いスクールライフを夢見ていたおかげでそんなことはすっぽりと頭から抜け落ちていた。やっぱり私は馬鹿だった。







 夢見ていたスクールライフが崩れようがなかろうが、入学したからには通わなければならない。死ぬほど勉強したおかげで高校生になってもなんとか授業についていけられてはいるが、気を抜けば一気に置いていかれる気がする。泣いて喜んでくれたあの先生の恩義に背くようなヘマは避けなければ。それでも、やはり頭の中に常に存在しているのはあの人のこと。名前は勿論のこと、部活に入っているかどうかもわからないものだから聞いて回ることも出来ない。だから探すなら自力で探す他なかった。見つかるかどうかの可能性は半分だけれど、やるしかない。

 取り敢えず、暇になる放課後に部活を見て回ることから始めることにする。今日はサッカー部でも見てこよう。……帰宅部の可能性も無きにしも非ず、だけれど希望は捨てては駄目だ。心が折れる。LHRが終わり、いざ!と意気込んだ私の勢いを呼び止める声がした。

「ねぇ、バスケ部見に行こうよ!」
「バスケぇ?」

 同じクラスになって最初に仲良くなった女の子だ。バスケ部も勿論見るつもりではいたが、今日はサッカー部を見に行くと決めた今、気があまり乗らない。しかし目の前にいる彼女には伝わらないのか、酷く興奮した様子で頬を紅潮させている。

「なんかあんの?」

 私のその言葉に、彼女は待ってましたと言わんばかりに瞳を輝かせる。

「何って、黄瀬くんが居るんじゃん!黄瀬涼太!」
「きせー……あぁ、あいつかー」

 きせりょうた。確か同じクラスのやつ。当の本人は既に部活に向かったようで教室には居ない。モデルをやっているようで、女の子達が色めき立っていたような気がする。確かに背が高いし整った顔をしていると思う。が、しかし。私の頭の中はあの人一色なので全く興味はなかった。表すなら( ´_ゝ`)フーンである。興味のない黄瀬の姿を見るよりも私には成さねばならない使命がある。デルモくんにかまけてなどいられない。しかし既に瞳をハートに揺らしている彼女はそんな私の事情などお構いなしにぐいぐいと体を引きずっていく。ちょ、ま……力強すぎませんか。







「……なんじゃこりゃ」

 体育館に近付くにつれて聞こえてくる黄色い声に嫌な予感はしていたが、これは酷い。体育館の入口からコートを見下ろせる二階席まで女の子が犇めいている。もはや海常中の女子生徒がいるのでは?黄瀬が何かをする度に上がる黄色い声。その声援に応えるように手を振れば、いっそ悲鳴に聞こえてくる。怖い。というか、練習の邪魔になるのでは……
 まだ各々がウォーミングアップをしている最中で、本格的な練習は始まっていないようだが、これはそのうち注意されるレベルだと思う。モデルパワーやばいわ。あいにく私は黄瀬に捧げる黄色い声などないので、応援そっちのけで本来の目的を果たすことにした。ほかの部活で見つからなければいずれバスケ部も探す予定だったし、順番が変わったと思えば良いや。私を此処まで引きずり込んだ友達はすっかり黄瀬に夢中のようで、私の存在など忘れている。別に私が来なくても良かったんじゃ……
 しかしその思考は直ぐに覆され、私は友達に足を向けて寝られないような大恩を受ける事になる。

「え……」

 遅れてやってきたらしいその人。遠目から見てもわかる涼しげな切れ長の目。さらり、と利発的に整えられた黒い髪。鍛えられたすらりとした体躯。あの日、私に傘を押し付けた優しい手にはバスケットボールが握られている。

「みつ、けた……」



title:箱庭様