「なんだ?珍しく人が居ねぇな」 「貸切状態みたいですね」
いつもはそれなりの人で賑わっているストリートテニスコート。しかし今は人っ子一人見当たらず、がらんとしたコートを静静とライトが照らしている。
「ゲーム出来ないね。ここ、ダブルス専用なんでしょ」
1つしかコートがないこの場所は、ダブルス専用の場所となっている。勝てば次の相手と対戦出来、負ければコートから出される。
「居ないなら仕方ねぇ、シングルスでやるか」 「奏音さん、やりますか?」 「んー、最初は見てようかな。亮と鳳がやりなよ」
鳳が奏音を気にする素振りを見せる横で、宍戸はさっさとジャージを脱いでラケットを取り出している。譲る気はないらしい。斯く言う鳳も宍戸とゲームするのが嬉しいのか、どうぞと言われれば嬉しそうに笑顔を見せた。
「よし、やるか長太郎!」 「はい、宍戸さん!」 「取り敢えず3ゲームでやるか」
散々部活で動き回った後だというのに、現役運動部は流石体力が有り余っているらしい。いや、ただテニスが好きすぎるだけなのかもしれないが。 鳳がサーブを取り、感触を確かめるようにトントン、とボールを突いている。
「鳳、サーブで1ゲーム取っちゃえ〜」 「相変わらず後輩贔屓かよっ」 「でかくても後輩は可愛い」 「頑張りますっ」
とは言いつつも、宍戸は鳳のサーブには難なく追いつけてしまうので恐らく無理だろう。恐るべき脚力である。
階段に座り、膝で頬杖を突きながらぼんやりとボールを打ち合う二人を眺める奏音。三人の人影だけで、聞こえるのはラケットがボールを打つ軽快な音だけ。それを遮るものも、邪魔するものなど一切ない。はずだった。
チリン
聞こえたのは涼やかに響く鈴の音。それは奏音の傍に置いてある鞄から聞こえている。チリン、チリン、と断続的に響くそれ。最初は微かな音だったそれは次第に音が大きくなり、音の間隔も短くなる。焦燥感を煽るようなそれに、しかし三人は誰一人として慌てない。
チリン、チリン、チリン、チリン
チリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンリンリンリンリンリンリンリンリンリンリンリンリンリンリンリンリンリンリンリンリンリンリンリンリンリンリンリンリンリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリッ
まるで警告のように鳴り響いていた鈴の音がぴたりと止まった。打ち合っていたはずの宍戸と鳳も動きを止めて、ある一点をじっと見つめている。それは奏音、の後ろ。
「触らないで」
ピシャリ、と言い放った奏音の言葉に一瞬戸惑った気配がした。背後から奏音に向かって伸びていた青白い手。しかし戸惑ったのは一瞬で、再びそれは奏音に向かって手を伸ばす。
「もう一度言うよ。“触らないで”」
再びキツく言い放たれた言葉にまた手が止まった。しかしそれは意図的に止まったわけではなく、力で無理矢理押し止められたようにぴくぴくと震えている。それでも必死に触れようとするのか、奏音に向かってグググ、と指先が伸びる。
「“離れなさい”」
その言葉を合図に、奏音に向かって伸ばされていた青白い手がひゅっと勢いよく引っ込まれた。立ち上がった奏音はそのままコートに向かうと宍戸と鳳も彼女に向かって近付いてきた。三人が並んだところで、奏音は漸く後ろを振り返る。
そこに居たのは、全身びしょ濡れで長い前髪で目元を覆っている人。体格からして男性だろう。大量の水でも被ったのか、雨にでも振られたのか。しかしあいにくと今日の天気は全国的に晴れだ。しかし問題はそこではない。 その男性の足。右足の太ももから下が、ない。まるで“何か”に引きちぎられたように傷口からは体の繊維が解れ、覗いている骨も真っ赤に染まっている。そしてそこから溢れ出す真っ赤な血。全身から溢れる水と右足の傷口から溢れ出す血液が男性の足元を赤黒く染めている。生きている人間では、ない。
男は未だに諦めていないようで、近寄れないながらも奏音に向かってずっと手を伸ばしている。離れろと言ったにも関わらず退却しないとは、相当意思が強いようだ。仕方ないと溜息を吐きながら隣にいる鳳を見上げる奏音。それを受けてこくりと鳳が頷いた。
パン、パンッ
何かの合図のように奏音が二度手を叩いた。すると、今までの硬直が嘘みたいに解け、男はその瞬間を待っていたように一目散に奏音に向かって突進してきた。その拍子に目元を覆っていた前髪が靡き、隠されていたそこが顕になる。あるはずのそこは、空洞になっていた。 しかし、男があと一歩で奏音に触れられるところまで近付いたところで、二人の間に割って入る人影。
「させませんっ!」
その人影は鳳で、男との距離が数cmというところで突然バチン!と静電気のような音が聞こえ、一瞬の閃光のあとに太い断末魔がコート周辺に響き渡った。
*
「……綺麗に吹っ飛んだな」
先程の出来事が嘘のように、辺りから人の気配や生活音が戻ってきた。普通にジョギングをしている人も見かけるが、まるで此処で何かあったことなど知らないようにただただ走り続けている。コート周辺どころか、住宅街にまで響いたであろうあの恐ろしい断末魔。しかし、それを正しく聞いていたのは此処にいた三人だけだった。
「人が居ないと思ったら、切り離されてたわけね」
はぁー、と長い溜息を混ぜながら奏音がうんざりとした様子で呟いた。
「待ち伏せて獲物がかかるのを待ってた、って感じかな」 「それが奏音だったってことか。運がなかったな」 「……それ、どっちに対して?」 「両方だろ」
宍戸が言ったように、男は“吹っ飛んだ”。そこに居たという形跡諸共、跡形もなく。
「悪意を溜めた浮遊霊ですね」 「鳳に近付いて吹き飛んだってことは、そうだよね」
特に鳳が何かしたわけではない。奏音と男の間に立っただけ。そして、男は木っ端微塵に吹き飛ばされた。
「くそ、まだ1ゲームも終わってねぇよ」 「嫌な気配はもうないし、そろそろ人来そうだね」
奏音の言うとおり、ざわざわと人が近付いて来る気配がした。今度は、ちゃんと生きている人間だ。すると、まだ奏音の鞄から音が聞こえた。鈴の音……ではなく、これはスマホが鳴っているようだ。 いそいそと近付いて確認すると、後輩からのLINE。私情での連絡など殆ど無いに等しいその人からの連絡に珍しいな、ときょとりとしていると表示されているのは何処かのURLだった。次いで、急いで見てください、の文字。急かされるがままにリンクへアクセスすると、表示されたのは何処か懐かしい掲示板だった。内容を読み進めながらスクロールしていると、所々で気になる部分を見つけ、最後にはそれが確信に変わる。そして、奏音が掲示板を読み終わったであろうタイミングを見計らったかのように、再び後輩からの連絡。
“奏音さんの従兄弟で間違いないですよね”
「……私の可愛い従兄弟に手を出すなんて、許されないなぁ」
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