二年に上がってクラスが馴染んできた頃、思い付いたように行われた席替え。前側の喜ぶ声や後ろ側の残念そうな声が上がるのが聞こえると、県内随一のお堅い進学校でもなかなかに高校生らしいと安心する。まぁ、自分もその高校生の一人なんだけど。
 教卓の上に雑に置かれた紙を順番に取っていく。せめて何か箱に入れるとかすればいいのに、うちの担任は随分大雑把だ。とは言っても、特に狙っている席があるわけでもない。この身長のせいか、どの席に行っても結局は後ろの奴と交換することになる。最初こそ、それをラッキーだとは思っていたけれど、後ろでもでかい図体は目立つからプラマイゼロ。普段から頭一つ抜きん出ているのが引っ込んでいたら寝ているのがすぐばれる。
 自分の席に戻りながら掴んだ紙を開くと、窓側の後ろから二番目で、もし後ろの奴と交換することになったら所謂神席になる。漫画の主人公がよく居る席。まぁ、俺は主人公ってガラじゃないけれど。しかもほかの連中にとっては最高の席だろうけど、恐らく俺にはあまり関係ない。俯く程度ならバレないだろうけど、連日当たり前のようにハードな練習をこなす身としては寝落ちするなという方が難しい。
 全員に紙が行き届いたところで漸く席を移動し始めた。ガタガタと机同士がぶつかり合う音があちらこちらで聞こえる中、指定の席で後ろの奴が来るのを待つ。このクラスで俺よりデカいやつは居ないし、十中八九交換だろう。しかし、いくら待てども後ろに移動してくる音がしない。でも気配はする。もしやと思って後ろを振り返ると、一生懸命俺越しに前を見ようと奮闘していた名無しと目があった。

「名無し、そこ?」
「あ、うん。そうだよ」
「前もそうじゃなかった?」
「うん。自分の引きの良さにびっくりだよ」

 そう言いながらも困ったような表情は消えない。恐らく俺がいるせいで前が見えないからだろう。二回連続で最高の席を引き当てた名無しには申し訳ないが、変えてもらおう。

「ごめん、見えないよな。良い席のとこ悪いけど、交換しない?」
「ほんと?ありがと〜。私、窓側ならどこでもいいから大丈夫!」

 ホッとしたような表情を浮かべて名無しが立ち上がる。俺の机をずらして名無しの机を前に持ってきてやると、またありがとうとお礼を言ってきた。律儀だな。机の移動が終わってすれ違った時に、ふわりと名無しから良い香りがした気がした。あ、こういうの何か良いな。

「なんか香水つけてる?」
「えっ、わたし?つけてないよ?」

 席についてからまた話しかけてきた俺に対して名無しは驚いたように振り返りながらもちゃんと答えてくれた。まぁ、そうだろうな。クラスメイトだけれどそれだけで、特別仲が良いわけではない。会話もただの挨拶程度しかしたことがないし、同じクラスということ以外接点がなかった。名無しはミーハーな女子って感じじゃないから、バレー部についてあれこれ聞いてくることもしないし。だから、まともに会話をしているのはきっとこれが初めてだろう。

「なんだろう、柔軟剤かな……変?」
「いや、良い匂いだなと思って」

 言ってからやばい、と後悔した。なんか変態みたいじゃん俺。でも名無しは嫌がった様子はなくて、少しきょとんとしたあとに照れくさそうに頬を掻きながら「ありがとう」と笑った。あ、なんか良い。







 良いなとは思ったけれど、特に名無しと何かフラグが経つわけでもなく日が過ぎていった。まぁ、「良いな」と「好き」は別って言うしな。

 今日も今日とて強豪を名乗る我が白鳥沢男子バレー部の過酷な練習をこなす。特にレギュラー陣の与えられる練習量はとんでもなく、自分もそれに含まれる。あぁ、今日もよく眠れそうだ。

「今日の鍵番は川西か。頼むぞ」
「はい」

 体育館の施錠は当番制で、今日は俺。運動後で腹が減っているし、汗でベタつく体が不愉快極まりないがこればかりは決まっていることなのでそそくさと鍵を返しに行った。この学園で男子バレー部より遅くまで活動している部活はなく、学園敷地内は静かだ。戻ったら何を食べようかな、なんて馳せながら寮へと戻る途中で見知った背中が見えた。思わず眉を寄せたのは、それがバレー部の部員ではないから。何故居るんだ、とその背中を追うように歩いていると、その差はあっという間に縮まっていく。コンパスの差とかそんなものではなく、その人は空を見上げながらゆっくりと歩いているからだ。一体何があるんだ、と自分も見上げてはみたけれど、ただ空に星が浮かんでいるだけ。そう、星が出ているほどの時間なんだ。

「名無し」
「わっ…! び、っくりした…川西くんかぁ」

 名無しは大げさな程に肩を跳ねさせて振り返った。びっくりしているのは俺も同じ。

「こんな時間まで何してんの」
「部活、なんだけど……今日はちょっと残りすぎちゃったんだよね〜」

 あはは、と決まり悪そうに笑っている。遅くまで居すぎたという自覚はあるらしい。

「名無し、寮生じゃないよね?」
「うん。大通りの手前だから、遠くないよ」
「ふーん」

 確かに遠くないな。でも特別近いわけでもない。偶然だけれど見つけてしまったし、何よりこんな遅い時間に女の子を一人で帰す程俺も薄情ではないつもりだ。

「じゃ、行こ。送ってく」
「えっ?!わ、悪いよ!」
「いいから。遠くないんでしょ」
「あ、う、うん……宜しく、お願いします」
「お願いされました」

 念の為、賢二郎には伝えておくか…とLINEでメッセージを飛ばす。スマホから顔を上げると名無しがこちらを見ていて、目が合うとありがとうとお礼を言われた。律儀だなぁと思いながら教室での出来事を思い出す。プリントを後ろから回収する時も、転がってきた消しゴムを拾ってあげた時も、毎回必ず目を合わせてお礼を言う。本当律儀。あぁ、そういえば挨拶を交わす時も必ず目を合わせていたような気がする。

「遅くまで残ってたって、なんの部活?運動部じゃないよね」

 体育で見た感じ、運動はあまり得意じゃなさそうだったし。

「運動部ではないけど、この時間までいても本当はおかしくないんだよね。天文部なの」
「へぇ……」

 そういえばそんな部活もあったような…?恐らく部活紹介の時に聞いたくらいで、目覚ましい活動はなかった気がする。

「天文部って、えーっと……星とか見てた、ってこと?」
「うん。今日はクレーターの数を数えてたら時間過ぎてた」
「クレーター……」

 って、なんだっけ。円形の窪んでるやつだっけ。なかなか天文部は突飛なことしてるんだな。

「じゃあ、星座とか詳しいの」

 これといって天文学に興味があったわけじゃないけれど、話題を広げるつもりで聞いてみた。ただそれだけだったのに、名無しはとても嬉しそうな表情を浮かべながら俺を見上げるものだから驚いた。

「うんっ!私、昔から神話が大好きでね!あ、川西君って何座?」
「えと、牡羊座、だけど」
「牡羊か、4月生まれかな?」

 こちらの返答を聞く間もなく、名無しは牡羊座の星座神話を語りだした。授業などで聞くような専門用語を使っているわけではなく、物語なので、興味のない俺でもすんなりと聞き入ることが出来る。分かりやすいように面白可笑しく噛み砕いて話してくれているおかげで、寧ろ面白かった。他にも今浮かんでいる星座を指さしながら神話を話してくれて、名無しはずっと空を見上げている。星が瞬く夜空のキャンバスに名無しの白い指がふらふらと行き来する。それを目で追って話を聞きながら、あぁ、そういえば授業中も時々外を眺めていたような気がすると思い出す。当然昼間なので星が出ているわけではなかったけれど、元々空を見上げるのが好きなのだろうか。ふと、どんな表情で空を見上げているのか気になって、ちらりと隣を横目で見てみた。
 瞬間、どきりとした。
 街灯は転々と存在していたけれど暗がりだし、はっきりと見えたわけじゃない。でも身長差のせいか、見下ろせば案外しっかりとその表情を窺うことが出来た。じっと夜空を見上げるその瞳は真っ直ぐで、瞬く星が映りこんでキラキラしているように見える。実際、名無しは楽しそうだ。その瞳を見つめていると先程よりも一層大きく心臓が鳴った気がして、名無しの紡ぐ言葉さえも何か特別なもののように聞こえてくる。

(あ、いい)

 ボケっとそんな事を思った俺の視線の端に電信柱が映りこんだのがわかって、そろり、と避けるように動く。しかし話すことに夢中な名無しは気付かないようで、真っ直ぐと電信柱に向かって歩いて行っている。慌ててその腕を引いてぶつかるのを回避させると、名無しが驚いたような声を上げて話を中断させた。

「名無し、前見ないと」
「あっ…ご、ごめん。ありがとう」

 傍にあった電信柱に漸く気付いた名無しが照れたようにこちらを見上げる。

「空ばっか見てるから、昔からよくぶつかったり転んだりしちゃうんだよね」
「それ、危なくない?」
「一回轢かれそうになったことある」

 それ、笑い事じゃないよね。今回星座の話を切り出したのは俺だけれど、恐らく俺がいなくてもこうやって空を見上げながら帰っていたんだろう。一人で帰らせないで良かった。

「あ、うちここなんだ」

 危うく激突事故を起こすところだったせいかそれからは星座の話はやめて、普通に世間話をしていた。話している間に名無しの家についたようで、ここでお別れ。うん、遠くも近くもない。

「送ってくれてありがとう。ごめんね、話し出したら止まらなくて……」

 話題を振ったのは俺だけれど、自分ばかりがずっと話し込んでしまったことを気にしているようだった。名無しが話し上手なのか、思っていたよりも面白かったし全然気にしていない。何より、良い収穫があったし。

「いや、興味湧いたよ」
「え、本当?!」

 俺の言葉に、名無しは嬉しそうに頬を染めて俺を見上げる。普通に可愛い。あと、やっぱり瞳がキラキラしているように見える。街灯とか、玄関にあるランプとかのせいじゃない。きっと、俺のせい。

「うん。まぁ、星じゃなくて……名無しにだけど」
「へ……」

 「良いな」が「好き」に変わった瞬間だった。