仕事帰りの電車の中で座席に沈み、ゆらゆらと揺られながら反対側の車窓から見える街明かりをぼーっと眺めていた。しかしそのぼんやりとした意識も、抱えた鞄の中で震えるスマホの音によって引き戻される。画面を見てみれば、新着を告げるLINEの文字。誰からだろうと考える必要もなく画面に指を滑らせると、やはり予想通りの人からのメッセージで。表示されているメッセージは『お疲れ様。』のたった一言だけ。たったそれだけなのに、思わず口元が緩みそうになって慌てて引き締めた。電車の中でスマホを眺めながらニヤついているなんて、恥ずかし過ぎる。いつも通りの当たり障りない返信をしていると、いつの間にか自分が降りる駅に着いていたようで、慌ててスマホを鞄の中に突っ込んで扉を抜けた。

 駅から家までの道のりを歩いている最中に考えるのは、先程メッセージをくれた“彼”のこと。言わずもがな、先日お見合いをした相手である古備前さんなのだけど。古備前さんは、わりと小まめに連絡をくれる。自分のことを知ってほしい、私のことを知りたいと言っていたのは本当のようで、『自分はこれが好きなのだけど、君はどうだろうか』『これに対してこう思ったんだが、君はどう思う』という感じで、自分のことを話した後に必ず私にも聞いてくる。お見合いをした席では、自分のことを全くと言っていいほど話さなかった古備前さんだったから、最初の頃はなんだか新鮮だった。それと同時に、自分にこんなにも興味を抱いていてくれているということが何だか嬉しかった。擽ったくも感じた。度々連絡をくれるのだけれど、決してしつこいものではなくて。私を焦らせる気は全く感じられないし、寧ろこうした時間を楽しんでいるようにも感じた。そう思っているのは私も同じで、もう少しだけこの距離感が続くのも良いかなと思っている。もう、少しだけ。

 家に帰る途中で近くにあるコンビニへと寄る。迎えるのは「いらっしゃいませー!」という明るい声。ここのコンビニの店員は中々に覇気があっていつも声が明るい。そして、この時間に毎日迎えてくれる声は同じ店員のもの。向こうは私を常連として覚えていてくれているようで、時々事務的以外の挨拶もかけてくれる良い子だ。最初はがっつりとした金髪にビビってしまったけれど。あの人懐っこい笑顔に一瞬で毒気を抜かれた。あと勇者王とか海賊王みたいな名前がかっこいい。
 特に買いたいものがあって来たわけじゃないけれど、仕事帰りには寄るといういつもの習慣だ。何かめぼしい物はないかな、と店内をゆっくりと練り歩く。そしてふと足を止めたのはパック類のドリンクコーナー。いつもの商品が並ぶ中、期間限定の文字が浮かぶそれ。限定モノに弱いというのはよく聞く話だが、私が目を留めた理由はそれだけではなかった。“それ”関連の商品では一貫して同じ色のパッケージが使われるその商品。鮮やかな緑色のパッケージを見ていると、古備前さんが無意識に連想されてしまってならない。もう私の中ではお茶=古備前さんの式が成り立ってしまっている。どうしようかな、と商品の前で棒立ち。すると、掃除器具をバックルームへ片付けようと通りがかった金髪の店員が声をかけてきた。

「あ、それ美味しかったぜ!」
「あ、ほんと?」
「うん。最近お姉さん抹茶系のやつよく買うし、気にいると思う!」

 それだけ言って金髪の店員はバックルームへと消えていく。残された私はというと、ちょっと顔を熱くさせていた。いつも通っているコンビニの店員にまで指摘されるとかどうなの…いや、いつも通っているからこそか。意識しすぎじゃなかろうか、私。取り敢えず、せっかく勧められたのだから…と自分の中で言い訳をしながらそれを掴んだ。しかしただそれ一品だけを買うのは何だか気恥ずかしくて、飲めもしないブラックの缶コーヒーを一つ。その二つをレジに持っていくと、中から出てきた金髪の店員が「ブラックなんて珍しいな」と驚いた。それに対して、あはは…と乾いた笑みを返すことしか出来なかった。何だか、墓穴を掘った気がする。
 「ありがとうござましたー!」と、入ってきた時と同じ明るい声を聞きながら店を出る。小さなレジ袋の中ではブラックの缶コーヒーと、練乳仕立ての抹茶ラテという、全く逆な味覚の飲み物が揺られていた。…抹茶ラテはこの際、話のネタにするとして、コーヒーはどうしよう。







 夕飯も食べ終え、風呂上がりに濡れた髪をタオルドライしながら自室のソファへと身を投げた。テーブルの上には先程買ってきたコンビニの袋。お風呂から上がって部屋に戻る際、冷蔵庫から出してきたのでまだ冷えている。がしがしとタオルで髪を吹きながらその袋をじっと見つめ、同じようにテーブルに置かれたままのスマホにも視線を向ける。その二つを何度か交互に見たあと、タオルを首に引っさげたままスマホを手に取るとカメラを起動した。袋の中から抹茶ラテだけを取り出して、周りの障害物を退けて抹茶ラテだけが写るようにパシャリと一枚。それをフォルダに保存すると、早速ストローを差して一口飲んでみた。

「……あ、これ美味しい」

 練乳というからどれだけ甘いのかと思えばそれ程でもなくて、寧ろ抹茶のほろ苦さと合っていた。当たりだな、と思いながらスマホを叩いてLINEを繋げる。メッセージ欄から先程撮った写真を添付して送信。更に一言を添えて抹茶ラテを片手にテレビを付けた。やっていたのはバラエティ番組で、特に見たいものもなかったし、髪を乾かす片手間に何となく見ていた。暫くして、テーブルに置いていたスマホが音楽を奏でて震えだした。画面には「着信:古備前鶯丸」の文字。テレビの音量を下げて、通話を繋げた。

「はい、もしもし」
《ああ、俺だが…今平気か?》
「大丈夫ですよ」

 持っていた抹茶ラテを軽くゆらゆらと左右に揺らす。まだ半分は残った中身が、ちゃぷん、と小さく音を立てながら波打っている。

《さっき送ってもらった写真を見た》
「抹茶ラテですね!美味しいですよ〜」
《随分甘そうな感じがするな》
「それ程でもないです。寧ろ甘すぎなくて、飲みやすいですよ」
《そうか。君が言うなら、今度買ってみよう》

 毎日ではないが、こうして自室でのんびりと過ごしていると電話をかけてきてくれる。話題はその日にあった出来事についてだったり、最近ニュースになっていることだったり、今みたいにLINEの延長線の会話だったり様々だ。会話時間もまちまちで、5分程度の短いものから一時間は経過する程の長電話になることもある。

「最近あったかくなってきましたねー」
《そうだな、昼間は随分過ごしやすい》
「でも日が暮れると急に寒くなるから、衣替えのタイミングがわかんなくて」
《ふふ、わかる。箪笥が片付かなくて困るなぁ》
「ですよねー。新しい服欲しいのに」

 話している最中で、僅かに聞こえるテレビの音が邪魔に感じて電源を落とした。タオルドライしていた髪も段々と乾いてきている。抹茶ラテを持ちながらごろん、とソファに横になった。こちらの様子など見えていないはずなのに、察したように古備前さんがくすりと笑う。

《明日は何か予定はあるのか?》
「いえ、決まってないですよ。買い物に行こうかな〜ってちょっと考えていたくらい」
《そうか。俺も一緒に行っても構わないか?》
「え、あ、はい。良いですよ?」

 明日は休日。こうして小まめに連絡をくれる古備前さんだったが、会うのはあの日以来になる。もう何度も電話で会話を交わしているというのに、会うとなると途端に緊張がやってきて思わずソファから起き上がって正座してしまった。

《まあ、あれだ。デートの誘い、というやつだ》







 何だかそわそわしてしまって、予定より早く待ち合わせ場所についてしまった。本当はもう少し家でのんびりしていようと思ったのだが、落ち着きのない私を見て母親がにやにやするので居心地が悪くて逃げてきた。時間になるまで本屋で時間を潰そうかな、と改札を潜る。ショッピング街が建ち並ぶその場所は、休日ということもあって人が多い。駅前にも美味しいスイーツのお店が並ぶため、待ち合わせをすると探すのに少し困難だ。
 それなのに。
 改札を出て、直ぐに気付いた。そんなまさか、と目を瞠るものの、有り得ないことでもないなとも思う。行き交う人々をすり抜けて少し駆け足で近付くと、古備前さんは読んでいた本から顔を上げた。私を見て少し驚いた表情をしたあと、優しく笑う。

「やあ。随分早いな」
「こ、古備前さんこそ!いつからいたんですか?」
「読み始めてまだそんなに経ってないから大丈夫」

 開いていた本を閉じて鞄にしまい、すっと立ち上がる。たったそれだけなのに動作一つ一つに品があるように見えて、流石だなと思う。ジョ○ョ立ちしても品があるんだろうなと思ってしまった私は随分動揺していたんだと思う。本当、いつからいたんだろう。

 歩きながら何の本を読んでいたのか聞いてみた。教えられたタイトルは私の好きな作品で、前に古備前さんにオススメした記憶がある。読んでみるとは言っていたが、こうして実際に自分のオススメを試していてくれているのを目の当たりにすると気恥ずかしくなってくる。きっと昨日オススメしたあの抹茶ラテも、そのうち実際に買って試してくれるのだろう。私のことを知りたいと思ってくれていると同時に、私と共感したいとも思っているらしい。それは思想の共感とかではなくて、もっとこう、分かち合うという意味に近い。

「古備前さんはこの辺よく来たりします?」
「時々な。ただ人ごみはあまり得意ではないな」
「そんな感じします。でも人がごちゃごちゃしてるのって割と好きです。見てる分には、ですけど」
「ああ、わかる気がするな。賑やかなのは好きだが、参加するよりも傍から見ていたいな」
「そうそう、それです」

 今まで何度も電話を交わしていたおかげか、思っていたよりもすんなりと会話が続いている。話しながらでも古備前さんは周りをよく見ているらしく、行き交う人にぶつからないように私を引き寄せたり、一歩前に出て盾になったり、得意ではないと言っていたのが嘘みたいだ。

 やってきたのは、私が前から気になっていたお店だ。店内に入ったのは今日が初めてだったが、中々に好みなデザインが多い。予め欲しいものは決めていたので、気になったものを片っ端から手に取って眺める。

「何が欲しいんだ?」
「スカートを買おうかな、と。うーん、丈はもう少し長いほうが良いなぁ…」

 柄は好きだけど、丈が気に入らないと商品を戻す。と、その隣で探していた丈のものがあって手にとった。優しいクリーム色で、裾の方には白のレースで装飾がされている。うむ、シンプル且つ上品で好みである。もうこれに決定。

「それにするのか。決めるのが早いんだなぁ」
「よく言われます。ちょっと試着してきますね」

 買うものを決めるのが早いため、いつも友達とショッピングをすると私は待っていることが多い。寧ろ何をそんなに悩むのか謎である。でも念のため試着はする。スカートを持って試着室へ向かう途中、これまた好みのワンピースがあって思わず足を止めた。ウエストから上下で色が違う切り替えワンピースで、パステルグリーンのフレアスカートが可愛らしい。七分丈の袖は全てレースになっていて華やかだ。スカートの裾を持ってじっと見つめる。可愛い。めちゃ好み。でも今日はスカートを買いに来たわけだし、一人じゃないのだから荷物を増やすわけにはいかない。今度来たときあれば買おう。そう決めて名残惜しくも手を離して試着室へと入った。

 シャッとカーテンを開けてパンプスに足を引っ掛ける。サイズもぴったりだし、改めて鏡で見たけれどやっぱり好みドンピシャで大変よろしい。さっさと買ってしまおうとレジに向かう前に古備前さんを探す。さっき居たところにはいないから別の場所を見ているのか、店の外で待ってくれているのか。少し見渡すと、萌黄色の頭が見えた。なんてわかりやすい。

「何か欲しいものありました?」

 ちょっとした冗談のつもりで言ってみた。ここは女性向けのアパレルショップなので、古備前さんが着られる服はない。それなのに、古備前さんは嬉しそうに頷いた。なんだと。
 冗談が冗談では終わらなかったことに戸惑いながらスカートを持ってレジへ向かった。カードを作るか、と聞かれたが古備前を待たせるわけにはいかないので断った。今度来たときにでも作ればいい。お釣りを貰って、ありがとうございました、と小さな紙袋を渡される。二つ。はて?

「え、ん?二つ…?」

 何故か二つ渡される紙袋。この店の名前が入ったお洒落なショップ袋なわけだが、買った商品はスカート一点である。初めての客に渡される特典か何かか?いやそんな馬鹿な。受け取ることに戸惑っていると、その袋を二つとも横から持って行かれた。持っていったのは古備前さんで、店員に一言ありがとうと告げると私の背を押して外へと促す。

「え、ちょっ、あの!それ、一個違うんですけどっ」
「大丈夫、どちらも君のだ」
「んんん…?」

 もしかして二つで一つになるスカートだったんです?私の困惑を感じ取ってか、古備前さんは片方の袋を掲げて言った。

「こっちは俺から君に、だ」
「え、」

 そこで漸く袋が二つある意味を知って、けれども困惑はなくならなかった。

「そ、そんな悪いですよっ」
「良いから。君に似合うと思ったから、君にもらって欲しい」
「あ、う…」
「さ、行こう」

 申し訳なさよりも恥ずかしさが勝って、視線が泳いでしまう。

「あ…ありが、とう…」

 観念してお礼を言えば、古備前さんは「楽しみにしている」とだけ言った。それはつまり、私が贈られた服を着たところを見るのを、という意味。







 少し休憩しようということになって、私がお気に入りの喫茶店に連れて行った。ショッピング店が並び、たくさんの人が行き交う道の裏の通りにあるその場所は、表と違ってひっそりとしている。お昼時には表と同じように賑わうのだけれど、昼時を過ぎた今は人が疎らだ。古備前さんはコーヒーを、私はミルクティーを頼んで奥の方の席に着いた。温かな湯気を立てるカップが二つ、向かい合って座る二人の間に並ぶ。手を温めるようにカップを両手で包みながら、古備前さんがコーヒーを口に運ぶのを眺めた。それに気付いた古備前さんが、視線だけで私にどうした?と聞いてくる。

「良いな、と思って。私ブラック飲めないんで」
「そうか。慣れるとブラックばかり飲んでしまうなぁ」
「そうなんですか?うーん、甘党の私には厳しいなぁ…」

 昔、ブラックコーヒーを飲むことに憧れてチャレンジしたが、ちびちびと飲んでいるうちに気持ちが悪くなってきて諦めた。ブラックコーヒーを飲むオフィスレディとか、字面だけでかっこいいじゃないか。しかし味覚がお子様な私には難易度が高かった。

「飲めるようになりたいのか?」
「前は思ってましたけど、もう断念しました。あまちゃんな私には甘いものがお似合いなんです。かっこいいと思ったんだけどなぁ」

 何となく悔しさを滲ませながらミルクティーを一口飲む。優しい甘さが喉を通り、ほっと息をついた。うん、やっぱり甘いほうが美味しい。

「無理して飲めるようにならなくていいだろう。ミルクティーは俺も好きだ」
「味覚の幅広いですね」

 羨ましいなと思ってそう言うと、古備前さんは「それに、」と言葉を続けた。

「俺としてはブラックが飲めるのがかっこいいと思うより、飲めない姿が可愛いとは思うな」

 え、とびっくりして古備前さんを見ると、とろけるような笑みを浮かべて私を見ていた。それこそ甘党な私に似合いな、甘い笑顔。油断していると古備前さんは普通に会話をしている中で突然爆弾を落とす。き、気を抜いてはダメだっ…
 しかし既に油断をつかれてしまったあと。どうせ、今の私の顔は真っ赤なのだろう。可愛いなんて、男性から言われることなんて久しぶりで。完全に油断していたし、真正面から言われたせいか心臓の音がうるさい。

「それはっ…どうも……」

 上手い返し方が見つからなくて、古備前さんの顔を見れなくて、何となく素っ気無い言い方になってしまった。それでも、正面から「ふふ」と優しい笑い方が聞こえるあたり、古備前さんはこちらの心境を理解しているのだろう。少し、意地悪だなと思った。気持ちを落ち着かせるために、大好きなミルクティーをまた一口。お気に入りの、いつもの味のはずなのに、何だかいつもよりも甘く感じた。先程飲んだ一口より、何倍も甘く。甘党の私が、甘ったるいと感じてしまうほどに。
 不意に、結局飲めずに冷蔵庫の中にしまいっぱなしになっている缶コーヒーの存在を思い出した。甘すぎるこの空間を、どうにかしてくれないかな。ブラックを飲んだら、少しは薄らぐかな。

 でも、結局飲まないのだろう。可愛いと言われて、嬉しかったから。







 自室のベッドに寝転んで、ぼーっと天井を眺める。余韻がまだ残っているせいか、頭が少しぽーっとしている。こんな感覚は、本当に久しぶりだ。上を向いていた頭をゆっくりとずらして、ソファに置いてある紙袋を見つめた。一つは自分で気に入って買ったスカート。もう一つは、古備前さんからの贈り物。ずるずると体を起こしてソファに近付き、まず一つを手にとった。中から出てきたのはクリーム色のスカート。うん、やっぱり可愛い。両手で掲げてみたあと、ソファの背もたれに置いてもう一つの袋を手にとった。深呼吸を一つ、二つ。恐る恐る袋の中に手を差し入れて、中にあるものを取り出す。

「あ…これ…」

 驚きに茫然として、心臓がきゅっとした。ちょっと苦しいくらい。嬉しさで少し泣きそうになりながら、そっとそれを胸元に引き寄せた。古備前さんは、楽しみにしていると言っていた。これを着るには、少し覚悟がいるのだろう。古備前さんが贈ってくれたものを着るということは、そういう意味だ。いつ着ようかな、なんて考えてしまっている自分は意地悪なのだろうか。これじゃあ、古備前さんに意地悪だなんて言えない。

 でもきっと、遠くない未来に。